後記 2016-10-06                    


 

 

 雨上がり、めずらしく涼風が吹き抜けてゆく山裾の古道を、修学院離宮から雲母坂、曼殊院、詩仙堂、金福寺へと歩いてみました。

 京都造形大学のある上終町バス停の先を右折して西に向かうと、琵琶湖北西岸の滋賀県今津町を北端に京都市左京区の吉田山南方に至る全長50km程の花折断層が脇を通る京都大学農学部グラウンドのすぐ近くに、吉田山麓から高野橋北側までの短い区間を北白川疎水道が通じています。桜並木がつづくその道は緑陰深く、同じ疎水道として銀閣寺橋から若王子橋までの観光客であふれかえる哲学の道に比べて、人影もまばらで藤棚のある小公園などもあり、なんとも静寂な散歩道なのですが、その疎水道に突き当たるちょうど右角に、古ぼけた木造二階建てコの字形の洋館が迷い込んだ霊妙世界の入口のように建っているのです。赤瓦葺き三角屋根の玄関壁にはペンキがはがれ落ちてアパート名も判然としない横長の手書き看板が掛かっていて、アプローチの紅しだれ桜の脇に百日紅の木が一本、緑葉の翳りの中に薄桃色の花を清楚に浮かばせていました。

 銀月アパートメントを見たのはその時が初めてでありました。

  目を開けると
  朝の気配の
  ちいさな風が吹いている
  雲に遮られた日差し
  樹葉の隙間から射し込んでいた光の
  さっと和らいだとき
  雀がついばんでいた木の実が消えた

  緑に埋もれて
  白い木枠のスペイン窓
  丸窓のステンドグラス
  前庭のしだれ桜
  春には淡い桜色に染まる
  ところどころはがれ落ち
  いくたびも修復されて凸凹になった白い外壁
  玄関に半開きの押し戸

  コンクリートの廊下にへこんだ猫のあしあと
  飴色にくすんだ階段手すり
  間取りの違う四畳半ほどの狭い部屋が二十戸ほど
  雨滲みの広がった天井
  風呂なし、共同炊事場、共同トイレ
  築年数不明
  八十年、百年とも
  中庭の
  二階廊下からつきだした物干し場
  簀の子の隙間から白い蝶が舞いおりて
  柿の木のある夏草の生い茂った庭に
  昼の光と夜の光が交差する

  秋には金木犀が小さなオレンジ色の花を咲かせ
  強くて甘い芳香をただよわせる
  なくなってしまった時の
  よどみなく諳んじてみせる昔ばなし
  大島渚や竹久夢二が住んだこともあるらしいとか
  伝説はあやふやで
  いつもひとり歩きだ

 大正末期から昭和初期に形成され、学者村と呼ばれたその周辺には米国人建築家ヴォーリズ設計の駒井家住宅などもあって、閑静な住宅地となっているのですが、幾たび訪れてみても時をとどめたかのように孤高に建つそのアパートだけは、例えば湖面に映った夕月のように、ひと吹きの小波にかき消されてはまた揺れ浮かび、うらうらと語り継がれた昔かたりの愛惜にも似て、なんとも不可思議な階調を醸し出しているのです。 
  

  ある午後のしじま
  疎水の道の
  日傘を手に乳母車を押す母のやさしく
  子供らの自転車が駆け抜けてゆく
  桜葉の落ちた公園のベンチに腰掛けて
  湿り気の残った地面に
  四方いっぱい枝をひろげた木を描いてみた
  かき消されてしまった街の
  うすぼんやりとした輪郭がゆっくりと流れてゆく
  一日の終わりの憂愁
  「立ち位置を消してはいけない」といった詩人はだれだったっけ
  沈黙の中で匂う花の
  京都の黄昏は今日もさみしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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