片山広子 かたやま・ひろこ(1878—1957)


 

本名=片山広子(かたやま・ひろこ)
明治11年2月10日—昭和32年3月19日 
享年79歳(謙徳院広室妙大姉)
東京都豊島区駒込5丁目5–1 染井霊園1種イ6号6側 



歌人・翻訳家。東京府生。東洋英和女学校(現・東洋英和女学院中学部・高等部)卒。佐佐木信綱に師事。大正5年歌集『翡翠』刊行後、松村みね子の筆名でアイルランド文学の『シング戯曲全集』等を翻訳。芥川龍之介、堀辰雄らが思慕する。『燈火節』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。ほかに歌集『野に住みて』などがある。






 

よろこびかのぞみか我にふと来たる翡翠の羽のかろきはばたき

うつせみは木より石よりさびしけれ此ますぐなる性をすてばや

青白き月のひかりに身を投げて舞はばや夜の落ち葉のをどり

かぎりなく憎き心も知りてなほ寂しきときは思ひいづるや 
           
くりおつるみねのほそみちゆきかへりにがくうれしもひとりなること

もろもろの悲しき事もあやまちも過ぎたるものは過ぎさらしめむ

いくたびか老いてゆくわれをゆめみつれ今日の現在は夢よりもよし

死をつれて歩くごとしと友いへりその影をわれもまぢかに感ず

うつそみに思ひしことの数かずもかくて消えゆく母よわすれたまへ

七月の青きいのちはすさまじく馬越の原に葦さやぐなり

いかばかり人の涙のかかるらむ染井の野辺は草青きかな

 


 

 芥川龍之介と片山広子、軽井沢でのひと夏の出逢いによって生まれた恋ごころ、〈あぶら火のひかりに見つつこころ悲しくも、み雪ふる越路のひとの年ほぎのふみ〉と詠んで「才力の上にも格闘できる女」、「越し人」と敬慕した。また堀辰雄も憧れた彼女にはふたつの名がある。歌人としての「片山広子」とアイルランド文学の「松村みね子」。
 自らの生活は〈理知と狂熱の争ひ〉と語ったそうだが、歌壇にも文壇にも一線を画し、ともに深山にいたる道を人知れず〈陰影を印して〉歩むがごとしであった。
 昭和31年、脳溢血で病床に伏すようになった。かつて〈にがくうれしくひとりなること〉と詠んだ彼女の面差しに薄色の日は注ぎ、翌年の春、3月19日午後8時45分、静かに目を閉じた。



 

 ただひとつ真白な浮雲の下、陰影を濃くした葉桜が立つ四つ辻の一画に五基の墓。左側に両親と夫貞次郎の三基、右側に息子達吉と広子の二基が向かい合って並んでいる。土庭の中央に敷かれた踏み石の右奥、参り道を背にした「片山廣子之墓」に容赦なく陽は降り注いでいるが、血筋の途絶えた片山家のこの塋域に以後、足される墓碑はない。この霊園に隣接した慈眼寺に因縁の人・芥川龍之介が眠っているのだが、時のかなた、片山家の墓参ののち龍之介の墓に詣でる広子の後ろ姿を追って、私もそろそろとその道を歩み始めた。——さきの芥川の歌に対する相聞歌〈空ちかき越路の山のみねの雪夕日に遠く見ればさびしき〉にこそ哀しけれ。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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