徽子女王 きしじょおう 延長七〜寛和元(929-985) 通称:斎宮女御・承香殿女御

醍醐天皇第四皇子重明親王の子。母は太政大臣藤原忠平女、寛子。
天慶元年(938)、斎宮として伊勢に下る。同八年、母の喪により退下。天暦二年(948)十二月、叔父にあたる村上天皇に入内、翌年女御となり、規子内親王を生む。同五年正月、従四位下に叙せられる。同八年九月、重明親王薨じ、亡父の東三条邸に久しく服喪。応和二年(962)正月、従四位上。同年九月に皇子を生むが、その日の内に夭折した。以後長く病に悩み、里第に逗留する。康保四年(967)五月二十五日、村上天皇は崩御。円融天皇即位後の天延三年(975)、娘の規子内親王が斎宮に卜定され、貞元二年(977)、徽子は娘に同行して伊勢に下る。永観二年(984)、円融天皇の譲位により、規子内親王は斎宮を解任され、この時徽子も帰京か。その後出家したとも言うが、晩年の消息は定かでない。寛和元年(985)夏頃卒去。五十七歳。
天暦十年(956)三月の『斎宮女御徽子女王歌合』、天徳三年(959)八月の『斎宮女御徽子女王前栽合』を主催。徽子のサロンには源順大中臣能宣・源為憲・橘正通ら文人が出入りした。
三十六歌仙の一人。他撰の『斎宮女御集(斎宮集とも)』がある。拾遺集に初出、勅撰集に計45首入集。

  4首  9首  14首 計27首

七夕の心を

わくらばに天の川波よるながら明くる空にはまかせずもがな(新古325)

【通釈】稀にお逢いできたのですから、天の川の川波が寄せるこの夜は、いつまでも夜のままで、明ける空にはまかせないでほしい。

【補記】七夕の晩の織女の心になって詠んだ歌。「川波よるながら」は「川波寄る」「夜ながら」と言い掛けている。

あはれのさまや

ほのかにも風はつてなむ花薄むすぼほれつつ露にぬるとも(斎宮集)

【通釈】ほのかにでも風はこの有様を伝えてほしい。穂の出た薄が、風のために靡きもつれて、露にしとどに濡れていると。

【語釈】◇花薄 「むすぼほれ」を導く序であると共に、作者自身の暗喩。◇むすぼほれつつ露にぬるとも 鬱屈して涙に濡れている様の暗喩。

【補記】斎宮集によれば村上天皇に贈った歌。第二句は西本願寺本三十六人集「風はつげじな」、村上御集「風はつげなむ」、新古今集「風はふかなむ」。本テキストは正保版歌仙家集本に拠った。

(うへ)、久しう渡らせ給はぬ秋の夕暮に、(きむ)をいとをかしう弾き給ふに、上、しろき御衣(おほんぞ)のなえたるを奉りて、いそぎ渡らせ給ひて、御かたはらにゐさせ給へど、人のおはするとも見入れさせ給はぬけしきにて弾き給ふを、聞こしめせば

秋の日のあやしきほどの夕暮に荻吹く風の音ぞ聞こゆる(斎宮集)

【通釈】秋の日の、あやしいほど人恋しい夕暮時に、庭の荻叢をそよがせて吹く風の音が聞こえます。

【補記】渡御が絶えていた頃のある夕暮、徽子女王が琴を弾いていると、天皇が珍しくお出ましになり、すぐ側に来られたが、女王は気に留める様子もなく琴を弾き続け、お言葉に対してはこの歌を以てお返事とした、と言う。荻の葉のそよぎは秋の訪れを告げるシグナルであると同時に、荻(をぎ)と「招(を)き」が掛詞になって、恋人の訪れを期待する心を暗示するものでもあった。

【校異】第三句を「たそかれに」とする本もある。また後拾遺集319には詞書「村上の御時八月ばかり、うへ久しう渡らせ給はで、しのびて渡らせ給ひけるを、しらず顔にて琴ひき侍りける」、初句「さらでだに」として載る。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり

【主な派生歌】
とへかしなあやしき程の夕暮のあはれすぐさぬなさけばかりに(二条院皇后宮常陸[新勅撰])

露も久しと

吹く風になびく浅茅は我なれや人のこころのあきをしらする(斎宮集)

【通釈】吹く風に靡く浅茅は私なのだろうか。人の心に秋が来て、私を飽きたのだと分かるよ。

【語釈】◇露も久しと 浮気な心の果敢なさに比べれば、露の命も久しいと。参考:「たとふれば露もひさしき世の中にいとかくものをおもはずもがな」(一条摂政御集)◇あき 秋・飽きの掛詞。

