山口ゆうこが取り組んできた社会活動(Social Inclusion/Communication Design)の記録。
白石 克孝 龍谷大学法学部教授
秋田 光彦 應典院住職/上町台地から町を考える会代表
正満 たつる子 元みたか市民プラン 会議事務局長
山口 祐子 特定非営利活動法人浜松NPOネットワーク
センター前代表(創設者) 浜松市議会議員
相川 康子 神戸新聞論説委員/特定非営利活動法人NPO政策研究所理事
皆様こんにちは。第十分科会のコーディネーターを務めます龍谷大学の白石です。では早速、議論に入りたいと思います。
パネリストの方々のプロフィールは、配付資料に紹介してありますので省略致します(巻末参照)。また、この分科会の進め方ですが、前半、問題提起者(パネリスト)の方の報告や問題意識について一巡語っていただきます。そして、間に休憩を一度挟みまして、後半はフロアの皆さんにも積極的に討論に参加していただこうと考えております。
問題提起者の発言を受ける前に、まず私からこの分科会の趣旨について説明をしたいと思います。
サブタイトルに『「参加」によるエンパワーメント』という言葉があります。ここで少し言葉の定義をしておきます。まず「参加」という言葉です。この言葉は、政治学、行政学の世界では大きく二つの参加の形があると論じられています。一つは、有権者として選挙あるいは投票を通じて間接民主制や直接民主制の中で参加するということです。いま一つの「参加」は、「市民参加」という言い方がされるような「参加」です。つまりみんなであるものごとを話し合ったり、あるいは行政なりどこかの主体がものごとを進めていくときに、みんながそれに関与して一緒になって計画を立てていく、運動をしていく、というような参加です。
私たちはこれを「討議」、あるいは「関与」と言っていますが、いずれにしても「参加」です。英語で言うと、前者は[Participation]ですし、後者は[Involvement]で、これまではどちらも「参加」と言ってきました。
今日は、皆さんがいろいろな問題について大いに話し合っていく、そういうことが市民社会とこれからの新しい市民の政府にとって望ましいんだという考え方に立って、有権者としてではなくて、市民自身が社会の運営に参加するというところに焦点を当てた議論をしたいと思います。
次に、「エンパワーメント」という言葉です。これはもともと開発経済学の用語です。発展途上世界でどのようにしたら社会、経済の開発ができるのかと考えたときに、やはり住民がパワーを持っていない状態を克服することがとても重要だという発想です。つまり有権者として行政や政治に関与することができない。あるいはジェンダーや人種の問題によって社会的なことに関与できないという状況。あるいは教育やさまざまなスキルの不足によって、自分たちの問題を自分たちで解決する機会に恵まれない、という状態を克服していかないと、途上世界の社会開発、経済開発は成功しないんだという考え方から、エンパワーメントという言葉が生まれてきたのです。
ですから、私たちがここで「エンパワーメント」と言うのは、新しい市民社会の担い手というものを考えたときに、そういう権利や力や技能やいろいろなものに欠けているところが我々にあるとすれば、それを乗り越えて、市民社会の担い手になれるように自分を変えていく。そういう力をどうやったら身につけることができるのか、というような意味とお考えいただければと思います。
そこで、エンパワーメントに「参加による」という言葉が付きます。つまり、私たちの経験からすれば、エンパワーメントというものは確かにいろいろな訓練のプログラムに参加したり、研究や学習の機会を得たりすることを通して鍛えていくとも言われます。しかし、実際に現実社会のシステムに参加して、実際にいろいろなことをやっていく中で(オン・ジョブ・トレーニングのように)学ぶ力、社会を変える力を発見していくというところが、やはり王道であろうと思うわけです。ですから、『「参加」によるエンパワーメント』というサブタイトルになったわけです。
さて、「市民の政府」と「市民の社会」の関係がなかなか理解しにくいのではないかと思います。つまり、自治体がこれから小さな政府を志向したときに、それを補ったりお手伝いしてくれるものが市民社会なのでしょうか。いや、そうじゃないですね。市民社会のほうが自治体や政府より先に存在しているのです。ですから私たちがここで「市民社会の担い手になる」というテーマを掲げているのは、自治体のお役やお手伝いができるようになるために、市民がエンパワーメントするんだとか、そういう地域社会になっていこうというような単純なことではないわけです。市民が市民社会の担い手になることに意識的になれば、今の日本の社会はもっと豊かになれるのではないか。そういう視点で議論したいと思っています。
実は、持続可能な地域社会という議論をしているときに、三つの側面が大事だと言われています。一つはもちろん環境です。二つ目は経済です。そして三つ目が社会だということが世界的に認められています。
たとえば中山間地に行きますと、経済的な困難や危機があるんだということをおっしゃる方がいますけれども、私は、それよりも社会的な困難や危機のほうが大きいんじゃないですか、ということをよく申し上げます。私たちは、地域社会を持続可能なものにしていくということについて、どうも「社会」のあり方については省いておいて議論することがあるのではないでしょうか。
ですから、今日のこの議論は、市民社会をどうとらえるのかを考えるときに、市民社会の担い手をつくるのではなく担い手になるということ、つまり自分たちが主体になるということを、パネリストの問題提起を受けて議論できればと思います。
おそらく行政と市民との協働のようなことだけを市民参加だと考えていらっしゃるのだとしたら、ずいぶん違った視野からものを見ることができるようになったという経験をお持ち帰りいただけるのではないかと思います。
それでは山口祐子さんからお願いいたします。
こんにちは。問題提起者としてご招待いただきましてありがとうございます。自治体学会への参加は初めてですが、昨日から参加させていただいております。私ども浜松NPOネットワークセンターは、「エヌポケット(N-Pocket)」という愛称を持っております。ドラえもんのポケットのようですが、これから「エヌポケット」と言わせていただきます。二〇〇六年一一月で設立からあしかけ一〇年になります。現在は、七人のスタッフと一人のインターンがおりまして、年間の予算規模は約四、五〇〇万円前後です。明日をも知れない脆弱な団体でありますが、なんとかやっております。
さて、エヌポケットは、「こうなったらいいな」という思いやアイデアを事業化することを目指しております。事業という形を地域で興して、政策と連携させながら地域社会をつくりあげていくことを目標にしてまいりました。私はもともと地域計画・まちづくりのプランナーとして、建築士として一六年の職業経験がございますが、日本の都市計画制度に乗っかっていたのでは「みんなで幸せになろう」という願いが実現できないという思いが強かったのです。そこで、「こうなったらいいな」という市民の思いを、事業を通して社会的な力に変えることで「市民の願うまちづくり」を実現したいと考えています。つまり、社会的に疎外された人々に寄り添う、当事者を中心に事業を興す、市民参加のプロセスをつくりだす、一般市民と経験を共有する、そして行政との協働で政策をつくりだすというサイクルで市民自治に向かえるのではないかと考えています。
もう一つ、市民活動は表現活動だという思いが最初からありました。「私たちはこういう社会をつくりたい、私たちが考えている幸せはこういうものなんです。皆さん!」と。でも、言葉だけで伝えるのは難しいので、さまざまな表現方法にトライしてきました。まだ目に見えていない思いを共有して、形にして、事業としてプロデュースして、そのプロセスをつくりだし、当事者を巻き込んで行く。そして結果・成果を共有して、「よかったね、ステキね」とみんなで祝福して次へのエネルギーを生み出すということをやってきました。でも、最初からこの方法がわかっていたわけではありません。
次に、現場で当事者とともに、というのが私たちの信念です。したがって、事業ごとにエヌポケットの外に企画運営委員会を組織しています。ですから、社会の中心にはいない障害者、在住外国人、子供であるとか洪水の被害者たちと事業を興してきました。
具体的に申しますと、私たちは七種類の事業を行っていますが、六つの委員会を組織しています。エヌポケットの事業担当が二人ぺアーで現場に出て事業を運営しますが、現場で地域住民やその課題に関連する諸団体と運営委員会を組織しています。たとえば、障害者のマルチメディア情報センターでは、視覚障害者の会、車椅子の会、静岡パソボラネット、作業療法士会、静岡大学情報学部、語り部の会(点訳奉仕)など数団体がMM委員会に参加しています。言わばテーマごとに、関係者みんなが地域の資源を持ち寄れるプラットホームを作り、ひとつの組織で完結しない、参加の仕組みを創っています。これが私たちエヌポケットの特徴だろうと思います。
エヌポケットは、日本のNPOの世界では、中間支援組織という分類に入るようですが、私たちの行っている事業は、コミュニティ・デベロップメントと言えるのではないかと思っています。つまり、地域にある課題を、当事者を中心に問題提起しながら解決していこうということです。そういう意味で、中間支援組織は常に地域でどういうものごとが起こり、どういう人がいて、どういうすぐれた学者がいて、またあてにならない学者がいて、一方すぐれた行政人やパートナーがどこにいるかということを真剣に見ている立場にあるのですね。もちろんNPOの世界も見ています。
これから申し上げる事例は、私たちが積極的に行政との協働事業を行った、その軌跡です。それは、公開プロポーザルであったり、行政から白羽の矢が立ったり、事業の始まりのスタイルはいろいろですが、委託事業で足りないところは自主事業を起こしてどんどん目標に向かって進んできました。この、自主事業、中間支援組織としての事業、行政との協働事業三つの輪が連携しているところに特徴があります。
中間支援組織は、環境だけ、社会福祉の問題だけに絞って活動している、シングルイシューをあつかう団体ではありません。こういう現場で事業を行っている団体と共に汗をかきながら、一緒に考え支援していく組織です。行政とパートナーシップを組む時には、中間支援組織は非常に重要な役割を果たします。私たちは地域まちづくりについての中間支援組織ですが、環境に関する中間支援組織、福祉に関する中間支援などが、これから生まれてくる可能性があると思っています。
浜松は実は八二万の人口の四%が外国人、特に日系ブラジル人が二万人居住する、日本で最多の多文化環境にある町です。多文化社会では、お互いの文化を理解し尊重する上でも、表現活動やアート活動がコミュニケーションの優れた手段になります。そこで、私たちは、路上演劇祭、演劇ワークショップ、ミューラルやビデオアートの製作など、主に多文化事業でコミュニティーアート活動を開発してきました。この表現交流活動を、専門家は「エヌポケットはコミュニケーションデザインに、独自の技法を持っている」と評してくださいました。
さて、行政との協働事業についてお話ししましょう。今から申し上げる三つの協働事業は、すべて静岡県と行ったものでして、延々六年間やりました。たとえば、ジョブコーチ派遣事業ですが、これは知的障害者の就労支援事業で、県内七箇所に派遣拠点を創設し、四十人のジョブコーチが、総勢一一五人の障害者に年間それぞれ一五回ずつ就労支援しています。県は当初「ボランティアで就労支援を」と要請されたのですが、県の商工労働部の方たちに「無償で働ける仕事ではない」と言い続けて、やっと三年目から一日七五〇〇円という有償化にこぎつけました。ジョブコーチの派遣事業だけでは知的障害者の就労が継続できないので、私たちは暮らしの支援、余暇の支援、家族支援など、さまざまな団体と連携しながら、委託事業と平行して自主事業を起こして彼らの就労による社会参加を支え続けています。
先ほどお話した「マルチメディア情報センター」では、わずか五台のコンピューターに一人の先生の派遣という委託事業から始まりましたが、次から次へと私たちが必要な事業に先行投資をして自主事業を並行して興すと、その事業が翌年からは静岡県の委託事業となるなど、新しい協働事業のスタイルを展開しているところです。
先ほど申し上げました在住外国人の子供たちで、学校に行っていない子どもが数百人の規模という状況が四〜五年前にありました。それは大変だということで、外国籍の子どもたちに「学校に行こうよ」というメッセージを伝えるために、「ミューラルプロジェクト」を興しました。まず、高等学校まで進学できたロールモデルを探すために、高校を回って、この事業に参加する高校生を公募しました。その中から代表をサンフランシスコに送り、本場で研修を受けてもらい、浜松の芸術系高校生の力を借りて横十一メートル縦2.7メートルという巨大な壁画を一般市民や大学生も参加する機会を設けて、完成させました。この事業は日本イベント産業振興協会からイベント大賞特別賞を授与されました。今、公募によって参加した高校生は大学生になりまして、私たちの多文化事業を支える重要な柱に育っています。大切なことはそういった参加の場をつくるということですね。今まで申し上げたように様々な場を、作ってきましたが、人がそこでみずから成長していくしかけをどうつくるかということが重要なんだということがわかりました。そのプロセスにアートが非常に効果的であるということもわかってまいりました。
ミューラルプロジェクトに参加した子供と一緒に、「全国わかもの多文化共生交流会」を二回開催して、多文化教育政策の提言を、文科科学省や内閣府に発信してまいりました。そして高校進学ガイダンスも彼らの協力を得て、四回開催しています。ミューラルの次には、なぜ日本にいるのか市民から聞かれたことをきっかけに、「私のルーツ、私の希望」という、四人の主人公がみずからを語ると15分のビデオ作品を作りました。この作品は全国各地の大学で上映されています。また小学校の総合学習でも利用されています。
次は、デカセギと言われる外国人労働者のための無料検診会の開催事業です。外国人医療援助会は今年で一一年を迎えます。エヌポケットはその事務局を七年間支えてまいりました。一〇年間で延べ三千人のボランティアにより、約五千人余の外国人の検診を行ってきました。た。この事業も、多岐にわたる地域の方たちによって支えられております。それができるのは、やはり私たちのネットワークがあるからではないかと思っています。
