このページでは、私が見て、聞いて、食べて思い出したことを紹
介したいと思います。子供の頃の思い出、大人になってからの思
い出や経験など、短い作文を書いてみました。
2000年9月29日(金)
私は意外と夜更かしが得意です。そのかわり朝は苦手ですが。夕べも、
なんとなく寝るタイミングを逃してしまって、夜中?明け方の4時頃ま
で起きていました。大人になってからは、よほど仕事が間に合わないほ
ど抱えていない限り、徹夜することはないのですが。
中学、高校の頃、私は試験前になるといわゆる一夜漬けの名人になるの
です。夜更かしが得意だったので、それほど起きていることは苦になら
なかったのです。
ホントは計画的に復習するのが一番なのに、取り組みが遅いのも私の性
格。試験日程をざーっと見渡して、いつが最大のヤマかな?としばし考
える。それによって、試験の前1週間は、地獄のような日々。あんなこと
せずに、コツコツ型人間だったら、私の人生今頃、もっと違っていたか
な?とちょっぴり公後悔してみたり。。。
私は試験で一度、高校の時の先生の腰を抜かしかけたことがあります。一
生懸命に解いた微分・積分の計算問題で、見事に”0点”をとったことが
あるのです。採点した答案用紙を一人一人に返し、私の名前が呼ばれて、
自分では”100点だ!”と思って前に用紙を受け取りに行ったら、先生の
顔は暗い!
「チェチリア、どうかしたのか?」と言われ、「え?」と言って自分の答
案用紙をのぞき込むと、な!なんと点数が大きく0点と書かれているので
す。その日の昼休みに職員室に呼び出され、同じ問題を解かせられ、私が
一カ所計算の仕方を勘違いしていたことが発覚!それがわかって、もう一
度解いてみたら、100点!先生も安心していました。
私は中学の時、数学が嫌いでした。でも、高校に入って3年間、腰を抜かし
た先生に教えてもらい、それまで嫌いだった数学が好きになったのです。だ
から、高校に入った途端、急に数学の成績が上がったのです。子供の才能は
まわりの大人の力で、芽をだしたり、そのまま埋もれたりもするんですね。
私はあの先生と出会ってホントによかった!
2000年9月25日(月)
今日は体験学習で、陶芸に挑戦しました。初めてだったので、う
まくいくかな?と心配でしたが、丁寧に指導してくれる先生がい
て、初めのうちは手とり足とり状態でしたが、何度かやっている
うちに一人でもある程度、かたちにすることができるようになり
ました。お楽しみ体験の仲間たちと行ったのですが、私は轆轤を
まわしながら、小学生時代の自分を思い出しました。
私は何でもひとしきりやって、自分で内容がわかると、「友達は
どうかな?」と思い、参考までにと称して、みんなのを見てまわ
るのです。それで、うまくできない友達がいれば、「こうすると
うまくいくみたい。」などといって”お手伝い”するのです。
今日の陶芸教室でも、一緒にいった仲間が、どうやったらチェチ
ィリアさんのような首の長い一輪ざしのような形ができるのか?
と聞いてきたので、「こんなふうにすれば、できるんじゃない?」
としゃべっていたら、机間巡視中の先生がやってきて、「おぉ〜!
指導にまわったな。。。」と笑っていました。
自分の轆轤に戻って、また作品作りを再開。だけど、私は途中で飽
きてきて、適当にやっていたら、また先生がやってきて、「ほら、
そこ、遊んでるなぁぁぁ〜。」と、笑われてしまいました。
いくつになっても、”お世話好き”と、”適当に手抜きをする”性
格は変わっていないな、と思いました。先生にひどく注意されると
いことはないまでも、先生の目には、いつも友達の世話やきをする
子供にうつっていたようです。(写真はチェチィリアが轆轤をまわしている様子です)
2000年9月22日(金)
夕方、電車の窓から善行賞もののおじさんを発見!降りた駅のホ
ームに捨てられていたゴミや、空き缶を拾って、ごみ箱に捨てて
いるのです。一つ一つ拾っているのです。感心!と思いました。
小学校1、2年生の時のクラス担任の先生はきれい好きで、毎日、
帰りの会(学活)の前に、日直の子供の、「大きいゴミも、小さ
いゴミもみんな拾ってください」という号令で、子供達に教室の
ゴミを拾わせていたのを思い出しました。私はどちらかというと、
あまり熱心に拾わない子供だったのですが(告白!話は飛んで、
高校時代の3年間、割り当ての箇所の掃除を一度もせずに帰宅する
ので、担任の先生が私の母に家庭でも注意して下さい、というほど
掃除は熱心じゃなかった!)、みんな細かいゴミもよく見つけて拾
うので、教室はいつもきれいでした。
あの時の担任の先生は、今、どうしていらっしゃるのでしょうか?
