山の雑記帳3

 久々の山で思ったこと 1998.03.04 記

 山小屋のこと 1998.03.05 記

 今年登りたい百名山 1998.03.13 記

 ホームページ開設のきっかけ 1998.03.19 記

 花 粉 症 1998.03.24 記

 その山のベストシーズン 1998.03.31 記

 車で行くのが楽 1998.04.07 記

 滑って転ぶ 1998.04.14 記

 ゴールデンウィークの登山予定 1998.04.26 記



●ゴールデンウィークの登山予定 1998.04.26 記

いよいよゴールデンウィークである。

会社によっては、昨日4月25日の土曜日から5月5日までの11連休というところもあろう。

私の会社は、残念ながら4月29日から5月5日までの7日間の休みであり、このところ毎年9連休が続いていたために少し損をした気になっている。

しかし、世の中にはカレンダー通りの休みのところもあるのだから、この不満は贅沢であろう。

さて、私はゴールデンウィークに毎年百名山に登ることにしており、1990年には霧島山開聞岳、 1991年には磐梯山安達太良山、1992年には途中で引き返すことになったものの四阿山、 1993年が宮之浦岳、1994年は石鎚山、そして1995年は山に行くことができなかったが、 翌1996年には大峰山、そして昨年は大台ヶ原と登ってきた。

こうした山行計画は、大体4月の初めから立て始め、登山ルートや宿泊する山小屋、そして交通機関とその乗り継ぎ時刻などを綿密に調べ、 予約できるものは予約を入れ、登山そのものと共にこうした準備を結構楽しんでいるのであるが、 今年はどういう訳かあまり気が乗らないでいる。

その理由を考えてみたが、一つには、私のレベルではもうあまりこのシーズンに行くべき弾(山)が残っていないことにあるのかとも思う。

未踏の百名山は残り29もあるのだが、残っている山は皆まだ雪に埋もれている山が多く、雪深いアルプスや東北の山に1人で行く決心がつかないでいるのである(勇気がない)

また、天候にも些か臆病になっているところがあり、昨年の大台ヶ原ぐらいであれば雨でも構わないのだが、 雪が多く残っている中で、雨でも降られた日には折角高い交通費を費やした中での山行が台無しになってしまうので、 どうも完全に雨が降らないと確信できるまでは気が乗らないのである。

この山行に良い天気を求める傾向は年々強くなってきており、山登りを始めた当初の、 雨になりそうでもとにかく山に行くことが楽しかった頃とは大違いの状況である。

このことは、恐らく私が少し年をとったからかもしれず、肉体的に「トシだ」と感じたことはあまりないものの、 精神的には老いが進んでいるのかもしれない。

とはいえ、あと3日ほどでゴールデンウィーク突入であるから、そろそろ気合いを入れて計画を立てねばならないのだが、 行くとしたら蔵王荒島岳、そしていつかは再登山を行わねばならないと考えている安達太良山あたりが候補である。

あとは軍資金との相談なのだが、蔵王荒島岳はかなりの交通費が必要で、そうなると無理をすれば車で日帰りも可能な安達太良山が第一候補に挙がってくる。

未だにこうしたフラついた状況ではあるが、天気予報を見ると4月30日、5月1日は天気が良さそうなので、 世間では平日となっているこの2日間を有効に使って登山をしてきたいと思う(子供が学校で、家族サービスをせずに山へ行っても文句を言われないことも大きい)

実はこのように世間に対して宣言することで、自分に少し縛りをかけているのであって、段々山に対するテンションが以前ほどではなくなってきている自分にを入れたいと考えている。

必ずいずれかの百名山に登るつもりですので、登山記録をお待ち下さい。



●滑って転ぶ 1998.04.14 記

先週の土曜日(4月11日)に息子と筑波山に登ってきた。

前回筑波山に登ったのは、1989年の8月であったから、9年振りということになる。

登山の詳細はまたいずれこのホームページにアップするつもりだが、今回、ロープウェイ駅から登り始め、 女体山、男体山の頂上に立った後、筑波山神社へと下るという行程の中で、 下りに入ってから息子がよく転ぶ(滑って尻もちをつく)のには驚いた。

もっとも、靴は普通の運動靴で、靴裏のソールパターンもほぼ平らに近くて無いに等しい状態であったのと、 登山道が水を多く含んでいて滑りやすかったこともあり、 さらに本人の運動神経の問題や1年に1回位しか山に登らないという不慣れもあったのであるが、 それにしてもまあよく滑って転んでいた。

