このページでは、私が見て、聞いて、食べて思い出したことを紹
介したいと思います。子供の頃の思い出、大人になってからの思
い出や経験など、短い作文を書いてみました。
2001年1月31日(水)
この頃、気分が滅入って何もしたくないのに仕事がドサ〜っとあって、
ますます落ち込んでいます。ふだんは忙しくても、何とか乗り越えられ
るのに、ここ1週間はどうしても暗い気持ちから抜け出せないのです。
ご飯を食べても美味しいと感じるわけでもなし、ただ栄養補給だけに物
を食べるというわびしさ。。。友達が気遣いしてくれて、「大丈夫?ど
うしてる?」と電話をくれるのが、唯一ホッとする瞬間。電話が終わる
と、また暗〜く落ち込んでしまいます。
仲間がいて一緒にする仕事だと、刺激もあり張り合いもあっていいのか
もしれませんが、私はひたすら自分の世界の仕事なので、ますます辛い
時は辛さが大きくなってしまう。子供の時は、こんな落ち込みなんて経
験したこともないし、自分には落ち込むなんて無縁のものだと思ってい
ました。子供の頃にかえりたいな。。。
2001年1月24日(水)
昼夜逆転の生活は、一朝一夕ではもと通りにできないですね。仕事
中に眠くなってしまいます。しかし、立場上、寝るわけにはいかな
いし睡魔と戦うのに必死です。
もう何年も前に、50代後半の男性に私は驚かされたことがります。
その年は猛暑で、日射病などでバタバタ倒れるような暑さ。忙しい
という言葉では言い表せないほどの忙しさのなか、通常の業務をこ
なし、連日の研修と勤務地がかわるので、ということで毎夜の送別
会で、疲れてるというのを絵に描いたような方でした。
ある日、私がホワイトボードに書きながら説明していた時、あまり
にも無反応で、空気の流れすら感じないほどシ〜ンとしていたので、
変だなと思い振り返ってみると、なんとその方、”しろ目をむいて”
いたのです。過労死とか突然死とか騒がれていた時期でもあり、私は
ハッとしました。
目の前で手を振ってみても無反応。どうしよう。。。と思って、ドア
を強く開け閉めしてみたら、目を覚ましたのです。「よかった〜。」
と安心して、私はまたホワイトボードに向かって書き始めました。ご
本人には、「”しろ目をむいて”寝てましたよぉ〜」なんて気の毒で
言えなかったので、何事もなかったかのようにその時間を過ごしまし
た。
マンガでは、”しろ目をむいて”いる人を見たことがあるけど、ホン
トにしろ目をむくんだ〜、と初めて知りました。
2001年1月20日(土)
入試シーズン、本番ですね。少子化で大学も特色がないと生き残りが難し
い時代のようです。
私が高校入試を受ける頃から、学力試験以外に面接というのが導入されは
じめたような記憶があります。個人面接と、集団面接。学力以外の評価と
いうことなのでしょうが、前から疑問に思っていました。人前で話すのが
苦手な人や、第一印象が暗い感じの子供は、なんとなく損をしているよう
な気がしたからです。それに、ほんの数分間の面接で、試験官は一体どれ
だけの情報を得られるのでしょうか?受験者が5人、10人の規模なら話は
違っても、何百人と受験する中学3年生を面接するのでしょう。
2001年1月17日(水)
一昨日、昨日と、朝夕の冷え込みが厳しいです。東京でも道路の水が凍っ
てツルツルになっている部分があります。子供の時、雪が降る前の寒さが
厳しくなり始めの時期に、必ずこうした道路の小さな水たまりが凍ってい
るのを見つけては遊んだものです。凍り方によっては、マーブル状の模様
になっていたり、水たまりの中に落ちていた葉っぱが氷の中から透けて見
えたり。観察や探検が好き立った私には、この小さな凍った水たまりでも
十分楽しむことができました。
路面が凍結するより前に、霜がおりるのですが、その霜の柱を靴で踏むと、
ガサガサガサと音が出て、靴の跡がつくのが面白くて、畑のような柔らか
い土の上の霜柱を見つけては、足跡をつけてあそんだり。。。子供の頃は、
よく毎日遊ぶ材料があったなぁと思うくらい、いろんなことに興味をもっ
ていたものです。
2001年1月16日(火)
落花生の話をしていて思い出しました。子供の時、節分になると落花
生をまいて、「鬼は外、福はうち!」と楽しんだものです。問題は、
まいた豆を拾ってからです。大人達が、「年の数だけ食べてよい」と
いうのです。子供だった私はいつも不満でした。なぜかというと、落
花生が好きだかたです。どうして子供な少ししか食べられないのか、
と聞くと、「鼻血がでるから」という理由なのですが、納得できませ
んでした。
ある日、友達と学校の帰り道を探検しながら歩いていると、およその
家の垣根に掘ったばかりの落花生が干してありました。友達と二人で、
「チャンス!」と思って、こんもりとつながってぶら下がっている落
花生の何個かをむしり取って、「逃げろ〜〜〜」とその場を走り去っ
たのです。
しばらく走って、もう見つからないだろうと思うあたりまで来た時、
「食べてみよっか?」と、わくわくしながら殻を剥いたのですが、茶
色い皮がどうもうまく剥けません。「変だね。」と言いながら、それ
でも食べたくて、「じゃ、このまま食べてみようか?」ということに
