このページでは、私が見て、聞いて、食べて思い出したことを紹
介したいと思います。子供の頃の思い出、大人になってからの思
い出や経験など、短い作文を書いてみました。
2000年10月27日(金)
昼御飯を食べに行った食堂で珍事件発生。入口の自動ドアが開か
ないのです。よくあるタッチをしたら開く自動ドアですが、いく
らタッチしても開かないのです。「あれ?あれ?」と何度もタッ
チしていたら、OLの方が来たので私は、「開かないわ。」と言っ
たら、「え〜?あれ?あれ?」と同じことをしていたのです。私
は一瞬思ったのです。「これってドキッキリカメラだったらどう
しよう?」って。そして、それをOLの方に言ったら、「え〜〜〜。
イヤですよねぇ。」と、お互いの顔を見合わせて笑いながら、相も
変わらず、「あれ?あれ?どうして?あれ?」とやっていたら、中
で食べている若い男性が私たちに気づいて、入口へ向かってやって
きたのです。
彼は中からタッチしたのですが、同じように、「あれ?うぉ?あ”〜。」
とか言っているのです。ようやく店員さんが気づき、開けてくれまし
た。
私は自動ドアにはただならぬ思い出があるのです。友達と喫茶店でお茶
を飲んだ帰り、自動ドアに挟まれて、とても痛い思いをしたのです。何
かにぶつかったら、ドアが開くというようになっていないので、「あ〜
〜〜。」といっているうちに、ミシミシ締め付けてくるのです。ホント
に痛いです。
それと、仲がよいおじさんがやっているケーキやさんでの事件。そのお
じさんはとてもきれい好きでお店のガラスは、本当にガラスが入ってい
ないような透明さに磨いているのです。夏の暑い日、目が悪い私は、て
っきりドアが開いているものとばかり思って、思いっきりガラスに向か
って体当たり。かなり強く鼻を打って、涙ポロリ。
以来、いまだに、自動ドアが恐い私です。
2000年10月26日(木)
私は子供の頃、卵アレルギーがあって、好きなのに食べられない時期が
ありました。でも、成長とともに卵アレルギーがなくなり、食べても大
丈夫になりました。私は卵料理が大好きです。ゆで卵、目玉焼き、卵焼
き、オムレツ、オムライス、茶碗蒸し、プリン、卵を使った物は何でも
好きです。
この頃、私はオムライスにハマっています。コンビニで買ってきてチン
したり、自分で作ってみたり。食べ比べ?を楽しんでいます。今日の夕
飯も、当然オムライス。買いおきの野菜がなかったので、塩・胡椒とケ
チャップの炒めご飯を卵で包んだだけのオムレツですが、味は五重花マ
ル!!!本当は、タマネギのみじん切りや、鳥肉などを具にしたケチャ
ップご飯で作った方が、私としては豪華な?オムレツですが、今夜の具
なしご飯でも、美味しかったです。こんな子供じみたことをしては、一
人楽しんでいる今日この頃。秘密の私のレシピ、知りたい方は”今日
発見したこと・感動したこと”のページでご覧下さい。
2000年10月24日(火)
今夜、友人がこの秋にバリ島へ旅行した時の話を聞きました。お勤め
をしているので、限られた時間での旅行だったようですが、充実した
旅だったようです。ただ、初めがちょっと、いや、かなり悲惨だった
ようです。
出発当日、順調に成田を発ってグアム経由でデンパサール(バリ島)
行きのはずだったのですが、グアムでトランジットしてデンパサール
までの便が9名のオーバーブッキングだったそうです。しかも、その
航空会社のスタッフは謝るわけでもなく、”こんなのいつものこと”
といった感じで対応していたらしいのです。9名は”その夜グアムの
ヒルトンホテルに部屋をとってもらい”、まではよかったのですが、
なんとその日の夜中、3時にチェックアウトして、一旦成田に戻って
JALでデンパサール行きに乗り換えて、デンパサール入りするよう言
われたそうです。おとなしい私の友人ゆえ、抗議したとはいえ、いた
