後記 2022-09-14                 


 

    

 思い立って二度目の伊勢路に足を踏み入れたのは、もう8年も前、平成26年のこと、南天の実が赤朱色に色づく初冬の頃でした。
 五十鈴川を越え、神宮神田のある楠部あたりから2kmほどいった先に、モダニズム詩人北園克衛の生家が遺る往昔の里がありました。三重県伊勢市朝熊という登山口のあるその集落から、標高555mの朝熊山上にある伊勢神宮の鬼門護持の寺、朝熊岳金剛證寺を目指して先人の足跡を辿るように、岳道をゆっくりと2時間ほどかけてたどり着いた奥の院の極楽門、入り口脇に石塊の積み重ねを基壇とした墓域に一族の墓石が屹立していて一番手前にその墓はありました。
 平成15年、伊勢市内の一誉坊墓地に詣で対面したことのある竹内浩三の墓は、平成17年12月、浩三が愛した魂が還るといわれる霊山、朝熊山のこの場所に改葬されていたのです。
 その左横、少し離れて建つのは「ぼくが死んだら豆腐のような白い小さなお墓を建ててほしい」と出征前に話していた浩三の思いを受けて、姉のこうさんらが昭和55年5月に建てた「骨のうたう」の詩碑。

   アア
   戦死ヤアハレ
   兵隊ノ死ヌルヤアハレ
   コラヘキレナイサビシサヤ
   国ノタメ
   大君ノタメ
   死ンデシマフヤ
   ソノ心ヤ

 

 ひとしきり誦習して、極楽門を潜った先、霧の中に林立する巨大な卒塔婆の参道を本堂魔尼殿に向かいながら、お経のように繰り返し繰り返し唱えていたのです。

 碑では八行だけに省略されていましたが、本当は

   戦死やあわれ
   兵隊の死ぬるや あわれ
   遠い他国で ひょんと死ぬるや
   だまって だれもいないところで
   ひょんと死ぬるや
   ふるさとの風や
   こいびとの眼や
   ひょんと消ゆるや
   国のため
   大君のため
   死んでしまうや
   その心や

   白い箱にて 故国をながめる
   音もなく なんにもなく
   帰っては きましたけれど
   故国の人のよそよそしさや
   自分の事務や女のみだしなみが大切で
   骨は骨 骨を愛する人もなし
   骨は骨として 勲章をもらい
   高く崇められ ほまれは高し
   なれど 骨はききたかった
   絶大な愛情のひびきをききたかった
   がらがらどんどんと事務と常識が流れ
   故国は発展にいそがしかった
   女は 化粧にいそがしかった

 という語句の後に続いているものなのです。

 大正10年5月12日、伊勢市の大きな呉服商の長男として生まれ、昭和20年4月、陸軍上等兵として比島バギオ北方1052高地において23歳で戦死したこの詩人の澄みきった魂が、故郷伊勢の霊山に還ってきているのかどうかは知る由もないのですが、ロシアのウクライナ侵略で国際秩序が乱れに乱れ、世界中が恐怖と不安で揺れ動いているこの最中、戦争の愚かさ、戦争の非情さを直視して深奥に潜む心の丈をうたった浩三の純粋さに心うたれてしまうのです。
 そういえば以前に竹内浩三の墓に詣った時も(編集後記2003-02-28)、ちょうどイラク戦争に突入寸前の頃で、世相も今の状況とよく似ていたように思います。

 与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」
   
   あゝをとうとよ、君を泣く、
   君死にたまふことなかれ。
   末に生れし君なれば
   親のなさけはまさりしも、
   親は刃をにぎらせて
   人を殺せとをしへしや、
   人を殺して死ねよとて
   二十四までをそだてしや。
   (後略)

 や、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」

   わたしが一番きれいだったとき
   街々はがらがら崩れていって
   とんでもないところから
   青空なんかが見えたりした

   わたしが一番きれいだったとき
   まわりの人達が沢山死んだ
   工場で、海で、名もない島で
   わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

   わたしが一番きれいだったとき
   だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
   男たちは挙手の礼しかしらなくて
   きれいな眼差だけを残し皆発っていった

   わたしが一番きれいだったとき
   わたしの頭はからっぽで
   わたしの心はかたくなで
   手足ばかりが栗色に光った

   わたしが一番きれいだったとき
   わたしの国は戦争で負けた
   そんな馬鹿なことってあるものか
   ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

   (後略)

 など、反戦詩は古今東西、数多くの詩人に歌われ、今日までも脈々と受け継がれているのですけれど、それらの詩を目にするときはいつの時も、あの霧けぶる朝熊山に鎮まってある若い詩人の墓と詩碑が脳裡にダブって映し出されてくるのです。

 今回掲載した英文学者で平和運動家の中野好夫の『吾々の民主主義』にある〈欺された欺されたと国民はいう。もしそれが単なる口頭弾でなく、骨身にしみて感じているならば、たとえいかに困難があろうとも、二度と再び偽英雄や偽指導者に欺されないために、われわれ自身の力で民主主義を正しくするのが真に英雄的な責務であろう。〉という厳粛な言葉をはっきりと深く胸に刻みたいと思います。

 

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 まことに唐突ですがお知らせいたします。

 『文学者掃苔録』は1995年に開設以来27年間にわたり細々と運営してまいりましたが、一身上の都合により今回の更新を区切りとして無期休止とさせていただきます。
 あと3年、30周年となる2025年まではなんとしても続けてまいりたいと願っていたのですが、このような中途半端な形で休止することは私自身、忸怩たる思いでいっぱいです。
 あるいはふとした時期にまた再開するやも知れませんが、それはそれ、長い間ご愛読いただいた皆様、叱咤激励のメールをいただいた多くの方々に心より御礼申し上げます。
 ありがとうございました。
 なお、『文学者掃苔録』は、いつでも訪れていただけますようにページそのものはこの先もこのまま現状維持してまいりますので、いつでもお訪ねくださいますように。

 

   人影は絶え
   赤い実をついばむ小雀の
   疎林の向こうに見えた遠茜
   里山の現はすっかり暮れて
   桂の木の葉は揺れるたびに
   微かな甘酸っぱい匂いを散らした
   作法のようにためらい
   喉の奥に忍び入る
   かげろうの揺曳
   昨日と今日の二つに分かれた
   あるがままの命の定めを
   自在に生ききったならば
   黒い影となって飛び立った一羽の鳥の
   意外なほどのびやかな姿も
   虚空に消えた気配も
   無名の闇からもれてきた吐息も
   音も
   余韻も
   沸き立つような白い雲の
   ずっと下で
   見なかった人を
   聞かなかった言葉を
   先だってあった夏のつづきを
   重なった二枚の落ち葉を
   深む秋を
   深々と背にうけながら
   こののちも
   ことさらに静かな時間の後ろに
   ためらいなく
   その立ち位置をくっきりと記そう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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記載事項の訂正・追加


 

 

 

 

 

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