今日思い出したこと

このページでは、私が見て、聞いて、食べて思い出したことを紹介したいと思います。

子供の頃の思い出、大人になってからの思い出や経験など、短い作文を書いてみました。

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2002年9月26日(水)

  熊出没のニュースを見て思い出しました。

  子供の頃、秋の山菜採りの時期になると、狐に騙されて山野を何日も

  歩かされ続けて、疲れ切った姿で発見された、という話しを聞いたこ

  とがあります。

  狐に騙されて・・・というのは、どういう状況で起こるのかな?と今

  も変わらず不思議な感じです。


2002年9月25日(水)

  夕方、外出して一組の親子を見かけました。横断歩道の信号が赤になり

  そうな時、自転車に乗った母親は、急いで横断。小学校2年生くらいの

  女の子は、横断できずに取り残されてしまったのです。

  「お母さん!おか〜〜〜〜さ〜〜〜ん!」

  と、母親を呼ぶのですが、母親は降り向くことなくスイスイ行ってしま

  ったのです。

  信号が青になるまでの間、その少女は信号機と、遠くへ行ってしまった

  母親の姿を目で追っていました。信号が青になると、少女は急いで走っ

  て母親のあとを追っていきました。

  「あのお母さん、もし、子供が無理な横断をして事故になったら?とは

   考えなかったのかな?」

  と、同じ大人として疑問に思いました。

  チェチリアの母は、先に渡ってしまっても、必ずそこで待っていてくれ

  たのに。。。

 


2002年9月23日(月)

   昨日、メールで農村の秋の風景を送ってくれた人がいました。刈り取

   った稲を田圃で天日乾燥している写真です。子供の頃によく見かけた

   風景ですが、都会では目にすることがありません。

   何年か前に、田舎で畑に置かれている巨大なボールを目撃。

   ”一体これは何だろう?”

   と思い、父に聞いてみても、

   「あ〜、あれね。。。何だろうね?よく転がってるけど・・・。」

   と、父もわからないようでした。

   ある時、祖母の隣で酪農をしている農家へ遊びに行った時、牛舎の前に、

   あの巨大ボールが鎮座?していました。お兄さんに聞いてみると、それ

   は牛に食べさせる干し草だということが判明。

   「干し草?だって、昔はよく秋になると、とうもろこしを機械で細かく

    切って、サイロに詰めていたじゃない?」

   と言うと、

   「今は飼料を栽培するよりも、この干し草の方が手間がかからないから。」

   と言われました。

   日本の農業も、季節ごとの作業や風景が時代とともに変化しているんだなあ

   と思いました。


2002年9月20日(金)

    いつものように、パパイヤの皮をむきながら、ふと思い出しました。

    10年くらい前、チェチリアはパパイヤから抽出した酵素を配合したと

    いう洗顔石鹸を買いました。

    肌が白くなるというその石鹸で、さっそく顔を洗ってみることにしま

    した。

    パウダー状のその石鹸は、手のひらにティースプン1杯分くらいとって、

    ”よく泡立てて使うように”と説明が書かれてありました。お風呂に入

    りながらの洗顔で、よく泡立てようと思ったのですが、なんだかうまく

    泡立たず、絵の具をチューブから出したような感じになりました。

    その時、止めておけばよかったのに、チェチリアはそのドロッとした石

    鹸を顔にこすりつけたものだから、さあ大変。

    ”ギャァ〜〜〜!熱い!!!!”

    左右の頬骨の部分と鼻にヤケドをしました。

    ヒリヒリ、チリチリするので、翌日、皮膚科へ行きました。事の顛末を

    お医者さんに話すと、

    「どれ???あ”〜〜〜、気づかないかもしれないけど、ここもヤケド

     してるよ。」

    と、いなばの白兎のような顔のヤケドをさして、説明し始めました。念

    のために、と思って持っていった問題の石鹸を出すと、そのお医者さんは、

    大きな声で石鹸の商品名を読み上げて、カルテに書き込みました。

    他の患者さんにも聞こえるような声でしたので、とても恥ずかしかったです。

    きれいになるためにと、浅はかだった自分の美人になりたい願望を大後悔し

    た瞬間でした。


2002年9月18日(水)

    今日はようやく晴れました。小学校の頃、春と秋は天気を特に心配する

    季節でした。それは、遠足があるからです。雨でも遠足は決行ですが、

    お弁当を持って行って、シートを敷いて座って食べるのが楽しいのに、

    雨だったらバスの中。ですから、天気になって欲しいと、テルテル坊主

    なんかをつるしたものです。

    ”遠足”について、友達がこんな話をしていました。

    チェチリアよりも、だいぶだいぶ人生の先輩であるその友達は、小学校

    の時、民宿でお泊まり会があると、各自でお米を持っていかなければな

    らなかった、というのです。

    それを聞いて、おばあちゃんから聞いたことがある外食券を思い出しま

    した。今は物がありすぎて、何をどうしていいのか困る程豊かに見える

    日本ですが、むかし、むかしの日本は、大変な時代を経験していたんだ

    な・・・と、思いました。

    つい自分のやり方に合わないと、

    「それって年寄りくさい〜〜〜。」

    と言って、便利さだけを優先する日頃のチェチリアの無駄遣いを考えさ

    せられます。


2002年9月16日(月)