【補記】靡く浅茅に自身の不安に揺れ動く心を見る。斎宮集・村上御集によれば、村上天皇との贈答歌。後拾遺集970には初句「風ふけば」(「風吹くに」とする本もある)。

徽子女御まゐりはじめてあしたに

思へどもなほあやしきは逢ふことのなかりし昔なに思ひけむ

【通釈】いくら思い巡らしても一層不思議でならないのは、あなたと逢うことのなかった昔、自分は何を思って過ごしていたのだろう、ということだ。あなたと逢うようになって以来、あなたのこと以外何も考えられなくなってしまったのだから。

【補記】徽子女王が初めて参内した翌朝、村上天皇が贈った後朝(きぬぎぬ)の歌。玉葉集1544に入集。

御返し

昔とも今ともいさや思ほえずおぼつかなさは夢にやあるらむ(村上天皇御集)

【通釈】(上は「昔」とおっしゃいますが)さあ、私には昔とも今とも、わかりません。これほど覚束ないのは、(お逢いしたのが)夢だったからでしょうか。

【補記】女御として初めて夜のお供をした翌朝、村上天皇より贈られた歌に返した。斎宮集にも見える。

村上の御時、うへにのぼりて侍りけるに、うへおほとのごもりにければ、かへりおりてよみ侍りける

かくれぬにおふるあやめのうきねして果はつれなくなる心かな(後拾遺871)

【通釈】ひそかな沼に生えている菖蒲草の泥中の根ではありませんが、憂き寝をして、最後には離れていってしまう帝の心なのですね。

【語釈】◇うへにのぼりて 天皇の御殿に参上して。◇おほとのごもり 寝る意の尊敬語。◇かへりおりて 共寝することなく自分の局に退下したことをいう。◇うきね 「ショウブのうき根(泥の中の根の意)」「憂き寝」の掛詞。

【補記】上句は、寵愛を得ず独り寝する作者を暗示。下句は、このようなことが続き、天皇の心がますます離れて行くことを懸念する心。

天暦御時、承香殿のまへをわたらせ給ひて、こと御かたにわたらせたまひければ

かつ見つつ影はなれゆく水のおもにかく数ならぬ身をいかにせむ(拾遺879)

【通釈】私が見ているそばで、帝のお姿が、遠ざかってゆく。流れゆく水の面に数を書くように果敢ない、人の数にも入らない我が身をどうすればよいのだろう。

【語釈】◇承香殿 徽子女王の居所。◇かつ見つつ 私が見ている一方で。◇影はなれゆく 天皇の御姿が、(私の局には寄らずに)遠ざかってゆく。「離れゆく」「ゆく水の」を言い掛けている。◇かく 「(水面に数を)書く」「斯く(数ならぬ)」の掛詞。「かく数」とは、物の数をかぞえる時に記す線のことで、「水のおもに数かく」は虚しい所作の喩え。

【補記】斎宮集では初句「河と見て」。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
ゆく水にかずかくよりもはかなきはおもはぬ人を思ふなりけり

天暦御時、まどほにあれやと侍りければ

なれゆくはうき世なればや須磨の海人(あま)の塩やき衣まどほなるらむ(新古1210)

【通釈】馴れ親しむにつれて古びてしまうのが、この世の(男と女の)ならいだからでしょうか、須磨の海人の塩焼衣ではありませんが、私とあなたの仲は間遠なのでしょう。

【語釈】◇なれ 「馴れ親しむ」「古くなる」の両義。◇うき世 「憂き世」「浮世(男女の仲)」の両義。◇塩やき衣まどほなるらむ 塩焼用の粗末な衣は織目が粗いので、「まどほ」の譬えとなる。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
須磨の海士の塩焼衣をさを荒み間遠にあれや君がきまさぬ

春になりてと奏し侍りけるが、さもなかりければ、内より、いまだ年もかへらぬにや、とのたまはせたりける御返事を、かえでの紅葉につけて

霞むらんほどをも知らずしぐれつつ過ぎにし秋の紅葉をぞ見る(新古1246)

【通釈】霞のかかる時節――春になったことも知らずに、私は涙に濡れ、去年折り取った秋の紅葉などを眺めております。

【補記】「春になりて」(春になったら参上します)と徽子女王は奏上していたのだが、参内しないまま晩秋になってしまった。内(村上天皇)から「まだ年は改まらないのだろうか」(とっくに春は過ぎたはずなのに)と参内を促す御文を頂き、その返事として、紅葉した楓に付けて贈った歌。