自分はといえば、Hi−TEC社の10,000円そこそこの靴(ニューPCT)で靴底も柔らかく、 あまり踏ん張りが効くものではなかったのだけれど、一応登山靴を履いていたためか、1回も転ぶ(滑る)ことなく下山できたのだが、 こうして息子が滑って転ぶ姿を見ていて、登山を始めた頃には自分もよく滑って転んでいたことを思い出した。

もう10年も前のことになるので記憶も定かではないのだが、丹沢の山の中、下り道でよく尻もちをつき、 このようなあまり人が通らない山の中で滑った拍子に岩で頭でも打ったら大変だとか、 鋭角に伐採された木の上に転んだら大ケガをするとかを真剣に考えたことがある。

また、滑って後ろに倒れた場合、背中のリュックが緩衝となって、 頭を打たないように出来ているのは良く考えてあるなどと変に納得したことも覚えている。

やがて、何回も山に登っているうちに自然と転ぶ回数も減り、今や雪に覆われた急斜面を下る時とか、 よそ見をしながら歩いていて何かに躓くということが無い限りは、転ばなくなった様な気がする。

これは、山道に慣れてきて、どういう場所に足を置けばよいかということが分かるようになってきたことと、 ガムシャラに進んでいた頃と違い、歩きに慎重さが増してきたこと、 そして山行の回数を重ねることでバランス感覚が養われたことが理由なのではないかと思う。

特に、息子の歩き方を見ていると、どこに足を置けば良いかが分かっていない様であったし、 濡れた岩や露出した木の根などに足を無造作に乗せるのが一番危ないことが分かっておらず、 また雪や霜解け、そして流水などによって抜かるんだ道でも、 周囲の木や岩の使い方で滑らないように工夫できるということも理解できていないようであった。

まあ、こういうのは追々覚えていけば良いと思うのだが、 登山技術というのは険しい岩登りのために必要とされる高等技術から、 このような単純な下りの歩き方まであって、奥が深いものだと改めて認識した次第であった。

と、ここまで書いてきて、そう言えば十二ヶ岳でも滑ったし、杓子山でも滑ったし、 その前は恵那山武尊山赤石岳でも滑って転んでしまったことを思い出して、 如何に自分の記憶がいい加減か、都合の悪いことは覚えていないかを恥じ入ったのだが、 しかしいずれの場合も当初の頃のように完全に尻もちをついてしまい、 お尻を泥で真っ黒にするというようなことはなかったのだから、転び方がうまくなったと言うべきかも知れない。

転び方も登山の技術として必要なのであろう。



●車で行くのが楽 1998.04.07 記

車を使って登山に行くことをやり出すと、そのあまりの便利さに電車やバスを使って行くことが億劫になってしまうようになる。

出発時間も気楽で、始発電車の時間に間に合わせるよう慌てる必要もないし、恐らく早朝なら道も混まないので電車などを使うより早く目的地に着けることになる。

例えば、3月29日に車を使って登った十二ヶ岳・鬼ヶ岳などは、朝5時40分に瀬谷(横浜市)を出発し、 登山口のある河口湖のソバ、文化洞トンネルに着いたのが7時30分であったが、これを電車利用にすると、 朝4時55分瀬谷駅発横浜駅行きの相模鉄道に乗車、横浜駅から京浜東北線に乗り換えて東神奈川で下車、 東神奈川から横浜線で八王子、八王子から中央線で高尾、高尾から中央本線にて6時44分発の松本行きに乗り、 大月駅下車、そして大月駅から河口湖行きの富士急行に乗って、河口湖着が8時12分、 そこからタクシーを使ったとしても目的地の文化洞トンネルまでは20分程かかるだろうから、 目的地着が8時40分近くになってしまう計算になる。

つまり電車の場合、家を出るのが車の場合より1時間早くなければならず、 そして目的地に着くのが車より1時間遅いということなのである(この2時間の違いは大きい)。

そして、上記の最短行程でさえも、駅で下りてから次の列車への乗り換えのためにダッシュすることを前提にしたものになっており(特に大月駅)、 また、東神奈川発八王子行きの横浜線の出発時間が時刻表改正により徐々に遅くなりつつあるので、 実現できるかは保証の限りではないのである。

