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1998年8月26日 午前6時25分

朝からなにやってんだろ。今回はbook『エヴァン・スコットの戦争』と「偽シェフヨネのワイン漫談」第12回

久しぶりに高校野球を見てしまった。いつも応援している京都代表が決勝に出てきたが、相手が悪かった。横浜は強いぞ。とくに、守備。なにげないが実に周到。松坂のスライダーなんかキャッチャーも捕りそこねたほどのキレ。それにしても、これだけレベルの高い野球を見せてくれたら文句ない。ひるがえって、プロ野球。巨人よりもダイエーの方が首位に近いんだけどなあ。どうして誰もそういう可能性を言わないんだろう? こういうメディア露出の偏重が全体を歪めているのだ。巨人がふつうのチームになってこそ、日本のプロ野球が健全になるだろうに。とりあえず、ドラフトを完全ウェーバー制にして、ドラフト権のトレードを認め、代理人制度を公認して、コミッショナーの権限を強化して、各チームのオーナーには有能な経済人を・・・こういう改革ができるんだったら苦労しないわなあ。

いろいろ、補足あるいは訂正。

「home page」は、もともとはブラウザソフトが起動したときに最初に読みにいくページのこと。転じて、あるサイトの最初のページ(welcome pageというのが初期の言い方だが、今はhome page, top pageという)を指す。ナヴィゲーションのボタンで、「(back)home」というときには、そのサイトの最初のページに戻りますよね。

ということで、英語では、「home page」が、あるサイトのページ全体を指すことはないようです。これに対して、日本では「ホームページ」というと、WWW上で読めるように作られたあるページの集まり全体を意味するようになってしまいました。もう、今では直しようがないでしょうね。ところで、ホームページを略して「HP」というのは、どうも評判がよくないようです。なぜなら、一般には「馬力(Horse Power)」だし、コンピューターの世界では「ヒューレット・パッカード(Hewlett-Packard)」を指すからなのです。ニュース・グループへの投稿などでは、こういう不正確な表記は敬遠されますので、気をつけてくださいね。

NHKのバックパッカー番組批判に関して。説明不足でしたが、出演者が役不足だったとは全然思っていないので、蛇足ながら注釈を。下川裕治氏の本も好きですから。言いたかったのは、バックパッカーという旅のかたちの本質は、安宿とか蚊取線香ではなくって、自分の世界観を壊して再構築するようなことではないかということなのでした。

それにしても「回想のフランス98」はなかなかスタートしません。タイトルGIFはできたんだけど。そうそう、今はバナーやロゴ作りに燃えているのでして、photoshop本を何冊も買い込んでしまいました。

ところでどうでもいいことなのだが、Adobe PageMill2.0Jで、<BR>タグはshift + returnキーだということを、ようやく知った。ただのreturnキーでは<P></P>タグを生成するので、段落(1行空き)になってしまい、ただの改行ができなくて悩んでいたのですよ。いちいちHTMLソースに手書きで挿入していたのがバカみたい。あー、よかった。

1998年8月19日 午前0時55分

「偽シェフヨネのワイン漫談」の第11回です。これからは、毎週更新の予定です。画像とリンクは宿題ね。

ところで、16日のJリーグ・オールスターは地味だった。驚いたことには京都からも3人出ていた。黒崎、岩本は代表経験があるにしても、小川ねえ。しかし、この中では小川が一番良かったのだから、やはりファンの見る目は確かということか。他にも柏の渡辺、札幌の吉原など、一般への知名度はないけど渋い選出にはうなった。組織票かもしれないが、案外いい線いってるかも。表彰選手も中盤で効いていたストイコヴィッチと小野というのがなかなかよい。あとはTV中継のカメラワークとアナウンサーが成長してくれればなあ。

まったく関係ないが、以前から疑問に思っていた日本でいうところの「ホームページ(誤用が慣用化している方の意味で。つまり、あるWWWサーバーまたはディレクトリに格納されかつ公開されているところのhttpで見られるHTMLファイルなどのリソース群)」を米語でなんと言うのか? ですが、どうやら"web site"または"web page(s)"ということでいいらしい。"home page"または"homepage"は、ひとつのサイトにアクセスしたときに最初に開かれるページのことですからね、もともとは。サイト全体を「ホームページ」というのは、本来は間違いなんですよ(補足説明はここ)。知ってた?