さて、具体的な実例は後に回しまして、自分たちが実践していることはソーシャル・インクルージョンなんだということを外部の専門家から言われて、「なるほど」と思い、最近はそれなりに納得しているんですが、すべての人々が健康で文化的な生活を送ることができるように、人々を孤立や排除から救い、社会の構成員として包み込み、コミュニティーの力を強化するということですね。このソーシャル・インクルージョンの概念は、地域に根ざした市民活動があることによって一般の市民がさらにエンパワーされるということが何となくわかってまいりました。
インターネット上にソーシアルインクルージヨンに対するヨーロッパ諸国の政府の取り組みが出ていますが、国によって少しずつ違っていて大変おもしろいのです。しかし多様な文化が共生すること、これがソーシャル・インクルージョンの原理 なのですね。この多様性を包摂する原則が教育や福祉、まちづくりなどに反映されて、社会変革を促す役割を果たしているようです。
公共サービスの見直し、総合的な政策の見直し、教育や公共ービスの質の改善などについて、行政のパートナーとしてNPOが一画を担っています。イギリスでは、差別や疎外のない市民社会をつくっていくには地方行政、NPO、ソーシャルパートナー、心ある市民の連携が重要であると指摘しています。
さて、ここに三つの矢印が出てきますが、先ほど申し上げた六種類の事業は、すべてこの図に置き換えることできることに気がつきました。
ジョブコーチ事業(知的障害者の就労支援事業)の例ですが、ジョブコーチの養成、実習先の開拓、職場の開拓、就労支援、職場定着を、600万円で途方もなく大変な事業をやることになってしまったんです。エヌポケットに白羽の矢が立ってしまったんです。知的障害者の就労にかかわるセクションが行政には九つもあります。この九セクションの垣根が驚くほど高いのですね。その方たちのバリアをほぐし一つのテーブルに着くことがまず至難の業でした。当初は、得体の知れない素人がという目つきで、口も聞いてくれなかったんです。今年で六年目になりましたが、今では、ハローワークから「就職の面接にジョブコーチさん来てください」「社長さんを説得してください」という関係にこぎつけました。養護学校の先生も、私は三〇年間、何百人という障害のある子どもたちを担ってきたのです。あなたたち素人に何がわかりますかという状況から、今は卒業前の実習に始まり、就職して三カ月程度、定着するまでジョブコーチが支援できる体制になりました。行政の九セクターの職員が力を合わせてここまでこぎつけることができました。エヌポケットが果たしたことは、知的障害を持つ人たちの就労の実現のために、各機関が持てる力をそれぞれを発揮するために何が必要かを調査し、私たちがネットワーカーになり、各機関が一歩踏み出せる体制をつくり、小さな成功体験を積み上げ、その成果を共有する努力をしたことです。 大変早口でわかりにくかったと思いますが、大きな丸が団体・組織、小さな丸が市民・住民ですが、テーマごとにこういうプラットホームをつくって、場をつくって、ここに専門家、業者の方たちを誘い込んで、事業が展開すれば参加する専門家もいろいろと変化するわけですが、六年間同じような事業をやり続けているというところです。
残された五分で、典型的な行政との協働事業「安間川整備構想策定事業」についてお話しします。浜松市内の天竜川の支流に安間川という小さな川があります。一応一級河川なのですが、周辺の地盤が低いため、内水浸水・氾濫がよく起きます。川に排水できなくて、U字溝や農業用水などから水があふれるという現象がおきます。静岡県土木部の委託事業は公開プロポーザル方式で行われましたが、民間コンサル八社と競ってエヌポケットが受託したものです。この事業を進めるに当たっては、二カ月間にわたって私たち独自の調査を行いました。行政は約二カ月間、よく待って下さったと思います。
この事前調査は、取材しては劇にして上演するということを繰り返しながら、行政の立場を市民が理解し、市民の立場を行政もわかるというプロセスを作ることができました。現場での9種類の調査活動も、地元の9団体の力を借りて実施しました。調査活動三日目のこと、カヌーによる水面観察調査、水質調査そして植物観察によりこの川が湧水のある川であることがわかったのです。湧き水がないと生えない貴重種が見つかり、この川は生きている、汚しているのは人間なんだと、活動の流れが大きく変わっていきました。私たちは、現場での住民による調査と行政や学者の持つデーターが、補完しあってて川や洪水の実態に肉薄することができたのだと思っています。その過程で住民も行政も多くのことを学びました。
予定より一ヶ月遅れで「市民原案」を提出したところ、内容が優れている上、本格的な住民参加の好例だからと、、何と緊急治水対策事業費が下りて、工事は、次の段階に入っていくわけです。そこで、私たちはこの川の改修に二〇年かかるので、何としても子供たちに「市民原案を託したいと考えるようになり、流域の小学校と連携して総合学習をその後二年間にわたり実施する構想に移ります。一方、公共事業は2年で終わることになるのですが、住民は、エヌポケットさん、こんなに一生懸命活動したのに、予算がなくなるとやめてしまうの。出て行かないでと、住民にも行政にも呼び止められて、私たちは自主事業として継続する決意を固めます。それが三年目のことです。流域の小学校と総合的学習を二年間は連携しようと、国際交流基金の助成を受けて、小学校の校長先生と総合学習の先生二人をお連れして、アメリカ型総合学習「サービスラーニング」の現場研修に参りました。二年目には、アメリカの小学校と交流し、静岡で「日米フォーラム」を開催して双方の総合学習の体験交流を行うなど、洪水の防止から総合学習へと発展させた結果、子供たちも地域の課題の担い手になりうることを確信した2年間の活動になりました。子どもに負けていられないと、文科省の助成を戴いて、地元での水循環と洪水防止を目的とする「ためタル君プロジェクト」を興しました。、安間川河川整備事業には、行政が5年間で合計九〇〇万。エヌポケットは、いろいろ知恵を絞っては一九〇〇万円のお金を投入しました。ためタル君は、ウイスキーダルとして活躍したホワイトオーク製の樽(一八〇リットル)です。これを雨水貯留マスとして活用するのですが、豪雨の日には、お風呂の残り水をためておけば合計で四〇〇リッターを各戸で貯留できることになります。100戸で四〇トン、一〇〇〇戸で四〇〇トンのミニダムができることになります。雨水を利用して地下水を保全し、安間川の洪水を防止するこの運動は、今年はTOTO水基金の助成を得て、合計一〇〇個を設置することになっています。
子供たちは大人の活動に呼応して、安間川の生き物頑張れというテーマを描いたフラッグアートを、ためタル君を設置した家庭に贈呈しました。川の欄干をギャラリーに見立てて二週間、フラッグを展示して、現在このような公共事業が進行していることを住民の皆さんに伝えました。この地区を歩いていると、ところどころにフラッグがはためき、タメタル君がいることを知らせてくれます。
川の中から川を見て欲しいというエヌポケットの願いで、毎年一回、行政職員と住民を招いて、カヌーでこの川を下っています。この小さな川は、天竜川と河口を共有していますから、河畔林がおい茂り、下流域はまるでメコンデルタのようなんです、行政の方たちはこんな美しい川、こんなすばらしい川を守りたい。川は川の中から見なければ、本当の様子は分からないと言います。子供たちと一緒に川に入った若い職員は「子どもたちが川に入るとこんなに魅力的な人になるなら、いい川をつくりたい」というふうに変わっていきました。
とりあえずここで終わりにさせていただきます。先ほどお話した他の事業も同様な手法とスタイルで、事業にあったコミュニティーアート活動を交えながら、当事者や地域のかたがたと一緒に、楽しみながら参加できる方法を模索しているところです。
どうもありがとうございました。いろいろ質問したいこともありますが、ここは司会進行役に徹しまして、正満さんにマイクをお渡ししたいと思います。
では正満さん、よろしくお願いします。
東京都三鷹市からまいりました正満と申します。
今日は、市とパートナーシップ協定を結び、三七五人の在住、在勤、在活動の市民の参加を得て、三鷹市の総合計画策定を白紙から市民参加でやりとげた「みたか市民プラン21会議」の事務局長を務めたということで参っております。この会議は、一九九九年から一年間の約束で、市へ総合計画の市民案を提出しました。一年で終わったはずですが、実は次の一年がありました。スタート時には私たちにとっては全く想定外だったのです。考えてみたら、計画書を市民がつくりました、はいどうぞ、では済まないわけですね。当然中身のキャッチボールがあるわけです。キャッチボールをして、ここはとても大事なところですが、行政の方々が使う言葉と市民が使う日常会話の言葉ではものすごく隔たりがあることがわかったのです。それを市民が知って「どうか市民がわかりやすい口語体でしたためてください」という声がありましので、私たちの言葉で計画書をつくりました。
提出をしてキャッチボールが始まったときに、一番多かった市側の質問は文言の確認です。つまり私たちは、これをぜひお願いしたいと書いているのです。その「お願いしたい」への回答は、要するに「前向きにとらえます」なのか、「即執行します」なのかという質問なんですね。もちろん経済的な見通しも必要ですので、すべてについて私たちは「すぐしろ」とは言えないわけです。けれども、「私たちの願いをきちんと実効性も考えた上で書いたことですから」というようなやりとりがありまして、それに結局二年かかったのです。その後、この「21会議」は解散し、メンバーはそれぞれ市民活動を続けています。
さて、「三鷹市における自治体改革の系譜」についてお話ししたいと思います。今日は行政関係の方も研究者の方も多くいらっしゃるので、ある意味では三鷹市のことをよくご存じかもしれませんが、私の21会議での経験を通して、皆さん方と情報を共有するということでお話します。
三鷹市は一九七〇年代に下水道一〇〇%を受益者負担で実現しております。それからコミュニティ行政で知られています。三鷹市は七つの住区に分かれておりまして、住区ごとに住民協議会がありまして、その活動拠点がコミュニティセンターです。これは行政が設置したのですが、管理・運営などはすべて民営です。こうした仕組みも全国に先駆けたものでしたので、四〇年近くたった今でも全国から見学に来られます。
そして次のステップとして、コミュニティ・カルテをベースにまちづくりプランを作ろうと言うことで、住区の資源や課題をマップに落とし、それを自分たちで分析するということをやりました。住区の資源や課題を整理・分析・表現するというトレーニングを、行政の方と一緒に話し合いながらやるという市民参加の手法を経験しました。
一九九〇年代に入りますと、二〇年も三〇年も市民参加活動をしておりますと、市民の中にも既得権のようなものが生まれてきていることがわかりました。長くやっておられる方(チャータード市民)は、もう行政マンと言ってよいくらいに行政の仕組みを熟知しております。その方に聞けば、市役所に行かなくてもすべてがわかるという状況でした。勤め人は夜の会議もなかなか出られないという状態ですから、どうしてもある程度時間的にゆとりのある方が役員などになるので、顔触れも固定し、参加者も減るという状態になりました。
そこで市民も考えまして、行政と一緒になって一九九〇年代にはワークショップ方式によるまちづくりをするようになりました。たとえば、小学校の校舎づくりであったり、干上がっていた池の再生などです。後者は、丸池公園の復活という目標に広がり、延べ二〇〇〇人以上の市民が集まって、ワークショップ方式で公園づくりをしました。現在でも、そのときに参加した方たちの有志が、この池を守る活動を続けておられます
二〇〇〇年になりますと、参加から協働のまちづくりということが言われるようになりました。そこで、市内の三大学と専門学校、市役所の企画室の職員で構成されていた「まちづくり研究所」というネットワーク型のシンクタンクが、市長からの『三鷹市における白紙からの市民参加の可能性』について研究してほしいという課題に対して、一年間の研究を経て答申をしたのが、この市民参加による総合計画原案づくりす。それにもとづいて「市民プラン21会議」が設置されたのです。
この「市民プラン21会議」にはおもしろい特徴がたくさんあります(三鷹市のホームページを通して一部を知ることができます)。いろいろな特徴の中で特に申し上げたいのは、やはり三五七人のメンバーの参加と言うことで、市民参加は全く初めて、市役所がどこにあるのかわからないという方たちも含めた市民参加からスタートしたことです。そういう方たちといきなり情報の共有を図るのは非常に難しかったので、学び、学習の機会をつくり、ともにスタートするという手法を取り入れました。その結果、ほとんど脱落なく提言書作成ができたと思っています。
そしてもう一つの特徴に、私を含めた市民による事務局が市役所の一階に置かれ、うまく活用されたことがあります。たとえば、どうしても会議に出られない方がいます。そういう人のために、、市民事務局にいろいろな活動をニュースレターにして張り出して、いつでもだれでも自由に取ってくださいという手法を取るなど、会議以外でも情報の共有を図ることを心がけました。情報に自由にアクセスできることが参加の第一歩だと考えたからです。当時からインターネットにアクセスできる方もいらっしゃいましたが、紙媒体による情報、あるいは直接口頭による情報が欲しいと言われる方も多かったのです。
また、会議の場所が遠いという方もたくさんいましたので、「出前会議」などもやりまして、市民が市民にサービスするという21会議にしました。
ここで重要だったのは、行政側の事務局の役割です。どうしてかというと、一年間である程度まとまった提言書にするためには、あらゆる情報が必要になってくるわけです。当時はそれほどインターネットが発達しておりませんでしたので、市の情報は紙媒体しかなかったわけです。ですから、たとえば環境問題に対してもどこに聞けばいいかわからない。環境と水を一緒に考えている部門の方たちは、環境担当部署に行けばいいのか、水道部へ行けばいいのか。また、いきなり市民が「この情報をくれ」と言っても直ぐには対応できない。
