香川景樹 かがわかげき 明和五〜天保十四(1768-1843) 号:桂園・梅月堂ほか

明和五年四月十日、鳥取藩士荒井小三次の次男として生まれる。幼名は銀之助。安永三年(1774)頃、父を亡くして伯父奥村定賢の養子となり、名を純徳、通称真十郎と称す。藩士佐分利家の若党を勤めたあと、寛政五年(1793)二十六歳の時、妻を伴って京都に出、按摩などしつつ苦学する。
寛政八年(1796)、歌の師匠であった梅月堂香川景柄(かげもと)の養子となる。これに伴い香川家の主君、徳大寺家に出仕する。この頃小沢蘆庵の知遇を得、歌風の上で影響を受けた。また、享和元年(1801)には本居宣長との対面を果している。享和三年(1803)、従六位下長門介に叙任された。文化元年(1804)、香川家を離縁されて独立したが、引き続き香川姓を名のることは許された。岡崎に居を移し、自邸を東塢亭(とううてい)あるいは桂園(かつらその)と名づけ、以後安住の地とする。
万葉の古調にも伝統歌学にも拘泥しない斬新な景樹の歌は、江戸派の加藤千蔭村田春海らからも、冷泉家ほか和歌宗匠家からも激しい非難を浴びたが、熊谷直好木下幸文をはじめ、しだいに門弟や支持者を増やしていった。彼の率いる一派は桂園派と呼ばれ、晩年には門弟一千を数えるまでに成長する。そして明治時代に至るまで歌壇に大きな影響を与え続けることになるのである。
歌学の講義や著述にも精力を傾け、文化四年(1807)、百人一首を講じた(その筆録がのち『百首異見』となり、文政六年に刊行される)。翌年には古今集の講義を始める。文化八年、賀茂真淵の『新学』を反駁した『新学異見』の稿を完成(刊行は文化十二年)。
文政元年(1818)二月、江戸歌壇の制覇をめざして江戸に下るが、失望して年末に帰京。同六年、『土左日記異見』成る。天保元年(1830)、自撰家集『桂園一枝』刊行。同三年、『古今和歌集正義』完成。同十二年六月、特旨により従五位下に叙せられ、同年十月、肥後守に任ぜられる。同十四年(1843)三月二十七日、木屋町臨淵社において没す。七十六歳。聞名寺に葬られる。明治四十年(1907)、正五位を追贈された。
著書には上記のほか、景樹晩年の作を中心に『桂園一枝』に洩れた作を子の景恒が編集した家集『桂園一枝拾遺』(嘉永二年-1849-刊)、生前の教えを弟子の内山真弓が纏めた歌学書『歌学提要』(嘉永三年刊)、自作について説いた『桂園一枝講義』などがある。門人には上記のほか高橋残夢菅沼斐雄穂井田忠友柳原安子秋園古香・高畠式部・八田知紀などがいる。

「桂園一枝」「同拾遺」 和文和歌集下(日本名著全集)・近世和歌集(岩波日本古典文學大系93)・新編国歌大観9
『香川景樹』 兼清正徳著(吉川弘文館人物叢書)

『桂園一枝』『桂園一枝拾遺』より百首を抜萃した。末尾に[拾]を付したのが後者から選んだ歌であり、その他はすべて前者から選んだ歌である。
 
※註釈の付いていないテキストはこちら

  12首  5首  11首  7首  5首  20首 俳諧歌 9首
 事につき物にふれたる 31首 計100首

霞遠聳

大比叡やをひえのおくのさざなみの比良の高嶺ぞ霞みそめたる

【通釈】大比叡、そして小比叡の山々――そのさらに奧に聳える比良の高嶺が霞み始めたのだ。

【語釈】◇大比叡(おほひえ)やをひえ 大比叡山・小比叡山。比叡山の連峰を言う。◇さざなみの 比良にかかる枕詞。

【補記】享和元年(1801)、景樹三十四歳を迎えた正月の作。比良(ひら)の高嶺(たかね)は琵琶湖西岸、比叡山の北に続く山々。春先、「比良おろし」と呼ばれる寒風が吹き下ろす。その比良山も霞んでいることは、京の人々にとって春が来た何より確かな徴候となる。丈高い調べが初春を迎える高揚感を自ずから奏でている。

【参考歌】神楽のとりものの歌「続後撰集」
おほひえやをひえの杣に宮木ひきいづれのねぎかいはひそめけん

帰雁

はるばると霞める空をうちむれてきのふもけふも帰るかりがね

【通釈】遥か遠く、霞んだ空に群をなして、昨日も今日も故郷へと帰ってゆく雁よ。

【語釈】◇かりがね 雁(がん)の鳴き声、転じて雁そのものを指す。秋、日本列島に飛来し、春、北方(シベリア・カムチャッカ半島方面)へ帰って行く。

春月朧

おぼつかなおぼろおぼろと我妹子が垣根も見えぬ春の夜の月

【通釈】覚束ないよ。春の夜の月は朦朧として、愛しい人の家の垣根もはっきり見えない。

【語釈】◇おぼつかな ぼんやりしている・はっきりしない。朦朧とした月夜と共に、心の覚束なさをも言っている。◇我妹子(わぎもこ) 思い人。

【補記】春の朧月夜、恋人の家を訪ねようとする趣。初句切れ・体言止めは新古今風と言えるが、一首の調べはいかにも近世的である。

【主な派生歌】
天の原おぼろおぼろと春の夜の明くるにほひは霞なりけり(高橋残夢)

春鳥

山雀のつつく岡べのうつほ木のえだも一枝春めきにけり[拾]

【通釈】山雀(やまがら)が嘴で突ついている、岡のほとりの洞(うつ)ろの木――そんな木の枝も、一枝だけ春めいてきたのだ。

【語釈】◇山雀 スズメ目シジュウカラ科の小鳥。山林にすみ、昆虫などを食う。

【補記】「うつほ木」は幹の中が腐って空洞になった木。そんな木でも、春になれば虫を求めて山雀が飛んで来、若葉が萌える一枝もある。

春虫

大空にたはるる(てふ)の一つがひ目にもとまらずなりにけるかな[拾]

【通釈】大空に戯れつつ舞っていた蝶の一つがい――やがて高く舞い上がり、目にも留まらないほど遠くへ行ってしまったよ。

【補記】結びの「けるかな」は、助動詞「けり」詠嘆の助詞「かな」が付いたもの。瞬間的な印象や感懐を鮮明に表出しようとする景樹が頻用した語で、桂園調の代名詞とも言えるもの。景樹のみならず桂園派の歌人たちはこの語を多用したため、他派の歌人たちからは批判や揶揄の的とされた。「けるかなと香川の流れ汲む人のまたけるかなになりにけるかな」などという狂歌も伝わっている。因みにここに選んだ百首のうち「けるかな」で終わる歌は九首である。

