登山NO.0046 石 鎚 山( 石鎚山:1,982m ) 1994.4.30登山


 夜明峠付近から見た石鎚山( 1994.4.30 )

【石鎚山登山記録】

【石鎚山登山データ】

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NO.46 石鎚山登山記録

単身赴任先の宮崎から、ゴールデンウィークを利用して横浜の自宅へ帰る途中、四国の石鎚山に登ることを計画した。

但し、私の山へのこだわりから、石鎚山を登るにあたっては中腹の成就社までロープウェイを利用することを良しとせず、 極力麓から登ることにしたいと考えたのである。

色々登山コースをあたってみたが、山行にそれ程長い時間をかけられないため、登りたいと思っていた面河渓谷を辿るコースは断念せざるを得ず、 成就社の麓の河口 (こうぐち) から登ることに決めた。

ゴールデンウィーク初日、宮崎空港から松山空港まで飛んで、そこから松山駅までバスで行き、 松山駅からJRにて伊予西条へ、 伊予西条からバスで河口まで、 という行程を経て河口の部落から登り始めたのだが、 この河口で降りる登山者はほとんどいないのか、 バスの運転手も河口であることをアナウンスせずに通過しようとしたため、 慌ててバスを停めてもらった次第である。

鳥居をくぐって山の中に入ると、最初から結構キツイ登りとなったが、道はよく踏まれており、見事な杉の林の中を 黙々と進むことになった。

やがて右上方に大きな杉の木が見えてきたが、これは " 今宮の大杉 " で、樹齢八百年云々と書かれた立派な標識が 立てられていた。

暫く進むと、樹林の中にいくつかの家が見え、これが今宮の部落であろうと思われたが、人が住んでいる気配が全くなく、 何となく不気味な感じがした (住んおられる方がいたらスイマセン)

成就社近くになるまでは全く人と会わず、ロープウェイによってこの道も廃れつつあるのかなと思ったが、実際はそうでもないようで、 登山道の所々にある石仏や碑は新しいものが多く、 供えたばかりの供物もあって、 人の行き来がまだ十分行われているようであった。

途中に指導標が全くなく、地図では成就社まで4時間かかると書いてあったので、まだまだ先は長いと思っていたが、 思いがけず2時間ほどで奥前神社の前に出て、 そこからは広い砂利道に変わった。

成就社付近には、数件の旅館が建ち並んでいたが、まだシーズンが始まったばかりなのか、あまり人はおらず、 私が宿泊した白石旅館も30人弱の宿泊だったようで、 広い8畳ほどの部屋を一人で使わせてもらうという幸運を得た。

立派な本殿を持つ成就社にお参りした後、付近を散策したが、石鎚山と対峙している拝殿からは大勢の人による読経の声が聞こえ、 宗教の山であることを改めて感じさせられた。

宿は登山者ばかりであったが、風呂で一緒になった初老の方の話を聞くと、私と同じ横浜に住み、この麓まで車を飛ばして ご夫婦でやってきたとのことで、 途中パーキングエリアで仮眠をとったと言ってはいたものの、 そのバイタリティに敬服させられた。
私も、 歳をとってもこのように登山への熱意を失わないようにしたいものである。

翌日、天気が良いことを喜びながら、大きなしめ縄のかかった神門 (入山門) をくぐって石鎚山に向かった。
門から暫くは下りとなり、 途中鳥居が立つ " 頂上へ行けない人の拝む場所 " とされる遙拝所を過ぎ、 刀掛への道を分けると今度は登りとなったが、 ここが八丁坂である。

やがて前社ガ森の岩峰を越す鎖場が現れたが (無論、迂回路もある)、これは試し鎖と呼ばれており、 これから一から三までの鎖を登るにあたってのテストの場 ということなのであろう。 登らないわけにはいかない。

鎖の距離は結構長いが、しっかり鎖を掴んでいけば岩峰の頂上に立つことはそれ程難しいことではなく、 登り着いた頂上からは、 これから登る石鎚山の姿を楽しむことができた。

