山口ゆうこが取り組んできた社会活動(Social Inclusion/Communication Design)の記録。
2004年9月25日 赤石書店発行
本のタイトル
「移民をめぐる自治体の政策と社会運動」
講座 グローバル化する日本と移民問題 第U期 第5巻
この本の
第U部 第5章 「浜松市におけるNPOの試み」を山口祐子さんが執筆しています。
第5章 浜松市におけるNPOの試み
ニューカマーの人口が全国一多いと言われる浜松市で、市民は彼らとどう向き合ってきたのか。たまたま彼らが外国から来た外国人であるというだけで抱えてしまった問題を、彼らと同じ地域にすむ隣人として、向き合った市民達が、組織的な活動に発展させていった経緯を、ここにご紹介したい。
“国境を越える移住労働”のもたらす諸問題を、日本という島国で早い時期に体験することになった地域社会に住む私達の経験は、この問題に向き合った“一人の個人”から始まったことをお伝えしたい。
人口の3.66%、2万人を超える在住外国人(*1:15年2月:外国人登録者)が居住する浜松市。なかでも、ニューカマーといわれる日系ブラジル人の数は、現在13,174人ペルー人1448人である。何故浜松市に多数のニューカマーが集まるようになったのか。浜松市には、スズキ、ホンダ、ヤマハ発動機に代表される自動車・自動二輪産業と、ヤマハ・カワイなどの楽器産業の集積があり、そろって国際的に展開する特色をもつ製造業が存在し、有効求人倍率の高さに伴う就業機会の多さがその背景にある。
1990年の入管法の改正以降から急激に外国籍労働者は増加し始めたのだが、それから13年が経過し、ブラジル出身者による銀行、レストラン、情報産業などのエスニック・インフラの充実や、浜松市行政当局及び市民団体の努力により、生活環境が徐々に整えられ初めていることもその理由の一つである。2000年に浜松市国際室により実施された「生活実態意識調査」でも、2003年に財団法人浜松国際交流協会が実施した「ブラジル出身者の就業状況調査」によっても来日の目的は「母国の治安と経済状態の悪さ」が最上位を占めているように、安心して暮らせる地域を選択していることが伺われる。浜松市では、すでに日本語が話せなくても暮らしていける生活環境が整えられており、開放的な市民性と気候温暖な地域として浜松市は彼らの間で比較的評判がいい。
前述の2000年調査では平均滞在年数は7年、2003年調査では10年になるなど、“短期の移動者が長期の移住者になり、やがて定住する市民になっていく過程を経験中”であることや、全外国人登録者に占める16歳未満のブラジル出身登録者の割合が、1992年10.1%から2001年20.1%と、倍増していることから、“単身出稼ぎから家族滞在に急速に移行し永住ビザの申請者が急増”していることが前述の「ブラジル出身者の就業状況調査」で指摘されている。私達の経験でも、「もう帰らない」とはっきり口にする友人が増えており、この調査結果を裏付けている。
浜松は国際的に知名度の高い製造業の集積する町であることを先に述べたが、実際に彼らが就労しているのは、それらの大企業ではなく、第二次、第三次下請けの中小零細企業であり、約半数が人材派遣業者による“請負”という就労形態で働いている。(*2:前述2003年調査)この特殊な就労形態が、浜松市の外国籍労働者の問題を複雑にしている要因の一つである。
もう一つの浜松の体験は、“オーバーステイ”と言われる正規に外国人登録をしていない、主にアジア地域からの外国籍労働者の存在である。彼らの存在が合法であるか、不法であるかは、市民にとっては二の次の問題であり、ともかくそこに事実が存在するから、対応せざるを得なかったのが正直な実態である。
この二つの問題からは「労働者としての無権利」状態と、「健康保険未加入」のために引き起こされる「治療放棄」の問題が発生する。1989年に前者の問題に取り組む「外国人とともに生きる会・浜松」(略称=へるすの会)が労働運動に従事していた市民とカソリックの信徒および一般市民により誕生し、1995年に後者の問題に対処する「外国人医療援助会」が開業医やロータリークラブのメンバーを中心に活動を開始する。