林中桜

常みればくぬぎ交りの柞原春はさくらの林なりけり

【通釈】普段眺めれば櫟の交じった雑木林――それが、春は桜の林なのであったよ。

【語釈】◇柞原(ははそはら) 楢や櫟など、落葉樹の雑木林を大雑把にこう呼んだ。

河上花

大堰河かへらぬ水に影見えてことしもさける山桜かな

【通釈】大堰川、その再び帰ることなく流れる水に影を映して、今年も咲いた山桜であるよ。

【語釈】◇大堰河(おほゐがは) 大井川とも。京都嵐山の麓あたりを流れる桂川の称。

【補記】景樹の代表作として人口に膾炙した歌。「かへらぬ水」と「ことしもさける山桜」の対比に、やや理のまさった感もあるが、由緒ある歌枕を背景に、万葉の古歌(下記参考歌)を想起させつつ、深い余韻を湛えている。

【参考歌】厚見王「万葉集」巻八
かはづ鳴く甘南備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花

【主な派生歌】
久かたの天つ空吹く風の上にことしも咲ける山桜かな(*千種有功)

関花

逢坂の関の杉むらしげけれど木の間よりちる山桜かな

【通釈】逢坂の関の杉林は密に生い茂っているけれど、木の間を透して散るのが見える山桜の花よ。

【語釈】◇木(こ)の間よりちる (杉は密生しているが)そのわずかな隙間から(山桜の花びらの)散るのが見える。桜林は杉林の彼方に在る。

夕落花

梢ふく風も夕べはのどかにて数ふるばかりちる桜かな

【通釈】梢を吹き渡る風も夕方には静穏になって、数がかぞえられるほど僅かに散る桜の花であるなあ。

【参考歌】藤原俊成「千載集」
石ばしる水の白玉数見えて清滝川にすめる月影

清水寺の夜の花見にまかりてよめる

照る月のかげにてみれば山ざくら枝うごくなり今かちるらむ

【通釈】輝く月の光のもとで見ると、山桜の枝が動いているようだ。今にも散ってくるのだろうか。

【語釈】◇清水寺 京都東山。

燕来

語らはむ友にもあらぬ燕すら遠く来たるはうれしかりけり

【通釈】語り合う友でもない燕ですら、遠くからやって来るのは嬉しいことである。

【補記】論語の「朋あり遠方より来たる、亦た楽しからずや」を踏まえる。親燕は毎年同じ巣に戻って来ると言われている。

遅日

大空のおなじ所にかすみつつゆくとも見えぬ春の日の影

【通釈】大空の同じところで霞んだまま、動いてゆくとも見えない春の陽光よ。

【補記】定家の春の夜の月を詠んだ本歌を、春の太陽の光に移した。

【本歌】藤原定家「新古今集」
おほぞらは梅の匂にかすみつつくもりもはてぬ春の夜の月

夏雲

大空のみどりになびく白雲のまがはぬ夏になりにけるかな

【通釈】大空の紺碧に靡く白雲がくっきりと見える――紛れもない夏になったものであるよ。

【語釈】◇大空のみどりになびく みずみずしい青空に揺れ動く。◇白雲の ここまでは夏の景を写すとともに、「まがはぬ」(まぎれもない)を導く序となっている。

【補記】霞がかかったような春の空に対し、色彩・輪郭くきやかな夏の空を印象鮮明に歌う。文化十三年(1816)五月十日。

湊夕立

茜さす日はてりながら白菅の湊にかかる夕立の雨

【通釈】茜色に映える日は照っているものの、白菅(しらすげ)が生えた湊に降りかかる夕立の雨よ。

【語釈】◇茜さす 「日」にかかる枕詞であるが、文字通りの意を含む。白菅の白と対比させている。万葉集巻二に初二句の類句「茜さす日はてらせれど」がある。◇白菅(しらすげ)の湊(みなと) 白菅(白みがかったスゲ)の生えた湊。「湊」は船着場になる河口または入江の口。

【補記】文化四年(1807)六月の作。

夏浦夕

浦風は夕べ涼しくなりにけり海人の黒髪いまかほすらむ

【通釈】浦を吹く風は日中は暑かったが夕方涼しくなったなあ。海女(あま)の黒髪を今頃乾かしていることだろうか。

【補記】享和二年(1802)五月の作。

題しらず

大空に月はてりながら夏の夜はゆく道くらし物陰にして

【通釈】広々とした夜空に月は照っているけれども、夏の夜は歩いて行く道が暗く感じられる。物の陰になってしまって。

【鑑賞】「夏は、日も月も、眞上から直射して來る季節なので、月が中空になつてゐる場合には、物に遮られると、明るく照つてゐながら、蔭は不思議なほどに暗い。これは誰しも經驗してゐる事であるが、しかし歌には詠まれたものがなく、多分此の歌が初めてであらう。取材の新しさが魅力となつてゐる歌である。實景實情で、實情の方は、明るい、さわやかな調べであらはしてゐるといへる」(窪田空穂『江戸時代名歌評釋』)。

夏天象

山の端にすばるかがやく六月(みなづき)のこの夜はいたく更けにけらしな[拾]

【通釈】山の端に昴(すばる)が輝く六月の今夜はひどく更けてしまったらしいなあ。

【語釈】◇すばる 昴星。牡牛座にある散開星団。◇六月(みなづき) 旧暦では晩夏にあたる。

【補記】文化三年(1806)六月、粟田での作という。

水辺秋夕

鴫のゐる沢辺の水はすみにけり草かげみゆる秋の夕ぐれ[拾]

【通釈】鴫(しぎ)が下りている沢のほとりの水は澄んでいるのだった。草の影が映って見える、秋の夕暮よ。

【語釈】◇鴫(しぎ) チドリ目シギ科の鳥。夏から秋にかけて水辺に見られる。◇草かげ 沢辺の草が水面に映った影。

夕雁

山の端のとよはた雲にうちなびき夕日のうへをわたる雁がね

【通釈】山の端の雲は豊幡雲になって靡き、沈もうとする夕日よりも高いところも渡ってゆく雁よ。

【語釈】◇とよはた雲 豊旗雲。「豊」は美称、「旗雲」は旗(吹き流し)のように水平方向にたなびく雲であろう。

【補記】文政五年(1822)九月の作。作者五十五歳。

山路秋雨

雨にとくなりぬるものを鈴鹿山霧の降るのと思ひけるかな

【通釈】疾うに雨になっていたのに、鈴鹿山では、霧が降っているものとばかり思っていたなあ。

【語釈】◇鈴鹿山(すずかやま) 三重県鈴鹿郡の山。関所があったので、旅情が添う歌枕。◇霧の降るのと 霧が降っているものと。口語脈を用いる。同様の例に「夏の夜の月のかげなる桐の葉を落ちたるのかと思ひけるかな」などもある。