ということで、市民事務局は、「これが必要カード」をつくりまして、行政の事務局と調整し、そこに行政の責任者が必要な内容と所見を書くという書面をつくりました。そのメリットは、市民も、水問題だったと思っていたのが広い意味での環境問題だったとか、実は道路の問題だったということが整理されてくるわけです。そういう風に、市民と行政の事務局で話題を共有しながら整理していくということも、市民のエンパワーメントになっていったのかと、今になってみればそういう気がしております。
そういう経験をしながら、とにかく予定を超えた二年を終えて無事21会議は解散しました。その後、どうなったかということですが、21会議以外の市民活動を活発にされておられる方達から、市民プランというのはプランを作っただけじゃなかいか、「紙に書いて渡すだけならだれでもできる」という批判の声が実は出てまいりました。それはまさにそのとおりなんですね。
私たちもこのプランを作っている間、計画の実現については知らないというわけにはいかないだろうと話し合っていました。ですから、21会議の解散後は新たなテーマ別の市民会議が立ち上がったのです。たとえば自治基本条例に関するグループ、協働を実現・推進するグループ、都市計画の専門家と市民とが一緒になって三鷹の安全マップを作るグループなど。これは防犯マップではなくて、自転車ロードマップですが。
私たちの「市民プラン21会議」には分科会が一〇ありまして、暮らしにかかわるグループと、総合的な視点で討論したグループがあります。一〇の分科会から共通して出てきた提言が大きく二つありました。一つは、行政と対等にまちづくりについて話し合う機会が、市民にも行政にもあまりにもなかったということです。21会議では、それができたということでした。もしこれからも当然のように市民の力を必要とする公共的な場が必要だとしたら、それを推進していく、市民と行政の協働センターをつくるべきであるということです。そういう共通の提言がありました。
もう一つの提案です。三鷹市では教育センターにおける学びの場は無料です。また、市内には国際基督教大学やアジアアフリカ語学院やルーテル神学大などがあって、そこでは市の補助金を受けて安価に市民大学を開設していました。ところが重複するテーマが多く、同じような時期に同じような講師を呼んで講座をやっているわけです。ですから、学びのプログラムの共有化を図ってほしい、ということです。また、受益者負担でもいいから良質な学習の場が欲しいということが提言されています。その結果、立ち上がりましたのが、三鷹ネットワーク大学です。
内容については、とてもきれいなホームページができていますからごらんください。一四の教育機関、大学が連携して運営をしております。まだ滑り出しですので、市民参加度というのはあまり高くなく、むしろコミュニティ・ビジネスの色彩が濃い状態です。でもこれはやはり少しずつ時間をかけて、お互いに育て合いたいと思います。
[http://www.city.mitaka.tokyo.jp/a002/p001/g06/d00100054.htm]。
いずれにしても、「市民のくせにそんな……」と怒らないでください。私たちは21会議のときに、本当に職員の方々からたくさんの学びをいただきました。本当に多くのことを教えていただいて、さすがハードルの高い自治体での職員試験を受けて合格された方だと思いますが、やはり市民でなければわかり得ないこともたくさんありました。特にこの協働センターにおいては、立ち上がってもう二年ですが、失礼ですけれども市民が職員に教えて差し上げています。お互いに、そういう意味の協力をしながら運営しております。
こういう場がたぶん皆様の地域にもあると思いますが、このエンパワーメント、双方のお互いの立場をはっきりさせた上で高めないと何の意味もございません。後半でまた新たな提案をさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
それでは最後の問題提起を秋田さんからしていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
お疲れさまでございます。大阪市からやってまいりました、應典院の秋田と申します。お見かけのとおり、お寺の住職です。
私が、おそらくこの三方の中で最も特異な環境にあるのではないかと思っております。というのは、お寺という場所、それもかなり施設性、機能性に富んだ場所を持っているということが一番大きいと思います。お寺と言ってもなかなか想像しにくいと思いますので、三つぐらいの特徴をあげて、應典院を紹介します。
まず應典院は、一九九七年に新築されましたが、建物自体がアートセンターになっているということです。本堂があるのですが、それは同時に一四〇人収容の小劇場です。セミナールームが二つ、オープンギャラリーなどが付随しておりまして、朝の九時から晩の一〇時までオープンしています。
二つ目はお葬式をしないんです。檀家さんがいないので、初めから「お葬式はしません」と言っているのですが、皆さん「お葬式をしなくてやっていかれるんですか」と心配してくださいますから、ですから、「うちは会員制でやっていますので、ぜひご入会ください」と言っています。おそらく日本で最初の市民参加型寺院でしょう。
三つ目が、このお寺と市民団体、NPOが協働してさまざまな仕組みをつくっています。寺と市民団体のパートナーシップというのも珍しいと思いますが、その二つの要素が絡み合って何を目的としているか。この應典院の中には、「應典院寺町倶楽部」というNPOがありまして、市民活動や芸術・文化活動を支援しています。いろいろな催しの輪、市民の交流を通して、新しい学び方をみずから創造していくことを目指しています。そしてその創造の行方に、これからの地域社会、これからのコミュニティを変革していく、そういう担い手を育てることがこの應典院の最終目標であるということです。
皆さん、なぜ寺がコミュニティ再生を図るんだと疑問に思われるでしょう。寺は葬式の場じゃないのか、というご疑念があると思いますが、実は、お寺の源流をたどればその理由は明らかです。二〇〇五年に亡くなりましたアメリカの経営学者ドラッカーの『非営利組織の経営』の巻頭に、彼自身の言葉で「世界のNPOの原点は日本のお寺である」と書いています。
近代に入る以前に、日本社会のコミュニティにおける公共的な拠点の役割を果たしてきたのはお寺だということは皆さんご存じかと思います。それを私は三つの機能に分けて説明しております。一つが学び、二つが癒し、三つが楽しみです。学びが教育、癒しが福祉、楽しみが芸術・文化ということになりますが、たとえば学びひとつをとってみても、寺子屋教育があります。
寺子屋教育というのはどのお寺もちゃんとやっていたわけではありませんが、一九世紀に最盛期を迎えます。あのころの日本の人口は三〇〇万そこそこだったんですが、その日本社会に寺子屋はなんと一万以上あったと言われています。しかも寺子屋教育というのは基本的にカリキュラムがありません。テストもありません。徹底的に学び手主体の学習をやっていました。読み・書き・そろばんが基本ですが、日本人が本来持っている自習能力、自学自習を活かして、自分で学んでいく力をどんどん汲み出していったということが、日本の寺子屋教育の特徴です。
そういったお寺の持っていた公共的な性格が、残念ながら近代に入って失われ、多くは官立のサービスへ、一部は商業的なサービスへと移行していって、残ったのが葬式だけとなったわけです。教育に限らないのですが、そもそも公共というものは実は官が主導してきたという歴史はそれほど長くはなく、実は一五〇年ほど前は主に民が担っていたわけです。
私たち寺が、当時の民衆たちと一緒につくりあげてきた公共の祖形といったものが、お寺の歴史をたどっていくとよくわかります。言いかえれば、應典院が今やろうとしていることは、寺の公共のあり方の祖形を、今日(こんにち)の都市社会にどういうふうに再生していくのかという取り組みなのです。
應典院ではいろいろなことをやっていますが、最近おもしろい経験をしました。應典院は毎年夏に演劇祭をやっています。二〇代後半の若者の演劇祭と地元の高校九校が参加する高校生の演劇祭がありまして、その中で若者たちの演劇のチームと高校生の演劇チームが交流し合うというワークショップが幾つか持ちました。たとえば音楽とか音響とか照明とか、こういった技術をちょっと上のお兄ちゃんが、一六歳、一七歳の高校生と一緒に技術ワークショップという形で教え合っています。一つの技術を共有しながら、伝授し合う間柄に、互いがよく学んだという相互的な学びの充足が得られるんです。高校生たちは、音響や照明という技術をよく知った若者から学ぶから、当然すごく参考になります。教えたほうの二〇代後半ぐらいのお兄さんたちは、もっと若い彼らから演劇をやることの喜びとか、創造することの意欲などを学ぶというふうに、学び合いながら交流するというか、交歓していく場面に出会えるんですね。
ここでは、あらかじめ教育のカリキュラムがあって正解があるという教育の権威というものが前提になっているのではなくて、当事者同士がみずから参加し、そして交流しながら、私の言葉で言えば水平的・対話的な関係が生まれていくのです。市民の教育というのは上から正解が与えられるのではなくて、一緒に、あなたと私が対等に、ともに経験やら知恵を出し合って編み上げていく、というような構造を持っています。その意味で市民の教育というのはすぐれて相互的なものであると、ここからもわかります。
ところが、いま私たちの社会にある教育の場というのは、そういう当事者同士の水平的・相互的な関係の場にはなり得ないんですね。学校や地域もまだまだ上下関係に縛られていますし、社会教育の世界も、やはり行政のつくり上げていく限界みたいなものがあります。私は、横につなげる場所がなければ関係というものは水平的になれないと思っています。「参加」か「場所」かと問われれば、場所のほうが圧倒的に重要です。つまり、場所がなければ参加は育めない。逆に言うと参加をはぐくむためのインセンティブとしての場所のあり方というのを、市民性教育の中でしっかりと議論しなくてはならないと思っています。
九九七年からこういうことをやってきてもうすぐ一〇年になりますが、一〇年やってきて、市民が相互に学び合うために場というものはどういう条件が必要なのかということが、おぼろげながら見えてまいりました。三つぐらいあります。
まず一つは、すごく当たり前のことですが場が開かれているということです。空間的にも時間的にもというのは当然ですが、関係論的にも開かれていなくてはなりません。たとえば應典院でいうと、應典院は演劇が全体の七割ぐらいで回っていますので、演劇の専門家になったほうが手っ取り早いんですがそうではないのです。つまり演劇の専門家になることによって、演劇以外ものを排除(軽視)してしまうということがあってはならないと思っています。つまり、場の意味を特定化しないで、絶えずのりしろと言いますか、余幅を残しておくということが大事なのです。しかし、専門化しないということは決してフリースペースになるということでもありません。よく「場を開く」と言いますが、開くというのは開きっぱなしではなくて、その開かれた場所にどういう思いや哲学をつないでいくのか、編み上げていくのか、ということをコーディネートしていく中間者の役割というのはとても大切だと思っています。
二つ目は、その場所に多様な参加があるということ、あるいは参加の自由が保障されているということです。人的な参加だけではなくて、多様なセクターの参加が必要です。たとえば應典院では、いろいろなセクターの方たちの参画が同心円的に広がっています。たとえば、最近の行政の方とのつながりでいうと、去年は大阪府と「現代芸術創造事業」を協働でしました。今は、大阪市と「芸術拠点形成事業」を應典院でやりますが、これは主催が大阪市で、企画と運営を應典院が担っています。年間約七〇〇万円の委託金を三年間ほどちょうだいするもので、應典院と大阪市芸術創造館が拠点整備するという事業委託を受けています。
企業とのつながりも広がっております。たとえばこのパンフレットですが、トヨタ自動車とかアサヒビールといった企業と議論をしながら、どういう社会を芸術をもとにつくり上げていくのかという議論の結果できたものです。あるいは大学です。大学とは今までもインターシップとか共同研究とかのいろいろな形で連携してきましたが、今年の一〇月から同志社大学大学院とソーシャルアントレプレナー講座をやっております。同志社大学はキリスト教の大学ですが、同志社大学とお寺が共同研究協定を結びましたので、仏教とキリストの連携ですねと笑っています。
ともに協力し合って新しい地域開発に当たっていくというように、さまざまなセクターの参加があるというこということも場を保障していく大事な条件ではないかと思います。
三つ目は、この場で多様なアート表現の試みができることです。それが外に対して共感を呼び、評価を受け、さらにその場を元気にしていくのです。ある人はそれを「場のブランディング(branding)だ」と言いました。その人は、場のブランディングという言葉で説明してくれましたが、私たちが今アートを用いてアートの持つ力の可能性に気づく部分は、特にこの三番目の場づくりの表現をやるということに尽きると思います。
今まで話してきたことでわかっていただけるように、應典院で行われるのは演劇も現代アートも映画も、全部評価の定まらないアマチュアを対象にしています。アマチュアを対象にする限り成果をきわめることを目的にしていません。劇団四季を抜くつもりはないわけです。というよりも、そういったアマチュア特有の、場をつくりあげていくプロセスをどうやって共有していくのか、ということに重点を置いています。アートを一つのインターフェースにしながら相互にかかわり合う。私たちとアーティストや劇団員や、そしてそれを見に来たお客様が相互にかかわり合う関係全体が、應典院がつくろうとしている場のイメージであって、どの劇団の何という公演が、いうことでは全くありません。
いま世にだいたい三〇〇〇を超える公立の文化ホールがあるそうですが、そういったホールは、施設です。施設というのは必ず管理のシステムを伴います。管理者は施設を維持するのが目的ですから、使用者がどういう活動をするのか、どういう表現をするのかには干渉しないというのが原則です。逆に言うと、何をしようが無関心なのです。私は、そういうものはあくまで施設の「管理」であって、「場」ではないと思っています。つまり管理者と使用者の間には指導の関係はあっても、そこには協働するとか一緒に創造していくという思想やリスクはありません。だから、予算と用地・施設があれば場ができるのではないのです。場ができるというよりも、場になるために一体何が必要なのか、ということを考えなければならないと思います。
