Road to FRANCE PART2 【1998ワールドカップ本大会篇】

旅立ち

あの頃

フランスでワールドカップが開かれると決まったころ、私は「ラッキー、絶対に見に行くぞ!」と思っていた。慣れ親しんだ国で、いくつもの都市を回ってふらふらするのは楽しいだろうなあ、と。1990年のイタリアでは、1次リーグの会場は人気カードを除けば満員になることもなく、現地で当日にほぼ定価で入場券を入手できたと言う。観光大国フランスなら、宿に困ることもあるまい。

また一方、アメリカ大会の予選で日本が敗退した時、「次のフランスには絶対出場してみせるぞ!」と意気込んだものだ。それは応援というより、執念とか意地というものに近かった。

いくつもの障害

熱に浮かされたような日々が過ぎ、気がついてみれば、もう、1998フランス大会の開幕の日を迎えている。そして、私は旅立とうとしている。しかし、あれほど願った夢が実現してみれば、そこにはいくつもの壁が立ちはだかっていたのだった。

日本がワールドカップに出られたら、フランスに行こう! と安易に考えていた構想はもろくも打ち砕かれた。

高騰する入場券。軒並み満室のホテル。ヨーロッパへの翼もむずかしいと噂された。移動のTGVにも不安がつきまとう。そこに偽造チケット疑惑のせいで、発券の遅れ。エール・フランスのストライキは、国際便だけでなく、国内便に及び、さらには鉄道・TGVにも影響しそうだ。SNCFやパリ地下鉄にもストの可能性がある。

それでも、私はフランスをめざす。

6月9日(火)

10時に、チケットぴあに代金を振り込み。さらにパスポート番号などをFAX。

旅行代理店から、請求書がFAXされてきた。エア、出国税、旅行保険、フランス・ヴァカンス・パス、TGV予約と通信代で合わせて18万円弱。これに2試合分のチケットと8泊分のホテル代を合わせれば30万円強ぐらいになりそう。2試合ツアーの価格からすれば、かなりリーズナブルな線になってきた。これに日本戦以外のチケット代、市内交通費、食費、美術館入場料を加えても40万円ぐらいだろうから、8泊11日間のワールドカップ観戦旅行としては、いいところではないだろうか。

駅からいつもの飲み屋を回る。「まだいたの?」「いつ行くの?」「ちゃんと帰ってくるの?」あいさつもそこそこに、ダービーの反省やらおしゃべりにいそしむ。

家に帰ると、フランス政府観光局から大きな封筒が届いていた。トゥールーズ、モワサック、コンク、ボルドー、モンペリエ、ナントのパンフレット、地図、ホテルリストだ。

これで、ホテルの戦略が立てられる。トゥールーズにもホテルは多いが、この地方で群を抜いているのはルールドだ。奇跡の泉への巡礼者が絶えないこの街には旅籠やホテルが林立しているらしい。しかし、遠すぎる。試合の次の日にモワサックを見てコンクへ移動する計画なので、モワサックと、その近くのTGVも止まるモントーバンに白羽の矢を立てた。5、6軒ずつしかホテルはないが、こんな小さな街にわざわざ宿を取るサッカーファンはあるまい。コンクのホテルはすでに確保したし、モンペリエも1時間以内で行ける都市が地中海沿岸に並んでいるから大丈夫だろう。パリなら、いつものサン・ミッシェルからリュクサンブールにかけてか、北駅付近で安宿が見つかるだろう。詳しい検討は後回しにして、少し安心して寝た。

6月10日(水)

開幕日。まず、旅行代理店に残金13万円弱を振り込む。そわそわ。

インターネットのSNCFのサイトで、タイムテーブルを検索、プリント。これに印をつけて窓口で見せれば予約ができるだろう。これによれば、思ったよりも選択肢が少ないので、問答無用これしかない、という感じだ。おそらく、臨時列車のデータが入力されていないのかもしれない。最低限、これで組み立てておけば大丈夫だろう。念のため、満席だった場合の代案もチェックしておく。

「ねえ、金山さん、チケット大丈夫なんですか?」と、突然、同僚から聞かれた。え、どうして? ASAHI.COMのニュース速報で、「ワールドカップ日本戦のチケットがとれない」ってあるらしい。それは、例の引き渡しが遅れている話ではないのか? しかし、なんと各大手旅行代理店の企画ツアーで確保していたチケットが、ダメになったらしい。それも、記者会見が行われている。万単位で、チケットがなくてキャンセル、中止が相次いでいる。これが、忌まわしい「チケット騒動」の始まりだった。果たして、「ワールドチケットぴあ」はどうなのか? 発売告知が遅かったから、危ないかも。しかし、たった3日前に「あります」って確かに言ったぞ。

退社後、まずボールペンを買う。メモ用だ。新宿アルタのチケットぴあへと急ぐ。名前を言うと、カウンターの下からすぐ封筒が出てきた。本人かどうかの確認はしなくていいのか? こちらから、とくに質問はしなかった。ここで聞いてもなにもわからないだろうし。チケット引き渡し場所のマップと、現地引き渡しになったお詫び文書が入っていた。いったい、どうなるのか? ああ、とにかくチケットがほしい。