また、下山時も、車であれば帰りのバスや電車の時間を気にすることもないし、 また汗くさい自分の身体を気にしなくても済むという利点がある。

そして少し気が向けば、地元の温泉などによって汗を流すことが出来るし、本当に楽なのである(私自身、 ドライブが好きということもあるのだが・・・)。

ただ、こうした車による登山にもいくつか欠点がある。

一つは、駐車場の確保という問題であるが、これは都会と違って少し歩く距離を伸ばせば、 山の麓なら空き地は何とか確保できるものである。

二つ目は、車でどこまで行けば良いかという問題である。

伊吹山大台ヶ原などは車でかなり頂上近くまで行くことができるし、富士山磐梯山大菩薩嶺美ヶ原岩木山皇海山などは、車を使えばかなり登山が楽になるルートがある。
それをどこまで車で行くかであるが、これは自分の登山に対する考え方次第、信条の問題であろう。

やはり、一番の問題(と言えるかどうかは個人の問題だが・・・)は、車を駐車した所に戻らねばならないことであり、 ヘタをすると全く面白みのないピストン登山をすることになってしまうことである。

私は、前回の雑記帳の中で書いたように、その山のベストシーズンを登らずして良いのかという疑問を常々抱いており、 また一つのコースだけ登っただけで満足していてよいのかという疑問も抱くようになってきている。

従って、登山口から頂上までを往復するだけのピストン登山は極力避けたいと思っているので、 車での登山の場合は、ルート選び苦労することになる。

山の中には、一つの登山口からルートがいくつも出ているものがあり、 そういう場合は登りと下りを分けることができるので大変助かるのだが、登山ルートが一つしかない場合は、 別の登山口に下りて、そこから車の所へ戻ってくるようにすることを極力を心掛けるようにしているので、 思わぬ出費となる場合も多い。

先般の十二ヶ岳・鬼ヶ岳の場合は、下山口から出発点までは歩いても戻れる距離であったし、 バスに乗った場合でも安い料金で助かったのだが、浅間山のように峰の茶屋から登って小諸駅まで歩き、 そこから列車で中軽井沢まで戻り、さらにタクシーを使うような場合は、些か厳しい。

実は、先日の4月4日にも富士山周辺の山を登り、結構な車道歩きと出費をすることになってしまった。

登山記をいずれアップするのでお読み頂きたいが、登った山は先般の十二ヶ岳の東方に位置する黒岳・御坂山で、 大石という村落まで車で行き、別荘の空き地に車を駐車して新道峠、破風山、黒岳と登り、 そこから御坂峠御坂城という山城があったらしい)、そして御坂山を経て、 太宰治の文学碑(「富士には月見草がよく似あう」)の横を通って天下茶屋に下山したのである。

地図を見て戴ければよく分かるのだが、この天下茶屋は出発点の大石からは遠く離れており、 三ツ峠山の登山口に近い所なのである。

そこから延々と車道歩きをして、御坂トンネルの入口である三ツ峠口まで行き、 そこのバス停で約15分ほど待ってバスで一旦河口湖駅まで戻り、そこからタクシーで大石へ行くという、 人から見ればやり過ぎとしか思えないような行動をしてしまったのである。

バス代が確か460円、タクシー代が2,810円ということで、かなりの出費を強いられたが、 これも同じ道を戻りたくないとの一心からでたものであり、私も山バカの部類に属するのだろうと思う。

しかし、こうした出費を考慮しても車は楽で、大石の別荘地を出発したのが15時丁度、家に着いたのが17時40分と、 まずまずの時間で帰れたので、やはり車による登山は捨てがたいのである。

今後益々車での山行が増えるようになると思われるが、居眠り運転、交通事故だけは注意するようにしていきたいと思っている。



●その山のベストシーズン 1998.03.31 記

早いもので3月も本日で終わりである。

1ヶ月に最低1回は山に登ろう、今年はまだ登ったことのない山を中心に登ろう(1度登った山はできるだけ避ける)と考えていたにも拘わらず、 1月は登山回数ゼロ、2月1回、そして3月はこの29日に駆け込みの登山をして辛うじてセーフとなった。

29日は、2月の杓子山・鹿留山に続いて富士山周辺の山から十二ヶ岳・節刀ヶ岳・鬼ヶ岳を選んだのだが、 腐りかけた残雪が多く、歩くのに苦労させられ、軽く考えていたのに結構ハードな登山となった(それはそれで楽しい)。

おまけに、期待していた富士山の姿は、天候が晴れだったにも拘わらず春霞がかかったようにぼんやりとしてはっきり見えず、 少々失望感を得て、登る時期をやや間違えた気がした。

山にはそれぞれ登るのに最適の時があるはずで、この十二ヶ岳なども花が好きな人なら五月のコイワザクラ、 6月のツツジの時期がベストであろうし、私のように真っ白な富士の姿を見るのが好きな者にとっては、 空気の澄んだ秋から冬にかけて登るのがベストであろうと思う。

