三橋鷹女 みつはし・たかじょ(1899—1972) 


 

本名=三橋たか子(みつはし・たかこ)
明治32年12月24日—昭和47年4月7日 
享年72歳(善福院佳詠鷹大姉)❖鷹女忌 
千葉県成田市田町22–2 白髪庵墓地
 



俳人。千葉県生。成田高等女学校(現・成田高等学校)卒。孤高の女流として知られる。〈四T〉の一人。原石鼎に師事。のち『鶏頭陣』に参加。昭和11年『紺』創刊に参加。28年富沢赤黄男の『薔薇』、33年同誌の後継誌『俳句評論』に参加、のち顧問になる。句集『向日葵』『白骨』『羊歯地獄』などがある。






  

一句を書くことは 一片の鱗の剥脱である
四十代に入って初めてこの事を識った
五十の坂を登りながら気付いたことは
剥脱した鱗の跡が 新しい鱗の茅生えによって補はれてゐる事であった
だが然し 六十歳のこの期に及んでは
失せた鱗の跡はもはや永遠に赤禿の儘である
今ここに その見苦しい傷痕を眺め
わが躯を蔽ふ残り少ない鱗の数をかぞへながら
独り 呟く……
一句を書くことは一 片の鱗の剥脱である
一片の鱗の剥脱は 生きていることの証だと思ふ
一片づつ 一片づつ剥脱して全身赤裸となる日の為に
「生きて 書け----」と心を励ます                                               (羊歯地獄自序)  

鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし

夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり                

この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉              

白露や死んでゆく日も帯締めて

老いながら椿となって踊りけり                

墜ちてゆく炎ゆる夕日を股挟み                



 

 三橋鷹女の俳句は、花鳥風月を詠んでも少々異色だ。思いがけない視点がのぞいている。異色というより限りなく独善的だ。自我の特出がある。生半可の男では太刀打ちできないほどの剛毅・激烈、胆力のある句作をする。存在そのものを確固と築くのだ。築くというよりも突きつけてくるといったほうが正確だろう。恐ろしいほどの魔力であるが、昭和47年4月7日、鷹女は春の日に命果てた。その枕元のノートに23の句があった。一句にはこうある。
 千の蟲鳴く一匹の狂ひ鳴き
 ——幾千の虫の中に、狂い鳴く一人の私がいる。死にゆく時を悟った人間にして、これほど孤高の矜持を示すことができる。何者をも近づけない強靱な魂、壮烈そのものではないか。



 

 成田山新勝寺の参道を辿る傍らに鷹女の像がある。着物姿で手を前に組んだ華奢な立ち姿には、毅然とした気品を知るのだが、彼女の俳句作品に表れるような大胆な激しさを感じることはなかった。もっとも、これがごく自然な彼女の様子なのであろう。
 賑わいの門前を過ぎ、生家があったという公民館近くの小高い丘の白髪庵墓地。ここに、星野立子、橋本多佳子、中村汀女と並び〈四T〉と呼ばれた俳人の墓はある。「三橋之塋」、左の霊標に戒名と没年月日、行年、「六世次女 たか 俳号鷹女」。
 情念、自虐、歓喜あるいは愛惜を置いて、丘の上に生暖かい風が渦巻いている。切り揃えられた細竹の真上、成田空港から飛び立った飛行機が爆音をひき、銀影を傾けて雲間に消えた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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