Road to FRANCE PART2 【1998ワールドカップ本大会篇】

トゥールーズの嘆き前篇

1998年6月13日 トゥールーズ

あまりにも長い移動(6月13日 午前11時〜午後7時10分)

アメリカ回りなんてやるもんじゃない。空港から一歩も出ないのに入国手続きと出国手続きがいる。時計を3回も戻して、パリに着いたのは今朝11時前だった。両替のあと、空港内のSNCFカウンターでTGVの予約を試みる。今日の1405時モンパルナス発トゥールーズ行きがとれた。16日のトゥールーズ→モンペリエ、18日のモンペリエ→パリも問題なく第一希望がとれた。しかも、パスがあれば予約手数料の10〜20フラン(250〜500円)ですむ。日本では、手数料やら通信料で列車2本で6000円もかかったのに、ここでは3本で1250円なのだ。

すぐにシャトルバスとRERとMETROを乗り継いでモンパルナスへ向かった。モンパルナス駅には、日本代表ユニがあふれていた。大声でサポーターソングをがなり立てて往復している2人組がいて、頼むからやめてくれ、と言いたくなったがこらえた。いくらなんでも、普通に生活して仕事している人には迷惑だろうが。

レキップ(フランスのスポーツ新聞)と"Paris par Arrondisement"(区別都市地図)を買う。機内で、やっぱりいろいろ忘れてきたことに気づいたなかには、パリの市街地図(ミシュランの"Paris Plan")があったので、悔しいからもうひとつ別の地図にしたのだが、これはどうも使いにくかった。ポケット版で小さすぎるのかもしれない。ちなみに、他には、ガスの元栓を締め忘れた。髪を洗ったあと、フォームし忘れたので、ぼさぼさのままだし。食事用のフォーク&スプーン&ナイフも忘れた。スタジアムで使うクッションも用意していたのに置いてきた。きわめつけは、はいてきたチノパンツで、膝のあたりにべったりと黒い汚れがついていた。いいかげんに選んで、気づかなかった。これから、ずっとこのままかと思うと気が重くなった。

TGVは、予想通り日本人だらけだった。団体の方々は、"FENETRE"と"COULOIR"のどちらが窓側でどちらが通路側かわからないようだったので、教えてさしあげたのだが、黙殺された。しかし、続々と座り始めたところをみると、聞こえたようではあった。

車内で、トゥールーズのホテルリストを熟読。★★以上なら部屋にTVはありそうだったので、それに絞る。駅前から伸びる通りにホテルが多そうなので、そこから当たろう。ツーリストインフォメーションは駅前にはなく、中心部にある上、ホテル予約業務はしない、第一、午後7時では閉まっているので、自力でやるしかない。頼みは9時までは明るいということだけなのだが、なんと雨が降ってきた。

成田空港を昨日の午後4時過ぎに飛び立ってから34時間がたとうとしていた。TGVは、ようやく、トゥールーズ・マタビオー駅に着いた。

満室の嵐(6月13日 午後7時10分〜午後8時35分)

ある程度、期待はしていたのだが、駅にはワールドカップのための特設"Espace Coupe du Monde"という案内カウンターがあって、日本語とスペイン語(アルゼンチン用)でホテル予約業務もしているようだった。しかも、定刻の7時を過ぎているのに、まだ長蛇の列をなしていた。迷ったが、あの列では1時間は待つだろう、と歩き始めた。なにしろ、HOTELの看板はたくさん見えるのだから。

しかし、ドアをあけて"Bon soir! Vous avez une chambre ce soir?(今晩、部屋はありますか?)"と元気よく聞くと、判を押したように"Non. Complet.(いいや。満室だよ。)"と力無く返ってくる。ショックなことに、ホテルリストでは「TVなし」の★1つのホテルでさえ、満室だった。すでに10軒以上はあたっている。これはどう考えても不毛の作業だ。どこが満室で、どこなら部屋があるのか、情報をとってからだ。私は、重い足を駅に向けた。まだ"Espace Coupe du Monde"が開いてることを祈りながら。

