このページでは、私が見て、聞いて、食べて思い出したことを紹介したいと思います。
子供の頃の思い出、大人になってからの思い出や経験など、短い作文を書いてみました。
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今日で今月も終わり。チェチリアの方も、この夏の大きな仕事の
一つが終わった。ヤレヤレ。だけど、次に控えている仕事もある
けど・・・。
毎朝、出かける時、見かけるもの。それは、近所の小学生がグル
ープで、学校のプールへ行く行列。チェチリアも小学校の時、同
じようにプールへ通いました。授業中と違って、時間内、好きな
ように泳げるから夏休みのプールは楽しかったです。でも、水辺
にハチが飛んできて、刺されないか心配でした。
そういえば、今日、都会の真ん中で塀の上にとまっているカラス
と目があって、恐かった。
チェチリアの家では、今、カサブランカが次々に開花中。切り
花にして、花瓶にさしています。毎日、昨日まで蕾だったのが
花びらを開く様は、元気を与えてくれます。
この花は、先日、自分へのプレゼントとして買ってきたました。
たくさん蕾がついていましたから、長く楽しめそうです。外は
暑いけど、だれもいない家で一人、花を眺めている時は、しば
しの静寂と清涼感を味わうことができます。
そんな意味で、満たされた日々を送っています。
昨日、駅で一人の中年男性を追いかけて改札を抜けようとした
女性がいました。雰囲気から、どうやら痴漢をした男性を追っ
て電車を降りたようでした。
追われていた男性は、ものすごい形相で改札を通り抜け、私の
隣にいた人の肩に強くぶつかって、そのまま逃走・・・。
”そんなに逃げるんだったら、どうして痴漢するの?”
と思うのですが、ああやって逃げ切りの成功すると、やり逃げ
得という感じがしました。
数年前から、痴漢行為を犯罪として罰するようになってから、
やってもいないのに、”やった!”と言われ、ぬれぎぬをきせ
られた男性もいるようですが、一方では、これだけマスコミで
取り上げられても、痴漢行為をしている男性もいるんですね。
チェチリアも、ちょうど去年の今頃、電車で痴漢にあいました。
でも、狭い箱にぐちゃぐちゃいっぱい入っているヘビみたいで、
どの手が誰の手なのかわからないくらい混んでいて、結局、犯
人を捕まえられなかった。悔しい・・・・。
チェチリアには、痴漢行為をする男性の気持ちがわからない。触
ってなんで嬉しいの?変だ!!!
一昨日、思いがけない人たちから、ステキな誕生日プレゼントを
もらいました。蒸し暑い中、4人でランチを食べに、予定してい
たレストランへ向かって歩いていたら、突然、二人が、
「先に行っていてください。後で、お店に向かいますから。」
と言って、いなくなったのです。
しばらく待っていると、遠くの方から、その二人が一生懸命走って
来るのが見えました。なんだか、大きな荷物を手に走っていました。
そして、
「チェチリアさん、これ!お誕生日、おめでとうございます。」
と言って、手渡された大きな花束。
きれいなピンク色の花で、私が好きな色でした。
誕生日のプレゼントで思い出すのは、学生時代、誕生日になると、
母が必ず宅急便で何かプレゼントを送ってくれたこと。ブローチだっ
たり、ペンダントだったり、靴だったり。
一度、宅急便で、バースデーケーキを送ってきたことがありましたが、
これは、ちょっと失敗。少し、壊れてた。でも、美味しかったです。
思いがけない場面で、自分の為に何かをしてもらうと、普通の何倍も
嬉しいものです。
今日、テレビでアメリカの日系人の収容所に関する番組を放送して
いました。途中から観たのですが、日系人といわれる人たちの中で、
チェチリアが一番先に思い浮かべるのは、インドネシアの日系人。
特に、第二次世界大戦前、民間人として貿易など、仕事の関係で、
インドネシアに住んでいた日本人たち。ジャワに限らず、オーストラ
リアに近い東南マルク地方にさえ、日本人村のようなコミュニティー
があって、日本製品を中心とした雑貨商が多く住んでいたといいます。
以前、マルク生まれ、マルク育ちの現在も健在な80歳をこえるおばあ
ちゃんから、当時の様子を聞いたことがあります。
「日本人は、商売をしている人や、真珠貝の採取などで生計をたてて
いる人が多かった。私たちも、子供のころは、よく、”キイちゃん”
という日本人のお姉さんのような人と親しく遊んだもの。いつも不
思議だな。。。でも、これが日本の習慣なんだ、と思って眺めてい
たのは、お風呂。大きな樽のようなものに、お湯をわかして、その
中に入るの。みんなで入るんだよ。日本人は、ここにも中国人学校
があったのに、子供が小学校に入る頃にはると、子供を日本に返す
の。やがて、戦争が始まる気配を感じると、みんな日本に帰ってし
まった。だけど、当時の人たちがつくった日本人のお墓は、まだ残
っているよ。・・・・・・・・・・・・・」
戦前の日本人との思い出話を語り始めると、終わりなく、次々に色
々なことを思い出すおばあちゃんの話は、聞く方も、彼女が過ごし
た古き良き時代を想像させるものです。
もしも、チェチリアが、おばあちゃんになって思い出話を語る時、
どんな話をするのでしょう。そう考えると、一日一日を精一杯生き
ないといけないな・・・と思います。