って穏やかに抗議したのでしょう。
結局、朝、成田を出て、その日の夜中に成田に戻って、1時間後にま
た成田からデンパサールへ出発。せっかくの貴重な時間が無駄になっ
てしまったのが残念(ちなみに、そのエアーラインはインドネシアの
ではありません)。
私も20歳の時、インドネシアへ行くのに、オーバーブッキング事件を
経験しました。成田で普通にチェックインしたのに、なんと私のシー
トが飛行機にないのです。降ろされそうになって、私はアタマにきて、
さんざん乗務員に文句を言ったら、たった一つシートがあったのです。
でも、さらにアタマにきたのは、「そこにでも座ってください。」とい
う対応。そして、なんとその飛行機はデンパサール経由、ジャカルタ行
きなのに、勝手に?機種変更していたらしく、しかも、エンジンの調子
が悪いだとかで、マニラで止まってしまったのです。”何、これ?”と、
怒りと不安が入り交じる中、予定を大幅に遅れてデンパサールに到着。
日本人は、”とりあえず謝っておこう”ということが、日常的にあるの
ですが、そのそのエアーラインの場合、国民性がおおらかである反面、
謝る文化がほとんどない!その時も、「ないものはないんだから、私た
ちにどうしろっていうの?」といった態度で、ビックリ。
他にも飛行機に関するトラブルを経験したことがありますが、ああ言う
場合、大袈裟にわめいたり、ごねたり、強く抗議した人の”勝ち!”と
いう経験がありますが、どうでしょう。。。
2000年10月23日(月)
仕事先から一旦帰宅して、次の準備をしていたら近所で救急車の騒々
しい音が響いていました。いつものことだ、と思っていたら、その救
急車はわが家の建物内の病人を運ぶ為に出動してきた救急車だったよ
うです。なぜか消防車も一緒に来ていました。
私は今まで2度、救急車に乗ったことがあります。一度目はインドネ
シアで、二度目は東京で。初めて乗ったインドネシアの救急車は、ある
組織の視察団でインドネシアに派遣されてジャカルタに滞在していた時
でした。
いつも使っている車がその日は手配できなかったのか、故障したのかで、
使えなくなったらしいのです。でも、スケジュールを先のばしにできな
いので、インドネシア側は”救急車”を使うというとんでもない究極の
決断をしたのです。緑色の車に赤い十字の印がしてあって、屋根には当
然、赤いランプ付き。おかしいでしょう、乗っている人が15人以上で、
みんな元気いっぱい。さすがにサイレンはならさずに走ったけど、「こ
れってあり?」と思いました。
二度目は、病人が発生して乗ったのです。チアノーゼになってしまい、救
急車を呼んで、ピーポーピーポーと猛スピードで大学病院へ。病人は状況
がわからなかったでしょうが、正常な私は、車内から外が全く見えない
(救急車の中は外から見えないでしょう)箱の中にいる状態で、右に左に
揺られているうちに、乗り物酔いをしてしまったのです。付添人が具合が
悪くなってしまったのです。でも、そんなのお構いなしに救急車は一刻を
あらそうそうに大学病院目指して走る、走る。
着いた時、私は青ざめていました。一体誰が病人?といった変は絵になっ
てしまいました。
2000年10月21日(土)
友人が夏休みに作った益子焼のコーヒーカップがわが家に嫁入り?婿入り?し
ました。何点か作って焼いた作品のなかから、「もしよかったら、どれか一つ
どうぞ。」と言われ、遠慮なくいただいてしまいました。
早速、そのカップでコーヒーを飲んでみました。いつもの豆と水でいれたコー
ヒーですが、味は格別でした。きっと作者がわかっているカップで、作った人
の丁寧な仕事ぶりが伝わってくるからでしょうか。写真では、実際の色合いが
性格に伝えられないのが残念です。
手作りの良さは、作った人の気持ちを感じられることですよね。亡くなった母