7時30分、長い列の後ろについた。香港からきた2人は、700フラン(17500円!)という高級ホテルをとった。その値段でも、"No problem!"と即決。私は、あえてアルゼンチンとその他担当のスペイン語と英語を話す女性の方の列に並んだ。というのも、日本人の女性の方は、なかなか列が進まない。それもそのはず、彼女は日本人から希望を聞くと、スペイン語担当の彼女に伝え、ホテルに電話してもらい、条件を通訳し、と要するにフランス語と日本語を変換するだけで、ホテル予約はスペイン語の女性に外注なのだ。しかも、為替レートとかスタジアムの場所とか、いちいちていねいに答えているので、時間がいくらあっても足りない。たぶん、ボランティアなのだろうが、こうした実務には向いていない、ものすごく人のいいおばさんなのだった。

8時過ぎ、ようやく私の番になった。その間、巧妙な割り込みにしてやられた。何気なく話しかけているから、てっきり、地図をもらうとかそういう相談かと思っていたら、あっというまにホテル予約に移行していた。悔しい。しかも、やっときた順番なのに、"Japanese?" "Yes."だけで、となりに並べ、ときた。それなら、そう先に言ってくれよ。幸い、日本人のおばさんもようやく人の波がはけてきたところだったのだが、「ホテル・・・・」と言っただけで、悲しそうな顔をして、「もう、大変なんですよね・・・」。中心部は一杯なのはわかっている。郊外とか、隣町でいいから、なんとかしてほしいのだ。「130フラン、トリプルというのがあるんだけど、タクシーで200フランかかるのよねえ。そうだ、そこの2人とシェアでもいい?」まあ、いいですが。問題は「そこの2人」で、床にあぐらをかいて、うだうだしている。仲間もいて、どうやらそのルートでいくか、おばさんの提案に乗るか、駅で野宿するか、延々と検討しているらしい。こういう輩は、早く追い出した方がいいのではないか? 案の定、彼らは提案にすぐには乗ってこない。おばさんは困り果てている。「あしたは、また何千人と来るらしいって、恐怖におののいているんですよ」って、もはや冗談ではなくて本音だろう。「スタジアムのそばに野宿しても安全ですか?」と質問する輩が、本当にいたのだから(そんなこと、聞いても「危ない」って止められるに決まってるだろうが。やるなら、聞かずに勝手にやれ)。

そこで突然、「ホテルリストがありますよ」とカウンターに出してきた人がいた。30代とおぼしき男だ。反射的に「リストなら持ってます」と答えたが、彼が差し出したリストでは、私のものとは違い、郊外のホテルが地区・方角別に整理されていた。「ここは、さっきまでは空室がありました。ここでなければ、あとはこの順番で電話したらどうでしょうか?」こういう情報がほしかったのだ。お礼もそこそこに、まず電話を探し、クレジットカードではなくテレフォンカード式だったのでキオスクで50度数のカードを買って(ワールドカップ仕様だった)さっそく電話作戦にとりかかった。

最初のホテルはダメ。北東の地区は全滅。南にかかる。ついに、4軒目でOKというところが現れた! 2泊、名前のスペル、朝食も共(近くに店がない可能性が大きいので)、クレジットカードの番号などを、フランス語で伝える。受付の彼女は英語で数字を言うと書き取りにくそうだった。ホテルのアドレスを確認。10時までには行く、と言って電話を切った。

ホテルリストの主は、いつのまにか電話ボックスのすぐ外で待っていた。「とれました。ここです。ここまでのところは、満室です」。せめてものお礼に、情報をフィードバックする。聞けば、今日の午前中だったら、まだ中心部でも部屋があったそうだ。彼は、続々到着する日本人に、ずっとこうしていたらしい。フランス語が不自由な人には、電話を代わってあげて。ゲームのチケットは、スポンサー企業勤務なので確保している、と言っていた。すでに、特設案内所は閉まって暗くなっていた。私はお礼の方法もわからないまま、「もう、バスはありませんから、タクシーですね」という助言にしたがって、「ありがとうございました」という言葉だけで、そっけなく別れた。