1998年8月16日 午後11時

「GODZILLA/ゴジラ」を観て、やっぱり怒ってしまいました。それにしても平日の夜7時からの回はガラガラ。ポケモンの方が入っていたぞ。

さて、さすがに夏休みがないのが辛い。6月に使い果たしちゃったもんで、誰も同情してくれない。

それはさておき、このサイトの模様替えをやろうとしながら、ついに1周年が近くなってしまいました。だいたい、カウンターが9999までしか表示できないんですよね。バナーも作り替えたいし。というわけで、photoshopでのロゴデザインを勉強しております。リンクのページも準備中です。

話は変わるが、近所の酒屋が閉店するらしい。数年前に某チェーン傘下に入ったのだけど、うまくいかないのか。たしかに空いていたけど。さらに、近所の西友にあったチケットセゾンまでもがカウンターがなくなってしまうという。あのワールドカップ予選で徹夜した思い出のお姉さんに、お別れを言わないといけないなあ。チケットカウンターとしては破格に優しい、ものすごくひいきにしていたところなのに。不況とはいえ、悲しい。

1998年8月12日 午前1時5分

少ーし、「偽シェフヨネのワイン漫談」の注を修正しました。

それはさておき、昨日書き忘れていました。サッカー日本代表監督として前南アフリカ監督のトルシエ氏と交渉中というニュースが流れています。どうもアーセナルのベンゲル監督のアドバイスによるらしい。これには2つの解釈があって、「ベンゲルが断ったので代わりに推薦した」のか、「ベンゲルがアーセナルとの契約が切れる2000年以降に日本に来るまでのつなぎとして代わりにやってもらう」のか。ベンゲルはアーセナルでチャンピオンズリーグに優勝して来年のトヨタカップで日本に凱旋するのが既定のコースなのでしょうがねえ。どうなることやら。就任2年目にしてプレミアリーグとFAカップの2冠。いまや、世界のトップクラスになってしまった。フランス代表監督の線もある。

そういえば、結局エメ・ジャッケ監督は勇退したのかな? 後任にはティガナが内定していたのに、どうやら宙に浮いたみたい。半年前にはジャッケが日本代表監督にどう? なんて話もあったけど、今じゃワールドカップ優勝監督だから引く手あまただろうし。

ところで、「フォワードに決定力がないフランスは日本に似ているから、フランスから監督を呼ぼう」という説がありますが、そりゃ違うだろ。フランスのシュートはけっこう枠に飛んでるもん。4バックだって、テュラム、ブラン、デサイー、リザラズーと強くて賢くて攻撃力がある。しかも、ブラン出場停止でデサイー退場の決勝でさえ、ブラジルを危なげなく完封したのだ。それにデシャン、プティ、カランブーの守備的にして柔軟な中盤の運動量とパスワーク。これにジダンとジョルカエフだぜ。ファンタジーは感じなかったけど、有機的に機能するさまは圧巻でございました。

それはさておき、もしもベンゲルが2000年に日本に来る気になったとしても、もはやものすごい年俸だろうに。日本サッカー協会は払えるのか? だから、グランパスをやめた時に話をつけときゃよかったんだ。

ところで、岡田は監督としてはどうなんだ? ブラジルはなぜ優勝できなかったんだ? と、そういうもろもろのことについて、やっぱり書き留めておくことにしました。題して「回想のフランス98 "France 98 pour mes Memoires"」。日本のサポーターはどこへ行くのか、あの熱狂の嘘っぽさ、現地と日本との評価の両極端、などなど、いろいろ吐き出しておきたい。というのも、やっと「Number」の特集号を買ったのだけれど、戦術分析はいつもの通り読ませる(全部に賛同するわけではないが)ものの、やっぱりここで言っておかないと、誤解したままになっちまうような気がしてしまったので。とにかく、ホテルもチケットもお膳立てしてもらって大名旅行している偉い人に言われっぱなしになっているのは悔しいぜ。ホテルで予約トラブルがあったからって、担当者じゃない(同じ旅行会社ではあっても)人間を真夜中にわざわざたたき起こすたあ、何様のつもりじゃあ? 予約確認書を持ってるんだったら自分で交渉しなさい。