そのためには、場そのものにも、実は参加や体験が必要になるだろうと思っています。私は小劇場などをずっと見てきて、そのことをすごく感じます。この場所は一体どういう場所なんだ、市民にとってどういう場所なんだということを、きちんと周囲の市民とともに合意をつくっていくためには時間が必要なのです。つまりこけら落としをやった、建物ができたから場ができたというのではなくて、そこからたぶん一〇年ぐらいのスパンをかけてつくりあげていく場の合意みたいなものが、これからの市民の教育には絶対に必要なのではないかと思います。
そういう意味では、私はよく一冊の本に例えて話をします。ここに『應典院』という一冊の本がある。表紙には「コモンズ」というタイトルが書いてある。そしてその『コモンズ』という本の中に、実は演劇をやっている役者さんも、それを見に来たお客さんも、そして一緒に研究をしている大学の先生方も、行政の方も、みんなが一緒に應典院の『コモンズ』という本の中に、社会的な記述を繰り返しながら、協働のものをつくりあげていく。そういう長い長い一〇年間の場の創造、コモンズの場の協働という、大きな私たちの役割。それが私たちのやってきたことではないかといま振り返って感じています。
最後に一言。「上町台地からまちを考える会」についてまた後でお話しすることになると思いますが、私たちのやっていることは、拠点の中でやっていることにしろ、町全体の中でやっていることにせよ、市民の知識というものをどうつくりあげていくのか。Citizen Intelligenceのひとつの試みだと考えています。
これから、高度学習社会を迎えるに当たって、市民の知を高めていくためには、個人がどう知識向上していくかということだけを考えていてもだめだと思います。逆に言うと、市民がそれぞれつくりあげた知識向上を、どのようにコミュニティ共有の資本にしていくかということが重要です。それがアウトカムです。そこには知の戦略ということが必要であって、何でも大学に頼んでしまうのはどうかと思いますが、大学がこういった地域にかかわりながら協働で市民の知を開発していくことが必要になって来ると感じています。そのアウトカムの問題をこれから私たちは取り組んでいくべきかと考えています。
どうもありがとうございました。
このような豊かな問題提起に基づくコメントするのはなかなか大変な作業かと思いますが、相川さんにコメントをお願いしたいと思います。
お三方ありがとうございました。実践活動を紹介する中で、参加のエンパワーメントについてのきらりと光るキーワードが幾つも込められていました。その中で、こういうことをおっしゃっていたのではないかな、あるいは一聴衆としてこういうところが気になったんだけどな、ここをもう少し聞いてみたいな、ということをコメントしてみたいと思います。
山口さんは、いきなりたくさんの事例を述べられまして、皆さんが圧倒されているのがありありとわかったんですが、地域の中間支援組織の役割をきちんと位置づけていらっしゃる。その中でやはり柱としてソーシャル・インクルージョンを立てておられることに感銘を受けました。これは、「参加」ということを考える上では忘れてはいけない視点だと思います。行政はどうしても市民参加と言えば公募をかければそれでOKみたいに考えてしまう傾向がありますが、公募に応募してくれる人ばかりではないので、やはりここにはソーシャル・インクルージョンの視点、ここに来られない人も参加していただけるようなシカケを工夫することが大切だと思います。
それは正満さんがおっしゃった、情報伝達の工夫ということにつながりますけれども、多様性を確保するために、仕掛ける側は一体何に気を配らなければいけないのか、何をしてはいけないのかということを常に自問して行かなければいけないのです。その時に、「表現」というのは非常に有効なやり方だと思います。アートという形を媒介にすればわかりやすいということで、秋田さんもおっしゃっていましたけれども、言葉ではなかなかわかっていただけなかった方が、アートに触れて「あ、そうか」と腑に落ちる。言葉があまり得意でない方、モヤモヤした思いを持っている人も、アートなり、他の表現手段を得ることでその場に参加できる可能性が開かれる。私たちは言葉のやりとりだけにこだわりがちですが、言葉が得意でない方たちへの情報提供、あるいはその方たちの声を吸い上げるような仕組みについて再考していく必要があるのかなと思いながら聞いておりました。
私も充分とらえていないところがあるのですが、エヌポケットでは六つぐらいプロジェクトを回してらして、全部同じ手法でやっていますとおっしゃっていました。たぶん、参加の場をつくるということでは、基本は同じだということですか。
そういう意味ですね。わずか七人であれだけのことはできませんから、外に実地に、現場に委員会を立ち上げて、そこに当事者を含めた多様な住民が参加しているという状況を作り上げていくわけです。
参加の場をつくれば、いい仕掛けをつくれば、人はみずから成長していくのだという。その意味ですべてにおいて同じ手法だということですね。
私たちも最初がわかっていたわけではなかったということです。いろいろ事業をやっていく中で気づいたんですね。次の事業に進展するためにはこうしたらいいとか、ここまで来られたから次はここに行けるのじゃないかしらという思いですね。これじゃあうまくいかない、市民の思いを形にすることはできない、と感じたら時には少しはみ出してみたりするわけです。するとそこに必ず気づきにつながる学びがある。
多様な学びが事業の中に意図的にではなくても仕組まれていることによって、そこに参加した住民が成長していくんですよね。おこがましい言い方ですけれども。それによって個人から市民になっていくんですね。それが非常に重要で、私たちの力で事業が動いていくのではなくて、参加によって成長して、市民になりつつある方たちがその事業を動かしてくださると言うことだと思います。
ポイントは、まさに今おっしゃった「参加の中に学びの要素が仕込んである」と言うことですね。学んだ市民がどんどん前へ前へと転がしていく。この学びの仕組みという点では、秋田さんが最後におっしゃった「市民の知」とも共通すると思います。私たちが「学ぶ」というと、何か大学へ行かなきゃとか、偉い先生に教えてもらうとかを考えがちですが、実は参加の実践の中にあると言うことですね。独りで学ぶのではなくて、対話の中で学ぶのです。
先ほど秋田さんおっしゃいました、教え合い、ワークショップの中で互いによく学んだという満足感がえられるということなのでしょうね。
それから、正満さんが語られたのは、皆さんのよくご存じの三鷹の総合計画づくりのその後みたいなお話だったんですが、やはりそのプロセスの中で行政と市民の関係、あるいは市民と市民の関係が変わっていくんですね。正満さんのお言葉の中で、初めは市の職員に教えてもらったけれども、今はむしろ教える、あるいは教え合う関係になった、という所が大変おもしろく拝聴しました。市民が市民にサービスを行う。これが本当の相互作用だと思いますが、一方的な関係ではなくて、それぞれが主体になったり、客体なったり、あるいはともに成長していくようなものとして市民の知があるのかなと考えました。
いずれにせよ、私たち市民も行政職員も陥りやすいのですが、当人には伝わっているなと思っているようなことでも結構情報が歪んで伝わっているのですね。市民参加においても、ずっとやっている人と新しい人とでは市民同士でも心が離れてしまうところがあって、そこのところをどうつないでいくのか。そこに、まさに学び合いがなければいけない。
最後に、開かれている空間、開かれている学びの場、ということももっと深く考えないといけないのではないか。とにかく二四時間開いています、誰もがアクセスできます、みたいな情報のあり方でいいのか。そこにアクセスしづらい人のところまで行って届けるようになって初めて開かれていると言えるのではないか。
情報の面でも、ソーシャル・インクルージョンの視点、あるいは学びという観点から考えると意味が深まっていくのかという気がしました。
ありがとうございました。最初に私から、今回の分科会のねらいについてお話ししました。今いろいろな提言やコメントを受けて、もう一度分科会としての目標設定について少し整理をしてみます。それからまた具体的なお話に戻していきましょう。
指定管理者制度が導入されてもうだいぶたちますし、間もなく市場化テストも始まりますが、さあ民間と行政の関係はどうあるべきか、NPOとの関係どうつくろう、そんな発想法で公共的な仕事を再配分するというような関心で参加とか協働というテーマを考えていらっしゃった方がもしもここにいらっしゃるとすると、ずいぶん雰囲気の違ったお話を今日は聞けたのではないかと思います。
最初に私が、「参加」というのは二つの意味で使われており、そしていま「市民参加」が非常に重要な意味を持っていると申し上げましたけれども、日本で協働の話をするときに、幾つか欠落することがあります。それは、いろいろなことを我々に先んじてやってきた海外の事例などと比較してみますと、私が一番最近痛切に感じるのは、やはり民主主義論というものが抜け落ちてしまっているということです。
協働するということは、公共的な事業をよりよいものにしたいとか、場合によっては行政改革のひとつの手段にしたいとか、いろいろな思いがあると思いますが、皆さんは、あまり民主主義の問題として考えていらっしゃらない。たとえば市民の参加と言っても、「じゃあ、あなたは市民代表として選ばれているのでしょうか」と議員や住民に言われたときに、必ずしも「そうだ」と言えないわけです。何の権限でもって市に提言したり、政策を実施したりできるんだと。
そういう意味で、いわゆる投票や選挙に基づくようなタイプの参加形態、つまり有権者として参加するという形は、法律的な意味での背景があって、いわゆる正統性を持っているわけですけれども、今ここでみんなが「参加」と言っていることは、選挙制度に裏打ちされているものとは違うわけです。ですから、ここで二つの民主主義論というものを考えていかなければいけないわけです。一つは、直接参加・代議制民主主義(議会制民主主義)のようなフォーマルな民主主義制度です。いま一つは、参加や討議が重要視される、討議民主主義(と最近は訳されていることが多いと思います)が重要になってきています。これがなぜ重要になるか言いますと、先ほどパネリストの皆さんが言われていたように、実はソーシャル・インクルージョンと深く関わっているのです。
まず、ソーシャル・インクルージョンという言葉があります。それは、社会的に包摂されている、社会的に内側に入っているということですが、その逆はソーシャル・イクスクルージョン、社会から疎外されるという状況です。誰かが社会から疎外されているときに、今までのような民主主義が機能するでしょうか。そのような問題にみんな気がつき始めたのです。発展途上世界でもそうですし、ヨーロッパでもそうです。従来の民主主義、直接参加・代議制の民主主義というものが機能しなくなるような社会が現れてきたと。
わかりやすく言えば、何か問題があって自分たちが社会から疎外されていると感じる時、それに対抗する表現の仕方は破壊行為であったり、場合によってはテロや内紛になるようなそういう表現の仕方というのもあり得るわけです。日本人は、社会というものがいつも無事に、きちんと、継続的に、持続的に存在できるものだとみんな端から決めてかかっていますが、実はそうじゃありません。民主主義と社会というものが、どちらも一体の形になって存在しているとすれば、民主主義の危機と社会の危機というものがいま同時に進行しているんだというのが現代の基本認識です。
最近世界的ないろいろな集まりで「民主主義」が再考されています。たとえば今年日本で開かれた国際政治学会は「民主主義は機能しているか」というテーマで開かれましたし、少し前に開かれた、世界中の地方自治体が集まった国際会議のテーマもまた「民主主義」でした。社会を扱う会議では、必ず民主主義をテーマとする議論がなされています。
そこから、私たちが、なぜいま参加を重要視するかを考えてみましょう。先ほど皆さんの多くが「参加の場」ということを強調されました。つまり、場が、まず必要だと。そして先ほど相川さんがコメントされたように、場というのは単に開かれていればいいというわけではないと語られています。エクスクルージョン=疎外されている立場の人のところへ出かけて行かないといけないんですね。そうしないと、社会は持続性を獲得できないし、民主主義は崩壊の危機に瀕し、私たちの社会は混乱に陥っていくということです。
ですから、そうでないようにするためには、私たちは参加の場というものを、そういうところにきちんと設けていく必要があるわけです。それを政策化していく必要があるというのが、今の行政の大きな仕事のひとつであり、NPOの役割であると私は思っています。
そして、場というものがあることによって参加が生まれ、学びが生まれ、交流が生まれ、信頼が生まれていく。こういう社会関係を再生産していくこと、これは言い換えれば「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」です。ソーシャル・キャピタルというものはそういう問題として語られているわけですから、ここで議論しているのはそういう民主主義の再生、ソーシャル・インクルージョンを通じてソーシャル・キャピタルを獲得していく流れを作ることです。そういうことをいま私たちは議論をしていると考えていただけるとありがたく思います。
そして最後に、では私たちがその社会と行政の関係をどう考えたらいいのだろうか、ということです。確かに私たち市民社会の側から見ますと、行政の仕事の一部は公共的な仕事として私たちもかかわらなければいけないと感じることもありますが、そうではない部分もあるわけです。今日の、秋田さんや正満さん、山口さんのお話の中にも出てきましたように、アートに携わっていくとか、社会を運営して行くに当たっては必ずしも行政の仕事とは限らない部分がたくさんあるわけです。行政のやることではないけれども、公共的な部分があるわけです。
私が非常におもしろいと思うのは、行政の人たちにNPOの話をすると、すぐ公共的な仕事をするセクターだと皆がおっしゃるわけですね。市民社会の話をしても、いかに皆さんが公益や公共に奉仕していただけるのか、と考えてしまう。つまりそれが市民性の高さなんだということを行政の方はすごくおっしゃる。そうじゃないと私は思っています。