【補記】霧と思っていたのが、いつの間にか雨に変わっていたのである。文化十五年(1818)八月作。

月前松

松陰に立ちかくれても見つるかなあまりに月の隈しなければ

【通釈】松の木陰に立ち、隠れて眺めたよ。あまりに月が隈なく照っていたので。

【補記】隈(くま)なく照る月をいっそうよく賞美しようと、松の影に隠れた。「隈がない」ので「陰にかくれ」たという詞の面白さもある。

月照流水

行く水の末はさやかにあらはれて川上くらき月のかげかな

【通釈】流れ行く水の先の方はくっきりと目に見え、対して川上は暗い――月明かりのせいで、そう見えるのだ。

【補記】作者の立っている位置は川上に近い。そこは月が照らさずに暗く、川下の方だけ水流が月に輝いている。

月前旅情

今すめる月や都の空ならむ思ふ人みな見えわたるかな[拾]

【通釈】今こうして澄んでいる月は、都の空にあるのだろうか。懐かしく思う人みなの顔が、すっかり見えるよ。

【語釈】◇思ふ人 都に残して来た、懐かしく思う人々。◇みな見えわたるかな 京の人々の顔が、澄んだ月光のなかに想い浮かぶことを言う。

病にわづらひける年の十三夜に

あらざらむ後と思ひし長月のこよひの月も此の世にてみし

【通釈】死んだ後に巡り来るだろうと思っていた長月の今宵の月――それもこの世で出逢えたのだ。

【語釈】◇十三夜 九月十三夜。長寿を願ってこの夜菊酒を飲むなどした。

【本歌】和泉式部「後拾遺集」「百人一首」
あらざらむこの世のほかの思ひ出に今一たびの逢ふこともがな

月前虫

月てれる浅茅が上に影見えて羽きる虫の声さやかなり[拾]

【通釈】月が照っている浅茅の上に、その影が見えて――翅があって飛ぶ虫の声がさやかに聞こえる。

【語釈】◇浅茅(あさぢ) 丈の低いチガヤ。野原や荒れた庭などに生えているものとされた。◇羽きる 万葉集では「羽霧る」――鴨が羽ばたいて水しぶきを上げる意に用いているが、ここでは「羽着る」すなわち翅を身につける程の意か。

橋上秋夕

秋風のさむき夕べに津の国のさびえの橋をわたりけるかな[拾]

【通釈】秋風が寒々と吹く夕方に、津の国のさびえの橋を渡ったのであるよ。

【語釈】◇津の国 摂津国。◇さびえ 今の神戸市兵庫区佐比江(さびえ)町あたりにあった入江。掛詞とは言えないが、その語感に「寂し」「冷え」が籠っている。

【補記】天保元年(1830)作。作者六十三歳。

河上紅葉

山川の岸をひたして行く水にぬるでの紅葉ちらぬ日ぞなき

【通釈】山中の谷川の岸を浸して流れる水に、紅葉したぬるでの葉が散らぬ日とてない。

【語釈】◇ぬるで ウルシ科の落葉小高木。鮮やかな紅に色づく。

【補記】第二句を「岸をひたりて」とする本もある。

紅葉浅

鵙のなく末の原野を見わたせば一むらばやし薄紅葉せり[拾]

【通釈】鵙(もず)が鳴く末の原野を見わたすと、一かたまりの林がうっすらと紅葉していた。

【語釈】◇末の原野(はらの) 万葉集の歌に由来する歌枕。地名として意識された。一説に山城の陶原(すえはら)。「梓弓末の原野にとがりする君が弓弦の絶えむと思へや」(巻11-2638)。

【参考歌】藤原為家
木がらしのすゑのはら野のはじ紅葉かつさそはれて暮るる秋かな

風前時雨

浮雲は影もとどめぬ大空の風に残りて降るしぐれかな

【通釈】浮雲は影も留めていないが、大空を渡る風に残っていて降る時雨であるなあ。

【補記】時雨は晩秋から初冬にかけて降る通り雨。雨雲は過ぎ去っても、風に含まれていた雨粒がなお地上に降って来る。時雨の降り方の特色を捉えた一首。

寒月

てる月の影の散り来る心地して夜ゆく袖にたまる雪かな

【通釈】冴え冴えと照り輝く月、その光が砕け散って、空から落ちて来るように思われて、夜道を行く我が袖に降り溜まる雪であるなあ。

【補記】寒々とした月の照らす夜道、袖にたまる雪を、月の光が散り落ちてきたのかと感じた。「京都は地勢の關係から、月が照りながら雪のこぼれ來るといふ事は、めづらしくない事である」(窪田空穂)。文政二年(1819)作。

しぐるるはみぞれなるらし此の夕べ松の葉しろくなりにけるかな

【通釈】時雨のように音立てて降るのは霙であるらしい。この夕方の薄闇の中、松の葉が白くなったよ。

【補記】最初、音から時雨かと思ったが、松の葉が白くなったのを見て、霙と知ったのである。季節の移ろいを耳と目で繊細に感じ取っている。

さ牡鹿の啼きて()れにし(あした)より雪のみつもる信楽(しがらき)の里

【通釈】牡鹿が鳴いて去って行ったあの日の朝から、雪が降り積もるばかりの信楽の里よ。

【補記】信楽は近江国の歌枕。滋賀県甲賀郡。かつて聖武天皇が都を置いた土地であるが、京から東北にあたる山深い狭小な盆地であり、雪深く寂しげな土地として冬歌に詠まれることが多かった。

炉辺閑談

うづみ火のにほふあたりは長閑(のどか)にて昔がたりも春めきにけり

【通釈】埋み火が赤く映える周囲はぽかぽかと穏やかな感じがして、昔の思い出話も春めいてきたなあ。

【補記】「うづみ火」は炉の灰に埋めた炭火。文化十三年(1816)十一月作。

題しらず

うづみ火の(ほか)に心はなけれども向かへば見ゆるしら鳥の山

【通釈】ただ炭火にあたろうと思うだけで、ほかに意図はないのだけれども、火鉢に向かえば自然と見える、白鳥山よ。

【補記】文化十二年(1815)十二月、京二条木屋町の自邸での作。「しら鳥の山」は比叡山への近道であった雲母(きらら)坂あたりの山。

冬朝

初雪は夜もぞふると起きいでて山の高嶺をあさなあさな見る[拾]