もともと、私は冬以外は登る山を選んではおらず行き当たりばったりで、その山が一番魅力的で輝く時期を選んで登ろうと考えることは滅多になく、 後から時期を選べば良かったと思うことが多々あるのである。

特に百名山は、時間と距離と資金の問題が絡んでくることから、1回きりの登山となることが多く、 また、ややピークハントにもなりがちなところがあるので、 登った時期がその山にとって最大に魅力的な時期であったかというとそうでないことが多い。

今まで登ってきた百名山は71、そのうち複数回登った山は丹沢山を初めとして10程しかなく、 残りの61の山の中にはその時の天候も併せて何か物足りなさを覚えている山もあるのである。

登ったこと自体には満足感を得られたものの、その山の魅力を十分に得ていないのではないか、 山の一面しか見ていないのではないか、という疑問は心の奥底にいつもあり、 できうれば再訪したい山もいくつかあるのである。

例えば雨飾山などは、荒菅沢から見たフトンビシに圧倒されはしたものの、 登る時期は夏ではなく秋の紅葉真っ盛りの時期にすべきだったなあと感じたし、 九重山も初夏と冬どちらも登ってそれぞれの魅力を感じることはできたものの、 やはり山自体がミヤマキリシマの開花でピンクに染まる6月初旬を見逃してはならない気がする。

また逆に、登った時があまりに素晴らしく、この最初の時以上の素晴らしさはもう得られないのではないかという気がして、 再訪するのが躊躇われる山もある。
甲斐駒ヶ岳などはその代表である。

その山の魅力はやはり、1回登っただけでは得られないというのがやはり正しいと思うが、 せめてもの慰めは、深田久弥氏でさえも1度しか登っていない山が百名山の中に多くあることであり(但し、氏が何回も登ったことのある山に対する文章は、1回だけの山より奥が深い気がするのだが・・・)、 やはり私としては取りあえずは百名山を完登することが先であろうと思う。

百名山を完登したら、二百名山といった新たな目標を持つことも良いが、できたらもう一度その山のベストシーズンを選んで百名山を再訪するようにしたいものである。



●花 粉 症 1998.03.19 記

私にとって、今の季節、耐えられないことがある。

それは、花粉症のため鼻水がとまらず、目が痒くてたまらないという症状が出るということであって、 それを今はどうにか薬で押さえているのである。

ただ、薬を飲んで症状はある程度おさまっているものの、今度は鼻の粘膜がヒリヒリと乾いて、 これはこれで結構苦しいものである。

大体、私の場合、5月のゴールデンウィーク近辺にはおさまるのであるが、この間、 薬を飲み続けるのにも心理的抵抗があって、とにかく3月から5月にかけてはイヤでイヤで堪らない時期なのである。

こういった花粉症の症状はここ6、7年で特に強くなってきたものであり、昔は鼻がムズムズする程度だったと記憶している。

一説によると、花粉アレルギーに対する人の抵抗力には限界があり、ある限界を越えると途端に体質が変わったように花粉症の症状が出てくるということらしいのであるが、 私の場合、山に頻繁に行っていたことがその抵抗力飽和状態を促進させたのかもしれない。

しかし、不思議なことにこのツラい花粉症の症状も、山に登っている時はそれ程でもなく、せいぜい鼻血まじりのハナが頻繁に出るくらいで済んでおり、 頻繁に出るハナについてはもともと鼻が悪い(肥厚性鼻炎といわれて久しい)ことからさほど気にならないのである(尾籠 [ビロウ] な話で申し訳ない)。

花粉症を直す方法、あるいは防ぐ方法はないかといろいろ模索してみたが、 今のような怠惰な食生活を送っているようでは体質改善などとても無理な話で、結局毎年このシーズンを迎えて、 もっと対策をとるべきだったと反省させられている。

ただ、山ではそれ程症状がひどくないということから考えると、空気のきれいな場所では花粉が多く飛んでいても平気なのではないかとも考えられる。

そう言えば、宮崎にいた3年間は空気もきれいだったこともあり、今ほど花粉症はひどくなかった気がするし、 一度単身赴任期間中のある年の3月に、休暇をとって宮崎から横浜に帰り、家族と伊豆を旅行したことがあったが、鼻水が止まらず、 目が痒くてたまらないという症状が急に現れたことがあったので、首都圏の汚れた空気の中では花粉アレルギーは倍加されるのだと思う。