里におはします頃、みかどを夢に見たてまつり給ひて

見し夢にうつつの憂きも忘られて思ひなぐさむ程のはかなさ(斎宮集)

【通釈】あの人を夢に見た――その夢に現実の辛さも自然と忘れて、心が慰められる――その束の間の果敢なさよ。

【補記】実家にいた頃、村上天皇を夢に見ての詠。新古今集では以下のように掲載。
ぬる夢にうつつの憂さも忘られて思ひなぐさむ程ははかなき

斎宮女御につかはしける天暦御製

天の原そこともしらぬ大空におぼつかなさを歎きつるかな

【通釈】この大空の下、あなたは今どこら辺にいるのか。よく分からないままに、空へ向かって長嘆息してしまったよ。

御返し

なげくらむ心を空に見てしがな立つ朝霧に身をやなさまし(新古1412)

【通釈】歎くとおっしゃる貴方の心を、その空にいて見てみたいものです。いっそ我が身が空にたちこめる朝霧であったらよいのに。

【補記】村上天皇への返し。

思ふこと侍りける比

こち風になびきもはてぬ海人舟の身をうらみつつこがれてぞふる(玉葉1492)

【通釈】東風に靡きそうになりながら堪えている海人の舟が、浦を廻りつつ漕いでゆくように、「こちらへおいで」と言う誘いに素直に靡けない私は、我が身を恨みつつ恋しさに焦がれて日を送っている。

【語釈】◇こち風 「東風」に此方(へ来い)との誘いを言い掛ける。◇なびきもはてぬ すっかり靡ききらない。◇海人舟(あまぶね) 作者自身を暗喩。◇うらみ 「怨み」「浦廻」の掛詞。◇こがれて 「漕がれて」「焦がれて」の掛詞。

【校異】斎宮集には詞書「内にて、なにごとのをりにかありけむ」。第二・三句「なびきなはてそあまぶねは」。

恋の歌の中に

ささがにのいとはるかなる雲ゐにもたえむ中とは思ひやはせし(玉葉1818)

【通釈】細い蜘蛛の糸のように、遠く遥かな雲の上の尊いお方との仲も、まさかこんなに果敢なく絶えてしまうものだとは、思いもしなかった。

【語釈】◇ささがにの 「いと」の枕詞。「いと」は「糸」に副詞「いと(非常に、の意)」を掛ける。

【補記】「いと」「くも」「たえ」は「ささがに」の縁語。

ただにもあらで里にまかり出て侍りけるに、十月ばかりほどちかうなりて、うちより御とぶらひありける返り事に、奉り侍りける

かれはつる浅茅がうへの霜よりもけぬべきほどを今かとぞ待つ(後拾遺901)

【通釈】枯れ果てた浅茅の上の霜よりも果敢なく消えてしまう時を、今か今かと待っているのです。

【語釈】◇霜よりも 霜は果敢ないものの喩え。その霜よりも果敢なく。

【補記】身ごもった作者が、実家に退出しているうち、出産も程近くなり、天皇から見舞の御文が届いた。その御返事。

雨ふるに三条の宮にて

雨ならでもる人もなき我が宿は浅茅が原と見るぞかなしき(斎宮集)

【通釈】雨が漏るほかには守る人もない我が宿は、浅茅が原のように荒れ果ててしまったと思えば悲しくてならない。

【語釈】◇三条の宮 父重明親王の邸。◇もる 「(雨が)漏る」「(家を)守る」の掛詞。◇浅茅が原 手入れの行き届かない荒れた屋敷をあらわす。

【補記】天暦八年(954)九月十四日、父親王薨去。同年秋か冬の歌であろう。なお拾遺集では詞書「東三条にまかり出でて、雨の降りける日」。また第三句「我が宿を」。

東三条にてよみ侍りける

我ならでまたうち払ふ人もなき(よもぎ)が原をながめてぞふる(玉葉2249)

【通釈】私のほかに露を払う人もいない蓬の茂る原――ただそれを呆然と眺めて日を送っているのだ。

【語釈】◇東三条 亡父邸。◇蓬が原 前歌の「浅茅が原」に同じく、屋敷の荒廃をいう語。

なにごとにか

白露の消えにしほどの秋まつと常世の雁もなきてとひけり(斎宮集)

【通釈】白露が果敢なく消えた頃の秋が再び巡って来るというので、常世の国からの旅人である雁も啼いて訪れたのだった。

【補記】父重明親王の喪が明けて後の作。父の亡くなった秋という季節、冥界からの使者として雁が弔いに訪れたと見る。「とひけり」は「訪ひけり」に解したが、「問ひけり」とも「飛びけり」とも読める。なお第二句を「きえにし人の」とする本もあり、こうすると亡父を偲んだ歌であることが明確になる。