こんなことを思うのは、さっきNHKのバックパッカー番組を見たせいかもしれない。賭けてもいいが、この制作者はインターネット上で、それもYAHOO Japan!の旅行記カテゴリーあたりで情報収集して出演交渉しているに違いない。出てくる人の半分はネット上に心当たりがあるもの。それにしても突っ込みの浅い番組だった。カオサン通りより安い安宿街はバンコクに2つあるし、それにもかかわらずカオサンがバックパッカーの聖地化しているわけには触れない。また、沈没し、無気力化していく一群や麻薬や犯罪への傾斜なんか全然出てこない。あれじゃあ、ただの貧乏旅行でしかない。バックパッカーたちも一様でなく、ひたすら長い旅行を自慢する者、観光地へ行くことをバカにする者、たまに一発贅沢をする者など、さまざまだし、いがみあいもある。あそこに、どうして蔵前仁一氏がいなかったのかなあ。まあ、あの作り方では表面を撫でるどころか、触ってもいない。ましてや本質をえぐる鋭い視点とは無縁(補足説明はここ)。「世界ウルルン滞在記」の方がよっぽどいいぞ(あれはあれでセッティングやら通訳やらの裏方をまったく隠しているところがいやらしいが)。あ、ちなみに私はバックパッカーではありません。コストパフォーマンスの良いバジェットツーリングを好みます。旅は目的じゃなくて手段だし。

ふううう。こんなに長く書くんだったら、もう日記として独立させようか? いろいろなことを考えた日であった。

1998年8月11日 午前0時15分

なんと2か月ぶりに「偽シェフヨネのワイン漫談」に新作登場です。毎週更新のはずが、とんでもない嘘つきで申し訳ございません。とりあえず、第6回〜第10回をまとめてお届けです。今回は画像がありませんが、そのうちに何か考えましょう。せっかくWEBで再公開しているのですから。

また、book『ミスター・マーダー』、ウワサの逸品もどうぞ。

ところで8日(土)にはジュビロ磐田が優勝。奥はやっぱり上がり目のボランチから上がってくる方が迫力がありますなあ。若い選手がドゥンガに怒鳴られてもへこたれなくなってきたあたり、強くなったの感しきり。それにしても再建途上の清水エスパルスに2位の6000万円が行ったのはめでたい。給料あたりのパフォーマンスではダントツでしょう。若い市川、和田、平松から大榎、長谷川健太まで、なかなか魅力的なメンバーですが。伊東テルもそろそろ目覚めてほしい。そうそう、中山がなんで平塚のゴール裏に行ったのかと思ったら、ベルマーレのサポーターが「おめでと ジュビロ」の横断幕を用意していたのであった。日本のサッカーは本当に平和だ。

9日(日)には友人のLIVEで高円寺へ。いつもは傲慢なくらい自信たっぷりなのに、ステージでは「いい人」でやんの。それはともかく、また遅くまで飲んでしまった。誘われるといつのまにか断れない私。意志が弱いよなあ。

1998年8月6日 午前6時25分

とりあえず、book7月から宿題を片づけましょう。『イコン』 『テロリストのパラソル』 『陰謀の黙示録』『スズメバチの巣』と4冊。ふう。これで7月分は終わりです。最近、古い作品も多いし、おすすめじゃなくて罵倒しまくりだったりしますが、それもまたご参考にしてください。

それはともかく、Road to FRANCE PART2はまだ6月の話が全然進んでいないのでごめんなさい。「熱くないよ」とご不満のみなさん(といっても君のことだ>ゆうこちゃん)、やはり時間がたって臨場感に欠けるせいでしょうか? 私としては、なんといっても予選のギリギリの不安と緊張がないためのような気がします。去年の9月〜11月は目が血走っていたもんな。異様な集中力だったし。なにしろ、試合の流れをソラで再現できた(だから書けたとも言える)。それに較べりゃ、本大会はお祭りみたいなもんさ。と、言い訳しつつ、これからはどうやって試合のチケットを入手したか、スタンドではどんな人間模様があったか、などなどをご報告いたします。ちなみに、旅行全体の日記とロマネスク関係のレポートは別に「哀愁のヨーロッパ」の方へまとめます。