もう一つの問題である滞在の長期化と家族滞在により生ずる「子供の教育」の問題が深刻化している。これらの問題に呼応し、市民団体側の連携により行政の施策に影響を与えようと1997年に活動を開始したNPO法人「浜松NPOネットワークセンター」の活動を、浜松の市民活動の具体例として紹介させていただくことにする。
「言葉の問題」に長く関わって来られた複数の団体があるが、今回は紙数の問題もあり、個別に取り上げることは出来ないが「外国人教育支援全国交流会」の報告に盛り込ませていただくことにしたい。
当センターは、浜松市周辺地域を視野に入れて、1997年11月に「地域活動ネットワークセンター」として事務所を開設し、活動を開始する。その後NPO法の施行により「浜松NPOネットワークセンター」として改組し、現在にいたっている。団体会員40、個人会員110人。事務局運営スタッフ11人、内3人が常勤有給、5人の事業担当有給スタッフ、3人のボランティアスタッフにより運営されている。ここ数年の事業費の規模は3000〜4000万円で推移している。
浜松NPOネットワークセンターは、N-Pocketという愛称を持っており、その意味は“市民の夢や想いがN-Pocketに入ると、社会的な施策やサービスになって飛び出していく”という活動の目的が込められている。Nは、“Nonprofit”“Network”のNである。
NPO法の活動区分によると中間支援組織であり、多様な目的を掲げる草の根の活動団体が、浜松周辺地域に立ち上がることを支援している。殊に“障がいを持つ人・在住外国人・こども・高齢者”に寄り添いながら、問題の渦中にいる当事者が、市民とともに問題解決の担い手になることを支援している。この“当事者の自立=セルフヘルプ”を実現するために、当センターは、他の中間支援組織とは異なり、前述の四つのテーマを事業の重要な柱に据えて、地域のニーズに則した多様な自主事業を展開しており、今回ご報告する「多文化事業」は、その一つである。
当センターは、自立した市民が集う市民社会の実現を長期的なビジョンとしているが、その実現のプロセスとして、「人としての権利の侵害が最もわかりやすい立場」に置かれている前述の“障がいを持つ人・在住外国人・こども・高齢者”の力をお借りしているとも言える。彼らのエンパワーメントを通して、人権感覚に優れた人間的な地域社会に変容することを目指している。
人間の幸せとは何か?健康な社会を実現するとはどういうことか?現代はどういう時代なのか?そして市民に何が出来るのか?中間支援組織として地域の全体像をどのように描いていくのか?
常にこのような問いを、自らに課している当センターのスタッフにとって、すべての人々にとって住みやすい“Open Society”を実現する為には、障害をもったり、歳をとったり、いまだ差別的な地位にある女性も、異質な文化をもつ外国籍住民も例外なく、多文化社会の重要な体現者であるという考えに立っている。外国籍住民にとってもとりわけ「医療と教育」を受ける権利は、人として生きる上で最も重要な人権であるという視点から、この二つの問題に、中間支援組織として関わり続けてきた。
そのほかには、多文化は豊かであるというメッセージを、市民とともに共有する試みとして中心街での「路上演劇祭」「ダンスエイド」の開催など、コミュニティーアート活動を継続して展開している。今年は、日系3世の高校生のリーダー養成の試みとして、日系の高校生と美術の先生をサンフランシスコに同行して、多文化教育メソドとして効果をあげているMural制作(壁画:ストリートアート)のワークショップに参加する予定である。
教育、言葉、医療、労働問題など、個別のテーマに絞って活動している団体は、浜松周辺地域にも、全国的にも多数の例があるが、当センターのように中間支援組織として、多文化事業を展開している例は他には見つからない。地域の多様な問題に耳を傾け、地域資源をネットワークしながら、問題解決に向かって活動する中間支援組織という当センターの立場が、同じ地域に住む外国籍隣人の抱える“暮らしの全体像”に関心を抱かざるを得ないのは、当然の成り行きであった。
なお、前述の「外国人医療援助会=MAF浜松」の事務局を当センターは担当しており、「ヘルスの会」は、当センターに同居している。