【通釈】初雪は夜に降ったかなと、早い時刻から起き出して、山巓を毎朝眺めるのである。

【補記】「もぞ」は危惧・懸念、あるいは不確実な期待などをあらわす。この歌の場合は期待の念。

忍逢恋

雪折れの声さへたてぬなよ竹はよにふしたりとしる人もなし

【通釈】細くしなやかな竹は、雪折れの音さえ立てず、夜の間に倒れたとは誰も知らない――そんな弱竹(なよたけ)のように、ひっそりと忍び逢った女は、私と夜を過ごしたことを誰にも知られることはない。

【語釈】◇なよ竹 細くしなやかな竹。細腰の若い女を暗示。◇よにふしたり 「よ」は夜・節(竹の縁語)の掛詞。

夢中逢恋

夢なるか我が手枕に我がふれて人のと思ひし閨のくろかみ

【通釈】夢であるのか。私の手枕に自分で触れて、あの人のものかと思った、閨の黒髪は。

【補記】手枕にかかった自分の髪を、恋人のものかと思ったと言うのである。文化十一年(1814)十月の作。

題しらず

若草を駒にふませて垣間(かいま)見しをとめも今は老いやしぬらむ

【通釈】萌え立つ若草を馬に踏ませながら垣根越しに覗き見た少女も、今は老いてしまったのだろうか。

【補記】文化三年(1806)四月作。

袖のうへに人の涙のこぼるるは我がなくよりも悲しかりけり

【通釈】我が袖の上に人の涙がこぼれるのは、自分が泣くのよりも悲しいのだった。

【補記】「袖」は自分の袖。「人」は恋人。

山おろし日も夕かげに吹くときぞしみじみ人は恋しかりける

【通釈】山颪の風が、日も暮れる頃の陽射しの中に吹き寄せる時こそ、しみじみ人は恋しいのだった。

【語釈】◇日も夕かげに 日も暮れる頃の陽射しの中に。「ひもゆふ」は下記本歌では「紐結ふ」と掛詞になっているが、景樹の歌では掛詞を意識する必要はない。

【補記】古今集の名歌を、より具体性を添えて詠み直したような作。その分、情感は本歌より豊かになった。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
唐衣ひもゆふぐれになる時はかへすがへすぞ人は恋しき

思ふこと寝覚の空に尽きぬらむあした空しきわが心かな

【通釈】思い悩んでいたことは、ふと眠りから覚めて眺めた宙空に消えてなくなったのだろうか。翌朝は(何を思っていたのか記憶もなく)さっぱりと何もない私の心であるよ。

【補記】文化三年(1806)九月の作。

山家嵐

暮るるより松に吹きたつ我が山のあらしの末をたれか聞くらむ

【通釈】日が暮れるや否や、松に吹き寄せて音を立てる、我が山の嵐――その行末の声を一体誰が聞くのだろうか。

【補記】物凄い松籟が山を吹き降りてゆく。その響きの行く末を誰が聞くかと問うことで、山中の深い孤独感が余情となる。

ともすればふせ()にこもる(にはとり)のせばくも世をば思ひけるかな

【通釈】ともすると、伏せ籠の中で飼われている鶏のように、世間は狭いものと思い込んで、引き籠りがちになってしまうものだ。

【補記】文化十年(1813)十一月の作。

大空に飛びたちかねて打ち羽ぶきかけろと鳴くがあはれなりけり

【通釈】鶏は大空へ飛び立とうとして出来ず、ただ羽をうってカケロと鳴く――それが哀れだよ。

【語釈】◇打ち羽(うちは)ぶき 羽をうつ。羽ばたく。◇かけろ 鶏の鳴き声。「翔ろ」の意が掛かるが、そう取ると理に落ち、かえって興を殺ぐ。

【補記】享和三年(1803)閏正月の作。

【参考歌】神楽歌
鶏はかけろと鳴きぬなり 起きよ起きよ 我が門に 夜の妻 人もこそ見れ
  山上憶良「万葉集」
世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

【主な派生歌】
殊更につばさはよわき庭鳥の空にかけろと鳴くぞはかなき(熊谷直好)

題しらず

(ともしび)のかげにて見ると思ふまに文のうへしろく夜は明けにけり

【通釈】燈火の明りで読んでいると思ううち、書物の上が白くなって、いつの間にか夜は明けていたのだった。

【補記】文化十一年(1814)の作。

白河の紅葉惜しみにまかりし時

いなごとぶ浅茅が下を行く水の音おもしろしここに暮らさむ

【通釈】蝗が飛び跳ねている浅茅原、その浅茅の下を流れてゆく水の音が面白い。今日は一日ここで暮らそう。

【補記】「白河」は比叡山に発し京の街中を流れる川。またその流域一帯の土地を言う。景樹の本宅もその付近にあった。文化十四年(1817)の作。

旅朝

ただよへる(あした)の雲はふるさとへ帰りし夢の行くへなりけり

【通釈】浮き漂う朝の雲は、昨夜見た、故郷へ帰る夢のなれの果てであった。

【補記】旅寝して帰郷する夢を見た翌朝、故郷の方へ向かって空を漂ってゆく雲に、夢の成れの果てを見た。文政六年(1823)の作。

垂雲軒夢宅が信濃なる伊奈の故郷へかへるを送りて

玉の緒は長くみじかき世なりけり又あはざらむまたや逢ふらむ

【通釈】命は長かったり、短かったり、定まらぬこの世である。もうあなたに逢えぬだろうか。また逢えるだろうか。それも分かりはしない。

【補記】「夢宅」は桃沢氏。景樹の高弟の一人。緒を結び合せることから「あふ」は「玉の緒」の縁語になる。

述懐

いづくかは思ひの家にあらざらむよそめ楽しき世にこそありけれ

【通釈】どこの家が思い悩める火宅でないことがあろう。よそめには、楽しい世の中なのだけれども。

【語釈】◇思ひの家 悩みごとのある家。ヒに火を掛け、火宅の意を掛ける。

【補記】文化十五年(1818)九月の作。

独述懐

はかなくて木にも草にもいはれぬは心の底の思ひなりけり

【通釈】余りに果敢なくて、たとえ木や草が相手でも告げることができないのは、心の底に秘めた思いであったよ。

【補記】文化十年(1813)の作。

無常

無きを夢有るをうつつと思ひけりなほ世の中を世の中にして

【通釈】無を夢、有を現実と思っていたことよ。相も変わらずこの現世を現世と思いなして。

【補記】現実は確かな実在であり、夢は果敢ない虚無であるとの思い込み。「景樹は禅を誠拙和尚に学んでいる。それでこういう歌をよんでいる」(久松潜一)。文化十年(1813)三月の作。

