本名=角川源義(かどかわ・げんよし)
大正6年10月9日—昭和50年10月27日
享年58歳(浄華院釈義諦)❖源義忌・秋燕忌
東京都東村山市萩山町1丁目16–1 小平霊園16区1側3番
実業家・俳人。富山県生。國學院大學卒。昭和17年『悲劇文学の発生』刊行。20年角川書店設立。24年角川文庫・『昭和文学全集』を発刊。27年俳句総合誌『俳句』を創刊。29年短歌総合誌『短歌』を創刊。『語り物文芸の発生』『近代文学の孤独』『角川源義善句集』などがある。

ロダンの首泰山木は花得たり
篁に一水まぎる秋燕
煌々と人離れゆく雪催
花枇杷や砂丘をひらき家と墓
花あれば西行の日とおもふべし
夜の秋美しき死ともひ寝む
薔薇大輪稚ければ神召されしや
月の人のひとりとならむ車椅子
引越の日の十三夜無月なり
〈後の月雨に終るや足まくら〉、角川書店の創立者で俳人、角川源義の絶句である。
実業家としての傍ら俳句にも情熱を傾け、俳誌を創刊、多くの句集も刊行した。第五句集の『西行の日』は読売文学賞を受賞したが、無尽の命ではなかった。ただ一人、歩くことさえ叶わずに夜は明け、夜は更けて、東京女子医科大学病院の一室で命綱のように待ち望んでいた十三夜の月は、儚くも雨に消えてしまった。
〈夜中「月がでたかネ」という。窓辺には遅くならないと月が見えない。月を見たがる主人に、月に連れられていくのではという気がし、見せられなかった〉と、照子夫人は『看病日記』に記している。ひと月を経て昭和50年10月27日、源義は月に召される。
都心西郊の都立小平霊園、西武新宿線の小平駅に降り立った詣り人を、参道のケヤキ並木が森厳な霊域に誘っていく。喜びや悔恨、苦悩、怒りや哀しみ、生まれ出た日の幻よ。還り来ぬ日をちりばめて、果てもなく広がる薄青色の空の下に。
昭和28年秋彼岸に自身が建てた「角川家之墓」に源義は眠る。大霊園の主要通りに面したこの塋域は鍵折れに踏み石を置き、曲がり角に〈花あれば西行の日とおもふべし〉の句碑が建つ。角川書店創始者、沈鬱重厚な俳人の墓碑にも寒風は容赦なく吹き付け、微かな暖かみを持った冬日も枯れ葉と一緒に路樹の枝を軽々と越し、得意げに巻き揚がっていった。
この碑には平成23年9月21日に亡くなった娘の辺見じゅんも合祀されている。
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