は洋裁が得意でしたので、私の着るものは何でも母が縫っていました。時には、
母とペアのワンピースやスカートを着たりもしました。当時は、「地味な柄だ
なぁ」と不満だったのですが、今はそれが、どんなに心がこもっていて贅沢な
ことだったのか、と思っています。
私も9月の終わりに益子焼に挑戦しました。作品はおよそ2ヶ月後に郵送されて
くることになっています。友人の作品をみて、自分の作品の仕上がりはどんな
ふうかな?と楽しみでたまりません。
2000年10月18日(水)
今日は風が吹いて、特に夕方は寒いな、と感じました。午後に久しぶり
に会った方が、「先週、日光で紅葉をみてきました。とってもきれいで
した。」と言っていました。紅葉シーズンですね。
東京は秋を長く楽しめるような気がします。北国で育った私は、秋があ
っと言う間に過ぎて、長い冬を迎えるという生活でしたから、東京は秋
が長くていいなあといつも思っています。
子供の頃、秋になると落ち葉拾いに出かけては、黄色や赤に色づいた葉
っぱを探して持ち帰っては、白い画用紙に糊で貼り付けて遊びました。
銀杏の葉っぱはかたちが面白くて、たくさんたくさん集めたのを思い出
しました。ところが、私は銀杏にアレルギーがあったらしく、帰宅する
と顔が真っ赤に腫れて、手も痒いのです。以来、銀杏の木の下を通るの
がちょっと恐くなったのを思い出しました。今は、触らないかぎり大丈
夫のようです。
2000年10月16日(月)
仕事が午前中で終わったので、帰宅して昼食をとった後、天気がよいので
洗濯をしました。友達に、「チェチリア=洗濯、というイメージがある」
と言われたことがあります。たまたま、その人が電話をかけてくる時に限
って洗濯していたり、干していたり、アイロンをかけていたりということ
が重なって、そんなイメージをもっているのでしょう。
みなさん、覚えてますか?”お母さん”の童謡。♪ おか〜あさん、な〜
あに?おか〜あさんていいにおい、洗濯しているにおいでしょ、しゃぼん
の泡のにおいでしょ。♪ という歌。
母は専業主婦だったから、いつも、洗濯や掃除やご飯の支度など、座って休
むことなく一日中、何かしら仕事をしていました。世界中で、”お母さん”
という言葉ほど、様々な思いを込めて使われる単語ってないでしょうね。
2000年10月14日(土)
久しぶりに大学時代のクラスメイトが集まって食事会をしました。2、3
ヶ月に一度の割合で会っている仲間ですから、”懐かしい”という感じは
しないのですが、でもお互いの顔を見ると、やっぱりほっとする仲間です。
そのうちの一人が、「今夜、チェチリアは自然体で、元気そうだから安心
した。」と言ったのです。私は、「え?そう。でも、どうして?」と聞く
と、数年前に集まった時は何だか壊れそうな表情をしていて、とても気を
遣いながら食事した記憶があるし、その後も何だか疲れているようで、悩
んでもいるような感じがしたけど、今日は明るくなって、学生時代の元気
印のチェチリアに戻ったみたいだ、と言うのです。
すると別の仲間が、「あの頃は、確か修論の真っ最中で、教官にいじめら
れて悩んでヘルペスになったり、その後は、仕事の忙しさに疲れ、そうこ
うしていたら今度はNGO活動の人間関係に疲れて、と悩みの連続だったか
らなぁ。」と、ここ数年からごく最近までの私の状況を話し始めました。
”疲れた”とか、”傷ついた”とか話した時は、その仲間は特別な慰めの
言葉をかけてくれたわけではなく、ただ黙って聞いているだけでした。で
も、今夜、驚いたのは、その時は何も言わなかったけど、仲間たちがさり
げない私のしぐさや表情から、私の気持ちを読みとっていたこと。
クラスに女子学生がいなかったから、私は大事にされていた方だとは思っ
ていましたが、卒業後、それぞれの道を歩んでも、お互いに心配しあった
