後記 2020-10-01                   


 

     

 変哲忌鯵のひらきを供えかし (小沢昭一56歳の時に詠んだ句)

 今回掲載した「小沢昭一」には遠い昔に一度だけ会ったことがありました。
 1960年代後半、私が二十歳を過ぎたばかり、まだデザイン学校の学生であった頃のことです。
  そのころ、世界では反体制運動としてアンダーグラウンド(アングラ)と呼ばれた前衛美術や前衛芸術、映画、演劇などが盛んになっており、日本でも新しい演劇の担い手として寺山修司が率いるアングラ演劇の実験集団『天井桟敷』が旗揚げし、『青森県のせむし男』『大山デブコの犯罪』『毛皮のマリー』など次々と幻想的、土俗的、見世物的、エログロ的、怪奇的に彩づけられ、麻酔のように夥しい言葉と万華鏡的な視覚で満たされた奇妙で朦朧とした扇動的な舞台を発表していたのです。
 寺山修司が〈「生が終わって死がはじまるんじゃないよ。生が終われば死も終わるんだ。死はいつでも生の中に包みこまれているんだから」、これは「天井桟敷」の「花札伝綺」の中の葬儀屋の女房おはかの台詞である。私たちは死をはらまないで生を生かすことは出来はしないだろう。運動の中に於いても、それは自明の理、というものである。「天井桟敷」の幻想の座標軸は、いわばそこを原点として始まっているのである。〉とした演劇実験室に私は夢中になっていたのです。いまだかつてこんな舞台を見たことはありませんでした。丸山明宏(美輪明宏)という麗人を見たのもはじめてでした。『毛皮のマリー』はまことに美しかったのです。
  その『天井桟敷』第二回公演『大山デブコの犯罪』が、1967年9月に新宿の寄席『末廣亭』で挙行されました。美術は横尾忠則、音楽は和田誠という豪華版。花桟敷700円、アルバイト生活の身にとってはなんとも高い席料ではあったのですが、いまにして思えば無理をして買ったこの席で思いがけない一期一会が待っていたのです。なんと隣に座ったのが桂米朝、加藤武、小沢昭一の各氏。当時は賑やかに談笑している三人の組み合わせにすこしばかり違和感をおぼえていたのですが、このたび掃苔録「小沢昭一」のページ編集で取材する過程において桂米朝、加藤武、小沢昭一ともに演芸評論家正岡容の愛弟子であったことが判明して50年来の空白が腑に落ちたということでありました。
  当時寺山修司、丸山明宏は32歳、横尾忠則、和田誠は31歳、桂米朝は42歳、加藤武、小沢昭一は共に38歳。のちに桂米朝は「上方落語中興の祖」といわれ、人間国宝に認定されました。加藤武は文学座の俳優として活躍し、『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』など金田一耕助シリーズの映画で好演、晩年には日本女子大学『成瀬記念講堂』で披露されたお得意の小唄を拝聴したこともありました。小沢昭一は『私は河原乞食・考』『日本の放浪芸』などを刊行し、全国各地にのこる伝統的芸能の発掘や記録・保存につとめました。また『東京やなぎ句会』に参加。永六輔(俳号・並木橋)、江国滋(俳号滋酔郎)、桂米朝(俳号・八十八)、加藤武(俳号・阿吽)らの同人と死去するまで句作を続けていました。ちなみに小沢昭一の俳号は「変哲」といいます。

 変哲こと小沢昭一の墓は向島の弘福寺にあります。
 
「向島は久しい以前から既に雅遊の地ではない。しかしわたくしは大正壬戌の年の夏森先生を喪ってから、毎年の忌辰にその墓を拝すべく弘福寺の墳苑に赴くので、一年に一回向島の堤を過らぬことはない。そのたびたびわたくしは河を隔てて浅草寺の塔尖を望み上流の空遥に筑波の山影を眺める時、今なお詩興のおのずから胸中に満ち来るを禁じ得ない。そして恨然として江戸徃昔の文化を追慕し、また併せてわが青春の当時を回想するのである。」と永井荷風が『向嶋』の冒頭に記した追慕の風情は花街の衰退と共に遠に失っているのですが、それでも三囲神社から見番通りを百メートルほども歩いて、弘福寺の山門をくぐって境内に佇むと、古の趣がそこはかとなく沸きたってくるような感情を覚えます。
 
大正11年7月9日に没した森鷗外はこの寺に埋葬されたのですが、翌年9月1日におこった関東大震災で寺は全焼、隅田公園造成などのため荷風が詣でた鷗外の墓は、昭和2年に三鷹の禅林寺に移されてしまいました。鳥取藩池田家、津和野藩亀井家、淀藩稲葉家など江戸時代から多くの大名家の菩提寺として崇敬を集めたてきたのですが、震災以後は改葬、廃墓などが相次ぎ、規模も狭小になってしまった本堂横の墓地には、数列の参り道にそって室生犀星に師事した詩人平木二六の墓など新旧の墓碑が隙間なく窮屈そうに並んでいるばかりです。 浅草が好きだった小沢昭一は隅田川を挟んで、待乳山聖天の対岸にあるこの寺が気に入って昭和36年10月、32歳の時に自分の墓を建てたのです。小沢昭一が墓を建てるに当たって感じていた風趣も荷風が感じた詩興も遙か昔日のことになってしまった今、深閑とした聖域の「小澤家之墓」に眠る俳人「変哲」の感慨や如何にと、ふと思ってしまいました。

 
 
   
   概念になった向島に
   身をしずめた
   冷ややかな気配
   微かなさざめき
   花街の蔭に
   しっとりと鎮まる
   界隈の匂いや命の彩あい
   隣り合わせに
   淡い花を咲かせる生死の景色が
   往昔の通り風にさあーと靡き
    翅をひろげた
    戯れの場所の夏椿
    霧雨の中にいる仏の
    鄙びた石塔の上
   木偶の坊のような迷い鳩が
   ひとりの死に人の
   迷いをさだめた
   尊い選択を染めて
   午後のときを啼いている

   
   雑司ヶ谷霊園に眠る永井荷風
   三鷹禅林寺に眠る森鷗外
   向嶋弘福寺に眠る小沢昭一 
   姫路名古山霊苑に眠る桂米朝
   知れぬどこかの墓地に眠る加藤武
   根津玉林寺に眠る正岡容
   八王子高雄霊園に眠る寺山修司
   横浜外人墓地に眠る和田誠
   元浅草最尊寺に眠る永六輔
   静岡冨士霊園の文學者の墓に眠る江国滋

   近しい古の時間に
   皆、皆どこかで繋がって

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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