山口ゆうこが取り組んできた社会活動(Social Inclusion/Communication Design)の記録。
市民活動を次の世代に伝えることを真剣に考え始めたのは、国際ボランティア年の年だった。公募した子ども達との「子どもプレス」の活動が、私塾的になってしまったことの反省から、広く遍く子供達に伝えるのが私達の使命と、総合的学習との連携を模索し始めた頃、N−Pocketが関わっていた「安間川河川整備構想」の市民原案を、20年後の完成まで見守ってもらうには、流域の小学生に伝えるのが一番と考えたことからSLへの道のりが始まっている。
総合的学習とSLはどこが違うのだろうか。私達がNPOとして、総合的学習からSLに一歩踏み出したいと考えたのは、SLが地域の課題と絡み、子供が自分の力で問題解決の糸口と方法論を捜し、その結果、社会に貢献する活動を通して、子どもも市民の一員として評価され成長する機会を、学校と地域との連携で生み出しているという点にあった。
総合的学習の何たるかも、十分には解っていない私達ではなく、先生達にSLの実態を知って頂き、そのプロセスを共有しようと研修に出かけたサンフランシスコで、日米の総合的学習の基本的な違いを理解することができた。
アメリカでは、特別な時間帯がSLのために用意されていないため、先生達は、SLの教育方法を採用する場合、カリキュラムの編成を明らかにし、その教育方法でも十分に各教科の達成すべきアカデミックスタンダードがクリアーできることを表明し、その効果に対して、評価を受けなければならないという厳しい環境に置かれている。
日本の場合は、総合的学習以外の時間帯で各教科の学力基準を達成できる仕組みになっているため、先生達は、総合的学習の時間には、子どもの自主性を尊重して、一人ひとりの成長を実現する機会と捉えることができる。この違いは大変に大きい。
アメリカの場合は、クラス全体の教育水準と子ども一人ひとりの成長を遂げなければならない上、体験教育をベースにしながらも、各教科の基準を達成しなければならないというハードワークが課せられる。
今回手に入れた教師用の指導書では、例えば、私たちが現在関わっている5年生の水環境の授業に嫁せられた教育目標のレベルは、日本の先生が絶句するほど高い水準に置かれており、大学の先生も、日本の大学生でも知らないことだと言われたほどであった。
先生達のこのハードワークを支えているのが、専門性の高いNPO群であった。先生と教育委員会と国立公園局とNPOと大学と---という風に、SLを支える科学教育の基本的枠組みや、実験や観察の手法などなど、目を見張るほどの膨大な資料が蓄積されていた。SLを実施しようとする先生達を支援するNPO側のコーディネーターの存在、授業開始前の休暇中に、対象となる川の3日間の踏査を、先生の参加費用を含めて資金調達し、自然環境に関する専門的な知識で支援するNPOの存在があった。どのような子どもを次の社会に送り出したいのか、共通の目標に立って連携するSLを取り巻くダイナミックなネットワークに驚かされ、NPOの次なる目標を明らかにできた素晴らしい研修であった。
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