このページでは、私が見て、聞いて、食べて思い出したことを紹介したいと思います。
子供の頃の思い出、大人になってからの思い出や経験など、短い作文を書いてみました。
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今日の昼は太陽が出て暑かったです。そんな中、チェチリアは20数キロの子供をおんぶして
歩きました。浴室閉じ込め事件以来、子供がチェチリアと離ればなれになるのがイヤなよう
で、今朝からぐずっていました。朝から頭が痛いといったり、ゴロゴロぐずっていたり。
子供が今日の夕方、演劇を観に行く予定があり、他のお子さん達との集合場所へ送って行く
途中、もう歩けないとか、頭が痛いといって路肩に座り込んでしまいました。
時間に遅れてはいけないと思い、バス停から子供をおんぶして歩き出しました。
背中でもぐったりしているのですが、足はピンピンさせて元気な様子。
「やっぱり甘えたいんだなぁ〜。」
と思いながら、
「頭、大丈夫?熱はないようだけどね。。。」
と言いながら、集合場所に到着。
重たかったです。
チェチリアが最後におんぶしてもらったのはいつだったかなぁ。
母が亡くなった日の夕方、親戚のお姉さんにおんぶされて、夕焼けをみながら外を歩いた記憶が
覚えてる最後のおんぶです。
4歳になる直前の、春の日の夕方でした。
夕べの閉じ込め事件の被害は、チェチリアの左手に。
おそらくパニックになって、ドアをドンドン叩いた時に痛めたらしいのです。左手の親指から
手首にかけていたくて、タオルがしぼれません。結局、午前中に病院に行きました。打撲らし
いのですが、こんなに痛くなる程、強くドアを叩いた記憶はありません。
しかし、火事場の馬鹿力で、その時は痛みを感じない程強く叩いていたのかもしれません。
チェチリアは大パニックになりました。浴室のドアの鍵が壊れて、中から開かなくなりました。
他に誰もいなかったので、どうしようと不安になり、また、一緒にお風呂にはいっていた子供は
泣き出すし、もう、チェチリアも半ベソでした。
以前、仕事先のトイレの入り口のドアノブが壊れて、出られなくなり、そこでも閉じ込めのめに
あってパニック。
あの時は、ドアノブが取れていたので、まわそうにもまわせない状態でした。今夜のドアの鍵の
故障の時、一瞬ドアノブを壊そうかなと思ったのですが、あのトイレの事件を思い出し、よけい
に出られなくなると思い、ますます不安に。
子供と二人でまず祈ったチェチリア。
「神様〜、開けて!アーメン」
「そうだ、石鹸を塗ってみよう。」
外れなくなった指輪を外す時に石鹸を使うというのを思い出して、鍵の部分に塗ってみました。
何度かやっているうちに、
「ツルン」
と滑って、ドアノブが回ったのです。安心したのもつかのま。
子供もチェチリアも、再度閉じ込めになったらイヤだと、それこそ、絵に書いたようなカラスの
行水でした。
お風呂から出た子供は、
「ねねね、神様にお願いしておいた方がいいよ。閉じ込めにならないように。」
と、ピアノの上においてあるマリア様の御像にチェチリアの手を引いて急ぎ足。
これも、困った時の神頼みっていうのかな?と一瞬思いましたが、困って悩みを打ち明けるのが、
人ではなく神である子供の心に、確かに神様の存在を見た瞬間でした。
この頃、仕事から帰るとおさんじの後、ひと休みしています。日本では昼寝の習慣はないですが、インド
ネシアで暮らしていた時は、昼食の後は昼寝も日課の一つでした。
大学も、朝が早いかわりに昼には終わり、帰宅して昼食をとり水浴びして昼寝、というのが一般的な学
生生活でした。
今はインドネシアの大学生もアルバイトなどするのでしょうか。
15年程前は、学生は学業以外の仕事がないというくらい、一生懸命学んでいました。
今日は7月と思えないような寒さです。今年は冷夏が心配。
何年か前に米不足でタイ米の輸入をしたことがありましたね。日本全国、このタイ米に大ブーイング。
スーパーには、朝早くから行列を作って米の買い出しの人がいたり。今年の秋は、実りが多いのか心
配です。
南洋で生活経験があるチェチリアは、タイ米が特別まずいとは思いませんでした。ただ、日本のおか
ずに米の味が合わないというだけです。
逆に、日本米は南洋のおかずに合わないと思います。
その土地、土地に合った食べ物があることを理解せずに、「タイ米はおいしくない!」と食べもせずに
ブーイングなないよなぁ〜と思いました。
先週末、知人宅でそのお宅のお嬢さん、お嫁さんとチェチリアで四方山話をしていた時、給食の話に
なりました。
何でもそのお宅がある地域は、中学は給食が全面廃止で昼食持参だというのです。そのことで、PTA
は給食を出すように働きかけをしているけど、
「成長に最も大事な時期に給食などで栄養を補給するのではなく、親が考えて作ったものを食べるの
が望ましい」
とする市長の方針で、なかなか給食が実現できないでいる、と感情的になって語るお嫁さん。
チェチリアはふと思ったのです。確かにチェチリアも給食を食べた世代ですが、必ずしも給食がいいと
は思っていませんでした。偏食だからというのではなく、みんなが同じものを一斉に食べる、しかも残
してはいけないなど、ほぼ餌やりの状況の中で与えられる給食のあり方に、子供ながらに疑問を感じて
いたからです。
そのお嫁さん曰く、
