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1998年7月
『スズメバチの巣』
パトリシア・コーンウェル、相原真理子=訳、講談社文庫

検屍官ケイ・スカーペッタのシリーズの新作ではありません。新しいシリーズになるそうです。まあ、一種の警察小説ですが、なかなかコミカル。主要な人物以外は、非常にわかりやすい性格と描写で、まるで漫画。いろいろな事件が平行して起こりながら大団円を迎えるあたりはマクベインの87分署シリーズを範としているのか(まあ、たいていの警察小説はそうした群像ドラマだが)。

女性の警察署長、やはり女性の署長補佐、ハンサムな新人新聞記者にしてボランティア警官(こういう制度が本当にあるらしい)の3人を軸に、連続殺人事件の謎をメインストーリーにしてパトロールで出会うトラブル、女にやりこめられたのを根に持って仕返しを企むマッチョ、スクープの漏洩事件、バスジャックの逮捕、などなど連続テレビドラマのノリですね。「ER」のような仕立てにしたら面白いかもしれない。

しかし、ハンサムでありながらそれを武器にせず、テニスはセミプロ、大学を出たてなのに記者としてはピュリツァー賞級、アル中の母親を世話しつつ、警官と記者を両立させて...........なんていう男、好きになれません。こういう主人公の人物設定は、作者の夢の投影なのだろうか? まあ、これを除けばそこそこ楽しめる作品です。が、正直に言えば、私の好みではありません。笑えるミステリーならもっとナンセンスなものがいいし、警察小説ならマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーのマルティン・ベックのシリーズが最高だと思っているので。

それにつけても、相原真理子という人の翻訳はよい。派手さはないが、ニュアンスも含めて正確だし、何より日本語が自然で「いい仕事」をしています。

『陰謀の黙示録』(上・下)
ロバート・ラドラム、山本光伸=訳、新潮文庫

ラドラムの場合、荒唐無稽とか男と女の安易な出会いとか竜頭蛇尾なんていうのは、もうあきらめている欠点なので、とにかく大風呂敷のシチュエーションで悪と戦って酔わせていただければいいわけです。『殺人者』という奇跡的な名作を除いて、私はAirline Novel(飛行機の中で読む小説、という意味ね)としてだけその価値を認めよう、と考えております。しかし、つい出来心で買ってしまった。う〜ん、触ったら熱いのがわかっている鉄串につい触っちゃった気分。

お話はナチス再興を狙う組織に潜入したエージェントが、逆に利用されてしまうところから始まる。例のゾンネンキンダー(太陽の子どもたち、つまり優秀な遺伝子の子を世界中に養子に送り込んで一種のスリーパーにする計画)ものですね。でも、全然怖くないし、意外な展開もない、というか、ま、予想の範囲内。だいたい、「意外な裏切り者」なんてもううけませんよ、それだけでは。しかし、なにより鼻につくのはズサンな作戦、段取りがいい加減、言い争いがただの感情の爆発、と全然優秀さが感じられない主人公たちが、なぜかヒーローになっていくあたり。

誤解のないように。ダメ人間たちが意外な成功を収める、ってことじゃなくて、作者はとってもかっこよく描いているし、そう表現しているが、実際の行動が滅茶苦茶でリアリティのかけらもないってことなのだ。アホか、と本を放り投げそうになった。

再度、誤解のないように。別にノンフィクションであれ、ということではなくて、フィクションの虚構をきちんと構成するに足る、納得できるプロットの細部が欲しいのです。

そもそも、このヒロインは怪しい。上司の机にあった極秘の調査依頼を勝手に持ってきて仕事をするかあ。具体的に言えば、机の上に極秘書類を置きっぱなしにするか、上司に無断で仕事をするか、勝手に依頼者にレポートを持っていくか、さらにはそういうことを平気でばらすか、疑問だらけ。こんなことをやる女は、絶対信用できません。日本の民間企業だってこれほどセキュリティは甘くないぞ。パリのアメリカ大使館はいったいどうなっておるのだ?(だから小説だってば)

『テロリストのパラソル』
藤原伊織、講談社文庫

少し前の江戸川乱歩賞&直木賞の受賞作。最近、文庫化で買ってみました。どうも、一部を除いて日本のミステリーを単行本で買えなくなってしまったのは、裏切られることが多かったから。とくに男性作家。高村薫とか宮部みゆきとかはいいんだけどもねえ。

それはさておき、これはけっこういけた。とはいっても中の上ってとこか。学生運動崩れっていうのがもうはやんないことを先刻承知の上で、それでも甘い(あえて甘いと言う)バラードを唄ってみせるところが確信犯。爆弾テロから始まって、マンハッタンで踊るパラソルに至る流れは淀みないし、人物のキャラクター設定も巧み。元「爆弾犯」でアル中のバーテンの主人公、その昔の恋人の娘、刑事崩れのヤクザ、新宿西口のホームレスがそれぞれの息づかいとリズムで動き出すところは、たしかにうまい。