2000年9月21日(木)
大変だ〜。大変だ〜。今日の夜、チェチィリアに子供ができました。
ここ数日間、学校のことで相談にのっていた親子から、”Ibu angkat
(養母)になってほしい”、と言われ困惑しています。「チェチィリア
さんは子供がいないから、ちょうどいいでしょう。」ということらしく、
その子の両親は、早くも私を”お母さん”と呼びなさいと子供に言って
きかせているのです。本人は、それなりに嬉しそうでした。
日本では養母というと、養子縁組などをした場合に使う言葉のようです
が、インドネシアでは、実母と生活しながら、もう一人、お母さんと呼
べる人をもつことが珍しくないのです。経済的にその子を抱え込むとか、
生活を共にするということではなく、心のお母さんと言った方が、正確
な意味かもしれません。何か悩んでいる時に相談するとか、休みの日に
お泊まりセットを持って遊びにくるとか、そんな感じの親子になるので
す。留学生のチューターに似ているかも。。。
でも、急にお母さんと呼ばれても、「???」。ぴんとこないし、子供
の方も、恥ずかしそうにしています。”お母さん”と呼ぶには勇気がい
るでしょう。
私の実母がなくなって、新しいお母さんができた時、何年ものあいだ、
お母さんと呼ばずに、”おばさん”と呼んでいたのを思い出しました。
2000年9月19日(火)
何かの結果を待つ時間って、とても長く感じますよね。今日、友達と、
「これはどうなっているかな?」と結果を待つ楽しみの話をしていて、
ふと思い出したことがあります。
子供の頃、シャーベットの素のような商品が流行って、水で溶かした
液体を氷を作る容器に入れ、冷凍庫で冷やすとシャーベットができる
というのにハマった時期がありました。
パッケージの写真を見ると、とても美味しそうなシャーベットが書い
てあり、同じようにできると信じて、冷凍庫へ液体を入れるまではい
いのですが、問題はその後です。待ち遠しくて、何度も何度も冷凍庫
の扉を開けては液体の表面を観察するのです。そのうち、それだけで
は我慢できず、指で液体の表面をさわってみたりして。仕上がりには
必ず指紋がついているんです。
みなさんは、待ち遠しくて、待ち遠しくて、といった経験をしたこと
がありますか?
2000年9月17日(日)
昨日と今日は、雷がすごかった!も〜、恐くて恐くて・・・。音があま
りにも大きく、稲妻もピカじゃなくて、バリバリバリ〜、と音とともに、
何本にも線が分かれて光るの。
子供の時、どういうわけか雷がなると親が、「おへそをないない(隠す・
しまう)しないと、雷さまにとられてしまう!」と脅かすのです。心配
になって、こっそり暗い所にいって、「私のおへそ、あるかな?」と確
認したことを思い出しました。
今、思えば、”そんなこと、あるわけないのに”と笑ってしまいますが、
その時は、真剣だったもんね。
2000年9月12日(火)
数日前から、右肘から指先にかけて痛みがあって、薬を飲んでも治らなか
ったので、今日は病院に行きました。整形外科で診てもらったのですが、
その時、何年も前に事故にあって膝と腰を強く打った時に行った病院のお
医者さんを思い出しました。
診察室で事故で打った時の様子を話している最中に(まだ、全部話終わっ
ていないし、しかも痛みの具合もまだ言っていない!「あの、事故にあっ
て膝と腰を強く打ったんですけど。。。とまでしか言ってない!!!)、
看護婦がなんだか太い注射を用意して、それをお医者さんに手渡したので
す。「???」と思い、まさか私にするの?と思っていたら、そのお医者
さんは何の説明もせずに、「そこに寝て!」と言ったのです。私は、「わ!
まずい!」と思って、「何でですか?」と聞いたら、「この場合、注射が一
番」というので、「どこに?」と聞き返すと、「打った腰に」というので、
「あ”〜、それはしなくていいです。」と言ったらお医者さんが怒りだした
のです。だって、何の説明もせずに、しかも、患者が説明し始めたとたんに
注射の用意をするというのは、どういうこと?受付にいって、保険証を返し
てもらい、スタコラサッサ帰ってきたことを思い出しました。
2000年9月11日(月)
仕事帰りに八百屋さんの前を通ると、栗が売っていました。一度は通り過ぎた
のですが、「やっぱり、か〜おおっと!」と思い、店まで戻ってその栗を買い
ました。早速、茹でました。鍋が小さいのに、栗の粒が大きく、鍋の中で栗が
おしくらまんじゅう状態。
今年の初物だったので、栗が冷めるまで我慢できずに茹で上がったそばから、
一個とって食べてみました。そしたら大変、口の中が火傷してしまいました。
痛い!上顎が”いなばの白兎”になってしまった。でも味は、はなまる!!!
