秋になって
金木犀のオレンジ色の小さな花が咲き
強くて甘い香りを放つ頃になると
遠く過ぎ去った日の記憶が鮮やかに蘇ってくる
十年前に一年七ヶ月暮らした京都の町
胸の奥にしまい込んだ微かな光の粒の
目を瞑ってしか見えない
懐かしい記憶の先の
あるいは彼岸へと続く静かな時間
時が移ろい
新緑の季節が過ぎたころ
ふと目覚めた日のあしたは
透明に重なる感傷を背負って
古い都を歩いてみたい
東山と高原通り、今出川通り、東鞍馬口通りに囲まれた
平安京の外、洛外の地北白川の
伊織町三十番地
私の住んでいた五条大橋の袂からは
鴨川の遊歩道をぐーんと上り
下鴨デルタの先
糺の森から高野川に架かる御蔭橋を渡る
川端通りから東鞍馬口通りを東に
吉田山麓から松ヶ崎に通ずる北白川疏水道まで来るともうすぐだ
疏水に沿って
米国人建築家ヴォーリズ設計の駒井家住宅の方角に進むと
午後の木漏れ日が降りそそいで
土庭に柔らかな樹影を映している藤棚のある小さな公園が目に入る
いつの日だったか
この藤棚の下のベンチに腰掛けて
湿り気の残った地面に
四方いっぱい枝をひろげた木を描いてみたことがあった
あの時に見た光景の
疏水沿いの道を
日傘を手に乳母車を押していた母の姿も
自転車で駆けて行った子供らも
今はもう
ひとつ
またひとつ
雪洞の灯りのように儚くて
欅の木を曲がった先の角に
芦生杉の生垣があって
枝垂れ桜や百日紅、ヒマラヤ杉の奥に
古ぼけた木造二階建ての洋館風アパート
三角屋根の玄関
小さな丸窓のステンドグラス
思いのほか白かった外壁のスペイン窓
相変わらずペンキがはがれ落ちて
アパート名も判然としない
横長の手書き看板が掛かっている
開きっぱなしの玄関を入ると
いきなり飴色にくすんだニ階に上がる階段手すりがあって
正面の廊下を奥に進むと
くたびれたオートバイや自転車が並んでいる
昔ながらのタイル張りの洗濯場がある中庭の向こうに
熟れた実をつけた柿の木も見える
いまどき風呂なし、共同炊事場、共同トイレ
むかしむかし大島渚や竹久夢二が住んでいたとか
まことしやかな噂も流れている
築年数不明の摩訶不思議なこのアパートに
今はカフェやジュエリーショップも入っているらしい
かつて幾たびこのアパートに足を向けたことか
懐かしさのあまり不審者のように
奥の階段あたりでウロウロしていると
いきなり部屋から出てきた女性に
「こんにちは」と声掛けされてドギマギした
銀月アパートメント
あのスペイン窓からの眺めを思ってみたりもする
もしかしたら窓の外には今とは違った物語が流れていたのだろうか
違った人々と交わっていたりしたのだろうか
眼を瞑る
瞑った瞼の裏に見えなかったものが見えてくる
意識と眠りの揺らぎ
その淡く細いあるがままの時と空間
いつか昔に戻ってこのアパートに住んでみたいと思っていたが
果たすには歳をとりすぎてしまった
私の青春は思い描いたほど決して明るいものではなかったが
もし望むべき青春の香りがあったとすれば
あの
京都の学者町
北白川の
銀月アパートメントとの出会いだったのかもしれない
木立から木立へと
吹く風の向きが変わったように
江戸の昔、遊郭のあった大通りの
先ほどまで騒がしかった救急車のサイレンも遠のいてく
何も考えず外の景色をただぼんやりと眺めながら
時の経過を楽しんでいる
カーテンを開けっ放しにしているのが好きなのだけれど
今夏の暑さに負けたのと
窓側に置いた植物が枯れてしまうのを憂慮して
ずっと閉めたままにしているレースのカーテン越しに
おそい朝の光が差し込んでくる窓辺にもやっと静寂が戻ってきた
ベランダに長い間放置していたまま
ふとした思いつきで数年前から置き始めたメダカ飼育用の真っ黒な大鉢
ミニサイズの水中ポンプでちっぽけな渓流らしき景を設えて
養土を使わずに水苔だけで寄せ植え栽培した
黄白色の段斑模様の鷹の羽ススキ
お辞儀草、初雪葛、千両、アマドコロ(甘野老)、ネフロレピス・ダッフィー
胡蝶の舞、富貴草、蛍斑の石蕗
セダム・アトランティス、ギボウシなどが青々とした枝葉を輝かせ
少し開けたガラス窓から柔らかな風が舞い込んでくると
細く垂れたススキの葉をさわっと揺らせて
あれやこれや雑然と置かれた大小様々な鉢植えの向こうに
夏の香を宿した寺町の甍がうっすらと見える
遠い記憶の
あの懐かしい日々のように
毎回の更新時には5〜7名ほどの作家を新規掲載していましたが、今回はまとめて20名の作家を新規掲載いたしました。
1995年7月に「文学者掃苔録」を開設して以来31年と3ヶ月、掲載作家は700名を超えて709名になりました。
不規則な仕事をやりくりしながら全国の墓地から墓地へと掃苔を続けてきました。職を退いてからは自由気ままに掃苔できると喜んでいましたが、あにはからんや体力の衰えに予期せぬ体調不良が加わって、思うような成果もあげられないまま、だましだまし今日まで細々と継続してきました。
振り返ってみればそれでも31年、当初は思い描きもしなかった地点に辿り着くことができましたが、今日この日、とうとうめでたくもあり、めでたくもなしの傘寿、80歳の大台になりました。故人の掃苔どころか、私自身が掃苔される側になる確率が非常に高い齢になってしまいました。 ……唖然とするばかりです。
2022年9月に体調不良で一時中断した後、2025年2月に再開しましたが、またまた症状がぶり返してきたようで、ここのところ大学病院で検査、検査の毎日です。ここ数年来の体調不良や今春に骨折した手首の治りも思わしくなく、痺れが残ったまま、キーボードを打つ操作も休み休みといった有様、固有名詞の忘失など年相応の痴呆も加味されて、「文学者掃苔録」の定期的な更新が覚束なくなってきました。
「文学者掃苔録」を閉鎖するつもりはありませんが、個人情報保護の世相も厳しくなり、墓所の特定も難しくなって、墓参が叶わないケースも増えてきていますので、以後は体力、気力の赴くまま、不定期に継続させていただこうと思っています。
「文学者掃苔録」冒頭の言葉のように、ひとつひとつの朝を数えるようにゆっくりゆっくりと歩いてみたい、残された時間も、私の歩む道もまだまだ遠い?かどうか神様だけが知るところでしょうが。そしてひとり、またひとり、掲載作家が指折りつけ加えられる日が訪れることを願っています。
どうか皆様も末長くお見守りくださいますようよろしくお願い申し上げます。
窓技派に深く打ち付けられた朝霧の中に……
自然は流れ
人は還る
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