おっと、忘れていた。8月1日は横浜国際でフリエ対アントラーズを師匠と観戦。それにしても行くのに2時間、交通費は片道920円というのはやっぱり遠い。席はバックスタンド2階、ハーフラインの真上という絶好のポジションで、堪能いたしました。フリエはちゃんと3-4-3になっているところが偉い。どうも山口と遠藤が中途半端だが。やっぱりサンパイオはいいねえ。対する鹿島はビスマルクがケガが直りきらないのかまったく機能せず。中盤の後ろ2人は仕事になっていない。いきなり4バックに負担がかかってピンチ多し。永井が中央でドリブルキープしたら誰かチェックに行けよ。結局センターバックが釣り出されてたちまち崩されているじゃないか。しかも、鹿島の後半は攻め上がる人数が少ない上に中盤がさぼっているものだから、フィールド中央に巨大なスペースができていた。これでは連続攻撃もできないし、カウンターでは中盤をいいように支配されまくり。もっとラインを押し上げないとねえ。

というわけで、心配した通り残り5分を切ってから2点を連取されて3-2と鹿島は呆然自失の逆転負け。柳沢はよかったんだけどね。とくに2点目のアシスト。ああいう大きいワンツー、しかもダイレクトっていうのは好きなのだ。

2日はNFLアメリカンボウル。愛しのパッカーズなのだが、あまりにも高いチケットに嫌気がさしている上に、見にくい東京ドームなので、GAORAでTV観戦(そうそう、ついにCATVに入ったのですよ。リアルタイムでノーカット、しかも解説は関西弁バリバリの元関学の浜田)。これが、同点で延長になり、しかもフィールドゴールを両チームともひとつずつはずすというドラマチックな展開で、プレシーズンとは思えない盛り上がり。とくにチームロースターに残るかどうかという当落線上の選手にとっては死活問題なだけに、プレーも真剣なのだ。しかし、板井のタックルはよかったぞ。その前のリバースだって、遠慮せずにオープンへいちかばちか回ればゲインできたかもしれない。あくまでフォア・ザ・チームの板井らしく、自陣近くだから無理しなかったらしいが。

そして3日は、JAPAN-EURO BOWLで日本代表対フィンランド代表(あ、これもアメリカンフットボールの話ね)。なぜフィンランドかというと、いまヨーロッパで3連覇中の最強チームだから。ちなみに日本協会はヨーロッパでもアメフットをやっていることを把握していなかったらしい。しかも、北欧らしく、みんなでかい。ラインの平均体重が120kg以上だそうで、日本では最高体重が120kgくらいだから、力勝負になったら苦しいよなあ。というわけで、けっこう不安と期待でドキドキしながら行ったのですよ、嫌いな東京ドームに。

結果はというと、いやあ、気持ちよかったなあ。心配したライン同士のぶつかりあいでも互角以上、素早さで上回ってフィンランドは全然走れず。パスの投げ合いになったら、日本はスーパーキャッチ続出で、前半で29-0の圧勝ペース。後半は気合いを入れ直したフィンランドが1タッチダウンを返すも、日本は時間を消費しながら10点を追加して39-7の完璧な勝利。いやあ、とにかく「日本代表」というだけでも歴史的なのに、ヨーロッパチャンピオンに勝っちゃった。これが重要なのは来年にもイタリアでワールドカップをやろうという計画があり、各国の実力を比較する物差しになるからだ。う〜ん、楽しみだ。なお、参加しそうなのは、アメリカ、カナダ、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、日本、韓国、ヨーロッパ8か国(ドイツ、イタリア、フィンランド、フランス、スペイン、イギリス、う〜んあとはよく知らない)。

1998年8月1日 午前3時

ついつい遅くまで飲んでしまいましたが、とにかく更新しました。movie「L.A.コンフィデンシャル」と、book『天使たちの探偵』『遠い朝の本たち』『ダーティホワイトボーイズ』『復讐の残響』『アイランド』一挙5本。これで、どうだ! という感じです。しかし、これでも7月のbook予定の半分。フランス日記もワイン漫談もネタあまりの状態なので、頑張ります。それに、トップページの模様替えやら、久松史奈の更新(すみません、ずいぶん長いことさぼっておりました)、新アドレスへの引っ越し(するかもしれない)などなど、やることはたくさん。とりあえず、地道にやります。

メールをいただいたみなさん、励ましありがとうございます。不肖金山、なんとか今まで続けてこれたのも、みなさんのおかげです。

1998年7月29日 午前0時30分

連日の更新です。実は、早くしないとbookの7月が始まらないということに気づいてしまった。ということで、まずは6月分を総ざらい。『ブラック・ダリア』『ユルスナールの靴』『地獄からのメッセージ』です。まだまだ後がつかえているのだ。ふぎゃあ。それにしても毎日暑いぞ。