しかし、うまいだけに作品を支える骨格の弱さが気になってしまう。パラソルに叙情を収斂させるところだって、本当にうまいけど、それだけにそこに込められた感情というか魂というか、読者の心をつかんで振り回してウンウン言わせるような力強さが薄いんだなあ。いかにも惜しい。

『イコン』(上・下)
フレデリック・フォーサイス、篠原慎=訳、角川書店

ずいぶん昔にもらった本なんですが、今頃引っぱり出してみました。巨匠がこの作品で筆を折る、という鳴り物入りの触れ込みでしたが、往々にしてある看板倒れの典型のような仕上がりです。

話はエリツィン後のロシア政界の混迷につけ込んだ極右政党の台頭と、CIAとKGBのエージェントの遺恨が絡んだ謀略合戦。極右政党の党首(ふつう、政党のトップの「とうしゅ」はこう書く。「党主」とはいわんだろうが>訳者および編集者)が書いた本音のシナリオが漏洩し、こんな奴を政権につけてはいかん、と英米の偉い人のOBクラブが引退していたCIAエージェントをかついで阻止に動く。そして、なんとロシアに王様を持ってきて立憲君主制にしようと画策する。

ロシアの政情不安という背景の選択はフォーサイスらしいのだが、例によって実在の人物を出してリアリティを持たせるのが、もはやあざとくしか見えない。だって、近未来の話なのに、サッチャーとかキッシンジャーとかアングルトン(CIAの有名な幹部)とか、古すぎる。

機密漏洩だって、そんな重要書類を金庫に入れ忘れて、掃除夫が盗んでイギリス大使館へ、なんて都合良すぎ。VIPのOBクラブもとってつけたようにしか見えない。立憲君主制に及んでは何をかいわんや。いくら、イギリス向けとはいっても、あんまりだ。要するに、筋の運びにもディテールにも説得力がない。これもまた長い小説なんだけど。

フォーサイスの衰えもここまで来たか。たとえば、CIA内部のダメ幹部の庁内世渡りの生態と裏切りがアクセントになって面白いのだが、あまりに図式的なのと、酒飲み同士の連帯感で勤務評定を改ざんするのだろうか? という細かいことが気になってしまう。また、ロシアの裏社会でのチェチェンマフィアとか、軍隊の中での反目とか、そのへんをもっと書き込んでほしかった。要するに、大風呂敷を広げたために個々のキャラクターにまであまり神経が行き届いていない(あくまでも、フォーサイスにしては、ですが)ということか。『ジャッカルの日』『オデッサ・ファイル』『戦争の犬たち』の初期傑作の緻密なプロット、見てきたようなディテール、ノンフィクションかと見まがう整合性は、もはや望めないのか? これが最後の作品ということも納得できてしまう悲しい出来。

『アイランド』
トマス・ペリー、二宮馨=訳、文春文庫

『逃げる殺し屋』のペリー? 本屋で偶然見つけてつい購入。これもちょっと前の刊行だったのに、出たときにはあのペリーだと気がつかなかったのは不徳の至り。

さて、今度はスラップスティックというかムチャクチャ笑える詐欺師カップルの話。ちょっと昔の『リリアンと悪党ども』『スカイジャック』を書いていた頃のトニー・ケンリックに似ている印象もあるが、むしろペリーの今回の作品の方が本質的な笑いというか、シチュエーションそのものが相当可笑しい。

何しろ、満潮時には沈んでしまう「島」を本当の島にするために廃材や砂や土をかき集め、ついには国家にしちゃうのだ。それも、堂々と宣言するわけではなくて、国際条約にこそこそっと同意して何となく認知させるあたりはやっぱり詐欺師。そして、タックス・ヘイヴン(【Tax Haven】→【Tax Heaven [ヘヴン]】ではない。「税金天国」ではなくて「税金の避難所」)にして大儲けするはずが、国民を誘致し、野球チームをつくり、謎の襲撃を受け、国民総出で反撃し、という過程を経て本当の国へと意図せざる変貌を遂げていくあたりでは、もはやコン・ゲームではなくて、国家とは何か? という問いへのひとつの答えをなしています。このへんは、よくも悪くもいかにもアメリカ人っぽい。

同じ独立国の話でも、井上ひさし『吉里吉里人』の笑える悲壮さとは対極で、国家観は素朴(というか稚拙)だが、こういう脳天気な明るいハチャメチャなものが本質をわかりやすく見せてくれることもあるのかもしれない。南国のビーチでフローズンダイキリかなんかを友に読むにはピッタリ。