私は、栗ご飯や、さつまいもご飯、グリンピースご飯が大好きで、子供の頃は、
秋になると母に栗ご飯をリクエストするのです。すると、母は、「食べたい人
が栗の皮としぶを剥きなさい」と言い、私に栗の下ごしらえをさせるのです。
皮が固く、慣れないので、剥いた栗はなんとも不格好。それでも、食べたい栗
ご飯を口にした時は、「う〜〜〜ん、おいしい!」、と大満足するのです。
2000年9月10日(日)
今日は友達の結婚式でした。この結婚式は、なんと3組合同結婚式です。挙
式は教会で、披露宴は手作りパーティーという感じです。3組ともインドネ
シア人のカップルです。そして3組とも、”日本での挙式だから和装で”、
と希望したため、カトリックの教会に和装の新郎、新婦という一風変わった
雰囲気でした。
インドネシア人の結婚披露宴に招待されて感じるのは、日本の披露宴より、
新郎、新婦も招待客もリラックスしているということ。だれの結婚式でも、
”新郎は(新婦)は、優秀な成績で***をご卒業され・・・”といった全員
優等生になるスピーチはないし、招待客同士、また、新郎、新婦と招待客も
和やかな雰囲気で喜びを分かち合う食事をするという感じなのです。
昔インドネシアでは、招待された人は、新生活に必要そうな物や、ベニヤ板
に生花で文字を型どったインドネシア風花輪を贈るのが習慣でしたが、この
頃は、お祝金の方が喜ばれ、招待状には丁寧に品物や花輪を断る文が書かれ
てあります。慣れないと、”え?そんなのあり?”と日本人的感覚ではビッ
クリするでしょうね。
2000年9月9日(土)
今日、かわいい洋服を着た犬を見かけました。暑くないのかな?と思った
のですが、でも、おしゃれな感じでした。私の父も犬を飼っています。と
は言っても、洋服は似合わなそうな犬。名前はルビー。毎日夕方になると、
父の車に乗って、散歩に出かけるのです。贅沢な犬でしょう。。。夕方、
父が別の用事で外に出ても、「あ、散歩だ〜。」と思いこんで、はしゃぐ
のです。でも、ちょっと痩せ気味。暑すぎて食欲がないのかなぁ・・・。
ルビーは臆病な犬で、猫がよってきたら、スタコラサッサと逃げてしまう。
打ち上げ花火の音がすると、恐がって小屋に逃げ込む。でも、家族にはと
ても甘えて、散歩をおねだりして、じゃれてくる。
私が夏休みを終え、帰る日の朝、玄関先で見送ってくれたルビーのを思い
出しました。
2000年9月7日(木)
今日、一人の外国人少女と出会いました。11歳のごくごく普通の小学生です。
でも、複雑な事情で彼女は学校に通っていません。今まで1年間だけ、小学校
に通ったことがあるそうですが、それ以外は自習で勉強を続けているそうで
す。
私は、学校に通えないという心配などせずに過ごしてきました。義務教育の
期間は当たり前で、高校もみんなが行くから自分も行って当然という位にし
か考えていませんでした。そして、たまにイヤなことがあると、勝手に学校
を休んだこともありました。
日本では、最近不登校の児童・生徒が問題になっていますが、親の考え方や、
家庭の事情で小学校に通えないという例は、無いとは言えないまでも、少な
いのではないでしょうか?テレビなどでは、特に途上国などで家計を支える
ために学齢期の子供が働きに出て、教育を受ける機会がないというようなこ
とは見聞きしますが。
高校時代、同じクラスの男子生徒が授業中に寝ていたら、授業態度が悪いと
副担任に注意されました。すると、その生徒は、「授業料払って来てやって
んだから、文句ないだろう。お金を払ってんのはこっちで、お前たち(先生)
は、そのおかげで生活してんだろう!」と言い返したのです。授業料といっ
たって、公立高校でしたから、それだけで学校の諸活動が運営されようはず
がないのです。副担任は、「君たち一人を教育するために、単純に計算して
もご両親の払ってくださる授業料だけでは足りない。それ以外の部分に、税
金がどのくらいつかわれているのか考えたことがあるか?学びたくても学べ
ない人の身になって、よく考えなさい!」と言ったのです。
その少女との出会いは、高校時代のその先生の発言を思い出させ、また、私
が考えていた”当たり前”、”普通”、というのが”万人にとっての当たり
前ではない”ことを気づかさせた出会いでした。
2000年9月6日(水)
外から鈴虫の声が聞こえてきます。ここ数日間、毎朝通る仕事場への道で、
セミの羽や死がいが落ちているのを目にします。「あ〜、秋だな。」と感
じながら、その道を通っています。セミや蛍って、地上での生活が短いん
ですよね。
子供の時、父とよく行った観音様にある木の根もとに、小さな穴がいくつ