「成長に最も大事な時期に給食などで栄養を補給するのではなく、親が考えて作ったものを食べるのが望
ましい、と言われても、全員がお弁当をもってくるかといったら、そうじゃない。コンビニでおにぎりだ
けを買ってくる子供や、コンビニ弁当を持ってくる子供も結構いる現実を考えると、成長に必要な栄養補
給どころの話じゃないでしょ!だったら、給食でしっかり計算された栄養価あるものを食べた方が、よっ
ぽど成長期の子供にはいいに決まってるでしょう。」
というのです。
チェチリアは思いました。
「どうも、このお嫁さんはお弁当を作るのが面倒なんだろうな。。。」
と。
みんなが同じでなければならないという雰囲気に、チェチリアは昔から違和感を覚えています。給食だって、
親が作ったお弁当を持ってくる子あり、おにぎりを買ってくる子あり、コンビニ弁当ですませる子あり、そ
れでいいじゃない、と思うのです。それぞれが違ったものを食べることで、お互いの環境を理解する機会に
もなるのではないか、と思うのです。
チェチチアが高校生の時、お弁当やパン食のクラスメイトなど様々でした。お弁当だから良くて、パンだから
ダメとか、買ったお弁当だからどうしたこうした、というのは全く話題にならなかったことを思い出しました。
しかも、そのお嫁さん自身がそんなに成長期のお子さんの栄養補給を真剣に論じるのなら、まず御自身が朝早
起きしてお弁当を用意したらいいのに、、、と若干批判的な気持ちで彼女の言い分を聞いていました。
先週、電車で痴漢にあったチェチリア。今朝も電車に乗る時、
「また痴漢がいたらイヤだなぁ〜」
と憂鬱な月曜日でした。
幸い、同じ時間の電車でしたが、雨のせいか今日はやや空いていました。
みなさん、早めに家をでたのかな。
都会で暮らすと、人ごみを避けて暮らすのは難しいことです。
先日、ある人に痴漢被害の話をすると、目の前で駅のエスカレータをのぼる女子高生が、
後ろに立っていた男性にスカートをめくられ覗かれているのに気づいていないのを目撃して
ビックリし、エスカレータを降りてからその女子高生にそのことを告げると、
「あ〜、やっぱりそうだったんですか。。。。。」
と平然としていたことに、再ショックを受けたと言っていました。
痴漢行為も、その被害を受ける女性によって反応が様々なんですね。
チェチリアがその話をしていた時、そばで聞いていた人が、
「夜だったらわかるけど、朝からやらないよね〜」
と言いました。
「何?夜だったらいい?そんなの朝でも昼でも夜でもダメ!何言ってんのよ!」
と言い返したら、みんな大笑いでした。
いつでも痴漢はいけないけど、中でも朝の、”これから仕事”という貴重な時間に何で?と痴
漢の思考回路が理解できません。
今朝は散々でした。電車が人身事故で、仕事の開始時刻に間に合わない!とハラハラしながら電車に乗
っていました。最寄り駅に着いた時点で、仕事の開始時刻になっていました。雨の中、重い荷物を抱え、
傘をさして仕事場まで走りました。慌てて駆け込んだチェチリアをみた事務員は、
「あれ?チェチリアさん、9時半始まりですよね。」
と言うのです。
「9時半?うそ〜〜〜!あなたが自分で電話をかけてきて、9時始まりと言ったじゃない!」
と思っていたら、続いてその事務員は、
「あれ?担当の者からあの後、確認の電話がいってなかったのね?」
と、自分の失敗を他人の失敗のように摺り替え発言をしたのです。
「電話、いただいてませんけど。」
と言うと、
「やっぱりね。でもま〜、お待ちください。」
と平然とした様子。
大人になると、素直さがなくなるんだよな〜。もう少し子供のような素直さを持ちたいものです。
久々に動物園に行きました。小さな動物園ですから、あまり混雑しておらず、ゆっくり見ることができました。
チェチリアは初めて、山羊が本当に紙を食べることを知りました。話には聞いていましたが、実際に食べるの
を見たことがなかったのです。
道ばたでもらったティッシュを子供がポケットから取り出すと、柵の中の山羊はワラワラと人の方にやってき
ます。山羊なのに、バーゲンに群れる人間のように、”我れ先に”と言わんばかりにティッシュめがけてやっ
てきます。隣にいる山羊を角で突いて、「あっちいけ〜」攻撃をする山羊もいました。まんまとティッシュに
ありついた山羊は嬉しそうに舌で紙をまるめるように食べていました。
ひとしきりティッシュを与えた後、ふと看板に目をやると、「山羊に餌や紙を与えないで下さい」と書かれて
ありました。
言う間でもなく、飼育係に怒られる前に、スタコラサッサとその場を退散したチェチリアと子供です。
七夕を前に、駅などで笹の飾りを見かけます。近所の幼稚園からも七夕の歌が聞こえてきます。今年の七夕は、
天の川が見えるのでしょうか?
星空を眺めると、本当に不思議な空間に吸い込まれるようです。中学の時、理科の時間に天体のことを習いまし
たが、何億光年の星といわれても、人間の時間感覚とはあまりにもかけ離れているので、ピンとこなかったこと
を覚えています。
星をみることで、大昔の宇宙はどうなっていたのだろう、と空想タイムが始まるチェチリアです。
ある段階までは論理的に説明をすることができるのでしょうが、どんどん突き詰めて行くと、
”どうしてだろう?”
と急に疑問が解決できない段階がやってくるのです。そんな時、そこに神様の存在を実感するのです。