たとえば私が聞いたおもしろい話があります。ドイツで公園に池がありまして、それをみんなで釣りができるようなビオトープにしたいと。そんなときに、地元の釣りの同好会の人に参加してもらって、釣り公園のいいアイデアをいろいろ練っていくプロセスが構築できたそうです。何も公園マネジメント専門のNPOをつくれということじゃありません。住民、市民は自分たちの喜びや生きがいなど、いろいろなものを持っているのであって、持っている知なり経験なりは経路がきちんと用意されれば、時によって社会にとって有益なものとして作動することもあるんだということを、私たちは知ることが重要なんです。行政は市民の活動にひたすら公共性を求めて、その反面公共的なものでなければ市民ではない、などというようなレッテル貼りをしかねません。
社会に活力があるということは、社会の結びつきや活動がいっぱいあって、その中のごく一部がとても公共的だったり公益的だったりすることであって、大事なことは人々が信頼し合って結びついていける場があるということなんです。そういった状況の中にこそ行政が果たすべき役割があるんだと、総体的に考えてもらいたい。
もうひとつ、行政の人たちが陥りがちなミスとして、パートナーシップを、二者間のパートナーシップ、たとえば行政と事業者、行政とNPO、行政と住民組織というような2者間の関係として描くことがあります。今日の報告にあったのはそうじゃないんです。もっと多様な参加者がいます。これを「マルチパートナーシップ」と呼ぶことができます。
行政の人たちにぜひ理解していただきたいのは、アリバイづくりのための参加や、あるいは二者だけの閉じたパートナーシップではなく、本当に社会を生き生きとしたものにするために、多様な関係者が組む、マルチパートナーシップをどうつくるか、そしてその中で行政の役割は何なのかを考え、制度設計をしていただきたいということです。
ここで少し休憩を取ります。
【 休憩 】
それでは、これまでの討論をふまえて、ご発言に付け加えたいことを発表していただきたいと思います。山口さん、正満さん、秋田さんの順にお話をいただき、その後フロアを巻き込んで議論したいと思います。
では山口さんからお願いします。
幾つか補足も兼ねながら申し上げたいと思っていることがあります。私たち中間支援組織がなぜこのような事業をやるのかということです。私たちは、問題の渦中にいる当事者の力を核として、多様な力を合わせて地域のあるべき像を市民の力で描きたいという気持ちがあって、いろいろな活動をやってきています。
ここに、中間支援団体が果たす役割があると考えています。たとえば虫が大事、鳥が大事というような環境系の団体はいっぱいありますが、じゃあ虫や鳥は、この地域の環境もしくは地球環境全体の中でどういう意味があるのか、今どういう状態なのかということは、個別の虫だけを見ていてはわかりません。生態系全体を見る必要があります。そういう視点で、私たちのような中間支援団体は、広く全体を見ながら個別を結びつけたり、支援したりしているわけです。
もうひとつ、安間川河川整備計画策定事業について補足いたしますと、実は、行政が市民原案をゼロからつくらせてくださったのは本当にまれなことです。この成果が、県の河川整備計画にほぼそのままの内容で承認されました。私も計画策定委員会に入ったんですが、その二年後に国土交通省の事業計画としていま着々と進んでいるという極めて珍しいケースです。しかもその中核になったのがコンセンサス会議という形式です。私たちが自由に住民の代表を選んで、いろいろな情報を勉強しながら方向性を提案していくという、一種の市民社会参加の手法です。
これから都市型の災害はたくさん起こると思いますが、この安間川整備計画の市民原案の五つの柱の一つは、「床下浸水は住民の努力で軽減する」ということです。もともと低地で、田下駄を履いて田植えをしてたような地域ですから、床下浸水も行政の力で一〇〇%回避しろといったらとてつもないエネルギー、お金がかかります。ですから、コンセンサス会議では、いろいろな議論がありましたが、公共事業には必ずプラスとマイナスがあるということから、結局遊水池を設けるという案を選びました。そうすると、土地を提供しなければならない立場に立たされた住民たちだけにその事業の負荷を押しつけない、流域の住民みんなでそれを担うんだという議論になり、負荷をみんなで分担し合おうという合意が形成されたということです。それは参加の民主主義そのものと言えるのではないかと思っています。
今日は「ミューラル・プロジェクト」についてほとんどお話しできなかったんですが、***で実は*日系*高校生にテーマを選んでもらって、素案をつくってもらって、そしてサンフランシスコのミッション・ストリートに、子供たちと美術の先生と日本の高校生を一緒に派遣して、そこで学んで来てもらって帰ってきました。パネル一八枚の大きな絵を、巨大なんですよね。ですから。それは本当に当事者同士の水平的な、対話的な学習の過程で、日系の高校生たちも自分たちの問題を聞いてくれたし、初めて自分の祖先、どうしてここにいるんだろうと祖先をたどることをしながら大きな学びがあって、それが*ビデオアート*に発展していくわけです。同時に、美術系の高校生たちがこんなに苦しい環境の中で未来を切り開いているアメリカの日系高校生たちを見て、自分の抱えている問題は本当に小さいと感じることができました。いつも一人だけの小さな絵を書いていたけれども、社会的なテーマでこんなに共同作業ができるということがわかったのです。むしろそちらのほうがエンパワーメントされたということがありました。
秋田さんがおっしゃったとおり、水平的な関係の中に本来の学びがあると感じました。そういう関係をどうつくっていくかというのが大事なんですが、私がアートが好きのは、アートをつくっていく過程、プロセスなんですね。アートは簡単にはできない。プロセスがある。その過程で技術を身につけたり、本質的なテーマを見つけたり、描くスキルを見つけたりできるわけです。この絵の具は、ぺんてるとかいろいろなところからいただいたものです。完成するまでに八〇〇人ぐらいの市民の方たちに、コミュニティ・ペインティング・デイなどに来ていただいて、この問題を一緒に対応したりしたことがあります。
今日行政の方たちもたくさんおられますが、行政との協働によって市民は本当に成長できるんです。それはなぜか。税金を使うからです。税金を使うから私たちもとても真剣になるし、まわりの市民も厳しく見ている。成果を行政以上に上げなければいけない。行政だけでやれることは行政がやればいいわけで、市民が一緒にやることは市民が参加したことによってよりよい結果が出なければいけないわけですから真剣になります。
もう一つ。特に洪水などはそうですが、現場にしかない情報を行政は必ずしも持っていない。皆さんが持っている現場の情報と行政の情報を照合することによって本物の地域の情報が見えてくると思います。行政は、そういう意味でもパートナーなんだということをぜひ理解していただきたいと思います。
何よりも、一緒に仕事をした行政マンの方たちが、MMセンターの話は先ほど申し上げませんでしたが、私たちがたとえば就労支援講座を、障害者の方たち***出しなさいと言われて最初の1年は言うことを聞いて***サービスをやっていますが、いやでも***寝たきりの人をやったほうが効果があるんじゃないかと思って、一人はそっちの枠に移す。もちろん相談してやらせてくださいと、自分たちのお金を注ぎながらやると。やはり絶対的に効果がある。じゃあ翌年には七〇万ぐらいですけれども、予算をそのパートナーに行政マンが組んでくださって、今度はそのネット環境を整えるための作業療法士会が***。そこそこするうちに、やはりもっとボランティアが要るといってヒューレットパッカード社から二五台のコンピューターの寄贈を受けるという。
私は行政との協働で、行政にとって一番プラスになることは、そこに投入される資源の絶対量がものすごくふえることだと考えています。
もう一つソーシャル・キャピタルの話になりますが、ジョブコーチ事業では、最初は知的障害者の支援をやっていました。ところが自立支援法ができ、そこに精神障害も入って来るようになってきた。それがきっかけで他の精神障害者団体と一緒に仕事をするようになりました。
そうこうするうちに、自立支援法により三障害が一つにくくられましたから支援対象に車いすの四肢障害者が入ってきたんです。するとリハビリ病院から要請が来るようになって、そのジョブコーチの持っている地域資源をネットワークする力が生きてきたのです。四〇代の脳梗塞、四〇代のくも膜下出血、自動車事故など、いまものすごく中途障害がふえていますね。そういう中途障害の方たちにもこのジョブコーチがつくった地域資源のネットワークが有効であるということがわかりました。
会社も、残っている能力を、どこの部分だったら有効に活かせるかなど、ハローワークの人たちや病院とも協議しながらリハビリ訓練に臨むことができるのは、地域のソーシャル・キャピタルとして新しい場面に移っていくことができるという点で、非常に貴重なんだということがわかってきました。
最後に、もう皆さんのお話を伺って私はしみじみ思いました。現場にかかわった人は確実に変わっていきます。行政の方も確実に変わっています。「こんなに楽しい仕事ができるなんて思いも寄らなかった」とおっしゃって、生き生きとしていくというのがあります。
それで*例の外の*の委員会に必ず行政マンの方が入ってくれたんですね。私たちが招待するわけですが。だけれどもこちらの三鷹市のように、面的に位置的に、ちゃんと文書になって広く、薄く、みんなの共有される政策になっていくために、私たちのような六事業、七事業というものをどういうふうにしてそこまで到達するのか。情報が***あるところで力を発揮するのではないかと思いますが、そこの道のりをどう描くかというのが、次の課題を感じさせられたということです。
今プロセスについてキーワードをいただいたんですが、先ほど21会議が既に解散して、それぞれのテーマごとに発展して、市民活動を活発に行っているという話をしました。ただ、行政との関係については触れることができなかったので、補足します
21会議が解散した後に、特に行政が立ち向かっているさまざまなテーマについて、幾つかのまちづくり研究所がまた立ち上がりました。それまでの行政の職員と研究者という構成から、そこに市民研究員が市長から指名をされて入ったわけです。主なテーマとしては、協働について、地域通貨、自治基本条例、女性問題に関することなどです。やがて報告書を市長に提出しましたが、その段階で「三鷹市市民協働センター」ができあがりました
つまりは、場があって魂なしということではいかんということで、場の話につながるわけです。21会議を通じて私が思ったのは、やはりフェース・トゥー・フェースの会議の大事さだったんですね。
たまたま労政会館の跡地を東京都が三鷹市に寄附してくれましたので、その建物を市民協働センターにしてほしいという市民の願いがかなって、一昨年の一二月にできあがりました。
その後、どのように運営されているかと言いますと、行政が指名した市民活動に関わっている市民、公募の市民、市職員、まちづくり研究所、そして21会議にかかわった私たち、NPOの活動をしている団体などが公募・抽選によって約二〇人が選ばれ、ワークショップ方式で、いろいろなテーマを精査して委員会で決定していくということをやっています。たとえば言葉による自己表現についてのコーチングや、広告のつくり方、キャッチフレーズのつくり方など、非常に実質的なテーマを設定して勉強会を行って学びと参加を推進しております。もちろん、市民参加の窓口、NPO設立の相談も常時行っています。
また、市民グループ間のネットワークづくりもやっておりまして、今一〇三団体が登録しています。また、今度で第五回目になります、「三鷹市民活動・NPOフォーラム」を年に一回開催しております。実は第一回から第四回までは21会議から生まれた「ファーストステップ三鷹」という市民グループが主催していました。それが今年から、三鷹市が主催するべきであろうという声があり、市の主催となり、今まで主催していたファーストステップ三鷹という市民団体が運営団体になりました。
もし、市民活動をされておられる方であればおわかりでしょうが、市民活動の参加者はだいたいみんな生業を持っていらっしゃいます。ですから活動は自ずと平日夜か土日になります。リタイア層も意外にやることが多いようでして、なかなか市民活動に充てる時間が取れないようです。新たなフォーラムを立ち上げるのは非常に大変でした。
たとえば、事務局に個人の家を開放しておられたりすると、電話も家の電話の無償提供だったりするものですから、一部の方の負担が大きくなってしまうんですね。
今まではそういうことをなにげなくやってきたんですが、やはり個人情報の問題というものが前面に出てまいりましたので、皆さん非常にシビアになってきました。また、今まではたまたま事故がなかったんですが、活動に行くために自転車に乗っていて事故に遭うというようなことがあるかもしれないわけです。そういう大切なことを市民協働センターでバックアップできるようになりました。
「三鷹まちづくりディスカッション2006」は、全国で初めての試みです。これを三鷹市と主催団体である三鷹青年会議所とが協働条約を締結して実施しております。実は、明日と明後日(二〇〇六年八月二六日・二七日)に開催されます。この内容については、もちろんホームページでもごらんになれます[http://181.blog37.fc2.com/]。ディスカッションの結果は提言を市長に報告した後、公開されます。
先ほどから新しい形の民主主義という話題が出ております。実は21会議のときには、メンバーは三七五人でしたが、オブザーバーとしてとてもたくさんの方たちが来ていたので、実質的に実際は四〇〇人を超える人が来ていたんです。三鷹市の人口は当時一七万二千人だったので、三七五人〜四〇〇人というのは塊としては大きいですが、一七万人の全市民に対してはまことに微々たるものです。ですから、21会議でも、いろいろな手法を駆使して三鷹市民全体に情報がいきわたることを心がけました。一方で、何とかしてサイレントマジョリティーと言われている方たちの声を汲み上げる方法がないものだろうかと考えました。