り、励ましあったりできる仲間がいるというのは、本当に心強いものだと
思いました。
2000年10月13日(金)
今日、50代の小学校教諭の知人と話をする機会がありました。その方は
子供の頃、音楽大嫌いだったそうです。理由は、音楽の先生が熱心過ぎて、
歌の練習でChorubungen(コールユーブンゲン:正しくはuの上に"です)を
徹底的に指導したから、というのです。移動ドで、急に指されてもできな
いから、音楽の時間はいつもビクビクしていた、というのです。
ところが、中学に入り、音楽の先生にNHKの合唱コンクールの男声パート
を頼まれ、嫌々ながらに練習し、コンクールに出てみたら県大会まで進み、
結果は銀賞だったことが大きな励みになったそうで、以来、音楽大好き人
間になった、というのです。
ここまでは、よくある”嫌いを克服”した普通の話。
この方は、大嫌いでしかたなかった小学校時代の音楽の先生にある恩返しを
しているというのです。それは、小学校4年生の時、自分が書いた”土筆”
という詩に、その音楽の先生が作曲してくれて、学級歌としてみんなで歌っ
たことに感動し、同じ感動を子供に伝えることがその先生への恩返しだと思
い、教員になって以来、自分も同じように子供に詩を書かせては、作曲して
学級歌にしているというのです。
音楽とこの方の関わりは、大学時代でさらに深いものになったと言います。
4年間の寮生活は音楽を切り離しては語れないと言った感じでした。朝夕には
礼拝があり2〜3曲の賛美歌を、朝夕の食事は寮で全員一緒に食べることにな
っていて、食堂の席に着くまで寮生達は賛美歌を、他にも日課の中に歌う機
会があり、ゆうに一日13〜14曲は歌ったというのです。当時から(今でも続
いているようですが:実は意外と有名)、全学で第九を歌う伝統があり、歌い
上げた瞬間の感動が忘れられないとか。。。
生活が音楽とともにある4年間を過ごし、卒業後、なんだか調子が狂うなぁと
思ったのは、歌う機会が激減したことだとおっしゃっていました。
歌は誰もが世界でただ一つの、自分だけの楽器で演奏する音楽です。音楽大好
き人間の私にとっても、歌は他のどんな楽器による演奏よりも魅力的なもので
す。この先生の話を聞きながら、まわりに音楽が嫌い、とか苦手という友達が
多い私は、なんだか同じ思いを共有できた感じがして、とても嬉しかったです。
そして、自分の感動をさりげなく次の世代に伝えていく働きも素晴らしいなあ
と思いました。
2000年10月12日(木)
友達とどんな食べ物が好きか、という話をしていて笑われてしまいました。
そもそも、魚類では何が好きか?と話していたら、友達は、「今だったら秋
刀魚が美味しいかな。」とか、「鰹なんかも好きだよ。」と言い、私は、
「秋刀魚のにぎり(お寿司)って美味しいよ。」と言うと、「え?秋刀魚も
握るの?」と珍しそうに言っていところまでは普通の会話。
続けてその人は、「なまりも美味しいよ。好きだな。」と言ったので、私は、
「どうやって食べるの?」と聞くと、「ご飯と。」と答えたので、ビックリし
ました。私は、”なまり”は魚の血合いの部分を茹でて、犬とか猫の餌用に売
っているものとばかり思っていました。それを、「ご飯と一緒に食べる」と聞
き、「え?あれ?ん???」と思ったのです。今まで、なまりは買ったことが
なかったし、誰かに聞いたこともありませんでした。その友達に、「なまりは
食べるんだよ。」と言われ、笑われてしまったのですが、大勢いるところで恥
をかかなくてよかった、とほっとしました。
よく、母親が嫌いなものはその家族全員が食べる機会がない、と言われますよね。
考えてみると、母がなまりを買ってきたのを見たことがないです。母も同じよう
に、なまりを餌にすると思っているのかな?あとで、それとなくチェックしてみ
よっと。ところで、”なまり”って、何の魚?