浜松市が昨年から開始した外国籍児童のためのバイリンガル教室「カナリーニョ」の事務局長は、当センターの前任の事務局長が担当するなど、多文化問題に関わる人材を輩出している。
このような背景から、当センターは、多様な情報が入る位置にあり、浜松市が「外国人集住都市会議」を開催するにあたり、行政だけによる情報収集では不十分であり、現場の生の声を反映させたいとの思いから、2001年に「医療支援市民団体全国交流会」を、2002年には「教育支援市民団体全国交流会」を開催し、地方自治体による「全国集住都市会議」のカウンターパートとしての役割を果たそうと立ち上がった。
浜松市が呼びかけ団体となり、2年間にわたり幹事都市を引き受けていたことから、当センターは、13自治体の事務局レベルの会議に、オブザーバーとして参加してきた。
当該会議では、担当職員が窓口業務で体験した事実を基に、現行法制度の枠組みの中で対処できる工夫や、国に対して法制度そのものに変更を迫らざるを得ない事実について熱心に協議を重ねておられた。傍聴していて労働者として迎えてはいない日系人に対する法制度がいかに不十分であり、急速な勢いで一般化しつつある世界的な移住労働に対処する政府のビジョンが無いに等しいことに驚かざるを得なかった。そういう環境下で、自治体の職員が善意に満ちて苦労している姿を、会議を通して想像することも出来た。しかし、私達市民の驚きは、地域の現場でのたうちまわり、身体を病み、哀しみに打ちひしがれる「移住労働者」の家族の現実の姿が、窓口で対応する職員には届いていないことであった。
実際の暮らしの中で、地域に根ざして彼らの健康を支えている、現実に裏付けられた市民活動の声を地方自治体に届けることは、緊急の課題であった。政策立案の段階に、NGOの声が反映されることは日本では、まだ一般的なことではなかったが、浜松には、この時点で5年間にわたり外国人の健康を支えてきた「外国人医療援助会」(MAF浜松)の活動実績があり、浜松市は、MAF浜松やN-Pocketの活動を評価していたいきさつがあり、「全国医療支援市民団体交流会」による市民側のアピールは、「浜松宣言」に盛り込まれるに至った。
MAF浜松の活動を継続する内に、他の地域の医療支援団体から学びたいという思いもあいまって、日本財団の支援金を得て、2001年9月に開催を決定。事前の準備に奔走したが、2〜3年前には存在したはずの医療支援団体の多くは姿を消しており、“宛て先不明”で帰ってきた封書を手にする失望感は今でも忘れられない。
医療支援に最初に立ちあがったのは、全国的に見ても、カソリック教会を中心にした活動であったようだ。現在はその多くが活動を休止しており、全国から9団体12グループを招待するのがやっとであった。参加団体は以下のとおりである。
● 浜松外国人医療援助会(MAF浜松)
● フロンティアとよはし(豊橋市)
● (財)豊田市国際交流協会 外国人医療支援グループ(豊田市)
● 外国人のための無料健康相談と検診会(静岡市)
● 外国人医療センター(名古屋市)
● 国際交流ハーティー港南台(横浜市)
● 北信外国人医療ネットワーク(長野市)
● (特非)多文化共生センター(兵庫、大阪、京都、広島)
● 神奈川県勤労者医療生活協同組合
● 港町診療所(横浜市)
その活動形態は多様で、「健康相談会」がもっとも多く、多文化共生センターでは、医師も参加する「電話相談」「医療通訳の養成」、フロンティアとよはしは多言語による相談「ホットライン」の開設、外国人医療センターの「出張健康相談会」の開催や通訳の派遣、国際交流ハーティー港南台の11ヶ国語に及ぶ「問診表の多言語化」とその一般提供、MEDICOF滋賀の「病院と組んだ休日の診療活動」、港町診療所の「共済組合制度を導入した日常的な診療活動」、MAF浜松の「年1回の大々的な検診会」の開催など活動形態は多岐にわたる。
交流会では、検診会&相談会の有料化の是非、検診から治療実現に至る制度的保障、市民団体の役割りと行政の支援の明確化、外国人当事者の運営参加の問題などなど、熱心に議論が交わされたが、最大の関心事は、「健康保険」の問題である。