吹く風にも春を感じ、草萌え、山の木々も芽吹き始め、雪の白や木々の茶色が目立つ山も緑が見られ始めるこの季節、 花粉症ということで十分に楽しめないのは非常に腹立たしい。

まあ来る春を楽しむとしたら、花粉症のことも考えて、空気の汚れた地上を離れて澄んだ空気の山に登るのが一番であるが、 この3月も何だかんだと忙しくて山に登れずイライラが続いている。

おまけに花粉症で目はショボショボ、鼻はグスグスではストレスがますます増していくことになり、 ストレスも花粉症に良くないという話もあるらしく、私は完全に悪循環に陥っている。

いよいよ会社を休んで山へ行くところまできてしまったような気がするが・・・。



●ホームページ開設のきっかけ 1998.03.19 記

我がホームページのヒット数が、お陰様で5000回を超えた。

かなり偏った内容で、公共性がなく、個人的な臭いの強いページにも拘わらず、毎日見て下さっている方々にこの場を借りて感謝申し上げる次第である。

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ところで、そもそもこのホームページを始めたきっかけは何かといえば、 自分の登ってきた山の記録をつけているうちに、もっと登山記録を充実させたい、 そしてそれを多くの人に見て貰いたいと思い始めたことであった。

それまでは、山で撮った写真をアルバムに貼り付けるとともに、登山記録をワープロ(東芝のルポ)で打ってフロッピーに保存していたのだが、 こうしたやり方では何か物足りなさを感じ始め出したのである。

その年の5月にパソコンを買ったことも一つの転機となったわけで、このパソコンの高機能を活用させない手はないと考えるようになり、 まず手始めに今までのやり方における第一の不満点であった写真と登山記録が別々であることを解消しようと試みたのである。

そうなるとどうしてもフィルムスキャナーが必要なわけで、価格と相談してEPSONのフィルムスキャナーFS−1200WINP(パラレル方式)を購入した。

記録形態としては、フィルムスキャナーで取り込んだ写真をマイクロソフト社Wordに貼り付け、 そこに文章を添えるようにしたのであるが、これが1996年の暮れのことで、この時に今のホームページの原型ができたといっても良い。

また、作成した登山記録はハードディスクに保存するとともに、バックアップとしてフロッピーディスクにも保存をしていたのだが、 写真付きの登山記録はかなりの容量を使うため、1枚のフロッピーに4件くらいしか保存できず、 すぐに容量100MBのZIPディスク(富士フィルム)を購入するはめになった。

余談になるが、このZIPもパラレル方式のものを購入しており、現在プリンター用のポートにつなげているが、 これの転送速度については現在の標準仕様よりももう少し早くできるようなので、近々試して見ようと思っている。

しかしこうしたことも、登山記録を一所懸命に作っていた時は大変楽しかったのだが、 一通りの作業が終わってしまうと、またもや物足りなさを感じるようになってしまったのである。

というのは、登山記録を懸命に作っても、それを見てくれる人がいないのでは空しさを感じるということであり、 自己満足だけしているのではつまらないという気持ちが大変強くなってきたのである。

そしてすぐにインターネットにてホームページを立ち上げるというアイデアが思い浮かんだのであるが、 ホームページ作成は難しいという先入観があって二の足を踏んでいたというのが実状であった。

しかし、私が定期購読している学研社のPCingという雑誌に、インターネットでのホームページ作成体験記が載っており、 それを読んでこれなら私でもできるのではないかという考えに変わりだしたのである。

一方、パソコンを買って1年程経過した頃から、パソコンの使い方に行き詰まりを感じ始めていたのも事実で、 インターネットを見るだけというのもそろそろ飽きが来始めていたし、 また私はゲームをやらないからますますパソコン使用についての選択肢も狭まっていて、 毎日会社から帰宅後にパソコンの前に座るものの、所在のなさに困ることも少なくなかったのである。

パソコンの購入動機を考えると、皆が持っているから何となく持たなくてはいけないのではないかという曖昧な理由だったように思え、 使用方法について確固たる目的を持っているわけではなかったので、これが行き詰まりを招いた原因だったかもしれない。

こうしてパソコン使用に関する閉塞感と、登山記録を皆に見せたいという欲求が相まって、 昨年の夏、一大決心(大げさ)をしてホームページの立ち上げに挑戦したのであった。

また、根がケチなものだから、折角インターネットの契約を結んでいるのに利用料金内であるホームページを立ち上げていないのは損だという考えもあったことは否めない。

早速、ホームページの作成に取りかかったのだが、ホームページ作成にはHTMLを使わずにワープロ感覚でできるソフト(インターネットエクスプローラー4.0にも付いているらしいが) もあるようだったが、やはり基本を知らなくてはという気持ちが働き、まずはウィンドウズ95添付のメモ帳で書いてみることにしたのである(今は例のEmEditorを使用)。