安らぎの地(6月13日 午後8時35分〜11時)

タクシー乗り場は、またしても長い列だった。それも、9割が日本人だった。また、雨だ。タクシーは五月雨というか、思い出したように3分に1台というペースだ。これが、フランスで4番目に大きい都市の、玄関口なのだろうか? そう、フランスの都市の規模はパリを除いて小さい。日本のように周辺部を飲み込んで100万都市を誇るようなことはない。古い都市の骨格をなす中心部と、その周辺の郊外地区は厳格に分けられていて、機能分化されているのだ。果たして、これから行くところは、工業地区なのか、文教地区なのか? 住所は"Parc Technologique du Canal, 4 Rue Ariane(アリアーヌ通り4番地 運河技術公園)"というのだが?

並んでからちょうど30分、やっとタクシーに乗り込んだ。ホテル名とアドレスを告げる。念のために地図の余白に書き込んだアドレスを見せる。車は10分ほど走って「あそこだ」と運転手が指さした。おお、近いな、と思ったが、その看板は違うホテルのものだった。「違うよ、Quick Palace」と言うと、ああ、そうか、という感じで肩をすくめる。心配した割にはその近所にちゃんと見つかってほっとした。タクシー代は92フランにチップ8フランでちょうど100フラン(2500円)。ホテルのフロントには、さっき電話で受けてくれたとおぼしきおねえさんがいた。145フランに朝食25フランで170フラン(4250円)×2泊。私の名前のスペルはやっぱり間違っていたので、名刺を見せる。ここは、午後10時には表のドアが閉まるという。ぎりぎりだったわけだ。ルームキーの代わりに6けたのアクセスコードがあって、それを打ち込むと玄関も部屋も開くというシステムだった。せっかくなので、地図、バスの時刻表&マップ、スタジアムへのアクセスなどをもらう。

部屋は、結構広く、しかも新築まもない。電話、ミニバーがないかわりにロビーに公衆電話と自動販売機がある。人手のかかるところを省力化した機能的モーテル、という感じ。シャワー、トイレもきれいで快適。すでにオランダ対ベルギーが始まっていたが、空腹は限界に達していて、おそらくこのへんで唯一であろうレストラン(着いた時に確認していた)へと向かった。

このあたりは、公園というよりは、広大な草地にモーテルやバンガローが点在しているらしい。私の泊まっているところのとなりが、<Buffalo>というアメリカ風ステーキ・レストランだった。なんで、フランスのスペイン国境近くまで来ながら、アメリカン・ステーキなんだろうか? しかし、選択の余地はなく、ステーキ、ミニサラダ、コート・デュ・ローヌ1/2、アイスクリームを88フラン+チップ4フラン(サービスに不満)の92フラン(2300円)でたいらげた。

部屋に戻ったら、クライファートにレッドカードが出ていた。注目のスペイン対ナイジェリアはけっこう点が入ったようだ。しかも、強烈なミドルがゴール隅にドライブして突き刺さったり(オリセー)、ロングクロスに左足ダイレクトでゴール反対側サイドにボレー(ラウル)とか、稀にみるビューティフル・ゴールの連続で、しかも勝負は熾烈なせりあい。ああ、観たかった。

すでに午後11時を回っている。日本時間で昨日の朝6時から起きている、ということは連続50時間(!)行動していることになる。こんなこと、計算するんじゃなかった。

シャワーを浴びて、寝ようというときに、またひとつ忘れ物が発覚した。なんと、使い捨ての耳かきを忘れて、綿棒しかない。私は、寝る前に耳の中をクチュクチュしないと発狂しそうにかゆくなってしまうのだ! 自宅では綿密に削った手製の竹の耳かきを愛用しているのだが、壊れやすいので旅行中は使い捨ての耳かきを大量に持参する習慣なのに。

しかし、委細かまわず、私は泥のように深い眠りについていた。あしたは、日本対アルゼンチンのチケットが奇跡的に手に入ることを夢見て。

「トゥールーズの嘆き 後篇」につづく)

text by Takashi Kaneyama 1998

backmenuhomenext