1998年7月28日 午前0時30分

やあやあ、ようやく「トゥールーズの嘆き・後篇」をお届けします。とりあえず、なんとか。今週は、金曜日までにもう1回、更新します。映画「L.A.コンフィデンシャル」のご報告もしないといけないし、何よりbookが1か月もたまっているのだ。読んだ本の全部じゃないけどね、かなりの部分は書評のまないたに載せます。

そうそう、背景に色があるとプリントしたら真っ黒になるっていうクレームがありましたので、Road to FRANCE(PART1もPART2も)は背景を真っ白にいたしました。モノクロ・レーザープリンタをお使いのみなさん、いかがでしょうか?>ということで、オガピー、これで大丈夫?(追補:ブラウザの設定で、背景・テキストの色はHTMLタグの指定と異なるようにもできます。時々いる背景に巨大な画像を張り付けている愚か者や文字が読めないテキスト配色もこれで撃退できます。1998/8/6記)

1998年7月21日 午後11時35分

ふう。今回は映画評を5本です。「ブルース・ブラザース2000」「レインメーカー」「ウワサの真相 ワグ・ザ・ドッグ」「追跡者」「不夜城」。これだけあると、なかなかのもの。「トゥールーズの嘆き」後篇は着々すすんでいます。もう少し待っててね。ちなみにbookは、さらにたくさん(10冊近く)あります。少しずつ、アップしていきます。さらに、「偽シェフヨネのワイン漫談」もすぐやります。ネタに押しつぶされそう。

連休は、ヤマザキナビスコカップ決勝に行ってきました。ジュビロ磐田が4-0で快勝。それにしても決勝っていい。「Campione, Campione, Ole, Ole, Ole.」でスタンドが揺れる様子はちょっと感動します。名波も高原も奥も藤田もぐるっとグラウンドを回ってくれました。

そして昨日は1周年記念バドミントン大会。汗をかいたあとのビールがうまい。それにしても2時間の運動で6時間以上は飲んでるぞ。カロリー計算しない方がいいよなあ。

1998年7月14日 午前7時20分

さあ、Road to FRANCE PART2続々です。とりあえず、「トゥールーズの嘆き 前篇」です。心配は、後篇がすごく長くなって分割せざるを得なくなるのではないか、ということなんですが。

あ、そうそう、フランス優勝おめでとう。ジダンが笑っていた。バルテズが泣いていた。プラティニなんか、フランスのユニフォームを着てたし。大会委員長なんでしょ? それにしてもどこかおかしいブラジル。守備に問題があるのはわかっていたが、あれほど攻めに迫力がないとは。ロナウドなんか、立っているだけ、なんで代えないんだろう? 

もう、これであと4年はワールドカップはめぐってこない。Road to FRANCEもいよいよおしまい。しかし、ユースやオリンピックがあるもんね。

1998年7月10日 午前2時45分

更新がもーのすごく遅くなって大変申し訳ございません。帰国以来、2週間以上もたって、ワールドカップはもはや3位決定戦と決勝を残すだけになりました。

ここでは、日記としての性格上、更新できなかった日々を振り返りつつ、長いお詫びとさせてください。

出発した12日、トップページにおことわりだけ載せました。当時、シミュレーションシリーズも準備してあって、シナリオも考えてあったのですが、急性意欲喪失で書けませんでした。しかも、実は今回アップロードした「旅立ち」は10日午後4時の時点ですでに脱稿していたのです(いわゆる予定稿)。しかし、あんな事態ではとうてい載せるわけにはいかない、つまりチケットがないなんてことを知る以前の平和な頃の話だったので、当然ボツ。

帰国して、とにかくやはりトップに帰国したことだけ、書きました。そして、ある程度予想された事態ではあったのですが、あまりにもたまった疲労と睡眠不足でダウンしてしまったのです。旅行中は緊張して気が張っていますからいいようなものの、帰ってきたらもういけません。しかも、最初に手を付けるのは「旅立ち」の改稿なのですが、これを始めるたびにムラムラとどこにぶつければいいかわからない黒雲のような激情が沸き上がってしまう。

25日、ぴあから電話があって、チケット返金にプラスして1枚あたり3万円のお詫び金だという。しかし、お金ではないのだよ、君たち。チケットがどうしてなくなったのか、調べて説明してくれ。「ある」といって前払いしたのに「なかった」なんていうのは、これからはもうやめてくれ。どこに問題があったのか、はっきりさせてこんな悲しいことはこれっきりにしてほしい。ああ、また感情が高ぶってしまった。