2冊ほどホームページの作成方法について書いた本を購入し、見よう見まねで1から組み立ててみたのであるが、 これはなかなか頭の体操になってよかった。

論理的組立てを行い(それ程大げさではないが)、それが画面となって現れると大変喜びを感じたのだが、 昔、会社で簡単なCOBOLを使ってプログラムを組んで色々なデータを作成していた時にも同じ喜びを感じた気がするので、 私はそういう作業が性に合っているのかも知れない。

しかし、ホームページ作成は楽しいものの、レイアウト、構成、色使いなどに対するセンスがないことは私のホームページを見れば一目瞭然で、 今後はそういった点を他のホームページに学んで、内容ともども充実させていきたいと思っている。

また、ホームページ立ち上げのお陰で、昔撮った写真のフィルムも再び日の目を見たのだが、 なるべくホームページにアップロードする写真は、ガイドブックなどに掲載されていない風景を載せていきたいと思っている。

とにかく今後とも宜しくお願い致します。



●今年登りたい百名山 1998.03.13 記

お陰様でこのホームページもヒット数「5000回」を記録することができました。
内容が登山中心でポピュラーなテーマではないことから、開設当初はヒット数が伸びず、 カウンターを付けたことを後悔していたくらいでしたが、皆様に支えられてこうして「5000回」を達成することができました。
厚く御礼申し上げます。

さて、2月はかろうじて杓子山・鹿留山に登ることができたものの、3月に入ってからもプライベートが忙しく、 なかなか山に登ることができずに少々焦り気味となっている。

朝の通勤時に眺める 丹沢山塊は、3月5日にまたまた雪が降ったため、ますます雪の化粧を厚くして、 やや霞がかかった中に浮き上がって見えるその白い姿は、本当に風格を感じさせてくれるようになっている。

その姿が、「今、丹沢が面白いから登りに来い」と誘っているようで、かえって見るのが辛い状況であり、 1月に山に登れなかった借金を3月まで繰り延べしたままの負い目がさらに私をイライラさせている。

こういう時は、今年登りたい百名山の登山計画を練ることが結構気を紛らわすことになり、 効率的にしかも安い費用で登るにはどういうルートをとるべきかなどと考え始めている。

また、車を使っての百名山登山も一昨年辺りから実践し始めたので、車を駐車した所からのピストン登山(同じ登山路を往復する)とならない限り、 今年も積極的に活用したいと思っている。

まずは、何と言っても昨年台風で計画がダメになった、南アルプスの光岳、聖岳をやりたい。
便ヶ島の小屋があった付近に車を駐車して、まずは光岳を目指し、翌日聖平まで行き、 最終日に聖岳を登ってから下山・帰宅というものである。

この場合、宿泊はテントにせざるを得ないと考えており、何と6年振りのテント山行である。
体力も依然に比べれば落ちているだろうから、夏まで体力づくりに励まねばならない。

巻機山は、いつも行こう行こうと思いながら行きそびれている山である。
車を飛ばして日帰りを強行する手もあるし、あるいは金曜日の晩に上越線六日町駅まで行っておいて、 翌朝1番のバスに乗る手もある。
登山路は無論、割引沢・ヌクビ沢を登り、帰りは井戸尾根を下りてくることになろう。

御嶽も今年中に何とかしたい山である。
例の登山へのこだわりから、王滝口コースや黒沢口コースを登るのは何となくイヤなので、 開田口コースを登り、帰りに王滝口コースにて下山することを考えている(といっても、時間との兼ね合いで妥協もあり得る)。

しかし、そこに行くまでのアプローチが長いため、どうすべきか迷っているのも事実で、 思い切って車を使うことも考えている。
その場合、王滝口コースを下山後、タクシーなどを利用しなければならないという面倒さが残るのだが(このようなやり方は浅間山登山で実践済み)・・・。

後は、荒島岳を早く片づけてしまいたいと思っている。
これまたアプローチが長いので、白山などを登った帰りに登る手もあるのだが、今はゴールデンウィークに登る単体の山として候補に上げている(まだ残雪が多いかもしれないが)。