なり、食べたら美味しくなかったのです。「やっぱりさ、勝手におよ
その落花生を取ったから、おいしくないのかなぁ〜。」と言って、次
なる探検スポットめざして歩いていきました。
乾燥したり、炒ったりせずに食べようとしたのですから、美味しいは
ずがありませんよね。
2001年1月14日(日)
今日は神父様のお誕生日でした。みんなで誕生日パーティーをしました。
いつもは来ない信者の方もいらしたので、会場は大勢の人でごった返し、
私は部屋の外に置いてある椅子に座っていました。
夕方になると日がささなくなり窓ぎわに座っていると、だんだん寒くなっ
て体がかなり冷えました。
帰りに中国人の友人に、「さっき、私、寒かった。”ロウカ”だから」と
言ったら、その中国人が大笑いしたのです。「何で。”ロウカ”ですか?
まだですよ」というのです。「あれ?」と思い、もう一度、その人の言っ
たことを頭の中で考え直したら、自分でもおかしくなって笑ってしまいま
した。
私が言った”ロウカ”とは、”廊下”の意味で、その中国人がピンと頭に
描いたのは”老化”だったのです。二人で、お互いに思っていた”ロウカ”
の意味を言って、またまた大笑い。
このことを別の友達に話すと、「でも、よかったじゃん。だって、その中
国人が、仮に、”そうですね。”と言ったら、チェチリアは”老化している”
という風に思っての反応でしょう。少なくても、その人はチェチリアがまだ
若いと思っているんでしょう」と言うのです。
これを聞いて、私はまたまたおかしくなりました。
日本語って、同じ単語で意味が違うのがあって難しいですね。
2001年1月10日(水)
このHPの「今日 発見したこと 感動したこと」のコーナーに昨日紹介
した、牛乳の成分表示の囲みの中に書かれてある「公正」の意味をある有
名農場に質問メールを出してみました。すると、今日、お返事がきていま
した。が!「業界の担当者からお答えさせていただいた方が良いと思いま
して当社の姉妹会社の○○○乳業社からお返事させていただきたいと思い
メールを転送させていただきました。」と書かれてありました。
そんなに難しいことなのかな?と、質問しておきながら思ってしまいした。
以前、日曜日の昼の番組で、世の中の矛盾をその問題が関係する企業や、
官庁に電話で問い合わせするというのがありました(今もやってるのかな?)。
すると、問い合わせ先が公的機関や、大企業になればなるほど、この「転送」
の技が活躍?していたのを思い出しました。
2001年1月7日(日)
今日は恒例の大学時代の仲良し4人組の新年会でした。毎年、1月の第1日曜日は、
米軍の横田基地でマラソン大会があり、それに参加した後になんとなく新年会と
いうパターンですが、今年は、元小平市の住民だったクラスメイト筋の情報で、
小平に温泉ができたというので、温泉に入ってから新年会の食事をすることにな
りました。
ご飯を食べながら集まった4人以外の近況を話していたら、予想もしていなかっ
た人が”極秘結婚”をしていたことが発覚したり、あるいは、「あいつ、もう子
供いるんだぜ。。。」と、独身組はちょっぴり羨ましそうな本音をポロリ。
学生時代の話をしていると、あれやこれや楽しい思い出話が次々にでてきました。
そして、誰からともなく、「私たちのクラスは、きっと史上最低のクラスだった
かも・・・。」と言い出し、思わず笑ってしまいました。
というのは、入学して第1の関門の2年から3年に進級する時、単位が足りなかっ
たり休学をしたりで半分が留年。
「指導教官はきっと、他の教官に対してばつが悪かっただろうな・・・。」
と、これまた、ひと事のように笑ってしまいました。実は、集まった4人のうち、
4年で卒業したのは1人だけで、チェチリアを含む残り3人は、なかよくマイペー
スで卒業。
英語の試験で零点だったことや(注:チェチリアじゃないよ。チェチリアは30点)、
妙に変わった教官の話、などなど、思い出すときりがなくどんどん話にはながさ
いて・・・。
いつも思うのですが、こうして集まると、自分たちの気持ちは19、20歳の時のま
ま止まってしまっているような感じがします。共通の体験や話題を持っている仲間
って、ホントに大切な宝物ですね。
2001年1月5日(金)
今夜は一人の粗食夕飯でした。寒いからおかずを買いに出るのも、また、食
べに出るのも億劫で、冷蔵庫を開けて、「何かないかな・・・。」と探して
いたら、冷凍したご飯がでてきたのです。「そうだ、味噌味おじやを作ろう
。」とお鍋に水を入れ、冷凍ご飯をゆでながら解かしていたら、途中で卵が
ないことが発覚。急遽、予定を変更して、おじやではなく、お湯漬けになっ
てしまいました。おかずも魚の缶詰と、作りおきしておいたメンマ。こんな
食生活でいいのかな?と思うのですが、この頃、料理するのが面倒になって
しまって。。。
この”お湯漬け”、ホントはチェチリアは大好きなんです。子供の頃、新し
いご飯をわざわざお湯漬けにして食べて、母に叱られたことがあります。お
湯漬けには、やっぱり焼いた鮭や味噌漬け大根が良くあいます。
そういえば、以前、「朝からお茶漬けを食べる人は出世しない。」と聞いた
ことがあります。ホントかな?