題しらず

まづゆくを慕ひ慕ひてつひに皆とまらぬ世こそ悲しかりけれ

【通釈】先に死んでゆく人々を慕い慕いして、結局のところ誰一人とどまることのない人の生とは悲しいものである。

【語釈】◇まづゆく 先に死んでいった人々。◇慕ひ 愛惜する。恋慕する。◇皆とまらぬ世 次々と親しい人が鬼籍に入り、その人をまた恋慕する――そんなことが続く現世。「世」には人生、寿命の意もある。

をさなき子をうしなひけるとき

追ひしきて取りかへすべき物ならばよもつひら坂道はなくとも

【通釈】追いついて、取り返すことのできるものならば、黄泉比良坂(よもつひらさか)に道は無くとも追いかけてゆこうものを。

【語釈】◇よもつひら坂 記紀神話に見える、黄泉の国の入口にあるという坂。

【補記】享和三年(1803)九月十一日、長男の茂松を失い、二七日に詠んだ歌。同じ頃の作に「子はなくてあるがやすしと思ひけりありてののちになきが悲しさ」(大意:子はいないのが心安いと思っていた。子があってのちにいなくなることの悲しさよ)

また淵明が琴ひく

世の中にあはぬ調べはさもあらばあれ心にかよふ峯の松風

【通釈】(陶淵明は、世と折り合えぬ憂さを琴を弾いて晴らした。そんな風に)世の中と調子が合うまいと、かまうものか。峰の松風とは、心を通わすことができるのだ。

【補記】詞書は、陶淵明が琴を弾くさまを描いた絵に付した賛であることを示す。文化十二年(1815)十二月の作。

【参考】陶淵明「帰園田居」(→資料編
少無適俗韻(少(わか)きより俗に適ふの韻(しらべ)無く)

【主な派生歌】
世の中の調べによしやあはずとも我が腹つづみうちてあそばむ(秋園古香)

六月の末、病みおとろへて、夜ただねられぬに

みな月の有明づくよつくづくとおもへばをしき此の世なりけり

【通釈】水無月の有明の月が残る夜、つくづく思えば、死んでゆくのは惜しいこの世であったよ。

【補記】夏の終りの有明月夜の情趣に、現世への未練を呼び起こされる。「有明づくよ」は「つくづくと」を導く序のはたらきもしている。

はつき十六日の夜なりけむ、頼襄が三本木の水楼につどひて、かたらひ更かしてしてよめる(二首)

すむ月に水のこころもかよふらし高くなりゆく波の音かな

【通釈】澄む月に、清らかな水の心も通い合うのであるらしい。月の光が澄み増さるにつれて、高くなってゆく波の音であるなあ。

【語釈】◇頼襄 頼山陽。景樹とは親友であった。◇三本木の水楼 京都府上京区南町、賀茂川西岸にあった頼山陽の居宅。◇すむ月に… 澄んだ月と水の波が呼応しあう様に、頼山陽との雅交を喩える。

 

白雲にわが山陰はうづもれぬかへるさ送れ秋のよの月

【通釈】私の住居がある山陰は雲に埋れてしまった。帰り道を送ってくれ、秋の夜の月よ。

【参考歌】式子内親王「式子内親王集」「玉葉集」
今はとてかげをかくさん夕べにも我をばおくれ山のはの月

小沢蘆庵がもとへよみて遣しける

身はつかる道はた遠しいかにして山のあなたの花は見るべき[拾]

【通釈】身体は疲れる。道はまた遠い。どうやって山の彼方の花は見ようか。

【補記】私淑した小沢蘆庵に贈った歌。「道」に歌道を、「花」に理想の歌を暗喩。蘆庵の返しは「年をへし我だにいまだ見ぬ花をいととく君は折りてけるかな」(大意:年取った私さえまだ至らないような秀歌を、既に君は詠んだのですなあ)。

月下にをとこ女をどるかた

月に寝ぬやもめ烏やうかれ鳥うたへ歌はむ明けぬともよし[拾]

【通釈】月の明るさに寝られずにいるやもめ烏や浮かれ鳥よ。歌え。私も歌おう。夜が明けてしまってもよい。

【語釈】◇やもめ烏 眼の悪い烏。唐の張文成作『遊仙窟』の、真夜中に暁を告げて鳴く「病鵲」に由来。但しこの歌では、「やもめ烏」を男に、「うかれ鳥」を女に喩えているとも見え、「鰥烏」の意で用いたと見る方が面白いか。

【補記】月の下で男女が踊る絵につけた賛。天保十一年(1840)、最晩年の作。

【参考歌】藤原為家「現存和歌六帖」
月にねぬやもめがらすのねにたてて秋の砧ぞ霜にうつなる

釣瓶に雀をり

汲みすてて人影もせぬふるさとの板井の水に秋風ぞふく[拾]

【通釈】誰も汲むことはなくなり、人の影すらない古里の板井の水に秋風が吹いているのだ。

【補記】「板井」は板で囲んだ井戸。その井戸の釣瓶(つるべ)に雀の止まっている絵に添えた画賛。

【参考歌】和泉式部「新古今集」
すみなれし人影もせぬ我がやどに有明の月の幾夜ともなく
  藤原定家「拾遺愚草」
道もせにしげる蓬生うちなびき人影もせぬ秋風ぞふく

俳諧歌

題しらず

菜の花に蝶もたはれてねぶるらん猫間のさとの春の夕ぐれ

【通釈】菜の花に蝶もじゃれついて、蜜を嘗めているだろう。猫間の里の春の夕暮よ。

【語釈】◇ねぶる 舐る。「猫間の里」の「猫」といわば縁語になっている。◇猫間 京都市中京区の壬生近辺。

花ちりて春より夏にとぶ蝶の羽袖も白し木がくれの里

【通釈】花が散って、春から夏へと飛んでゆく蝶――その羽の袖も、夏衣らしく白い、木隠れの里よ。

【語釈】◇春より夏に 季節の移ろいを、場所の移動のように言いなした面白さ。◇羽袖(はそで) 袖を羽にたとえて言う。◇木がくれの里 盛んに繁った木々に隠れている人里。羽袖の白さをひときわ印象づける結句。

山賤(やまがつ)もうまき昼寝の時ならし瓜はむからす追ふ人もなし

【通釈】賤しい山住いの者も、今は満ち足りた午睡の時間らしい。畑のウリを盗み食いしている烏を追い回す人もいない。

【補記】文化十年(1813)六月の作。

花見ればとびたつ小野のいなごまろ人の子にこそかはらざりけれ

【通釈】花を見ると、枝へ飛び上がろうとする野のイナゴは、稲子麻呂と呼ばれる名の通り、人の子供と変わらないではないか。

【補記】「いなごまろ」は精霊蝗虫(ショウリョウバッタ)の異称という。人名めいたその名にことよせて、桜の咲く野で飛び跳ねるのを、花咲く枝へ飛び上がろうとする様に見立てて戯れた歌。