尾瀬の燧ヶ岳・至仏山については、車を使った登山を考えているが、2つの山を結ぶ尾瀬沼、 尾瀬ヶ原散策をあきらめれば、至仏山を1つだけ登り、燧ヶ岳は別途会津駒ヶ岳と組ませても面白いかもしれない。
その場合は、東武線浅草駅発の尾瀬夜行2350(夜行+バス)という尾瀬沼山峠行きのパックを使うべきかも知れない。

蔵王については、お金に余裕さえあれば、ちゃんと下から登っての日帰り1997年10月以前の雑記帳 「特選 日帰り百名山」を参照が可能なので、 これも時期を見て片づけてしまいたい。

北アルプスの焼岳も何とかしたいが、折角上高地まで行ったのならもう一つくらい登りたくなるのが登山好きの心理で、 乗鞍岳と組み合わせるのが正解かも知れない。

そうなると足の問題が出てくるが、乗鞍岳も畳平からではなく、せめて冷泉小屋付近から登りたいと考えているので何とかなるだろう(無論、これから研究しなくてはならない)。

飯豊連峰吾妻連峰朝日連峰はそのマスが大きすぎるので、来年以降にせざるを得ない。

取りあえず今年は昨年新たに登った百名山が3つしかなかったことを大いに反省して、最低6つは登りたいと思う。

しかし、残っている山はアプローチとかが大変なために残らざるを得なかったというのがほとんどで、 今後登頂のペースが遅くなるのもやむを得ないかとも思う。



●山小屋のこと 1998.03.05 記

昨日の雑記帳にて少し山小屋の話に触れたので、その関連の話を少し。

私はテント泊もやるし、出来たら混んでいる小屋は避けたいので無理矢理日帰りを強行することが多く(白馬岳など)、 山小屋に泊まった経験は数える程しかないのだが、少ない経験の中でも印象に残っている山小屋は金峰山金峰山小屋鳳凰山鳳凰小屋、 そして甲斐駒ヶ岳七丈小屋である。

北アルプスでも南アルプスでも、その他の山域でも山小屋に泊まってはいるが、 それらの山小屋は宿泊者の人数も多かったこともあって、アルバイト中心の運営という感が強く、 快適ではあったもののあまり心に残ってはいない。

先に挙げた小屋は、宿泊者も少なかったこともあり、小屋の御主人とのコミュニケーションが十分にとれて、 私が昔から抱いていた山小屋のイメージとピッタリ一致していたのである。

鳳凰小屋などは今はどうか知らないが、当時は蚕棚のような寝所で、布団は薄汚く南京虫が出そうな状況であり、 食事も定番のカレーという、設備・食事共とても誉められるものではなかったものの、 小屋の御主人とたき火をしながら交わした会話や、夜になってアルバイトのお兄さんと炬燵で話し込んだことなど大変印象が深い。

今は亡くなられた金峰山小屋のご主人、林さんと囲炉裏を囲みながら交わした会話も楽しい思い出で、 特別に出してくれたコケモモ酒の味も忘れ難い。

この金峰山小屋は、私が初めて泊まった山小屋であり、その小屋が昔から抱いていた山小屋のイメージ通りだったことも印象深い理由の一つなのかも知れない。

金峰山の項にも書いたが、翌年の正月に年賀状を頂いて大変驚いた記憶があり、 林さんの人柄をよく表していたなあと思う。

甲斐駒ヶ岳の七丈小屋では、雨のためわずか十数人の宿泊者であったが、 翌日の快晴を願って宿泊する者同士での一体感が生まれたような気がして大変楽しかった。
そしてその願いが通じてか、翌日は快晴だったこともあって忘れられない小屋である。
夕食にマグロの刺身が出たことも印象を強くしている理由の一つではあるが。

とまあ、あまり宿泊経験がない私がとやかく言うのもおかしいが、山小屋がどんどん近代化し、 特徴が豪華な食事や快適な設備・寝具類に求められるようになるのは、何となく私にとっては寂しい気がする。

山小屋の経営も大変なようで、先般テレビで北穂高小屋では集客のために思い切って改装したというような話をやっていたように思うが、 地上の便利さを山の上まで持って来ることが果たして良いのだろうかという気がする。

よく、ホテルと勘違いして個室を求めたり、寝間着や風呂などを要求する客もあると言う話を聞くが、 都会の便利さに甘え、あまりに何もしなくなった自分達を鍛え直す意味ではもっとシンプルな設備の方が良い気がするのだがどうだろうか。

登山は自然と向かい合っていくのだから、自分で何でも判断し責任をとっていかねばならないのであり、 従って自分でできうる範囲は自ずと狭められ、不便さを必ず伴うものなのであるはずだが、 山小屋が豪華にそしてホテル並になってしまうのであれば、登山の醍醐味の一つが失われていく様な気がする。