外国人自身による共済制度を導入している場合を除き、実際の診療行為に及んだ場合の医療費をどこから捻出するか。第二次検診を必要とする病気が見つかっても、会社を休むと解雇の口実になることを恐れて、病院にかからない。手遅れになると、尚のこと医療費が高額化し、病院にかからない。この悪循環がいかに多いことか。自分だけは健康なはずという思い込みもさることながら、ブラジルにも、ペルーにも日本のような国民皆保険制度が無く、貧しい人達は健康保険による恩恵を受けたことが無いため、日本に来たからといって社会保険制度に加入する習慣を持つことは、痛い目にあってからでなくては学習することが出来ない。
年金と一対になっているのであれば、帰国するつもりの彼らにとって、無駄なお金は使えない。この問題は、主に中国帰国者を支援する多文化共生センターを除いた、全国の団体が共通して悩んでいることであった。
医療通訳の養成も緊急性が高いテーマとして認識が一致した課題である。司法通訳については、数年前から必要性が叫ばれているが、医療通訳については、まだ多くの人が実態を知らない。MAF浜松では、数年間検診会で通訳を経験した先輩が、新しい参加者に伝える方法で、医療通訳を養成し、毎年80人前後が活躍しているが、それでも意識的に養成したわけではない。それだけの時間とお金を捻出できないからだ。
現在、浜松市の主要な病院では、通訳が複数名活躍しているが、全診療科に配属されているわけでもなく、医療通訳として専門的レベルに達しているとは言いがたい実態にある。殊に、精神疾患については、母語以外での診療は不可能である。慣れない環境下でのストレスから、日系人でカウンセリングを必要とする人は確実に増えており、横浜市の「港町診療所」のように長年にわたり外国人を対象に診療を続けてきた立場から、精神医療分野での「医療通訳の養成」が急務であることが指摘され、関係学会に長期の展望を持って多言語で対応できる精神科医を育てるプロジェクトの創設を要望することになった。
「全国医療支援市民団体交流会」の合意事項として、各界に提言する内容は以下のとおりである。
医療は人間として生きていくために不可欠なものであり、在日外国人であっても日本人同様の医療措置がなされるべきである。常にその視点を持った上で、外国人の医療環境を整えていく必要がある。
在日外国人が適切な医療を受けるために、各自治体の柔軟な医療保険の対応をお願いしたい。労働者として在日している外国人は、雇用者の不適切な対応によって社会保険を受けられずにいる。以下の対応があれば、適切な医療を受けることができる。
● 自治体が国民健康保険への加入を受け入れる。
● 社会保険加入希望者には、健康保険と構成人金を分離して健康保険のみに加入できるように対応する。
外国人が母国語で医療を受け、自分の健康状態の把握、医師との意思疎通が日本人同様に行われることが必要である。時に「言葉」そのものが治療や癒しにつながることが多く、意思が伝わらないままで精神的にも大きな負担になることが多い。多言語にわたる医療通訳の養成を行い、医療機関への配置や病院への付き添い、医療相談などのサービスを整備していただきたい。
● 日本人通訳の養成時に、医療通訳の養成も盛り込むこと。
● 医療分野に明るい外国人が、医療通訳として活躍できる仕組みを創ること
● 保健所や地域の病院・クリニックへの多言語による医療情報の提供
● 多言語で対応可能な医療相談窓口の開設
● 付き添いができる通訳派遣システム
● 多言語で対応できる医療施設の情報提供
全国13自治体が集う「集住都市会議」にこの合意事項を提案した結果、「社会保障についての提言」の「国・県・関係機関への提言事項」のその他の項に、『外国人住民が安心して医療が受けられるよう、医療機関と行政、NPO・NGO、ボランティアグループなどが連携して、医療通訳や医療情報・薬事情報の提供などの充実について検討すべきである。』として、取り上げられるに至った。
日系外国人が多数居住すると言われる13自治体の中で、外国人の医療問題に関わっているNGOが存在するのは、浜松市、豊橋市、豊田市のみであり、浜松宣言にこのように検討課題として盛り込まれたことは、一応の成果であり、浜松市国際室の努力に負うところが大きい。
浜松市では、MAFの検診会を市長が訪問し、「市民の皆さんの活躍に心から敬意を表する」と表明された2000年、その翌年に、“会社で働いているのなら社会保険に加入してください”と拒否され、開かずの扉といわれた「国民健康保険」に外国人が加入できる環境が整えられるようになったのは、「全国医療支援市民団体交流会」の開催された年に当たる。