2001年1月4日(木)
今日の東北地方は大雪のようですね。そして、新潟では地震があったようです。
”雪”について、北国で生活していた時のことを思い出しました。雪が降らな
い地域で生活していると、雪ってきれいなイメージがあるでしょう。でも、雪
が多い地域では厄介なものでもあるのです。雨と違って、雪はたくさん降ると
どんどん積もるでしょう。そのままにしておくと道路は渋滞、家屋も場合によ
っては壊れるし。だから雪かきが大事な作業になるのです。
実際には、「雪かき」なんてお上品な作業ではなく、豪雪地帯だと、屋根の
「雪下ろし」、豪雪地帯とまでいかなくてもまとまった量の雪が降る地域では
道路の「雪を捨てる」という大仕事があります。サラサラ、フワフワと降って
くる雪は軽いのかな?と思うでしょう。これが重たいのです。ホント、大仕事
です。
雪が何度も降ると、前に降った雪の上に新しく降った雪が積もって・・・、と
いう繰り返しで、固く凍った道路をつるはしやスコップで掘り起こしてみると、
バウムクーヘンみたいな層ができています。
保育園の頃、「雪を使ってシャーベットを作ってみよう」という実験をしたこ
とがありました。洗面器に雪を入れて、塩をふりかける。果物の缶詰の中味を
適当な大きさの容器に入れ、真ん中に割り箸をたてて一晩そのまま放置。翌朝
は、果物のシャーベットができているのです。朝、急いで洗面器を見に行って、
「できてる!」と大喜びした記憶があります。でも、たまに夜中に大雪が降っ
て、「あれ?チェチリアの洗面器、どこぉ〜?」と、ここ掘れワンワンのよう
に、雪の山を掘ったり。。。今は、そんな遊びをする子供なんていないんでし
ょうね。
2001年1月3日(水)
みなさんはお節料理を食べましたか?私は一人で作って食べても美味しくないので
用意しませんでした。ホントは年末に、母が黒豆を送ってくれたのですが、それも
とうとう煮ないでお正月になってしまいました。
子供の頃は、「食」に季節感があったのですが、この頃は一年中何でも手に入るよ
うになり、季節感がだんだん薄れてきているように思います。
お節料理はだいたいどれも甘い味でしょう。お正月のわずか数日間とはいえ、やは
り飽きてしまいますよね。そろそろテレビ番組で、残ったお節料理を使ったお料理
コーナーをやりそう。
今日、チェチリアはお寿司が食べたい気分。
2001年1月1日(月)
夕方、出かける時に一組の親子とすれ違いました。80歳くらいのお母さんと、
50代くらいの息子さんです。お母さんは息子さんにてをひかれて、ゆっくり、
ゆっくり歩いていきました。とはいえ、まだまだ足は丈夫そうでした。お母さ
んの身長は、1メータちょっと。
高齢で腰が曲がっているせいもあるでしょうが、ずいぶん小さいお母さんでし
た。息子さんは180センチくらいの長身。
私は、ふと思ったのです。50年前、二人が並んで歩いたとき、今とは正反対
で、息子はいつもお母さんを見上げていたんだろうな、って。それが、今はお
母さんが息子さんをはるか上の方に見上げている。
お母さんが、「坊や、脇見をしないで歩きなさい。」と言いながら手をひいて
歩いていたでしょうが、今は、「母さん、足下に気をつけて。」と言われなが
ら、手をひかれて歩いている。
新年早々、微笑まし親子をみかけたので今年はなんだかいいことがありそう。