よき人をよしとよく見し夕べより吉野の花の面影にたつ

【通釈】佳き人を佳いとよく見たあの日の夕方から、吉野の桜のように恋しい人の面影が目の前にありありと浮かぶ。

【補記】恋の俳諧歌。文化十一年(1814)。

【本歌】天武天皇「万葉集」巻一
よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ良き人よく見

黒木うるかたに

召せや召せゆふげの妻木はやく召せかへるさ遠し大原の里

【通釈】お買いなさいな、お買いなさい。夕餉に使う焚木を早くお買いなさい。私の帰り道は、遠い大原の里です。

【補記】大原女(おはらめ)が黒木(大原産の薪)を売るさまを画いた絵につけた賛。その呼び声をそのまま歌にしたかのような一首。文化二年(1805)閏八月作。

題しらず

ゑのころははやもあるじを見しりけり呼べば尾ふりの嬉し顔なる

【通釈】犬ころは、早くも主人を認識したなあ。名を呼べば、尾を振って嬉しげな顔である。

猫の子はねずみ捕るまでなりにけり何にくらせし月日なるらむ

【通釈】猫の子は気づかぬうちに鼠を捕るまで成長していたのだな。その間私はと言えば、何をして過ごした月日であろうか。

かけすてし鏡の面に影ふれてたそやと我をおどろかれぬる

【通釈】掛けて置いたまま忘れていた鏡の面に自分の姿がふと映って、誰だろうと自分のことを驚いてしまった。

【補記】老いの感慨。

事につき物にふれたる

 

霞みつつ暮るると思ひし春の日は朧月夜になりにけるかな

【通釈】次第に霞みながら暮れてゆくと思っていた春の日は、いつの間にか、朧月夜になっていたのであるよ。

【補記】「事につき物にふれたる」とは、事物に感興を起こされて詠んだ歌のこと。題詠歌でないことを示している。この歌は文政八年(1825)二月作。

 

ゆけどゆけど限りなきまで面白し小松がはらのおぼろ月夜は

【通釈】どこまで行っても限りないまでに面白く心惹かれる。若松林の朧月夜の光景は。

【語釈】◇小松がはら 小松(若松)の林。山の斜面の檜林を「檜原(ひばら)」と言ったり、庭の萩叢を「萩原」と言ったりするように、「原」は或る植物が群生している場所を意味する。野原・平原などと言う時の「原」ではない。

【補記】文政三年(1820)正月作。

【鑑賞】「調べは實情にふさはしい直線的なもので、實情は此の調べによつて現はされてゐるといへる。此れほど單純素朴な歌は、景樹の作としても珍しいもので、當時の歌界としては一層さうである。景樹の歌論を背景にした、尖端的な歌である」(窪田前掲書)。

 

うたた寝にうちながむれば蘆垣のしだり柳に月はかかりぬ[拾]

【通釈】転た寝からふと目覚めて眺めやると、いつの間にか時は移って、蘆垣のほとりの枝垂れ柳に月がかかっていた。

【補記】「蘆垣」は蘆を編んで作った垣。最も粗末な垣根である。日常の一齣を捉えただけで、家の佇まいから作者の暮らしぶりまで髣髴とする一首。

 

妹と出でて若菜摘みにし岡崎のかきね恋しき春雨ぞふる

【通釈】妻と庭に出て若菜を摘んだ、岡崎の家の垣根のあたりが恋しく思い出される春雨が降るよ。

【補記】「妹(いも)」は妻、包子(かねこ)。文政三年(1820)三月、景樹五十三歳の時死別した。「岡崎」は今の京都市左京区岡崎。景樹が妻と居を構えた土地。

 

胡蝶だにいまだねむれる朝かげの花を起き出でて独りこそ見れ[拾]

【通釈】蝶でさえまだ眠っている早朝――朝日に影を映す花を、起き出して独りきりで眺めるのだ。

【語釈】◇朝かげの花 「朝影」は万葉集に用例が見られる語。「朝、水や鏡などに映る姿」「朝、のぼり始めたばかりの太陽の光」「朝日を受けた細長い影」などの意がある。ここでは、曙光を受けて細長い影を作る花と取りたい。

 

青海のうづまさ寺にきて見れば身もなげつべき花の蔭かな[拾]

【通釈】青海の渦ではないが、太秦寺に来て見ると、身投げしてしまいたくなるほどの花の蔭であるなあ。

【語釈】◇青海(あをうみ) 「渦」から「うづまさ」に掛かる枕詞。◇うづまさ寺 太秦寺。京都の広隆寺。◇身もなげつべき 身体を投げ出してしまいたくなる程の。「青海のうづ」と「身も投げ」は一種の縁語関係にある。

【補記】「青海の」という枕詞の大胆な用法(当詠以外の用例を知らない)が不思議な魅力を放っている。

 

野の宮の樫の下道けふくれば古葉とともに散るさくらかな

【通釈】今日、野の宮の樫の木立の下の道を通ってくると、古葉といっしょに桜の花が散っていることよ。

【語釈】◇野の宮 嵯峨野の野宮神社。もと斎宮が伊勢に下るに際し籠った宮。◇古葉 樫は春、若葉が出る頃同時に古葉を落とす。

 

春の野のうかれ心ははてもなし止まれといひし蝶はとまりぬ

【通釈】春の野に遊ぶ私の浮かれ心はきりがない。止まれと呼びかけた蝶は、言われるままに止まった。

【語釈】◇止まれといひし… 景樹自身、『講義』で童謡の「蝶よとまれ、菜の葉にとまれ」を踏まえていると明かしている。

【補記】文政十年(1827)作。

【鑑賞】「氣分を主としての歌であるが、一首が殆ど纏まりかねる歌である。我と蝶とは、春の野の浮かれ仲間で、我が浮かれ心から、蝶にとまれと云つたら、蝶の方はとまつたといふので、唯それだけである。(中略)耽美的な、昂奮しやすい景樹の心の端的で、作者自身もはつきりしない歌ではないかと思はれる。景樹の一面の思はれ、又その意味で面白い歌である」(窪田前掲書)。

 

蝶よ蝶よ花といふ花のさくかぎり()がいたらざる所なきかな

【通釈】蝶よ、蝶よ。花という花の咲いている限り、おまえの行き至らないところはないのだなあ。

【補記】かつては人口に膾炙した歌。文化二年(1805)五月作。

 