北アルプスのように人気が高く、大勢の人たちが詰めかける所では、ご主人の顔が見えないということも致し方なく、 私の求める山小屋の形態はシーズンオフにでも行かなくては実現できないのであろうが、 いわゆる山小屋のホテル化は大変残念な気がする。

私はあくまで不便さを楽しみたいと思っているのだが、これから訪れる30弱の百名山については、 それぞれシンプルな山小屋が待っていてくれるようであり、大変楽しみである。

そして、今年はもう一度テント泊もしたいとも考えているので、少しなまった身体を鍛えなくてはと思っている。



●久々の山で思ったこと 1998.03.04 記

先般久々に山に登って気が付いたことを少し。

一つは、中高年の登山ブームは止まることを知らないということである。

たまたま登った山が手頃な山であったこともあるのだが、頂上といいその途中での登山道といい、 中高年登山者(私も中年だが、もっと年をとられた方)の多いこと、多いこと。
しかも、ほとんどが女性である。

そういう人たちが頂上を占領すると姦(カシマ)しいというか、喧(カマビス)しいというか、 辟易とさせられることがある。

子育てが終わってヒマができ、さて中高年の自分に何ができるだろうかと考えると、 ジョギングや登山というのはなかなか手軽で、しかも健康的であり、飛びつきやすい趣味なのであろう。

今さらテニスでもなかろうし、ゴルフもかなりの投資をしなければならないし、バレーボール、 ソフトボールを始めるには年をとりすぎているし(そして既にうまい人がいてなかなか入っていくことが難しい世界である)、 その他のスポーツはあまりなじみがないということを考えると、登山は歩くという人間の行為の延長上にあり、 しかも達成感を得られ、今まで知りもしなかった世界に感動できるなど、申し分ないのであろう。

帰りの電車などで、今日登ってきた山についてペチャクチャしゃべっているのに耳を傾けると、 やはり山に対する感動の言葉が聞こえてくる。
それはそれで大変良い。

しかし、一言言わせて欲しい。全員がそうだというわけではないのだが、まず電車の中ではもっと静かにしろ。  自分たちだけが乗客なのではない。

そして山ではもっと謙虚になれ。 こちらが一人でむこうが数人あるいは十数人のグループという状況でスレ違うことになった場合、 何故1人の者が道を譲り、団体が通過するのを待っていなければならないのだ。

地形上、1人の方が待たざるを得ない状況の場合もあろう。
それなら、待ってもらっている者に挨拶くらいせよ。

頂上は皆のものだ。 ここでも我が物顔に振る舞うな。
そして、よくありがちな自分が登った山の自慢話はほどほどにせよ。

自分たちの登る(下る)スピードを考慮し、周囲に気を配れ。 団体のリーダに指示されるまで、 後ろから来た者に道を譲らない(あるいは気づかない)などということのないようにせよ。

とまあ、言いたいことを書かせてもらったが、こういう人たちは一部の人たちであり、 決して全部の中高年登山者がそうだというわけではない。
でも最近こういう手合いが目立ってきているような気がする。

もう一つは、夫婦連れの登山者が目立つようになったということである。

これは今回初めて気づいた訳ではなく、これまで登ってきた山でも「ヘー」とは思っていたのだが、 なかなか良いことだと思う。

山に出かける夫を冷ややかに見つめる妻、などという構図も考えられるのだから、 夫婦で登山するということは素晴らしいことである。

インターネット上でも、御夫婦で登られてその記録をアップロードされているホームページがかなり見られ、 中には文章と写真の担当を分け合っているご夫婦も見られる。

ちなみに、我が家は妻が別の趣味を持っているので、私一人が山登りに行くということを理解してくれているはずなのだが・・・?。

単独山行をモットーとしている私のとっては、一人で登ることに無上の喜びを抱いているので、 羨ましいとか思うことはないのだが、山小屋などに泊まった時に、周りが皆夫婦連れで一人で宿泊するのは私だけという状況があり、 こういう場合はどうも様にならない。

大台ヶ原桃ノ木山の家でもそういう状況であったし、妙高山黒沢池ヒュッテでもそれに近い状況であった。

夫婦同士だと会話も弾むようであるが、どうも一人で登る中年男とは話が合わないという感じで、 一人時間を持て余すことになる。 まあこれは致し方ないことかとも思うが・・・。

以上愚痴のようなことを書いてきたが、山小屋の話が出たところで、次回に少し私の望む山小屋について述べてみたいと思う。


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