一品資子内親王にあひて、むかしの事ども申しいだしてよみ侍りける

袖にさへ秋の夕べは知られけり消えし浅茅が露をかけつつ(新古778)

【通釈】袖にさえ秋の夕暮はそれと知られます。浅茅の露のように儚く消えてしまわれた帝をお偲びしては、涙を注ぎかけて。

【語釈】◇資子内親王 村上天皇の皇女。母は藤原安子。徽子にとっては父方の従妹にあたる。◇消えし浅茅が露 はかなく逝去された村上天皇を暗示する。と同時に、露には作者自身の涙を暗喩。◇かけつつ (死者を)心にかける意と、袖に涙をかける意を掛ける。

【補記】村上天皇崩御ののちの哀傷歌。

野宮に、斎宮の庚申し侍りけるに、松風入夜琴といふ題をよみ侍りける

琴のねに峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ(拾遺451)

【通釈】琴の音に、峰の松風の音が通いあっているらしい。一体この妙なる音色はどの琴の緒から奏で出し、どこの山の尾から響き始めて、ここに相逢ったのだろう。

【語釈】◇斎宮 娘の規子内親王。◇庚申 庚申の晩、徹夜して神仏を祭ること。◇松風入夜琴 松風、夜の琴に入る。唐の詩人李嶠の詩から採ったもので、正しくは「松声入夜琴」。◇かよふ 琴の音と松風の音が響き合う、交響する。「似通う」意とする説は採らない。◇いづれのをより 「を」は「(山の)尾」「(琴の)緒」の掛詞。もとより琴は作者自身が弾いていると解すべきであろうが、上空で松風の響きと混じり合うために、自分が奏でた音とも聞こえず、「いづれの緒より」と訝しんでいるのである。

【補記】規子内親王は天延三年(975)二月に伊勢斎宮に卜定され、翌年の貞元元年九月、嵯峨の野宮に入ったが、翌月の二十七日が庚申に当たり、源順等が招かれて歌会が催された。その時の題詠。

【他出】拾遺抄、古今和歌六帖、金玉集、和漢朗詠集、前十五番歌合、三十六人撰、深窓秘抄、斎宮女御集、女房三十六人歌合

【参考歌】壬生忠岑「後撰集」
松のねに風のしらべをまかせては龍田姫こそ秋はひくらし

【主な派生歌】
琴の音はむべ松風にかよひけり千歳を経べき君にひかれて(*二条太皇太后宮大弐[玉葉])
琴の音や松ふく風にかよふらむ千代のためしに引きつべきかな(摂津[金葉])
琴の音は月の影にもかよへばや空にしらべのすみのぼるらむ(越後 〃)
遠山のいづれのをより出でつらむなかばの月の夜はの面影(源光行)
さか木とる庭火のかげにひく琴のしらべにかよふみねの松風(小侍従)
かよふらしむかふる雲のことのねにうへなき山のみねの松風(慈円)
たまづさのかきあはせたるしらべかな雁のことぢにみねの松風(〃)
さそはなむかよひしことのねにそへてむかふる西の峰の松風(藤原定家)
やまかげぞまだき涼しき松風はいづれの緒より秋と吹くらむ(飛鳥井雅親)

女御徽子女王、伊勢にくだり侍りける時  選子内親王

秋霧のたちてゆくらむ露けさに心をそへて思ひやるかな

【通釈】秋霧のたつ中を発ってゆかれるとは、どれほど露にお濡れになることでしょう。そのことを心に添えてあなた方を思いやることです。

返し

よそながらたつ秋霧は何なれや野辺に袂はわかれぬものを(続古今834)

【通釈】親しくお別れの言葉も残さずに立ち去ってゆく秋霧は、いったいどういうつもりなのでしょう。野辺でお別れしたわけでもありませんのに。

【語釈】◇よそながら お逢いすることもなく。挨拶もせずに別れたことをいう。◇たつ 「(霧が)たつ」「(旅に)たつ」の両義。◇野辺に袂は… 袂は袖。ここでは「別れ」の縁語のように用いており、特に意味はない。

【補記】挨拶もせず伊勢に発ったことを侘びる。

円融院御時、斎宮くだり侍りけるに、母の前斎宮もろともにこえ侍りて

世にふればまたも越えけり鈴鹿山むかしの今になるにやあるらむ(拾遺495)

