登山NO.0016 開 聞 岳( 開聞岳:922m ) 1990.4.29登山


 開聞駅前から見た開聞岳( 1990.4.29 )

【開聞岳登山記録】

【開聞岳登山データ】

フォト


NO.16 開聞岳登山記録

霧島山の項から続く。
西鹿児島駅を朝5時過ぎに出発する指宿枕崎線に乗ったが、 南の国ということもあってか、 まだ辺りは真っ暗であった。

5時半を過ぎる頃から辺りも明るくなり始め、開聞駅に着いた7時には空も青さを増してきて、 振り返ると 駅舎の後ろにはやや頂上に雲がかかった 開聞岳をハッキリ見ることができた。

駅から線路沿いに暫く進み、途中で右に折れて踏切を渡っていくと中学校が左に現れたが、 ここが一合目ということを後でガイドブックを読んで知ったわけで、 その時は それを示す標識に気づくことはできなかった。

道路をそのまままっすぐ進むと、左に天ノ岩戸と言われる小さな社が現れ、やがてコンクリートの農道となって、 その行き着いた先が登山口であった。

この間、正面には開聞岳が常に見えており、こちらから見る開聞岳は、薩摩富士と言われるような富士山の形をしているというよりはむしろ、 二重式円錐火山の特徴をよく表していて、 外輪山壁から上の二次噴火で盛り上がった部分を乳首に見立てた、 乳房を横から見たような形をしていた。

登山口から松林の中に入り、暫く進むと林道と出合ったが、そこをそのまま横切ってまっすぐ進み、 少々ガレた急坂を登っていくと、 登り着いた所に四合目の標識があった。

道にはこのように " 合目 " を示した標識が付けられており、一本道で迷うことはないのだが、 時折樹林の間から見える景色が 池田湖らしきものであったり、 (長崎鼻) だったりと、 山腹をグルッと回っている登山道のせいで、 今どちらの方角に進んでいるのかが時々分からなくなってしまった。

七合目の標識を過ぎると岩がゴロゴロした歩きにくい道となったが、一方で海が眼下に見下ろせるようになって気分もウキウキし始めた。

少々ジメジメした場所を過ぎると八合目で、急斜面を右へ右へと進んでいくと、灌木帯から抜け出て展望がかなり開けるようになり (九合目)、 その後、 岩の斜面をひと登りすると縄が巻かれた大きな岩と、 そして枚聞神社奥宮御岳神社と書かれた鉄製の鳥居が現れて、 やがて頂上に到達することができた。

頂上は、大きな岩が積み重なった中、簡単な方位を書いたプレートと、いくつかの小さな標識があるだけの寂しいところであったが、 展望の方は抜群で、 やや花曇りではあったものの、 池田湖や入野方面がよく見え、 後ろを振り向けば灌木帯となっているお鉢の向こうに 長崎鼻を見ることが出来た。

こういう高い所から海を見ると、海岸線が地図の通りの形をしており、何となく嬉しくなってしまうが、 こういった楽しみは 山に囲まれた所では味わえないものである。

ただ、残念なことに良く晴れていれば見えるという屋久島や昨日登った霧島山などは、霞んでいて確認することが出来なかった。

下山は、往路を脱兎の如く駈け下ったが、あとからあとから登って来る家族連れにすれ違い、そういえば今日は日曜日でもあり、 またみどりの日でもあることに気が付いた。
また、 このままではあの狭い頂上は人でごった返して大変だろう などというつまらないことまで心配してしまった。

下山後、農道入口付近から振り返ると、開聞岳の頂上に雲がかかり始めており、ガイドブックに書かれている通り、 頂上付近は雲が出来やすいことを確認した。

下山後は、開聞駅からの丁度良い列車がないため、バスにて山川に行き、そこから西鹿児島まで戻った。


開 聞 岳 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ登山日:1990.4.29 天候:晴れ単独行前日泊
登山路:開聞駅−開聞中学校−開聞岳登山口〜九合目〜開聞岳〜九合目〜開聞岳登山口−開聞中学校−開聞駅−開聞バス停
交通往路:西鹿児島()−(指宿枕崎線)−開聞
交通復路:開聞−(バス)−山川−(指宿枕崎線)−西鹿児島−(鹿児島本線) −鳥栖−(長崎本線)−諫早−(大村線)−大村(泊:出張地へ)
その他:4月28日霧島山登山後、西鹿児島へ移動。
翌29日開聞岳登山。
その他の開聞岳登山(1) 開聞岳登山口〜九合目〜開聞岳〜九合目〜開聞岳登山口 (1993.9.20:雨のち曇り)


山のメインページに戻る   ホームページに戻る