唐木順三 からき・じゅんぞう(1904—1980)


 

本名=唐木順三(からき・じゅんぞう)
明治37年2月13日—昭和55年5月27日 
享年76歳(雪峰院不期順心居士)
長野県上伊那郡宮田村4291 村営駒が原霊園 




評論家・哲学者。長野県生。京都帝国大学卒。長野県、満州で教職につく。昭和7年『現代日本文学序説』を発表して認められ、15年筑摩書房創業に参加した。18年『鷗外の精神』を発表。西田幾多郎・三木清らの影響をうけながら、独自の文化史論を展開した。ほかに『現代史への試み』『無用者の系譜 』『無常』などがある。




   


 

 無常の具体化といってよい死を語って、雄弁、美文であるということはどういうことであろう。死が異常の変であるから、それを異常に語るのであり、死別は激しい感傷を誘うから、それを感傷的に書くというような、一般的な推論ではかたづかないものがある。厭離穢土を言って雄弁になるということもおかしい。浄土への誘いの雄弁な説教としても、おかしい。死の美化といっても、一層おかしい。慟哭が雄弁になるといっても、おかしい。
 「はかなし」「はかなき」には微妙で複雑なニュアンスがあった。その多種多様な意味あいについては既に詳しく書いた。和泉式部の「あれにはかなく、たのむべくもなき、かやうのはかなし事に、世のなかをなぐさめてあるも、うちおもへばあさましう」などという文章の示している情趣世界については、それを扱ったところを再読してほしい。そういう複雑微妙な心理の陰翳をふくみながら、「はかなくなる」「身のはかなくもなりぬべきかな」「はかなき数に入る」「はかなきさまになる」は率直に存在の消失、死を意味していた。「はかなし」の究極はいたずらに、あだに、むなしくなることであった。はかなき存在がそのはかなさを具体的に示すことが死であった。

(無常)

 


 

 〈身心脱落者の共同世界においては、無常ならぬ何物もない。一切は無常であるままに、それは法の起滅である。無常な時間が音もなく一切存在を透過している世界である。一切が無常であるというところでは、無常への詠嘆は意味をもちえない。無常ということすら意味をもたない。一切が白色である場合、白いということが意味をもちえないと同様である。〉 と道元の「仏道」を観じ究めた唐木順三であったが、昭和55年3月14日、肺の腫瘍で入院していた北里大学附属病院から東京築地の国立がんセンターに検査転院。診断の結果は〈全くびっくり、ぎゃうてん、何のことかわからない〉という肺がんの告知であった。手術後の症状は回復することなく、がんセンター1002号室にあたたかな初夏の朝が訪れようとしていた5月27日午前2時12分、永遠の眠りについた。



 

 

〈西は駒ヶ岳の連峰をへだてて木曽に対し、東は天龍川をへだてて仙丈、東駒に対してゐる谷間で、西の山裾からひらけて天龍川にいたる一里位のゆるい傾斜地に、南北に長い村〉と唐木が表現した上伊那郡宮田村村営の霊園から東には雲海に浮かぶ山々、西にはうっすらと雪化粧した駒ヶ岳が眺められる。自身が定めたこの墓地の「唐木順三/唐木フサエ墓」、雨上がりの湿気を帯びた晩秋の朝日が碑面を照らしている。三回忌に合わせて建てられた小学一年生の方言詩を漢字まじりにして写した順三筆跡の碑「雨バ 雨ナテ 風ハ 風ナテ 誰ガ ツケタンベナ イツバンハヤク 誰ツケタンベナ」、続けて臼井吉見による墓誌の最後に「駒仙丈の残雪 天龍の瀬音 風光る緑の野面 郷土の山河は君を迎えてかくもうるわしく よそおい和らぎたり かくなごめる風向のなか 君よ安らかに眠り給えよかし とこしえに」とある。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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