2000年10月11日(水)
昨日と今日、仕事でインドネシアの大衆音楽のDangdut(ダンドゥッ:
インドの影響を受けているというインドネシアのド演歌)を聞きました。
そして、私は異変に気づいたのです。
インドネシアに関わり始めたばかりの頃、私はこのDangdutがあまり好
きじゃなかったのです。というのは、この音楽にあわせて、インドネシ
ア人たちは体をクネクネ柔らかくして踊るのです。そして、そこに私が
居ようものなら、踊りの輪に引きずり込まれて、嫌々ながらに踊ってい
ました。
ところが、今はこの曲に条件反射するかのように、自分でクニュクニュ
動いて曲のリズムを楽しんでいるのです。環境は恐い!
2000年10月10日(火)
今日は、本当の”体育の日”ですよね。ずっと、10月10日は体育の日
でお休みだったから、なんだか変な感じがします(その分、昨日お休み
しているのにね)。日本は四季折々にそれに相応しい行事があるのが好
きです。秋は、スポーツもできるし(でも、チェチリアは運動がだいの
苦手!)、芸術を楽しむこともできるし(これは大好き。特に音楽とか、
書道の作品なんかをみると心が和みます)、あるいは、食を楽しんだり
(これはチェチリアにとって重要なポイント!)。
私は小学1年生から書道を習い始めました。今は筆なんかとる時間もなく、
「ホントに習ってたの?」と疑われそう。でも、チェチリアのささやかな
自慢は、とりあえず段をもってること。
夏や冬のお稽古は、暑かったり寒かったりでイヤだなと思いながら通って
いましたが、春と秋はお稽古がたのしみでした。だって、先生のお宅はお
庭が広くて、たくさんの花が咲いているからです。春は、それらの花が咲
き始めるのを、そして秋は、キンモクセイの香りが漂ってくる中でのお稽
古。
はっきり覚えていないのですが、ある秋の日のお稽古の時、”ふんわり”
何かの香りがしてきたのです。それで私は、「先生、空気が秋の匂いを運
んでくるよ。」と言ったら、「文学少女は違うね。」と冷やかされてしま
いました。子供ながらに、春は春の、秋は秋の匂いがする、と思ったのです。
みなさんは、秋はどんな香りがすると思いますか?
2000年10月8日(日)
みなさんにとって、特別な曲って何ですか?私はいろいろありますが、
中でもセンスの”Flying”を聴くと涙がでるのです。この曲は、数
年前にテレビドラマの”ミセス シンデレラ”というのに使われてい
た曲です。
どういう訳かこの曲を聴くと悲しいわけでもないのに、泣きたい気分に
なるのです。知らないうちに蓄積していた心の傷とか、辛かったことが、
この曲のメロディーによってどんどん吸い出されていくような感じかな?