2002年に東京で開催された「集住都市首長会議」に招待された厚生労働省の官僚は、当面、外国人に対して社会保険の「健康保険と厚生年金の分離は考えていない」と断言した。
外務省入国管理に関わる若い官僚は「日本の産業が外国籍労働者に支えられている現状は無い」と言い切って、会場の失笑を買った。日本の3K労働を支え、24時間のシフト体制に耐え、腰痛や胃腸疾患、精神的なストレスを抱えて悩む彼らが、日本の産業現場にいないという認識は、隣人として同じ地域に住む市民にとって耐えがたい。
生身の患者を支える市民⇒自治体の担当者⇒霞ヶ関の官僚と、現場から遠くなるほど、問題の認識が核心から外れる日本の政治構造を変えられるのは、いったい誰なのだろうか?私達NGO・市民団体の役割りは、依然として大きいのだが、医療支援に関わる市民団体の数はまだまだ少なく、一つ一つの団体の規模も小さい。組織とはいえ、主要な牽引者がいなくなると、団体も消えてしまいそうである。
行政が助成し、市民団体が、当事者を巻き込みながら実際のサービスを開発し提供する欧米の姿に到達するために、私達はどうすればいいのか。個々の市民団体が専門性を高め、相互に連携して将来に対する戦略を検討する機会を、積極的に持つことがその第一歩だと思われる。しかし、日々の活動に追われる草の根の市民団体にとって、他者に呼びかけるもう一歩を、容易には踏み出せないのが実態だ。
医療と並んで重要な課題は「教育」である。昼ひなか、街にたむろする日系青少年の数が増える現状を目の当たりにして、この問題を次年度のテーマにすることにしていた。国籍がどこであろうと、“健康である権利、教育を受ける権利、人として成長する権利”は、誰にでも保障されるべきだと、私達は考えてきた。当センターが、在住外国人問題のほかに、障害者の問題、こどもの問題にかかわり続けているのは、同様の考えに基づいてのことだ。2002年9月21〜22日に一泊二日の日程で、「浜松市地域情報センター」で開催した様子をご照会しよう。
医療支援団体とは違って、教育支援団体は「言葉の支援」に始まって、実に多くのの団体が活動している。しかもメイリングリストにより、一気に全国に情報が駆け巡る情報環境にあった。
当センターは、昨年と同様、日本財団の支援を受けて、開催しているため、今回も12団体を招待したところ、メイリングリストにより35団体、180人が集う、熱気溢れる全国交流会議となった。
当センターは、活動暦5年。しかも教育を主要な活動対象にしている訳では無い中間支援センターのため、参加者から“頼りない”“論点が絞られていない”と、開催前から不安が寄せられた。“落としどころを行政と協議したのか?”と尊敬する関西の団体に問い詰められた時には、返す言葉が無かった。私達には、そういう発想がそもそも無いからだ。まず問題の発掘と共有。それでどうしていけないの?私達のような市民活動の新参者にとって、市民活動側にも、長年かかって作られた社会的体質があることを知ることになった。しかし、結果として、従来の発想では集まりようが無い団体、例えばニューカマーの支援団体、オールドカマーの支援団体、教員主体の団体、当事者主宰の団体、大学生がメンターとして活動する団体、国際交流協会等々、敢えて、異なる性質の団体をアラカルト的に招待することができた。その結果、当事者ならではの重要な指摘や、様々な活動スタイル、児童の年齢別の課題、自治体の対応など、活動暦の長さに関わらず、多様な担い手により、生き生きとした状況が作り出されていること、外国籍児童を取り巻く教育環境の姿を、全国的に俯瞰することが出来たことに、高い評価を戴いた。それぞれの活動現場に帰った参加者は、新たな人的交流と、次なる課題を見出して、元気に一歩を踏み出したという情報が、当センターにも伝えられるようになり、交流会を契機に、当センターも「教育活動団体」として認知されるようになった。
招待団体
1.CSN(College Student Network for Community Service) (浜松市)
2.CCS(世界のこども手をつなぐ学生の会) (東京都品川区)
3.NPO法人 こどもの国 (名古屋市)