ちちこ草ははこ草おふる野辺に来て昔恋しく思ひけるかな

【通釈】父子草・母子草の生える野辺にやって来て、父母のいた昔を恋しく思い出したことだよ。

【語釈】◇ちちこ草 キク科の多年草。◇ははこ草 キク科の越年草。春の七草のおぎょうに同じ。

【補記】父母を呼び起こす草の名に触発されて、草花を摘んで野に遊んだ幼年時代を懐かしむ。

 

白樫の瑞枝うごかす朝風にきのふの春の夢はさめにき

【通釈】白樫の瑞々しい枝を動かして吹く夏の朝風に、昨日見た春の夢は覚めてしまった。

【語釈】◇白樫(しらかし) ブナ科コナラ属の常緑広葉樹。材が白いので白樫と言い、対して材の赤い樹種を赤樫と呼ぶ。「その枝葉の上からいふと赤樫と違はないものであるが、語感としては此の方がさわやかさがある」(窪田前掲書)。◇きのふの春の夢 文字通り「昨晩みた春の夜の夢」とも取れるし、「過ぎ去った夢のような春」とも取れる。

【補記】夢の余韻からの覚醒を、春から夏への季節の移りに対する覚醒と重ねた、斬新な発想の歌である。「初夏のさわやかな感を、印象的にいつて、全く思想にわたつてはゐない。景樹の歌論を思はせる歌である」(窪田空穂)。

 

夜半の風麦の穂だちにおとづれて蛍とぶべく野はなりにけり

【通釈】夜半の風が、麦の穂の出たのに吹きつけて音を立て、蛍が飛びそうなさまに、野はなったことであるよ。

【語釈】◇麦の穂だち 「穂のりんと立て居る貌なり」(『桂園一枝講義』)。

【補記】享和三年(1803)三月。『講義』によれば摂津国猪名川のほとりでの作。

【参考歌】源経信「金葉集」「百人一首」
夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろ屋に秋風ぞふく

 

郭公しばしば鳴きし明け方の山かき曇り小雨ふり来ぬ

【通釈】ほととぎすがたびたび鳴いた明け方の山はにわかに掻き曇り、小雨が降って来た。

【鑑賞】「郭公を愛する心から、それのしばしば啼く明け方の山を懐かしむ心と、その山が今、その季節にふさはしく、俄に曇つて、しめやかに小雨の降る山となつた、それをも愛する心とが實感となつて、その感によつて纏まつて來たものと取れる」(窪田前掲書)。

 

さみだれの雲吹きすさぶ朝風に桑の実おつる小野原の里

【通釈】五月雨を降らす雲に吹きつのる朝風――その風のために、桑の実が落ちる小野原の里よ。

【語釈】◇小野原の里 『講義』に「城崎(但馬)の湯に行きたる時、小野原といふ處にてよめり」とある。桑畑の広がる土地であったと言う。

【鑑賞】「詠み方は題詠風だが、捉へてゐるものは新しい。大きいものと小さなものとの對照は古いが、色づいた桑の實の落ちる状態は印象的だ。瞬間の感として、何らの説明も加へてゐないところは、景樹の歌風だといへる。古典を新しくしたことを思はせられる歌だ」(窪田空穂)。

 

夏の夜の月のかげなる桐の葉を落ちたるのかと思ひけるかな

【通釈】夏の夜の月光を受けた桐の葉の影――それを、影ではなく葉そのものが道に落ちているのかと思ってしまったよ。

【語釈】◇月のかげなる桐の葉 月の光を受けた桐の葉の影。◇落たるのかと 影ではなく葉そのものが落ちているのかと。この句は当時の口語表現。

【補記】文化二年(1805)六月作。

 

なびくだに涼しきものを夏河の玉藻を見れば花咲きにけり

【通釈】水草が川底で靡くのだけでも涼しげな感じがするのに、ましてや夏の川の玉藻を見れば水中花が咲いているのだった。

【語釈】◇玉藻 「玉」は美称。美しい藻類・水草をいう。

【補記】河の流れに靡く、藻と水中花。涼感と妖艷さを併せて感じる。

 

夕日さす浅茅が原に乱れけり薄くれなゐの秋のかげろふ

【通釈】夕日の射す浅茅の原に乱れ飛んでいるのだった。薄紅の秋の蜻蛉が。

【語釈】◇浅茅(あさぢ)が原 丈の低いチガヤの生えた野原。すすきの原などと異なり、視界は見通しがきく。◇かげろふ とんぼ。この場合赤とんぼ。

 

里人は(いはほ)切り落す白河の奧に聞ゆるさをしかの声

【通釈】里人は岩を切り出しては白川に落としている――その川の奧に聞こえる、牡鹿の声よ。

【語釈】◇白河 比叡山に発し京の街中を流れる川。河岸に石切場があったのだろう。景樹の本宅もこの川のそばにあった。

【鑑賞】「里人は、石を切り落とすといふ荒い仕事をしてゐる。その奧の方からは、妻を戀つて鳴く優しい牡鹿の声がするといふので、二つのものを對照させたものである。形は、實景としていつてゐるのであるが、心は實感といふよりはむしろ、思想に近いものがある。さすがに新味のある歌といへる」(窪田前掲書)。

 

こともなき野辺を出でても見つるかな鵙が鳴く音のあわたたしさに

【通釈】何事もない野辺を、家から出て眺めたのだった。鵙(もず)の鳴く声がひどく切迫していたので。

【語釈】◇鵙(もず) 百舌鳥とも書く。秋、つんざくような、絞め殺されるような声を立てて鳴く。◇あわたたしさ 「あわただしい」は古くは「あわたたしい」と清音。

【鑑賞】「上三句で結果をいひ、下二句で原因をいつた形で、事を叙す上からいふと逆であるが、その逆にしてゐる事が、鵙の聲を聞くと共に反射的に不安を感じ、不安を感じると同時に外に出た、半ば無意識にした慌しい行動を暗示するものとなつてゐる」(窪田前掲書)。

 

朝づく日さしもさだめぬ大比叡のきららの坂に時雨ふる見ゆ

【通釈】朝日が射したり射さなかったり、はっきしりない比叡山の雲母坂に、時雨の降っているのが見える。

【語釈】◇朝づく日 朝日。万葉集から用例がある語。「づく」は「様を呈する」意。◇さしもさだめぬ (朝日が)射すともはっきりしない。◇大比叡(おほひえ) 比叡山。◇きららの坂 京都の雲母坂。比叡山への近道として使われた。掛詞というわけではないが、朝日が「きらら」に輝くイメージが重なる。

 

白川の末の草河冬がれてほそき流れに千鳥鳴くなり[拾]

