後記 2018-10-01                   


 

  

 

  永遠に続くかと思われた酷暑の季節もようやく終わり、木立の梢から梢へと色なき風がわたるころになると、我が家のベランダの庭では数珠珊瑚がそれはそれは小さな赤い実をつけはじめます。もともとはどこかの道端で採取した十数センチにも満たなかったものを気まぐれに鉢に植えてみただけだったのですが、いつの間にか幹も太くなり枝を大きく広げ、となりに置いてあった榧や桜の鉢にもこぼれ種から立派に成長して、いまでは狭い庭の一画を占有するまでになりました。
  茎の葉腋から花茎を横向きに出して総状花序をつけ、一見して儚げな薄桃色の花を咲かせたのち、萼片でくるまれた三、四ミリほどの緑色の実となり、それらのひとつひとつが白色から薄桃色に染まり、次第に赤みを帯びてくる様を楽しむのが毎朝の水やり時の習わしになっているのですが、水滴がついて艶やかに光り輝く珊瑚色の実をながめていると、我が身の老いをつくづく感じながらも美しすぎるほど洗われた心にはただただ心地よい時をあたえてくれるのです。

 

  浮かび上がる秋の気配の
  寂しさだけが繰り返し過ぎてゆく
  昨日の光に晒された光景の陰翳と
  明日に深まる緑の匂いに
  今日は今日だけの時を刻もう

  消え去る世のよしなしごとに
  照らされてある命の果て
  いくどとなく過ごしてきた日々の
  熱くたぎる情熱も
  くっきりと描かれた境界も
  不浄ならざる童女の手もつ野の花も
  大きくうねる谷と谷の彼方
  遠い空の稲妻に切り裂かれ
  蒼く光る漣のうしろに
  飛び跳ねる泡のひとつひとつが
  瞬く間に消えてゆく

  山でもなく
  川でもなく
  野でもなく
  人里はなれた迷い道に
  はじめての聲を聞くのは
  最も近しい人の遠い時間
  深々と茂った森の奥
  すこしばかりの野の原に
  薄の穂先はそよと揺れ
  土に還った魂の
  暮色にまぎれて
  微かに聞こえるざわめきよ

  地面ををたたく雨音は
  最期に聞いた心音のごと
  きれぎれの風は
  異界にこだまして
  やがては
  ゆるりと
  夜が近づいてくる
  ああ
  定めとはそのような

 

  私の住む町は本郷台地と上野台地の谷間を南北に走る不忍通りを境にして西と東に分断されており、それをさらに西の台地から下ってくる団子坂と東の台地に上っていく三崎坂で南北にも分かれています。複雑な地形の西側の大方は本来「山の手」に含まれ、東京大学にも近く、夏目漱石、森鷗外、川端康成、高村光太郎、宮本百合子、江戸川乱歩、池田満寿夫、青野季吉、車谷長吉、木下順二、林芙美子、佐藤春夫、山本有三、吉本隆明・ばなな父娘などといった文学者たちが住まいしたところでもありました。
  観潮楼と称された森鷗外邸(現・森鷗外記念館)の東側、急勾配の縁辺に〈絶壁の頂に添うて、根津権現の方から団子坂の上へと通ずる一条の路がある。私は東京中の往来の中で、この道ほど興味ある処はないと思っている。〉と永井荷風が『日和下駄』に記した細い脇道(通称藪下の道)があり、かつては歌会に出席するために石川啄木、与謝野鉄幹、伊藤左千夫、佐佐木信綱、吉井勇、北原白秋、上田敏、長塚節、齊藤茂吉など多彩な面々が観潮楼へと向かって歩いた道です。この藪下の道を南に戻って権現坂まで下るとそこは根津神社の裏門にあたります。五代将軍徳川綱吉の兄綱重の子・綱豊(甲府藩主)が六代将軍徳川家宣となって江戸城に移った藩邸跡地に普請されたのがこの根津神社(古くは根津権現と称された)です。家宣は幕制によって祭礼を定め、江戸全町より山車をあつめ、天下祭りと呼ばれる壮大な祭礼を執行しました。同じ格式による山王祭、神田祭とあわせて江戸の三大祭りといわれていますが、どういう巡り合わせか私の知る限り例大祭三日間のうちの一日は必ず雨が降るようです。

 

  颱風の煽りをくった大粒の雨が
  絢爛豪華な神輿の上に間断なく降り落ちては
  宝石の水玉となって四方に飛び跳ねている
  つま先立ちのリズミカルな動きと
  江戸担ぎ独特の「そいや、そいや」のかけ声
  笛や太鼓、 鉦の祭囃子に狂わされたかの如く
  狂喜乱舞する担ぎ手
  たたきつける容赦のない雨
  ずぶ濡れになった担ぎ手のかけ声と
  揺れるたびに
  歓喜の悲鳴を上げる神輿に取り付けられた飾り鳳凰や鈴の音
  それらが相まって
  七階の私の部屋にまでどっとわき上がってくる

  これほどにも美しく
  これほどにも一途に
  これほどにも空っぽな
  すべては神々のために
  この世の隅に息づいた真っ直ぐな命の一筋

  深呼吸しながら
  記憶のほころびをひもとくと
  あちらこちらに散らばった人生の分かれ道が
  ぽっかりと現れて
  昨日に晒されたきれぎれの関わりも
  やわらかな土の匂いや
  色づき始めた街路樹の移ろいも
  響き合う往来の賑わいにかき消されてしまった
  次第に濃くなる終わりの風の
  ひたすら走る残像を背後に残して
  いまはただ
  雨降る町の
  煌めくざわめきに酔いしれよう
  
  静かに起き上がってきた季節について
  私はなにも知らないし
  なにもいえないのだ
  私の逃れた場所
  私のいた場所
  語らなかった悔恨
  語れなかった哀しさ
  
  不可思議な言葉を追いかけて
  私は今日も生きている

 

 

 

 

 

 

 

 

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