4.IAPE(外国人児童生徒保護者交流会) (横浜市)
5.Grupo ABC (母語・母文化教育) (川崎市)
6.子どもクラブ「たんぽポ」 (草津市)
7.ワールドキッズコミュニティー (神戸市)
8.日本・ブラジル教育サポートセンター (神戸市)
9.(財)とよなか国際交流協会・子どもメイト (大阪府豊中市)
10.トッカビ子ども会 (大阪府八尾市)
11.大阪府在日外国人教育研究協議会 (大阪府泉佐野市)
12.神奈川県在日外国人教育連絡協議会 (横浜市)
会議の詳しい内容については、「外国人教育支援全国交流会」報告書にゆすることにして、特徴的なことを拾うと、まず昨年出された「浜松宣言」が、13自治体の意見を集約して出された内容としては画期的であり、長年にわたってNGO、ボランティアレベルで、四苦八苦して蓄積してきた活動内容が、きめ細かく網羅され、その必要性が、公的な文書によって示されたことは、全国で展開されてきた市民による外国人教育支援活動を、評価し、あと押しするものとして交流会議参加者から高く評価された。
市民団体側の好意を、むしろ驚きながら、歓迎する浜松市国際室長のやりとりを、私達市民は、日本の社会ではじめて目にするような新鮮な感動を覚えて見守ったのだった。交流会議開催の直前になって「サンパウロ・ロンドリナ宣言」が浜松宣言に呼応する形で発表され、国境を越えて「外国籍児童の教育問題」に自治体間の合意を見たことは、参加者を勇気づけるに十分であった。
当該会議終了時に、昨年同様、「集住都市会議」および関係各期間に、NGO側の合意事項を提言しようと言う提案がなされ、主催者である当センターが責任を持って文案を練り、以下のような内容に取りまとめることが出来た。
私たちは、昨年「外国人集住都市会議」により提案された「浜松宣言」を高く評価すると共に、合意に到るまで忍耐強くかつ周到な議論を重ねられた13都市の関係者のご尽力に対して、心から敬意を表します。「浜松宣言」は、在住外国人の子どもの教育環境の改善に、自治体が主体的に、人権に関する国際諸条約を位置付けて一歩踏み出した問題提起であると受け止めています。
私たち在住外国人の子どもの教育支援に取り組む13の市民団体等は、幹事都市で活動するNPO法人「浜松NPOネットワークセンター」の呼びかけに応じて、全国各地から浜松に集い「浜松宣言」が外国人の子どもの教育課題の解決にむけ、さらに充実し具現化される事を願い2日間に亘って、情報交換し、協議を重ねました。
全国各地の外国人の子どもを取り巻く環境は、予想を超える早さで深刻化しています。「浜松宣言」は、国と自治体との対等なパートナーシップを謳っていますが、その理念は、自治体と市民団体等との関係にもあてはまるものです。私たち13の市民団体等は、行政・教育関係者・当事者(保護者)・市民が、建設的に対話し、連携する重要性を確認して、市民団体等側からも、次の5項目について提言することにいたしました。
また、今後の「外国人集住都市会議」において、私たちも自治体のパートナーとして参加し、情報交換する機会をもてるよう、ご検討くださいますようお願い申し上げます。
在住外国人の子どもの不就学状態を放置することは、必要かつ十分な教育を受けていない多数の子どもを生み出しており、日本人の子ども同様、彼らに健全な成長と発達を保障することは、地域社会にとって緊急の課題となっています。
在住外国人の子どもたちが、日本と母国のバイリンガル・バイカルチュラル(二言語・二文化)能力を備えて成長する機会を持つことは、日本社会の国際化や多文化共生のまちづくりを進める上でも重要です。
そこで、私たちは日本国政府に対して次の三点を提言します。
文部科学省は、すでに批准している「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」(A規約)及び「児童(子ども)の権利に関する条約」「人種差別撤廃条約」等を誠実に尊重し、在住外国人の子どもにも日本人の子ども同様に、初等教育を受ける権利を保障し、不就学を生み出す余地を残さない制度にすること。
人間として全人的に発達する上で必須の条件であり、その環境整備の為に、日本国政府はブラジル、ペルー政府と共に、予算等必要な措置を講じ、それぞれの子どもの母語に通じた教員資格取得者を日本へ招請する協定を締結すること。