【通釈】生き長らえた末に、再び越えるのだ、鈴鹿山を。昔が今によみがえったのだろうか。

【語釈】◇斎宮 娘の規子内親王。◇母の前斎宮 作者徽子女王をさす。◇むかし かつて作者が斎宮に下った時をいう。

【補記】「ふれ(振れ)」「なる(鳴る)」は「鈴」の縁語。

【主な派生歌】
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山(西行[新古今])

伊勢に大淀の浦といふ所に、松いと多かりける、御はらへに

大淀の浦たつ波のかへらずはかはらぬ松の色を見ましや(斎宮集)

【通釈】大淀の浦に立つ波が打ち返すように、伊勢へと帰らなければ、かつてと変わらないこの松の葉の色を見ただろうか。

【語釈】◇大淀(おほよど)の浦 三重県多気郡明和町あたりの海岸。◇かへらずは 「(波が)打ち返さなければ」「(伊勢へ)帰らなければ」の掛詞。◇かはらぬ松の色 昔伊勢に下った時から変っていない松の葉の緑色。◇見ましや 見ただろうか、いや見ることはなかっただろう。反語。

【補記】新古今集では第二句「浦に立つ波」、第四句「松の変らぬ色を見ましや」。

【本歌】「伊勢物語」
大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる波かな

伊勢にて九月ばかり時雨のしけるに

秋も暮れ都もとほくなりしより空の時雨ぞひまなかりける(続古今900)

【通釈】秋も暮れて、都も遠くなってからというもの、空からの時雨が暇もなく降ることだ。

【補記】時雨に懐郷の涙を暗示。続古今集・万代集に斎宮女御の作として採るが、斎宮集では「なにのをりにかありけむ、宮の御」と詞書を付した四首のうちの一首で、規子内親王の作とするのが正しいらしい。規子内親王は歌才母に遠く及ばず、勅撰入集は一首に過ぎないが、母死去の際の「影みえぬ涙のふちの衣手にうづまくあはのきえぞしぬべき」など哀れ深い作も残している。

馬内侍がもとにつかはしける

夢のごとおぼめかれゆく世の中にいつとはむとか音づれもせぬ(後拾遺879)

【通釈】夢のように何事も不確実になってゆく世の中に、いつ訪ねてくれるつもりであなたは音沙汰もないのですか。

【補記】斎宮集には詞書「ひさしうさとにおはしましける頃、おなじ内侍のもとに」とある。馬内侍は徽子女王か村上天皇に仕えていたことがあるらしい。

題しらず

大空に風待つほどの蜘蛛のいの心ぼそさを思ひやらなむ(後拾遺1002)

【通釈】大空から吹いて来る風を待つまでのわずかな命の蜘蛛の糸――そんな私の心細さを思いやってください。

【語釈】◇蜘蛛のい 蜘蛛の巣。すぐに絶えてしまうものの喩え。

【補記】東三条院藤原詮子(兼家女。円融天皇との間に一条天皇を生んだ)に贈った歌。詮子の返しは、「思ひやる我が衣手はささがにのくもらぬ空に雨のみぞ降る」

なにごとのをりにか

霞たつ山田のそらの松が枝はいくよの春にあへる色ぞも(斎宮集)

【通釈】霞が立ち込める山田の原の空――そこに枝を広げる松の葉は、幾代の春に廻り逢ってこれほど深い色になったのだろう。

【語釈】◇山田 豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の鎮座する一帯。山田の原とも。

【補記】山中智恵子『斎宮女御徽子女王』は天元三年(980)の作としている。同じ詞書のもと、続く一首は「常世へとかへる雁がねなになれや都を雲のよそにのみきく」。

さい宮つくりかへたるころ、むかしみけるはやくの宮をみやれば、花さきたるをながめやりて

折る人もなき山里に花のみぞ昔の春を忘れざりける(斎宮集)

【通釈】折り取る人もいない山里にあって、嘗てと変わりなく咲いている古い御所の桜――昔の春を忘れずにいるのは、この花ばかりだ。

【語釈】◇さい宮つくりかへたるころ 伊勢斎宮を造り替えた頃。『日本紀略』によれば天元四年(981)正月十三日、斎宮寮雑舎十三宇が火災に遭っている。この年春か、翌年の作であろう。◇はやくの宮 先に住んでいた御所。

【補記】玉葉集1877に採録されているが、詞書は「賀茂のいつきのすみか作りかへられたる比」云々とあり、伊勢斎宮を賀茂斎院に取り違えている。また、第二句は「なきふるさとの」。


更新日:平成16年06月22日
最終更新日:平成20年12月26日