    今日、友達と給食の話をしました。みんな別々の地域で育ったので

    すが、似たりよったりの給食を食べていたことを知りました。チェチ

    リアの学校は、給食センターが複数校の給食をまとめて作って、昼ま

    でに各校に搬送するシステムでした。

    告白!チェチリアは、給食が嫌いでした。理由は、母が、

    「給食ほど、汚いものはありません!」

    と言ったのが心に残って、食べるたびに、

    「このカレーには一体、何が入っているんだろう?原形をとどめていな

     い。怪しい・・・。」

    こんな調子でしたから、何を食べても美味しいとは思いませんでした。

    母が、どういう理由で”汚い”といったのか未だにわかりません。よく

    考えると、一生懸命作って下さった給食センターのみなさんには、大変

    失礼な発言ですよね。

    話の中で、友達も給食が嫌いだったことを知りました。最近は、何十年

    も前の給食とは違って、かなり工夫されて、美味しい給食らしいです。


2002年9月14日(土)

    明日は敬老の日。先日、母が電話で敬老会のことを話していました。

    参加できる年齢が引き上げられたとか。

    参加するには、まだまだ”若い”私の母ですから、他人事のように話

    していましたが・・・。

    私は、敬老の日といって、何かをプレゼントした記憶がないのですが、

    以前、温泉旅行をプレゼントしたら、大喜びで出かけていったようで

    した。

    今年、チェチリアは大爆笑!の体験をしました。それは母の日のこと

    でした。名古屋に住む留学生が、母の日のグリーティングメールを送

    ってきました。

    「お母さん、ありがとう。」

    と書かれてありました。一瞬、

    ”誰のこと?”

    と思いましたが、間違いなく、私宛の名前が書かれてあり、

    ”わ〜、私が25、6の息子の母?キャ〜〜〜!”

    と大爆笑。

    でも、後で考えてみたら、彼の国では、自分を心にとめてお世話してく

    れる人を慕って、母のようだ、という人が多いのです。あのカードは、

    親しみをこめた一通だったのだ、と思いました。

 


2002年9月11日(水)

    今日の昼、友達と待ち合わせをして、彼女のお気に入りのフレンチ・イ

    タリアンレストランでランチをいただきました。美味しかったです。

    そのレストランで、面白い光景を目にしました。

    食事を終えた一組のカップルが、レジの前で日本人シェフと話をし始め

    ました。話の感じから、どうやらその男性は、スイス人でフランス語を

    話していました。シェフもフランス語で話すのですが、どうもうまく通

    じないようで、その男性と食事をしていた日本人とスイス人のハーフの

    女性が、シェフのフランス語を別の言い方になおして、男性にフランス

    語で通訳し始めたのです。

    ”フランス語をフランス語に訳す・・・???”

    それでも、シェフはフランス語を話し続けたのです。

    言葉は、こうして上達するものなんだ、と思いました。

    二つの異なる言葉を使って生活しているチェチリアは、この光景を見て、

    そういえば、今よりまだインドネシア語が話せなかった頃の自分を思い出

    しました。

    日本人にしか通じないインドネシア語、韓国人にしか通じないインドネシ

    ア語などで、インドネシア人の先生を困惑させた授業の思い出が、よみが

    えってきた瞬間でした。


2002年9月10日(火)

     雷がなって雨が降ったら、涼しくなりました。残暑から解放されて、

     秋らしい気温。チェチリアは、雷の音も恐いですが、それよりもっと

     恐い音があります。それは、薬剤散布をする時の機械の音。

     ”ブゥ〜〜〜ン!グゥイ〜〜〜ン、グゥイ〜〜〜ン、グゥイ〜〜〜ン!”

     という音が恐いのです。子供の頃、定期的に家の周辺に薬剤散布する人

     がまわってきて薬をまくのですが、イタズラっこだったチェチリアに、

     母がよく、

     「いうことを聞かないと、薬剤散布のおじさんに薬をかけられてしまうよ!」

     と言っているそばで、

     ”ブゥ〜〜〜ン!グゥイ〜〜〜ン、グゥイ〜〜〜ン、グゥイ〜〜〜ン!”

     と音がするので恐さも倍増。

     いまだにその音を聞くと、ぞ〜〜〜っとします。

     先日、仕事先で部屋の中から庭の手入れの様子を見ていると、

     急に薬を噴霧する

     ”ブゥ〜〜〜ン!グゥイ〜〜〜ン、グゥイ〜〜〜ン、グゥイ〜〜〜ン!”

     が聞こえてきて、恐かったです。でも、こんなこと、そこにいた人には言え

     なかった・・・。