母語教育同様、自尊心やアイデンティティーの確立に重要な役割を果たしていることを重視し、在住外国人の子どもに対する母文化教育を尊重すること。
日本の高校進学率は全国でも95%以上に達しているのに対し、在住外国人の子どもの高校進学率はきわめて低く、進学後も中途退学率が著しく高いことが指摘されている。彼らの学習継続の動機として、日本社会で自己実現の過程を歩んでいる身近な“ロールモデル”が不可欠であり、進学や就職等適切な進路保障の重要性を理解すること。
同時に、私たちは地方自治体に対しても、次の二点を提言します。
外国人の子どもの教育に関する基本方針等の策定や見直しを図り、母語を学習する環境を整備する指針を策定し、その推進を図ること。
国際理解教育・多文化共生教育等の中に、外国人の子どもに対する母文化教育をしっかり位置付け、学校の余裕教室等の公的施設に“多文化センター”を設置し、子どもたちの交流の場所として制度的に保証すること。
当事者が企画運営に関わることが望ましいが、現状では困難であることを鑑み、当事者が積極的に関われるよう、財政的な支援策を講じること。
外国人の子どもの高校進学はきわめて低い割合に止まっている。彼らの高校進学を保障するために、日本語を母語としない生徒の受け入れ特別枠の拡大、特別措置の資格条件の緩和、実施学校数を増やすこと。
一層の合理的かつ公正に配慮した入試基準を設けること。
在籍中の適切な対応を十分保障すること。
日本社会で自己実現の過程を歩んでいる身近な“ロールモデル”が不可欠であり、進学や就職等適切な進路を保障するための施策を講じること。
この提言に盛り込まれた内容は、様々な立場の活動団体が集ったからこそ描くことが出来た、子ども達を取り巻く状況を次のステップに導くための必要条件といえる。
主催者である浜松NPOネットワークセンターは、この交流会議から次年度の活動目標を明確にすることが出来た。
不就学問題ばかりに目を奪われて、気に掛けていなかった“高校進学を果たした高校生”の実態を把握し、ミューラルプロジェクトに参加してもらう過程で、“次世代のリーダーとして、後輩のロールモデル”を果たしてもらうことになった。また、彼らの体験を生かして、中学生に進路選択の機会を提供する交流会を、彼ら自身の企画・運営により、事業化することを考えている。はじめて出会った日系高校生達が、実に健康的で、弾けるようにはつらつと、「日本に来て本当に良かった!」と、異口同音に話す姿に、当センターのスタッフは、次は、この姿を全国交流会の参加者に伝えたいと、この事業の成功を予感することが出来た。
ミュラルプロジェクトは、2003年6月、4つの県立高校から公募した10人の日系ブラジル・ペルーの高校生を核に、地元の芸術系高校生の協力を得て、スタートしたばかりだ。その内、4人の代表が、多文化教育の分野で大きな成果を挙げているサンフランシスコのミュラル作成ワークショップに参加し、帰国後、浜松で完成させる計画が進んでいる。
テーマは、主に「学校に行っていない子ども達に」向けて「頑張ろうよ。逃げちゃだめだよ。勉強すれば僕達のように、将来に夢が描けるよ!」と、メッセージを伝えることを、高校生達は選択した。この多文化教育のメソドを浜松に持ち込むことを成功させて、来年以降は、小中学校の総合的教育の「国際理解教育」の場面にまで普及させ、日系人の子ども達が堂々と、自国の文化を表現出来る場を小中学校の中に創りだし、多文化社会の豊かさを伝えると共に、日系の子ども達のアイデンティティーの形成に寄与することを目標にしている。
この事業は複数の財団から助成金を得ることができ、高校側からも協力をいただき、多方面から成果が期待されている。
今後のNGOの役割
過去2年間、自治体による「集住都市会議」に併せて、カウンターパートとして市民団体の全国交流会を開催してきたが、幹事都市が、豊田市に交替し、浜松市に活動拠点を置く当センターの、「自治体との協働」の役割は終わった。徐々に子ども達を取り巻く環境は改善されつつはあるものの、14都市でさえ自治体間の格差は大きい。NGOはと言えば、地域により活動対象も、団体の規模も歴史も、自治体以上に格差がある。「言葉」の支援グループは、必ずと言っていいほど、どの地域にも存在するが、言葉のグループは、地域内で横のネットワークを作ることには関心が薄く、もっぱら専門性や独自性を高めることに勢力を注いでいる。当センターのように隣人としての暮らしの全体像に関心を寄せ、彼らに寄り添い“アドヴォカシー”を担おうとするネットワーク型の支援センターは、14都市には見あたらない。