とにかく、この電話で、現地では何もチケット入手の努力をしていないところ(ぴあのことだが)、がんばり過ぎてダフ屋相場を高騰させたところ(噂によればJTB)、ナントでは「サポティスタ」配布が功を奏して相場が暴落したこと、とにかく実態が知りたければいくらでも協力することを話した。私たちは、観光に行ったのではない。日本代表に声を届けるために行ったのだ。その気持ちを、いったいどれだけわかっているのですか? しゃべりながら、泣きそうになってしまった。

27日、ワールドカップは決勝トーナメントに入った。これからが、本番の勝負だ。

調子が悪くてごろごろしていたので、本ばかり読んでいた。bookのネタがたまってしまった。それを言うなら、機内映画も含めるとmovieのネタもたくさんあるのだ。それに、「偽シェフヨネのワイン漫談」も初回以来、更新していない。さあ、急がなくちゃ。

7月に入った。いまだに不調。それでも、執念でワールドカップをかかさず観る。頭の中にはサッカーしかない。それでも、5日に閉幕直前の「ケルト美術展」に出かけた。混んでいて、入場前に並んで待たされた。最初と最後はとってもいいのだが、中だるみという気がした。ケルト文化はアイルランドやイギリスやブルターニュだけではないのだよ、ということを言いたいがために出土品を選んではいやしないかい? 有名な遺跡と主なアイテムを網羅してあるのだが、それではあまりに総花的なのだな。「お子さまランチ」という言葉が思い浮かんでしまった。

そうそう、ゆうこちゃん、メールありがとうね。みなさん、さぼっててすみません。これからは、心をいれかえて着実に更新していきます。トゥールーズでホテルがなかった話や、ダフ屋との値切り交渉や、その他たくさんネタがあるのです。なお、旅行そのものは「哀愁のヨーロッパ」に、サッカー関係は「Road to FRANCE PART2」に、ワールドカップを観た感想はまた別に項目をつくって載せていきます。これだけで、夏が終わりそうな気がするなあ。

1998年6月10日 午前2時30分

今日、ワールドカップが開幕する。出勤はあと2日。62時間後には機上の人なのだ。信じられないことに、準備が全然まだである。その過程を赤裸々に公開したのが、Road to FRANCE PART2「出発4日前」。果たして、どうなることやら。

日曜にはダービーがはずれ、月曜には日本戦チケットの乗り換えで5万円コストダウン。やっぱり、チケットが高すぎたよなあ。火曜日には代金をぴあに振り込み、旅行代理店からは最終的な請求書のFAXが届いた。計算すると、日本戦2試合ツアー40万円台よりは十万円以上は安くあがるはず。ただし、ホテルが1泊300〜400フランぐらいでとれれば、だが。

帰宅したら、待望のフランス政府観光局からのホテルリストと地図が届いていた。とくにホテルリストは価値が大きい。これで、かなり狙いが絞れる。しかし、モワサック-トゥールーズ間のローカル時刻表のコピーはなかった。想像するに、送付作業だけで無茶苦茶忙しいんだろうなあ。

おまけに日曜に観た「スフィア」も。さあ、臨戦態勢だ。そして、12日朝にも更新するので、待っててね。

1998年6月8日 午前2時45分

さて、今日は新しい企画として、「偽シェフヨネのワイン漫談」を始めることができました。ヨネさん、バナーは気に入っていただけましたか? テキストデータはいただいていたのですが、ページにまとめるにあたってけっこう手間と時間がかかってしまいました。まだまだ手を入れる余地はありそうですが、とりあえずスタートです。

なんやかんやと言いながら出発まで、あと4日になりました。ワールドカップの開幕はなんと明後日。もうすぐではないですか。旅行中は更新をお休みしますので、その旨のお知らせを載せました。ところが、なんと日本対アルゼンチン戦のチケットが届かない! 旅行代理店から6日(土)に着いた速達によれば、偽造チケットの横行が疑われるためFIFAが発券を遅らせており、出発前の手渡しができないので、現地スタジアムで係員から手渡しするという。そのために宿泊先ホテルを知らせろ、念のためチケットに記載する(かもしれない)パスポート番号や有効期限や記載名を知らせろ、それも月曜日16:00までにFAXしてくれ、という異例の事態。う〜ん、困った。今からホテルを予約するのは無理だろうが。果たして、私はトゥールーズの地に立てるのか? どうしてこんなドラマチックな展開になるんだろうなあ。