直接民主主義の制度である選挙につきましては、三鷹市長選挙、市会議員選挙のときには、投票率が五〇%をやっと超えるぐらいなんです。それだけ信頼されているんだという考えもあるけれども、やはり二人に一人しか興味がないというのが普通の評価だと思います。この辺の温度差を、私たち21会議にかかわった者はどういうふうに埋めていったらいいのだろうかということで、ドイツでやられている「プラニング・セル(ドイツ語:プラーヌンクスツェレPlanugszelle)」と言う手法を参考に、三鷹市の市民活動にふさわしい方法を加えて、半年間話し合いに話し合いを積み重ねてこの新しい手法をつくりました。ぜひこの中身については、ホームページをごらんください。
先ほどは時間がなくて、言葉だけですましてしまいましたが、「市民の知」というものを戦略化しなければならない、コミュニティ共有の資本にしなければならないということについて、今考えていることをお話ししたいと思います。
先ほど白石先生が、社会の危機ということを言われました。社会の危機に向き合うときに、市民は自立や自治に向けて底力を発揮すると言っても間違いではないと思います。おそらく日本のすべての市町村が直面している危機があります。それは少子高齢という問題です。
実は昨日まで地蔵盆でした。今月は、お坊さんは忙しいんです。関西では、八月五日から棚行と言いまして、一五日までだいたい二五〇軒ぐらい檀家さんを回るんです。回りますと、私はそれを二〇数年続けたのでよくわかりますが、いかに日本の社会が急速に高齢化しているか、いかに単身の高齢者の世帯が多くなっているか、寝たきりの方が多いか、介護を要しているかということがよくわかります。仏間に行きますから家の事情が全部見えるんです。
この二〇年間、日本の社会が急速に高齢化の坂を転げ落ちていることはひしひしとわかります。しかもお葬式の件数も非常に多くなっています。日本では年間だいたい一〇五万人ぐらい死にますが、これが二〇年後には約一六五万人が亡くなると言われています。現在の約五〇%増です。こうなると当然病院では死ねないんですね。どうなるというと、アメリカ並みに、治る病気は病院で治す、治らない病気の人は家や地域に帰って死んでもらう、ということになります。日本は、世界有数の大量死の国になるだろうと言われています。
僕はただ、それを危機だとネガティブにはとらえていません。そういう人間が本来持っている弱さというものを、我々の資本主義社会というのはなるべく見せないように見せないようにしてとりつくろっているところがあるんですが、これからの少子高齢化社会で私たちは、人間が本来的に持つ弱さとか傷つきやすさということと向き合わざるを得ないだろうと考えています。
この事態には、明らかに従来の都市政策や都市開発の論理では対応できなくなって来ています。それらは、基本的には勝ち組の論理ですから。その時初めて、市民の知としての***とは何かとか、ホスピタリティーとは何かとか、ヘルスケアとは何かとか、などに直面する訳です。私に言わせればハートとか宗教というものも、本当の意味では***。ですから弱さは無力だとか終わりだとかではなく、その弱さを通じてまち全体を支えていくような、コミュニティ&パワーということが今後議論されていくだろうと思っています。
いま日本では、九二%の方が病院で亡くなります。こういう現象は日本だけです。世界各国では、ほとんどが在宅死です。アメリカでも、疾患でなくなる方の七〇%は自宅で死にます。それをだれが支えているのか。家族が頑張っているのではないのです。コミュニティ全体で支えているのです。それを、コミュニティ・ホスピスと言います。コミュニティ全体が、特にシニアの方たちが、個人の死を地域全体で支えながら、同時にそのひとつ一つの死の尊厳から多くのものを学び、そして生死の哲学と言うものをそれぞれが築き上げていくという現実があるわけです。
ソーシャル・キャピタルという言葉が最近連発されていますが、それは、皮相的なものではないのです。ソーシャル・キャピタルというものは、命の問題に関わりながら私たちが人が生きることを支援しながら、一緒に編み出していくものです。そこにはどれだけ質の高い関係性が必要であるかということを、もっと私たち自治にかかわる者は考えなくてはならないと思います。
いま私たちは、上町台地という大阪の都心(そこは居住地区としてあこがれの空間です)に、コミュニティ・ホスピスをつくろうとしています。私の寺で直接やるわけにはいかないので、***団体をつくろうとしていましたが、今年(二〇〇六年)四月からがHOPEゾーン事業(これは、いわゆる修景事業の一環ですが)の適用を受けて、年間八四〇万円の予算で地域全体のプラットホームづくりをしており、コミュニティ・ホスピス事業をその中に位置づけました。
言いたいことは、つまりこういうことです。仏教では、人生を生・老・病・死と言い表します。生・老・病・死は、まったく当たり前のことなので、普段に町にあふれかえっているはずですが、我々が町というものを生産や消費の場としてか見ていないので、そういうものは全く見えないのです。人間が生きていく上で避けられない生・老・病・死、すなわちどのように生き、どのように暮らし、どのように死んでいくのかということを私たちはもっと大きな学びの中で伝え合っていかなくてはならないのではないかと思うのです。これは医者と坊主に任せておけばいいというのはあまりにも無責任です。人はみんな死にますから、みんな当事者のはずです。死を背負って生きていくのだということに気づいたとき、我々はどういう態度を取るのか。
最近、デス・ケアとか、デス・エデュケーションに関心のある若い学生が非常にふえてきています。これは有望な雇用市場ということもありますが、逆に言うと、若い人たちの方が、むしろそういった人間の末期や最期に関心を持っているのです。むしろ年配の方の方が無関心じゃないですか。そんな印象が私にはあります。
毎年一六五万人の日本人が死ぬ大量死の時代に、いま何を学びの核としなければならないのか。サービスや制度だけでは人間は絶対幸せには死ねません。人間が幸せに死ぬためには学びが必要であると考えています。それをコミュニティ・エンパワーメントの大きな核にしたいと思っています。
ありがとうございます。いろいろなコメントや追加的な問題提起をいただきました。ここでフロアの皆さん方から質問や意見を頂戴して、一緒にディスカッションをしていきたいと思います。
財団法人形態の民間シンクタンクで働いております。先ほど民主主義のタイプには、選挙に行くというような方法と、パネリストの皆さんがやっていらっしゃるような地域での活動という二種類あるという話がありました。選挙の投票率が五〇%程度しかないということは、山口さんが紹介されたように個々の市民活動は盛り上がっているものの、市民社会が実現しているのかどうかは疑わしいような気がします。たとえば市民活動をやっている人が、横浜市だったら横浜市の行政全体に関心を持ってるのかと言うと必ずしもそうではない。また、あなた方の活動は「政治参加という側面もあるんですね」と言うと、「いや、そんなことはありません」と引いてしまうことが多いのです。
政治に参加するという意識と、地域の活動に参加する意識とは関係があると思います。どちらも必要だろうというのが私の意見です。
京都の舞鶴市役所のFと申します。三鷹市の動きについて正満さんに教えていただきたい事があります。市民参加の参加者を抽選で選ぶという手法は東京都千代田区に次いで先行的な事例と思います。よく手を挙げて積極的に参加する人が来ればいいんだと言われますが、本当にそういう積極的な人だけでいいのか、と思います。あえて、手を挙げない人にも参加してもらうという手法についてはいろいろ議論もあったのではないかと思いますが、その実現にあたっての議論の内容を教えていただければと思います。
舞鶴市役所のKです。今の質問の補足として正満さんにお尋ねしたいんですが、先ほど白石先生から民主主義には、選挙で選ばれた首長なり議員なりの民主主義と、いわゆる討論のデモクラシーとの二種類があるというお話でした。
そこで、今回の三鷹の新たなまちづくり手法について考えてみると、ここには市民意見を最終的まとめたものを市長に提出して、それを市長は真摯に受けとめて施策などに反映していくとあります。しかし、市民意見の集約の仕方は討議デモクラシーによるものであって、選挙などで選ばれる代議制民主主義の側面からは、どのように考えたらいいのか。
また、これは市民協働センターと三鷹市の連携で取り組まれているということでしたが、少し詳しく説明していただけたらと思います。
群馬県庁からまいりました。今までの活動の中で、行政の職員の側が変わっていった顕著な事例があったら、ぜひともお聞かせいただければと思います。
京都府庁のMと申します。今日のテーマの「参加によるエンパワーメント」ですが、行政の職員が、市民への参加を通してエンパワーメントされていくのではないかと思います。仕事で参加するというだけでは、どうしても特定の場を知る機会しかないので、行政の職員についてはNPOなり中間支援団体の立場でもっと積極的に参加をするべきではないかと思っています。成果が上がっている事例があれば教えてください。
それでは一旦会場からの発言を終わらせていただきます。正満さん、山口さんに対しては直接ご質問がありましたが、パネリストの皆さんにお答えをいただきます。まず、山口さん、よろしくお願いします。
ご質問について順次お話しします。代表性の問題ですが、私たちも常に民主主義の原則を意識しています。しかし、形だけの民主主義では事態は全く動かないと思っています。安間川の整備構想の場合ですが、地元期成同盟会が二〇年も自治会連合会を通じて毎年毎年県庁に直訴してきたにもかかわらず全く動かなかったのです。ところがNPOが出てきて住民の参加が進み、県も提案を少しづつ取り入れるという流れになってきて、だんだんとよくなっているわけです。私たちはひたすら露出して、一生懸命やっていることを示しています。ごみ置き場に一番人が来るので、そこにいろいろな冊子を置いたりするなどの積極的な努力をして、NPOはすごく真剣に取り組んでいるということが理解され、受け入れられていったという経緯があります。
でも、私は民主的正統性について意識しておりましたから、最初にこれまでの一〇年間の議会の議事録を全部読みなした。そうすると、河川の維持をするマンパワーのことについて言及している議員が地元におられることを発見しました。その方は現役の議員でしたので、まずその方に協力してほしいとお願いしました。その方は、常に私たちの活動に陰に陽に寄り添って下さいました。最後に「本当によくやってくれた。自分の意識も変えてくれた」と、彼はとても感謝をして下さいました。
その後、彼は期成同盟会の会長になって、車の両輪になって私たちと一緒に動き出しました。ですから、自治会が基本的に参加しています。
もう一つ、とても心配に思っていることがあります。それは、河川整備にかわっている人たちは、川岸に桜を植えたくてもその管理の手法が見つからない限り植えないというような合意も、その***入っているんです。けれども、何年か経って、自治会の会長が変わったとき、「なんだ、昔の旧態依然の自治会か」と思うかも知れないのですね。議論の積み重ねをしていないと、意識の差はとても大きくなってしまうだろうと。
また、その地域で具体的な問題で学んだことを地域に継承していくためには、私はやはり総合学習の場が大切と思うんですが、学校の校長先生がYOSAKOIソーランが好きだということになると、とたんにそちらへ行ってしまってぷっつりと切れてしまったということがあります。
ですから、地域の知を継続、集積していくについては、ビジョンを持たないと、思いつきでで終わってしまう可能性が大です。
行政職員が変わった事例ですが、その区役所に地域の方たちがたまたま住民のためにやっているんだから予算を?つけろと言ったら、河川課の方が登場してくれまして、河川課の方が4箇所の区役所に全部つけることをやってくれましたし、その事業が終わってから、河川課の中に河川計画室ができました。それをつくってくださいました。そして必ず*コア*にかかわるところに全部水情報を事前に流すことになりました。新たな市役所の中の組織がずいぶん出てきました。(テープ1終わり)***じゃないでしょうか。どうしても行政の方たちは自分の評価や上司に***ようにならないと出世できないということがあるんじゃないかと。
私は、行政と協働というテーマで一〇〇何人の三〇代前半の中堅職員研修をやらせていただいたことがあります。。そうしたらその一〇〇何人の方たちの中からすばらしい協働の提案がいっぱい出てきたんです。それは今日お見せできないんですが、やはり行政職員として本業でかかわっていただいたほうが効果があると思います。もちろん余裕があったら市民活動やNPOに参加していただきたいと思いますが。
大事なのは、市民による、市民側からの行政職員の出世を後押しするような評価基準でしょうか。イギリスのマンチェスターに、そういうものがあると聞いたことがあります。行政の人事考課の仕組みが変わらないと、行政職員の意識も立場も変わらないのではないか。そのために私たちも頑張りたいと思います。
次に正満さん、お願いします。
投票率の低下と市民活動の活発化というのは相反しているように見えますけれど、できれば同じように上がれれば理想的ですよね。
三鷹市について言うならば、市民参加の歴史は長いですが、参加が始まったときには議員はだれもいませんでした。活発な市民参加という自治体の中で、何年という議員が来ていますので、「この土地はこういうところだ」というところで立候補されているわけです。
ですから、21会議のような非常にユニークな手法を始めたときに、「議会との関連はどうなんでしょうか」という行政の方からの質問をたくさん受けました。
やはり市長の力と理事者の力は非常に強かったです。というのは、ドイツの手法を持ってきて住民協議会を三鷹市が全国に先駆けてやろうと言ったときの市長のスタッフが今の理事者なんです。ですから大変説得力をもっています。議会が一〇〇%同意をするしないにかかわらず、市長の権限で立ち上げられるんですが、基本的に議会の同意を得て市民活動をしております。ですからたとえばこの「まちづくりディスカッション2006」についての提言も、議会との整合性はどうなのかと言ったときに、「市長の権限で内容について精査し、市長の案として議会に提案しますので問題はない」と言っております。
それに21会議のときもそうだったんですが、四〇〇人近い市民が一年間かけてどんどん意見を述べて提案しますと、ユニークな意見は残りますけれども、実現不可能な、現実相反するような内容はやはり皆さんの共感を得られませんので、非常に実現性の高いものになります。