下りは、先ほどとは反対側に下りられるルートがあるはずであるが、チョット見には下りの鎖が見つからず、先に頂上にいた夫婦連れと一緒に 暫くルートを探してしまった (この下りは登りよりも難しい気がした)

休憩小屋を過ぎて夜明峠まで来ると、展望が大きく開け、これから進む道筋とその向こうに石鎚山がよく見えるようになり、 さらに頂上直下の青い小屋まで見ることができたが、 後ほどこの小屋は三の鎖の横にある小屋であることが分かった。

道は笹原を過ぎると一ノ鎖になったが、これもしっかりと鎖を掴んで登っていけば何も問題はない。
この辺から見る石鎚山は その北壁が印象的で、 北岳にも匹敵するようなその姿は、 そそり立つと言う言葉がぴったりであった。

やがて道は階段となり、道の両側に小屋を見て進むと鳥居があって、その先が二ノ鎖である。
これも慎重に越して行くと三ノ鎖になるが、 三ノ鎖は取り付くまでの所にまだ多くの雪を残しており、 また鎖の途中にも雪が見えることから、 迂回路を通る登山者も多く見られた。

雪に足を取られぬよう注意して鎖に取り付いたが、鎖は大きな知恵の輪がつながったようになっていて、 一つ一つが大きい上に重たくて持ちにくく、 また取り付きの地点と途中何ヶ所かが かなりの急勾配になっていたので 結構緊張を強いられた。

この鎖場も、他の山にあるそれと同じ感覚で登っていたのだが、重たい鎖をよく見ると一つ一つに名前が刻まれており、 ここは登山の場ではなく信仰の場で、 こうやって鎖を登ることも自己を高めるための修行として、 信仰の中に位置づけられていることを感じさせてくれた。

長い鎖場であったが、傾斜が緩くなってくると弥山頂上の祠が見えてきて、それから一踏ん張りで祠の前に飛び出した。
祠には鏡が安置されており、 お参りを済ませてから天狗岳へと向かった。

岩の間を下り、やせた尾根の岩場を通過すると天狗岳頂上で、頂上には石の灯籠 ? などが置かれていたが、肝心の頂上の標識が無かったのは 残念であった。

頂上からの展望は素晴らしく、多くの山々が眺められたが、特に西ノ冠岳、二ノ森方面へと続く山々が緑に萌えて特に美しく見えた。

弥山に戻り、下山は鎖場を通らず迂回路を通ってひたすら朝来た道を戻った。
今朝出発した宿に着いたのが10時過ぎ、 "早いネ " と宿の食堂の人に言われて気分をよくしながら飲んだ生ビールは最高で、 暫くの後出発した西ノ川への足取りも軽かった。

西ノ川への下りはほとんど展望のない道で、所々でロープウェイの案内の声を聞きながら、何も考えることなく脱兎の如く下った。
最後は畑の中の道になり、 道路に飛び出すと、 民宿が1件あって、 その前に11時40分過ぎのバスがすでに待っていた。


石 鎚 山 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ登山日:1994.4.30 天候:晴れ単独行前日泊
登山路:河口−今宮−成就社()−遙拝所− 八十坂−前社ヶ森−夜明峠−一ノ鎖−二ノ鎖−三ノ鎖−弥山−天狗岳−弥山−夜明峠−前社ヶ森−八十坂− 遙拝所−成就社−野地−西之川
交通往路:宮崎−(バス)−宮崎空港−(飛行機)−松山空港− (バス)−松山−(予讃線)−伊予西条−(バス)−河口
交通復路:西之川−(バス)−伊予西条−(予讃線)−松山 −(バス)−松山空港−(飛行機)−羽田−(バス)−横浜−(相鉄線)−瀬谷
その他:4月29日成就社まで登山。翌30日石鎚山登山。下山後帰宅。


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