金子兜太 かねこ・とうた(1919—2018)


 

本名=金子兜太(かねこ・とうた)
大正8年9月23日—平成30年2月20日 
享年98歳(海程院航句極居士) 
埼玉県秩父市長瀞町本野上924–1 総持寺(臨済宗)



俳人。埼玉県生。昭和18年から49年まで日本銀行に勤務。加藤楸邨に師事。『寒雷』同人、のち『風』に参加。社会性俳句・前衛俳句を主唱し、37年『海程』を創刊主宰。平成14年『東国抄』で飯田蛇笏賞受賞。句集『少年』『両神』、評論『小林一茶』『定型の詩法』などがある。







海に青雲生き死に言わず生きんとのみ 

朝はじまる海へ突込む鷗の死

華麗な墓原女陰あらわに村眠り

わが世のあと百の月照る憂世かな

夏の山国母いてわれを与太と言う 
           
谷間谷間に満作が咲く荒凡天

おおかみに螢が一つ付いていた

小鳥来て巨岩に一粒のことば

定住漂泊冬の陽熱き握り飯

河より掛け声さすらいの終るその日

 


 

 旧制水戸高校一年(18歳)のとき、誘われて「水高俳句会」発足句会に出席したときに作った処女句〈白梅や老子無心の旅に住む〉以来幾多の俳句を詠んできたことか。戦後は社会性俳句・前衛俳句の旗手となって既成俳句の概念批判し、小林一茶の〈何物にもとらわれず、欲望のままに生きる平凡な男・荒凡天〉に惹きつけられ、人間の本性を詠みつづけてきた金子兜太。平成30年2月4日、原稿用紙に記し、長男眞土氏に手渡された〈河より掛け声さすらいの終るその日〉〈陽の柔わら歩ききれない遠い家〉など九句を絶筆として、翌々日から誤嚥性肺炎の疑いで入院していた熊谷市内の病院で同月20日午後11時47分、急性呼吸促迫症候群のため98年の生涯に別れを告げた。


 

 昭和21年11月、兜太27歳、最後の引き揚げ船だった駆逐艦でトラック島を去って行く時に生まれた句〈水脈の果炎天の墓碑を置きて去る〉、人生を決定づけたと位置づけるこの一句をもって、戦争で死んでいった全ての人たちのためにも、〈自分の俳句が、平和のために、より良き明日のためにあることを願う〉とひたすらに生きて生きて生き抜いた兜太の眠る墓は妻皆子の実家、岩畳とライン下りで有名な観光地・長瀞渓谷に近い西山裾の総持寺にある。本堂裏の兜太最初の句碑〈ぎらぎらの朝日子照らす自然かな〉を横に見ながら参り道を上った先、竹林を切り拓いた墓地の五輪塔に並んだ「金子家之墓」。
秋虫の声、小鳥のさえずり、自分のいのちの役目を終えたら土に還りまた別の土の上で再生するとの他界観をもっていた兜太の再生や如何に。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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