もポコポコあいていていました。セミが地上に抜け出たあとです。セミは
鳴き声が大きくて、虫かごに捕ってきても、ちょっと音がうるさい感じで
すが、鈴虫やキリギリスは、鳴き声が耳に心地よく、捕ってきてはかごに
入れ、茄子やキュウリを餌にして飼っていました。
虫に関しては、母は私よりもっと風情がある楽しみ方をしていました。ホ
ントはいけないのかもしれませんが、蛍をたくさん捕ってきて、透明な筒
のケースに入れて枕元に置くのです。夜になると、蛍のおしりがきれいに
光るのです。狭いわが家にも、しばし幻想的な空間のできあがり。
2000年9月5日(火)
今日は朝から雨でした。友達と昼食を食べながら、ふと傘をさして歩く
人をみて思い出しました。私は子供の頃、毎日の天気は、消防署の人が
ボタン操作で決めるものだと思いこんでいました。”今日は晴れ”、と
か、”明日は雨”、というように。
なぜ、消防署の人と天気が結びついていたのか、自分でも分からないの
ですが、車に乗って消防署の前を通る度に署員の人が、消防車とホース
の点検や訓練をしているのを見て、水=消防署の署員=雨なんて思った
のかもしれません。だから、遠足の前に天気が心配になると、てるてる
坊主を作りながら、「消防署の人にお願いしたほうがいいかもしれない。」
と思ったりしたものです。
子供の頃は、自由にあれこれ想像したり、空想するのが得意だったのに、
大人になったら、瞬間的な判断や、要領の良さは身につくのですが、ダメ
もとでの挑戦、とか、頭を柔らかくして考えることが少なくなってしまっ
たように思います。
2000年9月4日(月)
今朝、始発電車を待っていると、私の前を親子が通り過ぎていきま
した。お母さんに手を引かれてあるく男の子です。でも、よく見る
と、そのお母さんは時間に追われているのか、とても急いで歩くあ
まり、3歳くらいの男の子は、半分、足が宙に浮かんだ状態で歩い
ている(あの子にとっては、空中駆け足状態)のです。お母さんは、
その子をかえりみることなく、どんどん自分のペースで歩いていま
した。
私も子供の頃、保育園の迎えに来た母に置いてきぼり?にされたこ
とを思い出しました。夏は歩いて迎えに来る母も、冬はそりを引い
て迎えにくるのです。なんでも、私が歩くのが遅いのと、雪道は滑
って危ないとかいう理由なのです(言うまでもなく、友達はみんな
歩いて帰っていくのですが・・・)。
母がスイスイ歩いてそりを引くと、乗っている私はそれなりのスピ
ードを感じるのです。そしてちょっとの段差も、グイ!っと引っ張
るものだから、私はそりからおっこちてしまったのです。でも、母
は気がつかずにそのままスイスイ、スーイ、と行ってしまったので
す。だいぶたって、「あれ?軽い。」と思って後ろを振りかえった
母は、遠くの方にお座りしている私を発見。完全なおいてきぼりの
私になってしまったのです。
2000年9月1日(金)
今日から新学期。朝の駅は、昨日までとうって変わって制服姿の子供
が多かったです。夏休み明けのことで、今日思い出した暗〜い思い出
があります。
小学校4年の時、夏休み前から病気にかかり、7月に入ってからほとん
ど学校へ行かないまま夏休みを迎えました。休み中も毎日、体調が悪く、
寝たり起きたりの繰り返し。そんな時、母が買い物途中で、妹の担任の
先生と会ったのです。そして、私の病状を心配したその先生に、母は、
「夏休みの宿題をどうしよう」、と相談したら、「宿題より、まずは体
の方を心配してください。」と言ってくれたそうです。母もその言葉に
少し安心したのか、私にも先生の言葉をそのまま伝えたのです。
そして、夏休みが終わって始業式になんとか登校した私を、とんでもな
いことが待ち受けていたのです。できる範囲でしか宿題を終えられなか
った私は、「なぜ、やってこなかったのか?」、とクラスのみんなの前
で自分の担任の先生に叱られたのです。結局、夏休みが終わってから、
終わっていなかった理科の実験・研究をするハメになったのです。
今、思えば、「宿題より、まずは体の方を心配してください。」と言っ
てくれたのは、妹の担任の先生。その先生の方針が、そのまま私の担任
の先生の方針である訳がないのです。叱ったその先生は、新卒の先生で
若く、さぼって宿題をやらなかった子供と、私のように夏休み前から特
別な事情があって宿題ができなかった子供を区別して指導する余裕がな
かったのでしょう。だから、宿題をやってこなかった子を、理由のいか
んを問わず、強く叱ったのだと思います。”私は、遊んでさぼったから
じゃなくて、病気だったのに。”と思うと、とても悔しい気持ちになり
ました。