この「まちづくりディスカッション」は、参加した六〇名のメンバーが一〇組に分かれてワークショップ方式でやるわけですが、一時間のワークショップの顔ぶれはローテーションで常に変わる仕組みになっています。やはり意見は相当循環型になっていくものではないかと思います。それはドイツの長い経験から我々も手法を学びまして三鷹らしいものにしたので、そういう意味では議会との整合性については全く問題ないと思っています。
それで、こういうものをやるについては、行政のほうの反応はどうだったのだろうかという質問をいただきました。実は、私も知らなかったんですが、四〇年近く前に、計画をつくるときに、一度有償で市民を募ったそうです。ただしそのときに有償で入ったけれども、お金はいらないという声が多かったそうです。四〇年前ですから。ですから有償は、そのとき一回限りだったそうです。とりあえず全くやったことはないわけではないので、有償で、しかも無作為抽出でという方法に関しては、全く市のほうは先ほど言った自由、経験と要するに市長と理事者と議会との関係について問題ないとされています。
「まちづくりディスカッション」は、三鷹市と三鷹青年会議所と共催で行っているもので、窓口が協働センターということになっております。市の事務局窓口として協働センターの市の事務局員が張りつき、市民側の事務局窓口として実行委員のメンバーが担っております。
それから、三鷹では職員の市民参加は実際はどうだということですが、市民活動の中に職員の方が肩書なしで入っておられて、一緒に侃々諤々やるようになりました。ただそれほど多くないと感じております。
これには市民のほうの仕掛けも必要でして、私が所属していますファーストステップ三鷹という協働推進の市民グループでは、月に一回ワンコインサロンを開催しておりまして、五〇〇円さえ払えばビールとワインとちょっとした乾きものがあって、そこには議員が参加してもいいし、もちろん職員でもだれでも参加していいというオープンスペースで、突然来てもいいというものです。できれば協働センターが主催してほしいんですが、行政はお酒を持ち込むようなパーティーはできないということがあって、、市民グループが主催しています。
秋田さん、コメントをお願いします。
大阪市の行政は、おそらく協働という立場から言えば一番しんがりを行く自治体ではないかと思います。私は長くPTAの会長をやっていましたし、今は保護司をやっているという地元の顔を持っているので、付き合いがしやすいみたいです。つまり、NPOの代表としてお付き合いするのではなくて、地元の顔を私たちが重ね合わせることによって行政の方たちとコミュニケーションがとれるようになったという経験があります。
それと最近社会人大学院がブームで、大阪でも大阪市立大学創造都市研究科という新しい大学院を四年前に立ち上げました。そこは、ほとんど自治体の職員の方たちの教育機関みたいになっているんですが、そういう学問を通して予備知識を得た方たちが私たちのところにいらっしゃるようになったりしています。
一度討論の中締めをして、また皆さんにもう一度お返ししたいと思います。
「みたかまちづくりディスカッション2006」を開催する際は、議会の反応や市民の反応がどうかという前に、徹底した情報公開を行っています。オブザーバーももちろん参加可能ですし、会議録はすべてホームページで即公開するようにしていますのでだれでも見られるということで、ある程度の信頼が得られているのだと思っています。
今おっしゃっていただいたように、いわゆる市民参加というものは、説明責任、アカウンタビリティー、透明性などが正統性の根拠であって、また、参加した市民が熱心に取り組んでいることが最大のポイントであって、必ずしも政治的、行政的なお墨付きが必要というわけではありません。
それから政治と参加の問題は、やはり大きな問題です。ヨーロッパ・アフリカ・アジアでもそうでしょう。現代の民主主義における問題というのは、議会制民主主義が地方政治レベルでは充分に機能しなくなってきているということがあります。たとえばイギリスでもオランダでも、地方選挙の投票率は三〇%台ぐらいで、とても低いのです。日本と違って地方議会の政党化が完全に進んでいますので、政党とそこにつながるさまざまな組織や団体が、いろいろな人たちの意見を汲み入れなくなったことで、人々に見向きされなくなったということなんですね。
ですから民主主義の危機というのは、そのように通常の民主主義システムがそもそも機能しなくなっていることに由来し、議会がみんなの意見や利害を調整することができなくなってきているということなのです。
ただ、日本のNPOの人たちは政治嫌いの人たちが多いですね。日本の政治に比較的発言権を持っている地域住民は、どちらかというとNPO嫌いだったりします。しかし、イギリスの地域戦略パートナーシップやドイツやスウェーデンなどのパートナーシップ組織には、だいたい労働組合や議員が入っています。日本では、NPOの集会には自治会・町内会の人たちは入ってこない。一方、自治会・町内会の集まりには、NPOは参加しないし、議員も入ってこない。それらをつなぐ仕組みも工夫する必要があると思います。いずれにしても、解決ができるという保障がないから世界じゅうであがいているわけです。
このあたりで、相川さんにコメントをお願いします。
参加のデザインのあり方についての質問ですが、抽選で選んだ市民でものごとを決めるのがいいのか、やる気のある人だけでやったらいいのか、これは非常に難しい問題です。神戸市の場合は少し変わったやり方をしています。抽選で選んだシティアドバイザー(以前は市政モニターと言っていました)にアンケートを送るということはよくありますが、シティアドバイザーを公募の市民委員として審議会とか助成金審査会などに、一般市民の感覚を生かすということで入れています。
これには賛否両論あります。助成金やまちづくり会議みたいなところでは、意識が高くしかも市民感覚を持って発言をしていただくのはものすごく有効かもしれない。しかし、たとえばドメスティック・バイオレンスの対応をどうするのかというような非常にシビアな問題を扱う審議会で、「え、それ、夫婦げんか違うの?」と言うようなシティアドバイザーが加わると、話が非常に混乱します。ですから、行政がしかける審議会などでは、どういう立場でどのような話をする場所なのかということをきちんと理解してもらえるような参加のデザインをしないといけない。何もかんでも公募というわけにはいかないでしょうね。
もうひとつ、マイノリティーの問題や、手を挙げて参加できない人への配慮というのも、まだ手法的にも確立されていません。そういう人たちへの対応にはいろいろな手法があります。たとえばその地域・現場に行って、そこの地域限定でワークショップをするとか、男性の前では発言できないとなると、女性だけ集めてやるとか、午前中にワークショップをやるとか、外国人だけでやるとか、など考えられます。また発想を変えて、公募の市民の方に、自分の意見を言うだけではなくて、自分を含めたいろいろな意見を反映させるためには、市民集会を持ってもらうというような発想の転換ができないのかと思っています。
先ほど正満さんもおっしゃいましたけれど、公募の人は初めは自分の意見ばかり言っていますけれど、何回か会議を重ねていると、だんだんと何が問題なのかが見えてきますよね。そうすると、実現可能性があって正当な意見というものに落ちついて行きます。そういうことが何度かあると、誰かがタイミングよく、「じゃあここにいない人の意見はどうやって吸収しましょうか」とか、「こういうことを考える人もいるかもしれないけれど、どうしましょう」というように自然なファシリテーションが生まれ、より幅広い参加のデザインができていくという気がしています。
それから行政と市民参加の関係ですが、自治体の職員も、自治体と国との関係が対等・協力になったことで言い訳できない面もあるわけです。今までだったら市民が何か要求してきたら、「それは国の通知でこうなっている」と言えたけれども、今それができないので、まさに自分の論理としてなぜそうなっているのかを説明しなければいけない。説明できないものはできるように変えていかなければいけない。その時には、「行政vs住民」という構図ではなく、行政と住民が一緒になって国の制度を変えていくんだ、となる。
私は、阪神淡路大震災のある被災地にずっと関わってきていますが、地方自治体と市民とが協働してひとつの大きな法律をつくりました。よくご存じの「生活再建支援法」です。自然災害に対して個人補償は一切しないという国の壁に対して、兵庫県をはじめ、運動団体、医師会などが一緒になって「それはおかしい」と声を上げて、署名や要望書を提出して、制度を変えていきました。その伝で言うと、自治体と市民が協働して、国の制度を変えていくという協働のあり方もありますので、あまり対立的に考えないほうがいいと思います。
相川さんから、参加のデザインの問題を提起されましたが、参加ということを具体的に議論していくと、たとえば、あまり発言しない人や政治に関心のない人、あるいは多文化共生という意味で現在日本に住んでいる外国籍の人とか、それらを含めてどうするかと言い始めるとなかなか大変ですが、実は日本で欠けていると私が思うのは、やはりみんなが議論をしあって、いろいろな立場やテーマがそこに錯綜して出てくるような場や仕組みがないということです。特に予算を議論する機会です。
これには行政や政治家にも、あるいは市民にもそれぞれ責任があると思いますが、やはりそこを変えていく必要がある。つまり、プログラムではなくてプロジェクトベースで単年度でお金がついていく仕組み等です。こういうやりかたでは話し合いはないわけです。
イギリスの例ですと、もとはプロジェクトベースだったものがだんだんプログラムベースにお金がつくようになりました。先ほど山口さんがおっしゃられたように、障害者の問題というより広義の障害者の話になっていく。そういう中でプログラムベースの課題が出てくるわけです。課題ベースと言ったほうがわかりやすいかな。そういうものが出てきたときに、じゃあそれに応じた予算は個別に出すのではなく、もっとまとまった形で出した方がいいのではないか、ということで包括交付金、包括助成金制度が導入されたのです。そうすると、優先順位をどうするとか、どこに集中して予算をつけたらいいんだろうか、などを話し合うことができるわけです。
それらがさらに積極的になっていくと、たとえばパートナーシップを組んでその中で計画を立てて予算化して、それを実施していくということまで、ワンセットで予算制度の中に盛り込むようなことが出てくる。これはイギリスでも九〇年代の半ばに始まって、今はどの地域系の予算でもそうなっています。パートナーシップを組まないと予算はもらえないし執行できないという仕組みにする。そこでマルチ・パートナーシップという仕組みが初めて機能し始めるわけです。
川の問題が得意な人がいろいろな人やものをつないでいくというマルチパートナーシップがあります。たとえば市町村、都府県にまたがるような流域での、川の全体的な管理をどうするかということですね。パートナーシップを組むにしても、そこに集まる層は多様なわけです。そうすると、それぞれのプログラム単位であったり、プロジェクト単位であったりと、ベースのところでパートナーシップが組まれる。そうすると、さらにパートナーシップ間をつなぐパートナーシップ、のような議論が出てきています。ちょうどイギリスではそれを地域戦略パートナーシップ(Local strategic partnership)という、二〇〇一年から始まった仕組みがあり、全国の自治体に地域戦略パートナーシップを組みなさいと国が指導しています。これが成功するか失敗するか。甚だトップダウン的な仕組みですから、いろいろな反応がありますけれども、こういう試みの上に参加のデザインが議論できるわけです。
しかし、縦割りだったり融通が利かない予算制度だったら、いろいろ苦労するわけです。たとえば補助金などでも、Aという補助金をもらったときに、Bという補助金か交付金を組み合わせて、地域予算として使っていいとなれば、うまくやれば補助率が八割のものと、残り二割に別の補助金を組み合わせると、自分たちのお金は全くなしでやれるのです。そういう組み合わせも許さないようなやり方なら、結局縦割りの予算に縛られるしかない。
ですから、私たちは参加のデザインと言ったときに、そこの構成員の努力ということももちろん、制度自体をマルチパートナーシップの政策遂行にふさわしい仕組みにしないと、機能しないだろうと思います。制度設計というものも重要だと言うことを申し上げたいと思います。
ここでまたフロアからコメントなり意見なりをいただきます。
三鷹の市民参加と協働のセンターについてお伺いします。
パートナーシップ型のシステムづくりということでは、以前習志野方式というのがありまして、政策会議と予算会議にも市民側が出てくる仕組みだったわけですけれども、やはり議会からの圧力があって、結局中止せざるを得なくなったということです。
三鷹の協働センターは、予算編成にも参加しておられるのでしょうか。このような中間組織にとっては、自己決定権ということが重要だと思いますが、それができているのか、と。たとえば、市長のリーダーシップが非常に強い場合でも市長の私的諮問機関になってはならないわけですから、その場合もセンターの独立した自己決定権はどこまで担保できるかということが問われるのではないか。
そういう中で、協働センターのスタッフの公募はかなり公平に行われているようですが、ファンドについて言えば、全体の予算がどれぐらいあって、一つのプロジェクトにどのぐらいの予算をかけられるかなど、自己決定できるのかどうか。それからファンドを市民の側から寄付金や会費などで集めて自分たちで自由に再配分できるのかどうか。その辺の決定プロセスはどうなっているのでしょう。
現在の日本で最も進んだモデルだと思っておりますので、非常に関心を持っております。
横浜市の港北区に勤めております。港北区は人口約三〇万人ですが、一行政区にすぎません。横浜は都市的だと言われていますが、まだまだ農村的な所もあって、自治会の組織率も下がったとはいえ七〇%以上あります。しかし、自治会とNPOの両方がなかなかうまくかみ合っていかないのをどうしたらいいかと考えています。その辺の智恵をお教えください。
それでは最初に山口さんから、会場からのご意見を踏まえ、お考えを述べていただきます。
安間川の整備計画のときも、やはり地縁的な団体の力は大変大きいと考えて、私たちよりずっと地域のことを知っている自治会連合会に、コンセンサス会議に参加していただきました。お話をしていると、自治会のトップの中には非常にすぐれた人がいらっしゃいました。その方たちにコンセンサス会議の代表になっていただきました。後日談ですが、その方たちは皆、連合会自治会長になられました。そういうやり方で、知縁組織ともリンクしていく方法を考えていくことが大切と思います。