【通釈】白川の流れゆく末は草深い川となっているが、その草も今は冬枯れて、あらわとなった細い流れに千鳥が鳴いている。

【鑑賞】「謂はゆる實景實情であるが、冬景色のさみしく、幽かなのと、千鳥の哀愁を持つた、同じく幽かな聲とを一つにしたものであつて、實景が同時に實情となつてゐるものである」(窪田前掲書)。

 

一むらの氷魚かと見えて網代木の浪にいざよふ月の影かな[拾]

【通釈】一群の氷魚が寄っているのかと見えて、網代木に立つさざ波に映じ、たゆたっている月の光よ。

【語釈】◇網代木(あじろぎ) 秋から冬にかけて、鮎の幼魚などを捕るための仕掛け。網の代りに簀を川にかけ渡したが、それを繋ぎとめる杭を網代木と言った。◇氷魚(ひを) 鮎の稚魚。白色半透明。網代と共に宇治川の名物。

【参考歌】清原元輔「拾遺集」
月影の田上川にきよければ網代にひをのよるもみえけり

 

けさ見れば汀のこほりうづもれて雪の中ゆく白河の水

【通釈】今朝見ると、渚の氷は雪に埋もれて、白川の水は雪の中を流れてゆく。

【補記】冬から春へ移る頃。「白河」は景樹の本宅があった岡崎の地を流れる小川であるが、「白」のイメージが効いている。

【参考歌】藤原家隆「壬二集」
春くれば汀の氷うちとけて霞ぞとづる志賀の浦波

 

玉の緒の絶えぬばかりの思ひ出に待たるる春はあはれなりけり[拾]

【通釈】死んでしまいそうな程の悲しい思い出のうちに、それでもやはり来るのが待たれる春は、哀れなものであるよ。

【補記】「玉の緒の絶えぬばかりの思ひ出」は、老年にあっての回想とも取れる。

【鑑賞】「歳暮の感で、歳暮が刺戟になつて過去が顧みられ、顧みると、すべて甚しい哀しみで、春を待つ心ともなれないが、しかし春は待たれるものときまつてゐて、待たねばならぬと思ふと、春そのものが哀れになるといふのである」(窪田前掲書)。

 

なにごとも此のころにはと思ひつる三十(みそぢ)の年の果てぞ悲しき

【通釈】何ごともこの頃までには成し遂げたい――そう思っていた三十代の歳の終りが、切なくてならないのだ。

 

富士のねを木の間木の間にかへり見て松の蔭ふむ浮島が原

【通釈】富士の山を、松並木の絶え間絶え間に振り返って見ながら、木陰を踏んでゆく浮島が原よ。

【補記】「浮島が原」は富士山南麓に広がる沼沢地。東海道が通り、松並木越しに富士が望まれた。文政元年(1818)、景樹五十一歳の冬の旅日記『中空日記』に見える歌。

 

夕づく日今はとしづむ浪の上にあらはれ初むる淡路島山

【通釈】夕日が今にも沈もうとする、その沖合の波の上に顕れ始めた淡路島の島山よ。

【語釈】◇夕づく日 赤く染まった夕日。「づく」は「様を呈する」意。◇あらはれ初(そ)むる 夕日の眩ゆさに隠れていた島が、日が海に沈みかけたことによって顕れ始めた。

【補記】文政五年(1822)八月の作。海上に横たわる淡路島を詠んだ歌は古今集以来少なくない。
 わたつ海のかざしにさせる白妙の浪もてゆへる淡路島山(古今)
 春といへば霞みにけりな昨日まで浪まに見えし淡路島山(新古今)
景樹のは、海に日が沈む一瞬、島影がかえってくっきり見え始める、という言わば逆説的な光景を捉え、新鮮である。古今・新古今の名歌に伍する出来映えであろう。

 

梟の声をしるべに帰るかな夕べをぐらき岡崎の里

【通釈】ふくろうの鳴き声を道しるべに我が家へ帰るのであるよ。夕方の小暗い岡崎の里を。

【補記】梟を詠んだ古歌は少ない。「山ふかみけぢかき鳥の音はせで物おそろしきふくろふの声」(西行『山家集』)に見えるように、古人はその声を恐ろしげなものと聞いたようである。江戸時代になると、山居に寂しげな風情を添える身近な鳥として、ちらほら歌に取り上げられるようになった。

 

ながめやる心は知るや武蔵野の尾花が末の三日月の影[拾]

【通釈】武蔵野の尾花の末に出ている三日月の光――それを眺めやる私の心のあわれさは知っているか。

【補記】武蔵野の果てに見える三日月の眺めての詠嘆。三日月に問いかけたとも取れるが、むしろ三日月の影を見て誰にともなく問いかけたと見る方が情趣は深いだろう。「志を抱いて江戸へ出て、遂げられさうにも思へなかつた頃、秋の宵のさみしさに堪へられずに詠んだものと思はれる。調べがさみしく澄んで、人の心を引きつけるものがある」(窪田前掲書)。

【参考歌】「家持集」
秋の野の尾花が末のうちなびく心は妹によりにしものを

 

墨染の夕べの山をながむれば松の立てるもさびしかりけり[拾]

【通釈】墨で染めたように暗い夕方の墨染山を眺めると、松の木が立っている様までも寂しく見えるのだった。

【語釈】◇墨染の夕(ゆふべ)の山 「墨染の山」は京都の鞍馬山の別称であるが、この歌では夕暮の暗さを墨染に喩えたものか。「墨染のくらまの山に入る人は辿る辿るもかへりきななん」(平中興女「後撰集」)。

【補記】「ただ言うたの真髄をえたるもの」(佐佐木信綱)。「ただ言(ごと)うた」とは、小沢蘆庵が提唱した和歌のあり方。「ただいまおもへることを、わがいはるる詞をもて、ことわりの聞こゆるやうに、いひいづる、これをうたとはいふなり」(小沢蘆庵『布留の中道』)。

【主な派生歌】
墨染の夕の山の山松の見えずなるまで眺めつるかな(木下幸文)

 

敷島の歌のあらす田荒れにけりあらすきかへせ歌の荒樔田

【通釈】放置された田が荒れるように、歌道はすっかり荒廃してしまった。新たに鋤き返すように、歌道を耕し直せ。

【語釈】◇敷島 和歌の道。◇歌の荒樔田(あらすだ) 歌の荒れた田。日本書紀に見える古地名を借りて、歌道の荒廃を言った。◇あらすきかへせ 新たに耕せ。和歌革新への呼掛けである。

【補記】文化二年(1805)十一月の作。

【参考歌】よみ人しらず(猿丸大夫)「古今集」
荒小田をあらすき返し返しても人の心を見てこそやまめ
  戸田茂睡
古へのあらすき返せ言の葉の道は狭くもなりにけるかな


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成18年12月28日