後記 2015-11-01                    


 

 滝の音が遠くに聞こえている。

 大阪郊外・箕面国定公園内にある龍安寺霊園に小松左京の墓を訪ねたのち、涼やかな緑風に頬を委ね、渓流に沿った道をゆっくりと歩きながら、つい昨日訪れたばかりの海辺の墓地を思っていた。

  ここ箕面の地に晩年を過ごした詩人港野喜代子の墓を若狭の海辺に訪ねようと思ったのは、3年前に永瀬清子のページを編集しているときに興味を覚えた一文からのことでした。

  ——永瀬は深尾須磨子の一周忌の法事の時に喜代子と出会い、小さな声で、
 「港野さん、いくら包んできた?」ときくと、彼女は膝の前のすみれの小さな鉢を指さして
「私はこれ!」と云い「それに詩も書いてきてるよってに。」とつけ加えた。
私も詩を書いて来てはいたが、私は法事を主宰する方への心づかいをしていたのだ。
 彼女はただ亡き深尾さんが、彼女のすみれの紫を喜んで受けてくれる、とだけ信じているので、その事が却って、私の世俗心を、ピシリと打った——。

 

 昭和51年4月15日、箕面の自宅庭に椿が咲き、桃が咲き、匂い菫の花が咲く頃に風呂場でひとりぼっちで死んでいった港野喜代子。

  いつも走り書きの手紙をよこした港野さん 
  いつもおどり書きの詩をよんだ港野さん 
  あなたはとうとう逝ってしまった 
  あなたの心はいつもいそいでいたから 
  死の方へもあまりにもいそいでとびこんでしまった
  (中略)
  彼女はアスファルトの上で詩を書き
  走るバスの中で書き、そして駅の階段をのぼり降りして書きつゞけた
  生活と詩はないまざり、そこで彼女の詩はいつもいつもぶっつけ本番だった
  彼女はスキあらば書いた
  彼女はかなわぬまでも書いた
  彼女はすて身で浮かぶ瀬をみつけて書いた
  彼女は四人の子をそれぞれに一人立ちさせるまで書き
  彼女はやがて自然の野の花のように書いた
  彼女はそして野の花が散るように散ったのだ

 永瀬清子がその死を追悼した喜代子は、昭和20年4月から5年ほどの間、〈京都から宮津線で、西舞鶴を過ぎ、由良川ぞいに、ししょ、しののめ。その次の小さな駅が丹後神崎である。その次の由良駅は山椒太夫などで知られてもいるが、この神崎というところは、戦前も戦後もしばらくは、素朴な寒村であった。〉と記した夫の郷里京都府加佐郡神崎村(現・舞鶴市西神崎)で機械設計技師であった夫を大阪に残し、四人の子供たちと戦中戦後の疎開生活を送ったのです。

 

 夜行バスで降り立った西舞鶴から折りたたみ自転車で50分ほど、〈駅員もいない小さな駅を下りて、山裾の笹草の道や、砂畑の間をよぎり、砂丘を登りつめると、いきなり、若狭の海の青さがひろがる。〉、と喜代子がくりかえし愛おしんで書いた丹後神崎の村にたどり着いたのは、盛りをむかえる前の夏の朝のことでありました。

 若狭の国の青く美しい海辺、由良川から運ばれた2kmほどにも及ぶ広い白砂の浜は遠浅で、若狭国定公園にも指定されており、夏のシーズンには海水浴客で賑わうということですが、夏が始まったばかりの朝早い時間帯ゆえでしょうか指折り数えられるほどのまばらな人影しか見あたらず、笹ゆりやハマナスなどが防風林として植えられた松林の傍らに今を盛りと咲きほこっているばかりでしたが、 

  光り ひとすじを
  切りかえし切りかえし
  光り いくすじかに折りかえし
  ひろがりつつ 束ねつつ
  夏の終わりをも蜂の一群の
  きらめきの角度
  草の道に続く
  砂の道の
  まばゆく
  激しく

  浜なでしこや 
  夏ききょうが 
  熱砂に埋まり傾きの 
  細い姿で涼やかに 
  咲きゆれ咲きみだれ 
  墓は墓のしきたりで 苔むし 風化をつづけ 
  日本海をさらさら渡ってきて 
  砂丘をさわさわと ひいて行く 
  風紋の果ての果てから 
  私を招くかに 
  陽炎のひと渦 
  悲哀が透明になると 
  もうどんなに砕かれても 
  汚れようのない愛しみだけが続き 
  海の墓も 
  空の墓も  

 

 と喜代子が歌い、毎年の8月15日には亡夫の墓参りに訪れたという防風林の背後にある墓地には、かつて折口信夫の眠る能登一ノ宮気多神社南疎林の小高い沙丘にあった墓地で見たような落武者の屍の如くに点々と転がる石碑。名も刻されず密やかに葬られた村人の頭部大の自然石、丸い石塊や平べったい石塊があちらこちらに散在している。

 〈ご主人のものであろうか、隣り合わせに似通った墓石があり仲良く並んでいたが、おとなの腕一抱えにもみたないふたつの自然石がぽつんと置かれてあるだけであった〉——喜代子の十三回忌が過ぎた頃、港野夫妻の墓を訪ねた詩同人仲間のこんな記事を頼りに海辺の墓地までやってきたのでしたが、あまりにも多いそれらの石塊に呆然と立ちすくむほかありませんでした。しかたなく港野家の菩提寺である永春寺まで引き返して老住職に案内を請うて墓地に戻ってきたものの6,7年前に隠居した老住職は以前にあった場所に見当たらない墓石に戸惑うばかりの様子で、出先のご子息(現住職)に連絡してくださって判明したところによると、港野家の墓を管理していらっしゃった地元縁者の方が近年に亡くなられて以降、縁者の墓共々整理され何処ぞへと行方知れずになってしまっているとのこと。

 儚くも哀しい墓参。
 かつて喜代子が熱砂の中の墓の周りをさまざまな思いで心かけ、めぐり跪いた砂地の墓域に夏草は細々と生え、佇む私の耳元に日本海の熱く湿った潮鳴りがとぎれることなく松林越しに聞こえてくるばかりでありました。

  砕けに砕けつつ
  寂しさのきわまりを
  蜂の行手に放し
  砂の花の
  ま昼に
  灯す

        (昼に灯す)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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