ちなみに、旅行準備としてAGFAのISO400・36枚撮りを10本、スニッカーズ8本にカロリーメイト3本を買いました。ビーチサンダルはパリで買ったという黒いのをもらっちゃいました。ありがとうね、いろいろと>みちよさん(あなたはきっとこのHPを見てないだろうけど)。

ところで、カズ、北澤がはずされた件が波紋を呼んでいますが、別に勤め先をクビになったわけでもなく、サッカー生命を絶たれたわけでもないのだから、過剰反応ではないのだろうか? とくに、いままでサッカーには門外漢だったマスコミ関係者が「やっと発言できるネタがあった!」っていう感じで不況やリストラと関連づけるのはあんまりにもこじつけで不快だ。もっとひどいのは岡田監督の家に脅迫電話をかけているという連中。そりゃあ、私だってカズも北澤も功労者だからもっと違う遇し方や花道があってもよかったと思うが、勝つための戦略としてはベテランへの温情というのは優先順位が低いのではないかね。代表チームの作り方や22人の選び方については、またどこかで触れる機会があるでしょう。

あ、そうそう、映画「スフィア」を観ました。これから、「ブル−ス・ブラザース2000」や「ケルト美術展」も観ないといけないし。『ブラック・ダリア』はもうすぐ読了できそう。というわけで、出発までに少なくとももう1回は更新します。

1998年6月6日 午後7時45分

土曜日の朝、惰眠をむさぼるのって気持ちいいですよね。さて、フランス行きは金曜日(5日)に日程表と連絡先をつくって上司と同僚に配布。別にそうしなければいけない規則があるわけではないけれど、まあ、ついでですから。やっと予定はかたまったけど、移動と宿泊は綱渡りになりそう。エール・フランスと全日空のストは影響ないだろうが、SNCFから地下鉄までストに入る構えらしくて、困っちゃいます。そうそう、パリのお友だちにわざわざ連絡してくれたみちよさん、ありがとう(急に個人的私信)。本当に困ったらよろしくね。

さて、少しトップページを手直ししました。更新情報の文字組を変え、フォントを落としたり、copyright表示などを追加しました。また、Road to FRANCEの各ページのタイトルを全部やり直ししました。ふう〜。それにしてもPhotoshopはどうしてこんなにすぐ落っこちるんだ? ウィンドウを同時に3つ開いたぐらいでガタガタしないでほしいぞ。

というわけで、時間だけはやたらにかかった大作「【シミュレーション】トゥールーズの奇跡」、ようやくできました。あまりに長くて前半と後半に分割しました。楽しんでいってね>ゆうこちゃん。ところでしつこく繰り返しますが、これは「多少のリアリティをもたせた、こうなってほしいシナリオ」ですからね。日本は厳しいマン・マークをつけるだろうとか、アルゼンチンの先発はガジャルドではなくてベロンだろうだとか、そういう予想を当てるものではありませんので。今頃のトゥールーズで雨は降らないぞ、とかそういう突っ込みは却下。これからクロアチア戦とジャマイカ戦だな。今度はもっと短くしようっと。え? 決勝トーナメントは? その時はその時。私の「予想」では、日本は1次リーグで涙を飲むでしょうね、残念ながら。しかし、「シミュレーション」では、なんと3連勝して、トーナメントではルーマニアあたりとやるんだろうなあ。出発前にそこまで書けるはずもないし。決勝までのシナリオも書けって? そんな無茶な。チームのスターターを想定するだけでものすごく手間がかかるんですよ。情報を収集し、分析し、戦略を推定した上で試合展開を考える。楽しいけど、しんどいのだよ。

さあ、せんたくにそうじだ。

1998年6月3日 午後11時59分

ついに、フランスの予定が見えてきた。この6月1日、2日でかなり前進しましたよ。旅行の後半はパリ滞在で、サン・ドニ、パリ、ナントの3試合へ臨む。そこで、旅行代理店へ20日のパリ-ナント往復のTGV予約を依頼した。なんとか、OKになりそう。また、コンクの観光局のホームページで情報収集。なんと、ホテル予約がネット上でできる。さっそく送信。もちろん、オテル・サントフォワです。

