後記 2016-02-21                    


 

 かつて京都駅前、路面電車(通称N電)停留所の前に「松本旅館」という古ぼけた旅館がありました。

 私は昭和40年2月の終わり頃、京都市立美術大学(現・京都芸術大学)デザイン科を受験するためにこの旅館に宿泊したのですが、地方からの受験生のために大学が用意した指定旅館で、主に修学旅行生のための宿であったように思います。
 二階の一室では日本画、洋画、彫刻、デザイン、工芸などを目指す6,7名の若者たちが直前に迫った受験という不安を払いのけるかのように、それぞれの将来の夢などを夜が更けるまで熱く語り合って過ごしたのでした。相反して翌朝は京都特有の底冷えのする酷く寒い日だったように記憶しています。
 私は皆より早めに出立して学科試験を受けるために受験会場であった京都御苑の北にある同志社大学(受験生が多くて美術大学の校舎では収容仕切れなかったための処置だと思います)までの道のりを、小雪が降り始めた京都の町筋や御苑の中の砂利道を黙々とただひたすら歩いて行ったのでした。
 その後日もまた同じように小雪の舞う中、学科試験に合格した者だけが受けられるという東山にあった美術大学本校舎での実技試験と面接に臨んだものの、まったく思うような結果が得られず、泣く泣く京都をあとにしたのでしたが、その後の人生は当時私が描いていた京都をスタートとする将来の夢とは全く違うものになってしまったのです。
 傷心を抱えたままの体をむりやり東京に向かわせ、当時高円寺で画塾を開かれていた土味川独歩先生に師事したものの、一年も経ずして先生の急死にあうという不運にも見舞われてしまいました。それ以後も青春という季節の半分は挫折、挫折の繰り返しでありましたが、幸いなことにどうにかこうにかデザイン・設計関係の職種を得て人生の大半を歩むことができ、また一方では唯一無二、生涯の師と誇れる人にも出会うことができました。職業上、生活上の激しくも辛い紆余曲折、通常では体験すべくもない生死の極まりにも二度、三度と遭遇しました。もちろん快哉と叫んだことも多々ありましたが、過ぎ去っていく日々を徒に数えながらもうこれ以上は望むべくもないと思った時に、ずっと頭の片隅にあった想いが浮かび上がってきたのです。

 京都で暮らしたい。

 吉川英治「新・平家物語」の最終章にはこうあります。

 〈麻鳥と蓬の老夫婦が、吉野の一目千本の桜霞を前に、谷に臨んで白髪の雛でも並べたように行儀よく、そしていつまでも黙然とすわっている---。
 思えばおそろしい過去の半世紀だった。これからも、あんな地獄が、季節をおいて、地へ降りて来ないとは、神仏も約束はしていない。栄華を誇った平家が滅びたあと、その平家一門を討った判官義経も、あえなく平泉の露と消え果ててしまった。そしてその義経を滅した兄頼朝も急死した。また義経を讒言した梶原景時も、頼朝の死後、たちまち没落した。その源氏の世さえ、もう先が見えている---。
 ただ、世の権力の興亡の外に生きてきた町医者麻鳥夫妻の上に、いま平和な幸せが訪れていた。 (中略)
 そして夫婦とも、こんなにまでつい生きて来て、このような春の日に会おうとは。
 やっと、箸も終って、
 「おいしかったね。……蓬」
 と、初めて、そこで声が聞かれた。
 「ほんとに、夢の中で食べてるみたいに、食べてしまいました」
 「ほら、鴬がないてるよ、あれも迦陵頻迦と聞こえる。極楽とか天国とかいうのは、こんな日のことだろうな」
 「ええ、わたくしたちの今が」
 「何が人間の、幸福かといえば、つきつめたところ、まあこの辺が、人間のたどりつける、いちばんの幸福だろうよ。これなら人もゆるすし、神のとがめもあるわけはない。そして、たれにも望めることだから」〉

 

 麻鳥と蓬の会話を思い浮かべながら思ったのです。家族を東京に残して、たった一人で京都に暮らすという私の勝手な我が儘を果たして神様さまは許してくださるのであろうか。もし許されるなら………と。
 
 そうはいっても東京での家庭もあり、幾日と知れず思案に明け暮れたのでしたが、一年を限りとしてという私の願いを快くかどうか?………半ばあきれ気味、半ばあきらめ気味であったとは思いますが、何事もないように聞いてくれた妻にはただただ感謝するのみでありました。

 今、私は京都にあって東西南北の通りを「丸竹夷二押御池……」などと古くから習わしの数え歌を口ずさみ、名所旧跡を訪ねるというよりも、辻々に立ち止まり、古の京都びとに想いを馳せながら、この町の時々を過ぎてついに帰ってこなかった想いのすべてを描くように彷徨っています。
 東京に暮らすようになってからも幾たびも京都を訪ねてはいたものの、古傷を思い出すのがいやで、ついぞ訪れたことのなかった東山の美術大学を五十年ぶりに探してみたのですが、三十三間堂を突っ切ったあたりにあったはずの記憶の校舎は何処にも見当たらず、小一時間も探し回った果て、ここらあたりではなかったのだろうかと思った場所で、家の前の掃除をしている年配の女性に尋ねたところによると、大学は私が受験した年から幾年も経ずして京都市立芸術大学と名を変え、市街から大きく離れた西の地に移転、その敷地は隣にあった真言宗智山派総本山智積院に飲み込まれてしまったということでありました。

 
 何もない場所
 表札の跡を残した灰色の門柱だけが残っている
 ブロック塀のむこうに立つ裸木で一羽の百舌が甲高い声で鳴いた
 「キィー キィー キチキチキチ」
 喪ってしまったものに立ち止まる場所はなかった
 得たものと喪ったもの
 一呼吸している間に終わってしまった昨日と今日
 明日の日はようやく呼吸をはじめ
 無言のままにまた沈んでいく
 密やかに忍んでくるのは
 光の匂い、闇の煌めき、見えない何か、聞こえない何か
 風が吹いている
 竹林が鳴いている
 
 渡る音、木々の移ろい
 清々しい階調の流れに群れを外れたオナガガモが一羽
 花屋の店先で名前も知らない黄色の小花が揺れている
 今日という日が幸福なのかどうか
 湿った土庭
 散らばった枯葉
 虫食い穴のような悔恨は無造作な風に吹き上げられて
 身を預けた空に日の翳りを一閃させて揺らめきを支えている
 百舌がついばんだ木の実はささやかな命
 こまぎれの時間
 目映いのはひとりの記憶

 小路、路地、辻子、図子、突抜
 さまざまな迷い道
 つながる先の見つからない迷い道は私がもっとも好む道だ
 古い小路を歩く
 狭い路地を歩く
 京都の人は「路地」を〈ろうじ〉と呼ぶらしい
 「上京區椹木町通油小路東入東魚屋町」
 辻に掲げられた古びれた仁丹印の標識を横見ながら歩く
 「天使突抜二丁目」という奇想天外な標識に出会った
 路地の板塀に映った人影がふっと消えて、遠い記憶の匂いが漂ってきた
 
 

 東京の家ではもう沈丁花の薄桃色の花が咲きはじめたそうですが、五十年を経たいまになっても御苑の砂利道を踏んでいると、すっかり晴れた空からも冬の景色が降りおりてきて寒々しい小雪が舞ってくるのです。

 あの松本旅館は大きく建て替えられ、駅前の同じ場所に記憶をなくして建っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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