三木 清 みき・きよし(1897—1945)


 

本名=三木 清(みき・きよし)
明治30年1月5日—昭和20年9月26日 
享年47歳(真実院釈清心居士)
東京都中野区上高田1丁目1–10 正見寺(浄土真宗)



哲学者。兵庫県生。京都帝国大学卒。西田幾多郎に師事。大正11年ドイツに留学、リッケルトやハイデッガーに師事。14年帰国。翌年『パスカルに於ける人間の研究』を発表。昭和2年法大教授。5年治安維持法違反で検挙される。20年3月再検挙され獄死した。『唯物史観と現代意識』『人生論ノート』などがある。







  

 死は観念である、と私は書いた。これに対して生は何であるか。生とは想像である、と私はいおうと思う。いかに生の現実性を主張する者も、飜ってこれを死と比較するとき、生がいかに想像的なものであるかを理解するであろう。想像的なものは非現実的であるのでなく、却って現実的なものは想像的なものであるのである。現実は私のいう構想力(想像力)の論理に従っている。人生は夢であるということを誰が感じなかったであろうか。それは単なる比喩ではない、それは実感である。この実感の根拠が明かにされねばならぬ、言い換えると夢或いは空想的なものの現実性が示されなければならない。その証明を与えるものは構想力の形成作用である。生が想像的なものであるという意味において幸福も想像的なものであるということができる。

(人生論ノート)



 

 昭和20年3月、共産主義者高倉テルを匿った理由で治安維持法の罪に問われ、東京中野・豊多摩刑務所に繋がれた三木清。疥癬と栄養失調、腎臓病にも冒され、終戦の日が過ぎてもなお独房の寝台に身を横たえるしかなかった。
 戦争という時代への抵抗は、やがて絶望感から虚無感へと変わり、親鸞の末法思想へと傾いていったが、日本の敗戦を知っていたのか、知らなかったのか、終戦から1か月余も経過していた9月26日、独房寝台から転げ落ちて死んでいる一人の寂しい哲学者の姿があった。
 ——〈人はそのひとそれぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである〉。



 

 江戸時代「明和の三美人」と呼ばた笠森お仙の墓もある真宗の寺に「三木家之墓」はある。播州は浄土真宗の盛んな土地柄で、加賀と並んで真宗王国と呼ばれていたが、加賀から西田幾多郎、鈴木大拙が、播州から三木清、和辻哲郎が輩出されたのは真宗の精神風土が影響しているのだろうか。
 合理主義理論家の彼が〈ぼくは親鸞聖人の信仰によって死ぬだろう〉と言ったと聞くが、獄中で書いた遺作『親鸞』にこうある。〈我々はその生滅変化が必然的であるものにおいて無常を感じるのである。しかしそれは自然必然性ではなく、むしろ運命必然性である。自然必然性が単なる必然性であるに反して、必然的なものが同時に偶発的であり、偶発的なものが同時に必然的であるところに、運命あるひは宿命といはれる必然性がある〉。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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