幹事都市が豊田市に交替しても、当センターは、集住地域の多様なテーマを掲げる市民団体と連携して、ずっと14自治体の動きに注視し、少なくとも「医療と教育」に関する日系人の人権を保障する制度の獲得まで、14都市のNGOとの連携を続けたかった。しかし、関西地域や、首都圏を除いて、ニューカマーの集住する地域に、アドボカシーとしての役割りを担おうとするパートナー団体が見つからないのが現状だ。今年の「集住都市会議」は“シンポジウム”の開催に決まったようだ。議論をして何をどのように変革しようとするのだろうか。
集住都市会議が最初の意図から徐々に変質し、NGOもその行方を注視しなくなるとすれば、今後ニューカマーを取り巻く生活環境の改善や、多文化共生の実現は、個々の自治体と地域ごとのNGOの力量に負う事になってしまうのだろうか。
2年間の協働の経過から、両者の経験と情報が、お互いに補完しあい、刺激しあい、現実的な施策が導き出されることを体験することが出来た。 “国際移住労働”という極めて21世紀的な今日的課題を、日本の最先端で、身をもって体験している自治体とNGOが、その体験と情報を共有する機会を閉じてはならない。
当センターは、“言葉の専門家ではないのに何故”“医療の専門家でもなく、移住連のようにキャリアがあるわけでないのに全国交流会なんて”と様々な誹りを受けてきた。しかし、二度にわたるNGOの全国交流会議を開催した経験から、集住地域に当センターのように、「言葉だけ」「医療だけ」では無く、人々の人生、地域の民主主義の成熟、地域の全体像、まちの自画像に関心を持つNPOが存在するか否かは、「多文化共生」社会の実現に、非常に大きな意味を持つのだと、確信するようになった。
浜松NPOネットワークセンターは、問題の渦中にある人々の「セルフヘルプ」を支援する事に徹してきた。「for them 」ではなく「 with them 」の立場である。ある問題が地域社会の重要なニーズであり、生活の質、人生の質に関わる課題である限り、一般市民の生活もその連続線上にあり、無縁ではない。
市民自身によるコミュニティー デベロップメントの担い手として、地域社会の潜在的なニーズを汲み上げ、行政に先んじて、果敢に問題に対処するあたらしいサービスを発想し、市民のニーズを具体的な施策として、自治体に提案する変革の主体であろうとするNPOの存在意義は大きい。
多文化共生社会は、戦後半世紀にわたって、連綿と続いてきた暗黙の了解というルールに従った、寡黙な住民によって維持されてきた日本の地域社会が、住民自身の手によって変質されることによって実現されるのではないのだろうか。浜松市国際室長は、集住都市会議の事務局レベルの会議で折に触れて、「浜松はNGOの活動が盛んですが、みなさんのところは?」と誇らしげに質問する姿は印象的であった。
浜松市が外国人市民のための先進的な試みに挑戦できるのは、「MAF浜松」や「へるすの会」「N−Pocket」だけではなく、多くの心有る市民による多岐にわたる外国人支援活動が、地域社会に根付いているからでもある。
進行する国際移住労働の最先端にある地方都市で活動する当センターは、地域に潜在的なニーズがある限り、安定した多文化共生社会の実現のために、「こうなったらいいな」という住民の思いを、市民の発想で取り組み、多様な団体とのネットワークをつなげていきたい。「外国人集住都市会議」のカウンターパートとして2年間活動した経験から、地域社会での“実践の積み重ねによる成果”こそが変革の力になると信じるからだ。
NGO側の、実践に裏づけられた“説得力と連帯の意思”がなければ、行政との協働はいつでも風前の灯と化してしまう。「Act locally ,think globally」は環境問題のみならず、多文化共生社会を拓くためにも重要な理念であることを痛感している。
www.yuko-yamagcti.net