同じフロアにスポーツ用品店を発見。この時期、当然サッカー一色。日本代表マフラーがない。これがないと、選手入場と国歌斉唱のときに困るのだ。といいながら、白地に炎マークのTシャツと日本代表メモパッドを購入。

帰宅。NHK「クローズアップ現代」(予選で歌われた「翼をください」の話)、「ニュースステーション」、そしてNHK-BS「開幕特集」へとはしごする。しかし、心は上の空。ワールドチケットぴあの電話は申込用しか知らないので、当然今かけても通じない。夜9時55分、ついに電話がかかってきた。やっぱり、ダメだった。いまからチケットを確保できる見込みはほとんどない。ツアーはほとんど中止らしい。しかし、私は個人手配なので、航空券をキャンセルできるわけにはいかないのだ。しかも、旅行代理店の手配チケットを蹴ってぴあに乗り換えたのだから。やけに丁重な先方のU氏は、もちろんチケットが取れなかったら返金する、とはいう。ただ、チケットのみの購入で旅行全部について補償するわけにはいかない、ということをものすごく婉曲に匂わせる。

腹を決めた。「とにかく、現地へ行きます。トゥールーズとナントで、連絡します。とにかく、少しでもチケットの確保に努力してください」それだけしか、言えなかった。怒るとか、泣くとか、は通り越して呆然としていた。あんなに夢見ていた舞台が、もうすぐそこに、手の届くところにきていたのに。

師匠が現れた。とうとう、ワールドカップが始まった。どうして、こんな重い気分なんだ?

6月11日(木)

眠い。まず、ぴああてにファックス。抗議とか補償とかの権利は留保するが、とにかくチケットを手に入れてくれ! ということを書いた。書きながら、ものすごく空しい。

情報収集。J-NETでも怒り爆発している。空港で「チケットがとれないので、この旅行は中止になりました」とか言われたら、唖然とするわな。しかも、それがなぜなのか、誰も説明してくれないのだから。

ウエッブ版「サポティスタ」でダフ屋対策を研究。だが、万単位であぶれているところにダフ屋が入ったら、まるで地獄に降りてきた蜘蛛の糸で、あっというまに超高値になるだろう。

社内でも、この話題で持ちきりだ。首を低くしていたが、当然ホコ先を向けられる。胸を張って「行って来ます。だってツアーじゃないから、キャンセルできないので」。ちなみに、この人たちは私がホテルもほとんど予約していないことを、知らない。

会社のみなさんへのあいさつもそこそこに駆け出す。旅行代理店で、航空券、フランス・ヴァカンス・パス、旅行保険、すでにタイプされた出国カードなどを受け取る。話題は、当然チケットのことだ。しかし、会話はかみ合わない。なぜなら、私の精神活動がほとんど止まっていたからだ。何も考えられない。予定スケジュールにしたがって亡霊のように動いているだけだ。

こんな時なのに、予定通り「ブルース・ブラザース2000」を観て帰宅。留守電に、ぴあからと、ゆうこちゃんから入っていた。そういえば、昨日は珍しくゆうこちゃんからメールが来ていて、ちょうどチケットがないことが発覚した直後だったので、怒りにまかせて返信を打ったのだった。それに、昨日は近ツリのツアーで行くユゲさんからファックスが来ていた。彼女は決勝トーナメントまで滞在する筋金入りなのだが。みなさん、気にかけていただいてありがとう。

何かを始める気にはとうていなれない。ホームページの更新どころではない。とはいえ、トップにおことわりは入れておかねば。

6月12日(金)

朝6時。まず、手帳に持っていくもののリストを書き始める。まだ、こんなこともしていなかったのだ。テレビでは、チケットがない、ばっかし。それでも見ないわけにもいかず、作業は全然進まない。なにしろ、自分の住所すら書いていない。こういう場合、きっと何かを忘れるんだろうなあ。

気分を変えてまずは、ホームページの更新ができなかったお詫びをアップロード。9時過ぎからようやくパッキングを始める。ここで、持っていく衣類を決めるのだが、いい加減なものである。J-NETをのぞく。大家さんへのレターも書いた。新聞も留守中は止めた。

ぴあからは、電話が来ない。昨日のファックスには、何時から何時まで在宅しているか、明記していたのだが。あきらめて明太子トースト(けっこういける)とミルクの朝食のあと、お清めのシャワーを浴びる。これから長旅だ。大家さんへ、留守をする旨のレターを投函。パッキングを再確認。代表ユニフォームのレプリカを着るのは試合場だけにしたので、見た目は長めの出張に出かけるラフな職業の男(だと思う)。空港や飛行機の中で代表ユニってのはさすがに控える。

結局、フランス語の一夜漬けとホテルリストと地図の照合は機内での作業になった。午前11時20分、出発。

こんなに悲壮な出発になるはずではなかった。しかし、意外にももはや気負いはなかった。日本戦以外ならきっと観られるだろうし、ロマネスク教会めぐりに切り替えたっていいのだ。スタジアムの外にも、ワールドカップはある。きっと、そこには新しい出会いが待っている。

text by Takashi Kaneyama 1998

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