『復讐の残響』
デイヴィッド・ローン、平田敬=訳、新潮文庫

事故で盲目になった音響技術者を主人公にしたシリーズの第3作。最初が少女誘拐事件で脅迫電話の背景音から犯人を追い詰めるという、どこかで聞いたようなストーリー。2作目は、その犯人が脱走して主人公を狙う話。設定や筋は安易、人物造型は一面的だが、シカゴという街の描写と細かいストーリーの起伏で読ませるタイプですね。定型とはいえ、決して悪くはありません。薦めはしないけど。

しかし、今回はもうボロボロ。今までは新鮮味はないけれども手堅く現実味のある流れと登場人物のダイナミックな動きでカバーしていたのに、「そんなバカな」というご都合主義が頻出し、ハテナ? が盛大に舞う。だいたい、主人公は危ないことがわかっているのにフラフラ外出してつかまり(そんなに浅はかだったのか)、つかまえた犯人はバカなことに自宅の地下に監禁する。探す方は地域も割り出しているのに動き出さない。下手な刑事ドラマを見ていてジリジリしてしまう感じ、覚えはありませんか?

この作家は、同じ主人公のシリーズはやめた方がいいと思います。少なくとも、設定や大筋では誰かのアドバイスをもらうなりすれば、筆力はあるのだから何とかなるのではないでしょうか。もしかしたらリテラリー・エージェントと喧嘩でもして原稿を読んでもらえなかったのではないか? と邪推したくなるほどの不出来、とても残念です。

『ダーティホワイトボーイズ』
スティーヴン・ハンター、公手成幸=訳、扶桑社ミステリー

『さらば、カタロニア戦線』『真夜中のデッド・リミット』は、軍事アクションにヒューマンドラマをかませて重厚でしかも展開が早く人物造型もよくできた冒険小説として高い評価。さして有名ではないかもしれないけれど私もけっこう気に入っていた作家スティーヴン・ハンターが、知らぬ間に新路線に転じていたのです。

というわけで、ちょっと古いのですがこれがなかなかの力作。暴力しか知らないワルとその弟の知的障害者、うるさいママの目を抉ってしまった画家の3人が、刑務所から脱走する。それを追うハイウェイパトロール隊員。これだけなら凡庸な話なのだが、すごいのはこのワルが人殺しを何とも思わない残忍な男なのに妙に魅力的で、弱々しい画家が役にも立たないのにライオンの絵だけで価値を認められるという、奇妙な性格づけと人間関係。追いかける正義の側のハイウェイパトロール隊員は部下の妻と不倫の最中で、優柔不断なことおびただしい。殺しては逃げる3人組には妙な女が加わって強盗、殺人、また逃走。ピカレスクロマンというには、感情移入しにくい、全然容認できない悪人なのに、どうしてか肩入れしてしまいたくなる。

ただの逃亡・追跡小説にとどまらない、人間性への洞察を感じさせる仕上がりと、ニヤリとさせるラストは、たしかにハンターの挑戦の成果。

『遠い朝の本たち』
須賀敦子、筑摩書房

本をめぐる随想ではあっても、須賀敦子のスタイルはやはり変わらない。ここでは、子どものころ住んでいた家が何度も出てきて、ファンの心を誘う。文体も主題もまったく違うが、向田邦子を想い出させる50年以上前の日本の風景と、思考を鍛えたヨーロッパの体験とから醸し出される懐かしさと新鮮な発見が、心を豊かにしてくれる。

隣の大きな家の荒れ放題の庭を探検したりした甘酸っぱい記憶と、異邦人として過ごした底冷えのヨーロッパの冬と。ひとりの人間の感受性の形成の物語としても読めるかもしれないが、むしろ文章の流れに身を委ねて細部の豊饒に遊んでみたい。

『天使たちの探偵』
原りょう(僚のつくり)、ハヤカワ文庫

私立探偵・沢崎を主人公にした短編集。驚くべきことに、ワン・アイディアと巧みなキャラクターづくりで短編ながらそれぞれがなかなかの読みごたえ。ハードボイルドの場合、どうしても長編でないとディテールの積み重ねがむずかしいせいか、盛り上げきれないきらいがあるのだが、ここでは連載主人公キャラを生かして、ハードボイルドというよりも、ひとひねり効かした謎解きとヒューマンドラマを楽しませてくれる。

ただ、『そして夜は甦る』『私が殺した少女』のような深い感動は望むべくもない。純日本産ハードボイルドの正統として、古くさくてもいいから、ぜひ長篇を書き続けていただきたい。


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