多文化共生の問題についてはほとんどお話ししていませんが、ある団地では、居住者の約三割が外国人ということも起こってきています。そういう外国人と自治会とが一緒にやっていかないといけない。地域の問題はやはり居住環境の問題が多いので、そういう問題については絶対的に自治会の方たちの力は大きいです。自治会はやはり住民には信頼されているんですよね。リーダーの方も一生懸命頑張っておられる現実があります。
私、皆さんに提案があるんです。行政の会計システム(たとえば、一般会計、企業会計、特別会計など)は全体像がなかなか見えませんよね。私たちが調べると、浜松市は二五〇〇億の債務があると言われていたのが、実際は三セクを含めて四五〇〇億の債務があることがわかりました。行政組織の外部に三セクやらたくさんの団体をぶら下げており、そこを含めて考えないといけない。そこに出されている委託事業は大変水ぶくれしておりまして、その七割ぐらいが天下りの職員を含めた人件費に消えています。それらはホームページで情報公開されているので、つぶさに検討すればわかるんですね。
NPOが協働事業としてやっている委託事業と比べると、一〇倍以上かかっています。私たちが朝飯前でやりそうなことに何百万というお金が出ている。そこを見直さなかったら、地域自治とか市民参加の未来はありません。
予算の棚卸しをする機会を住民と行政が一緒に持つ必要があると思っています。
どうもありがとうございました。では正満さん、お願いします。
自治会とNPOとの確執ですが、実にたくさんあります。21会議のときも、一般の民が参加したのですが、この問題がきっと一番大きいだろうなという読みはありました。つまり、初めて市民参加する人と、もう四〇年も自治会で役を勤めて、高齢のために腰が痛くてつらくても必ず自治会の役員会に出ていく方とでは、汗の濃さが違いますよね。汗をかいて市民参加だという考え方を持っておられる方にとっては、頭の中の汗(考えること)というのは汗のうちに入らないという感覚があります。
両者の関係の修復にはいろいろ試行錯誤もありますし、行政の方もいろいろと説明して下さいました。市民側も努力しましたが、住民協議会に行って、「何だか知らないけれども、わけがわからないようなじいさんばあさんが仕切っていて、とっても入りづらくて嫌だわ」とはっきり言っちゃう失礼な市民もいるんですね。私たちはそういう人にも説得をしました。そういう社会性のない発言をされた方は、特に大事な会議にはぜひ参加してくださいという呼びかけをしました。
協働センターの話ですが、三鷹市が呼びかけた協働センターの運営組織には住民協議会の方や自治会の代表者も入っています。しかし、どちらかというとNPO的活動をされている方の方が多かったので、いろいろな意見を公式に言えるような場面もつくりました。
協働センターを二年数カ月続けて来ますと、最大の問題はやはりマンパワーでした。そこを補完しあえると関係をつくっていくという雰囲気に、少しずつ変わってきました。
さて、協働センターの予算決定の主体性の件ですが、協働センターは今のところ公設公営で動かしています。ですから、予算は市の派遣職員を通して市が管理しております。しかし来年(二〇〇七年)四月以降は、公設協働運営を目指していまして、その協働の実現に向けて、我々はまちづくり研究所の時代からずっと話し合っておりました(二〇〇七年四月より実施)。
一つのツールとして、「協働推進ハンドブック」が先日できましたが、これには私たち委員の意見が盛り込まれています。それに載っているパートナーシップ協定の第一号が「まちづくりディスカッション」です。来年もまた実施の計画をしておりますので、いま職員の人たちが「論点データ集」を作成しております。そこにも私たちが委員会として市民として意見を言えるような仕組みになっています。大事なことは、この実行委員会にも五人ほど職員が入っていますし、協働運営委員会のほうにも市の職員が違う部署から三人入っています。これが協働の原点だと思っています。
どうもありがとうございました。それでは秋田さんお願いします。
今日のテーマであります市民の学びということについて少しお話しておきたいと思います。
ときどき外国からうちのお寺にお客様がいらっしゃいますが、今年は国際交流基金の援助で、ブータンから国立博物館の四五歳の館長さんがいらっしゃいました。ブータンでは、GDP(Gross Domestic Product)のような経済指数ではなくて、「国民総幸福量」という特別な指数をもって、大乗仏教による国づくりをやっている人口約七〇万の小国です。彼と二時間ほど議論をした中で、彼が日本の現状を二週間ほど見て、一番憂えたのが教育の問題だと言ったんです。彼は、大乗仏教ばりばりの人ですから、なぜ日本人は仏教というものを教育の根幹にしないのかと疑問に思うのですね。ブータンでは、人間性の開発や社会性の育成といった、いわば社会の基本原理に仏教があるのだと、とうとうと説いてくれましたが、国情の違いもあるので受け入れがたい部分はあったものの、おっしゃっていることにはものすごく共感を抱き、羨望さえ覚えたわけです。
僕らがこういう自治の問題を語るときに、よくヨーロッパの事例などを引用することが多いのですが、東アジアの共通の*倫理の国として仏教というのは当然あっていいはずだと思っております。
日本の仏教は葬式仏教・お墓・戒名というふうに決まっていますが、実は世界の仏教はそうじゃないのです。僕は九〇年代に世界のいろいろな大乗仏教国を回りましたが、タイにしてもスリランカにしてもミャンマーにしても、そこには社会に参加する仏教というものがありありと漲っています。これを「エンゲイジド・ブッディズム(社会参加仏教)」と言います。仏教を用いながら地域開発をしていく手法がたくさんありまして、お寺がどうとか関係ないんです。
極端な話、お坊さんがいなくても住民たちが持っている仏教観をベースにしながら、コミュニティを再生していくという姿勢を目撃しました。そこで語られる市民教育というのはイコール仏教教育なんです。それで何がいけないのか、ということです。
つまり、これほど参加になじむものはないと思います。参加についての難しい理屈を言うよりも、まずそれぞれの国の中に蓄積されてきたアイデンティティとか道徳というものの風土を、なぜ私たちがもっと上手に活用できないのかなといつも思うわけです。当然先ほど申し上げたように、政教分離という原則があってなかなか日本ではそうはいかないのですが、ただどうなんでしょうか、社会の反映とか個人の幸せとか、そういった価値だけを追求していても、私たちが本当に求めている次の時代の枠組みというのはそれで本当に***できるのかというと、私はその辺がまだわからないです。もっと大きな価値をさらに越える価値と言いますか、そういったそれこそインクルージョンだと思いますが、大きく包摂していくような価値をもう一度これからのコミュニティの哲学にしていくことができないだろうかと。
一〇年間、應典院という場所をやっていてすごく思うのですが、平和と人権だけではもたないですね。やはりそれを越えていく何かが必要です。そこは私は坊さんですから好きなように言わせていただきますが、私が死んでも永続的に寺は残るわけです。残していかなければならない。そのためには平和と人権を越えた何が必要なのかということを、坊さんだけではなくてもっと市民も考えなくてはいけないのではないかと思います。
誤解のないようにしていただきたいんですが、私は仏教復活とか仏教再生ということを申し上げたいのではなくて、自治体の皆さんであってもNPOのスタッフであっても、皆さん個人になれば当然「信(信仰の信)」は自由です。そういったものを重んじる個人に立ち返ったときに、自分たちが市民というものをとらえたり、社会というものをつくっていくひとつの手法として、あるいはスキルとして、たとえば仏教という知恵にもう一遍謙虚に学ぶということを一度試されたらどうでしょうか。日本の仏教というと、もう葬式仏教だとか、あとは空海・親鸞・道元の話で終わってしまっているんですね。そうではないはずです。そこをもっと社会にかかわる人たちは真面目にとれなければならない。ちょっと場違いなセリフかもしれませんが、つくづくそう思いました。
ありがとうございました。では相川さんからコメントをお願いします。
時間がないので一言だけ。市民参加の権利の保障とか合意形成というのはめちゃめちゃ面倒なんですよ。一〇〇人の公募市民が一〇〇時間かけて一生懸命汗を流して書いたものが、たぶん役所の企画担当者が一晩で書き上げたものと見かけ上は同じだったりするんですね。むしろ行政担当者がつくった文書のほうが整理されている場合もあるわけです。だけど、一〇〇時間かけてつくったものは、その中にはやはり自分たちでつくったものだという愛情から持続的な参加意欲がわいたり、あるいは話し合いのプロセスの中で他の人の意見も聞く中で自分自身も変わる、そういう有形無形のいろいろな変化があるのです。問題はそういうふうな有形無形の変化を、効率性の視点からだけではなく、人間の「活動」として尊重するような風土が、行政の中にも地域社会の中にも市民社会の中にも生まれるかどうかです。
ものすごく時間とお金と手間をかけてやったことに関して、正しい評価ができるのかどうか。それは先ほど白石先生がおっしゃった民主主義の重さを知るということかと思います。
最後に少し時間をいただきます。今日は「参加によるエンパワーメント」という副題で始めました。先ほどからの行政の方々の質問を聞いておりますと、参加ということを手法として考えるというニュアンスが見受けられました。けれど、私たちが今回提案したかったのは、参加というものは、手法としてだけで見てしまってはだめだということです。結果として、参加者のエンパワーメントにつながらないとだめだということです。それはいま相川さんが言われたように、何らかの価値創造につながっていく部分があったり、あるいは価値の組み替えがあったり、手法を越えて、協働で作り出したものに対して何か愛着みたいなものが生まれるような過程だということです。
いろいろな地域政策を取材していますと、「オーナーシップ」という言葉が聞かれます。たとえばある公園を行政がつくったとします。するとそれはしばらくすると落書きだらけになることがあります。けれども、その隣で本当に自分たちが参加して、また子供たちがデザインしてつくった公園があると、そこはぴかぴかということがあります。これは実は「オーナーシップ」の違いではないか、という言い方をします。
ですから、アウトプットだけを見たら、ドキュメントが完備していたり、立派な工事ができたりというのは、行政が単独でやったり業者に丸投げしてやる場合の方が、みんなで一生懸命話し合ってやっていくのと比べたら、たぶん効率性にも成果的にも立派かも知れない。けれども、みんなに参加してもらうことによって、そこにオーナーシップが生まれます。
先ほど町内会・自治会の話が出ていましたけれども、これらは地域に対するオーナーシップ感はものすごく強いわけです。この地域どうするんだ、だれが面倒見るんだという責任感をみんな持っていらっしゃる。そこがとても強いところだと思います。
イギリスの場合はそれを制度化する方法がひとつあります。「ローカルコンパクト」(Local Compact=地域盟約とか地域協約と訳されます)という仕組みです。地域のいろいろなアクター(活動主体)が参加して、地域のためにこういう役割を担っていこうという約束事を、一種の契約(盟約)として結びあうのです。やり方は自治体間で違いがありますが、たいていには自治体と地縁的な組織と、いわゆるチャリティ(charity)やボランティア組織が協約を締結するわけです。それ以外にも、地域戦略パートナーシップ組織(LSPO)が参加したり、信仰の組織やエスニックマイノリティーの代表組織なども参加することがあります。
地域戦略パートナーシップは、地域でどういうふうに総合的な政策をつくっていくかが目標です。山口さんが言われたように、現場でやっている部分と、正満さんがやられているような総合的な協働を近づけていくことはできるかということが、地域戦略のパートナーシップでできるのではないか。イギリスの地域戦略パートナーシップは予算を一切持っていません。政策の方向付けをして、実施するのはそれぞれの構成団体、行政団体で、自分たちの持っている資源をそちらの方向に向かって統合的に使っていこうというわけです。
そのまま日本に取り入れるということではありませんが、参考になると思います。いずれにしても参加というものはエンパワーメントであると同時にオーナーシップの問題にも大きくつながっていくことがわかります。オーナーシップが生まれるような政策、プロセスをどうデザインするかというのはとても重要なことです。
愛知県がローカルコンパクトをモデルにして「あいち協働ルールブック2004」をつくりました。今年(二〇〇六年)の初夏には愛知県の日進市、秋には東海市が、市町村レベルのルールブックをつくる予定です。愛知県では一〇〇以上の団体が署名をしたようです。これはもう完全にイギリスのローカルコンパクトをモデルにしています。
非営利組織では、日本はどちらかというと、アメリカのNPOモデルが取り入れられてきた経緯がありますが、非営利、非政府の組織は、途上国も含めて重要な役割を担っています。必ずしもアメリカ型だけが私たちにとって理想的な姿ではありません。イギリス型も参考になりそうです。
今日の議論は、「市民社会の担い手になる」ということをテーマにしたわけですが、やはり皆さんが共通して語られたのは、「参加の場」が同時に「学びの場」であり、「エンパワーメントの場」であるということです。そして参加のプロセスを通して、みんなが自治意識、オーナーシップを高めていくという、いい循環を地域の中にどうつくっていくのかがポイントであること。そのときに地方自治体がどのように変わって行けるのか。そして地域にどのように現代的な民主主義システムを取り入れることができるのか、市民はどのようにエンパワーメントしていくのか、がいろいろな形で問われているということを確認して、また来年度以降の議論につなげていければ、あるいは皆さんの日々の活動につなげていければと思います。
今日は、積極的にご参加いただきました会場のみなさまにお礼を申し上げます。
ありがとうございました。(拍手)
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