この曲で、自分でもよく分からない不思議な瞬間を体験するのです。
音楽と言えば、私はフォスターの曲や、日本歌曲を聴いたり、また自分で
歌ったりする度に母を思い出します。小さい頃、母はよく子守歌にフォス
ターの曲や、日本歌曲を歌ってくれました。自分では難しくて歌えないけ
ど、「この道」は、聴くたびに母が添い寝してくれたことを思い出しま
す。
2000年10月7日(土)
夕べから、私にも風邪の症状が。今朝起きると喉が痛いし、熱ぽいし、関節も
痛いです。布団の中でゴロゴロしながら、去年、大風邪をひいた時の薬のこと
を思い出しました。
去年の春先に大風邪をひいてしまい、治らないまま2週間、中国の海南島へ出か
けたのです。日本がまだ寒いのに、海南島は平均気温がおよそ30度くらい。極
端な気温の変化と、飛行機を乗り継いでの長旅。海南島では、ほとんどベットの
上でした。その時、日本から持っていった薬では症状の緩和などできない状態に
なってしまい、一緒に行った台湾人の奥さんから漢方薬をもらって飲んだのです。
特に、熱と咳がひどかったので、その奥さんは、「この薬、よく効く。ハイ。私、
いつも、咳、これ飲んで。ハイ。」と、親切にしてくれたので、わらにもすがる思
いで、その粉薬を飲んだのです(一回の量がすごく多かった)。
すると、喘息のような咳が出ていたにも関わらず、その薬を飲むと咳がたちどころ
にきえるのです。一日3回飲むように言われ飲んでいましたが、異変に気づいたの
です。確かに咳は全く出なくなるのですが、そのかわり、目が見えなくなってくる
のです。かすみ目というのか、視力が低下していくのです。
恐くなって、2日目から飲むのを止めました。
その後、なんとかかんとか香港まで戻りました。香港に住んでいるおじが、「海南
島に行く前から咳をしてたけど、まだしてる。これを飲んだらよく効くよ。」と、ま
たまた漢方薬の咳止めを出してきたのです。でも、今度は錠剤でした。ところが飲ん
でも咳は全然止まらないのです。喘息持ちの人が、風邪で咳がひどくなると、何をし
てもダメな感じで辛いのです。
すると、「喘息の人はツバメの巣を食べると、咳が止まるといわれるから、ツバメの
巣を食べてみる?うちの娘もそれで喘息が治ったから、チェチリアもきっと喘息が治
ると思うよ。」と、今度はツバメの巣の効能を説明してくれました(でも、内容はあ
まりよく覚えていません)。
帰国後、すぐにかかりつけのお医者さんに診てもらいました。そして、あの漢方の咳
止め薬のことを話したのです。すると、「あ!それねぇ〜。中国や台湾では日本の処
方量より多く処方するのと、あまりひどい咳には、麻薬のようなものを使うから、そ
れが多すぎて目に影響がでるってことはよくあるよ。止めて正解!パトパチ!」とお
っしゃったのです。外国で病気になると不安だから、どうにかしてよくなりたいとは
思うけど、薬ってやっぱり恐いな、と思いました。
2000年10月4日(水)
数日前、友達が汗をかいたまま冷えたら風邪をひいてしまったと言っ
ていました。私も以前、夏の大雨に濡れてその後、電車の冷房で30分
ほど冷やされたら、しっかり風邪をひいてしまい、寝込んだことを思
い出しました。
風邪といえば、みなさんはインドネシアのような常夏の国では縁のな
い病気だと思っていませんか?インドネシアは年中気温が高く、熱帯
の気候ですが、季節の変わり目(雨期と乾季しかありませんが)に風
邪をひきやすいのです。インドネシア人は、風邪をひくことを"kena
flu"とか、"kena influensa"というのですが、日本のインフルエンザ
とは違って、いわゆる風邪の症状一般を意味するようです。何年か前に、
ジャカルタで私は風邪をひいてしまい、高熱が3日ほど続いたのです。
医者である姉は私がアレルギー体質であることを知っていたので、あれ
これ薬を処方することを躊躇し、初めのうちは漢方薬を飲まされていた
のですが、症状に改善がみられるどころか、日々、悪化の一途をたどっ
たのです。ほぼ40度ほどの熱が続き、衰弱する私をみて、「ちょっと恐
いけど、この抗生剤を使ってみようか。」と言って飲まされた薬の効くこ
と。急に熱が下がって体が楽になりました。3日間飲み続け、帰国する時
は元気になりました。外国で病気になるととても不安になりますが、薬が
あわなくて、かえって病状を悪化させる心配もある場合は、本当に「お母
さん、助けて〜」と叫びたくなりますよね。