2日の話題といえば、代表22人から、カズ、北澤、市川がはずれてしまった。戦力を計算していけば確かにはずれる理屈なのだが、現実になってしまうとすごく悲しい。別にファンでもないし、予選後半ではカズをはずす方に賛成していたぐらいなのだけれど。フランスでのプレーはかなわなかったけれど、君たちのプレーは忘れない。カズよ、北澤よ、今までありがとう。君たちの苦しい戦いの歴史が強い日本への道ならしをしてくれたのだから。市川にはシドニーも2002年も、その前にユースもある。マラドーナだってアルゼンチン大会では直前にはずされたのだから、これから頑張れ。

3日、ようやく赤坂のフランス政府観光局へ、資料送付依頼を投函。帰宅してみればコンクのオテル・サントフォワから返事のファックスが来ていた。15日でも16日でも予約OK! 何より丁寧な文面がうれしい。さすが老舗。4つ星だが1万2千円ぐらいから泊まれるというのが田舎のいいところ。ただし、最寄りの駅から40〜50kmある上にバス便が1日1往復しかないので、どうもタクシーを使うしかないので高くついちゃうのですが。なにしろ巡礼街道で丘の上だからなあ。

さて、今回はbook『強襲』です。ワールドカップのシミュレーションも「ワイン漫談」も頑張っております。果たして渡仏前にアップロードできるのだろうか?

更新作業を中断して見た日本対ユーゴスラヴィア、0-1で負けはしましたが悪くない感じ。しかし、ゴールキーパーと1対1になったら決めてよね>中田、中山。チャンスは作れる、ただし数は少ない、ということはわかった。また、3バックでもコンパクトに守れてカウンター速攻もできる、ということも証明された。ダイナスティカップの中国戦からずっと勝っていないけれど(スイスの地元クラブとの練習試合は除く。だって4部のアマチュアだって?)、世界を相手に戦えるところには来ているのではないだろうか。といっても、「善戦しました」で終わる可能性も低くないのだけれど。

1998年6月2日 午前0時20分

なんやかんやいって、ワールドカップまであと9日になってしまった。この間、私は何をしていたのか? 実は、なかなか準備が進まないのです。しくしく。それはさておき。5月30日はパーティだったのです。限定4名、タイ料理中心で、あまりに久しぶりだったので、お部屋の掃除が行き届かなくてごめんなさい。メニューは、

1)トム・ヤム・クン(エビの辛いスープ)
2)グリーンピースの鶏そぼろあん 香港風
3)ヤム・ヌア(牛肉の激辛サラダ)
4)鯛の酒蒸し 広東風
5)トム・カー・ガイ(鶏肉のスパイシー・ココナツ煮込み)
6)蟹の炊き込みご飯
7)ココナツムースのあずきのせ

という感じ。自己採点では55点ぐらいか。でも、スプマンテ、シャンパンからワインづくしで楽しかったよね。私は、買い出し2時間、料理2時間で疲労困憊してしまいました。ひろこさん、みちよさん、ごめんね。

翌31日。オークスを無視して敢然と銀座へ。イエナで首尾良く6月のトマス・クックの時刻表を買ったが、よく読むとワールドカップの臨時列車は掲載されていないという。このへんが、毎月精密な時刻表が出る日本との大きな違い。それはともかく、近藤書店と旭屋書店で須賀敦子の本を買って、これでめでたく全作品入手。とにかく、少ない著作で逝ってしまった彼女は、本当に文芸界の損失。

そして、ITO-YAでメモ帳を物色。伊東屋のころから、ここはいいですよね。品数ではなくて、粒選りのいいものがあります。でも、私は1冊130円のITO-YAオリジナルメモ帳を2冊だけ。旅行用にちょうどいいのです。そのまま京橋方向へ歩けば、銀座テアトル西友へ。「ビヨンド・サイレンス」を観ました。

さて、リニューアルは全然間に合わないので、7月以降にします。とりあえず、mailtoだけ、配置換えをしました。「哀愁のヨーロッパ」もしばらくお預けです。その代わり、ワールドカップの日本の3試合のシミュレーションを頑張って作ります。これは、あくまでも「こうだったらいいなあ」という、根拠のない夢ですからね。

さらに、ついに外部から才能を導入! 「偽シェフヨネのワイン漫談」の連載を開始します。フランスへ行く前に始めたいのですが。どうなることやら。出発まで、あと11日。


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