Road to FRANCE PART2 【1998ワールドカップ本大会篇】

【シミュレーション】

トゥールーズの奇跡前半

1998年6月14日 トゥールーズ/スタディアム・ミュニシパル


これから連載する【シミュレーション】シリーズは、FIFA WORLD CUP 1998 FRANCEにおいて、日本代表が本大会1次リーグで戦う3試合をできるだけ精密にシミュレートして、こんな経過・結果になったら素晴らしいだろうなあ、という期待だけを根拠に、想像力たくましく作り上げた限りなく妄想に近い白日夢である。決して予想でもなく、もちろん予言でもない。事実がここに記したものと異なることがあっても(おそらくはまったく異なるだろうが)、執筆した私はまったく関知しない。念のため、「トゥールーズの奇跡」を脱稿したのは、1998年6月6日である。

スタジアムへ

市内南西の川の中の島に、スタディアム・ミュニシパルはある。トゥールーズ・マタビオー駅からシャトルバスが出ているのを確認していたので、それに乗る。予想はしていたが、日本からのサポーターが大挙してやって来ている。青、青、青の軍団。そして、アルゼンチンからはライトブルーと白の縦縞! と思ったが、あまり代表ユニを着ている人は多くない。しかし、彼らは無茶苦茶騒々しい。

見えた。まだ12時前だというのに、もう列ができている。やっぱり日本人はせっかちだ。そういう私も、待ちきれなくて来てしまったのだが。周囲では、「チケット求む」の札を掲げる人がいて、ダフ屋(ナポリ人か?)らしき姿もチラホラ。向こうの日本サポーターたちは、紙吹雪の製作にしそしんでいた。時折、「ニッポン! ニッポン!」というコールが沸き起こる。一瞬、私は千駄ヶ谷の国立競技場にいるような錯覚を起こしていた。

来てしまった

とうとう、来た。ワールドカップという舞台。日本の初戦の相手はアルゼンチン。木村和司のフリーキック(1985年、メキシコ大会予選・対韓国戦)を、コーナーキックからの加藤久のヘディングがバーに当たったシーンを思い出す。カタールでの初戦(1993年、アメリカ大会予選・対サウジアラビア戦)で、福田がはずしたシュート。イラン戦で0-2から、中山が角度のないところから決めたゴール、そしてセンターサークルへ必死の形相でボールを運んだあの時。9月7日、国立の紙吹雪(1997年、フランス大会予選・対ウズベキスタン戦)。ホームのUAE戦で引き分けた翌日、ひとり喫茶店でぼろぼろこぼしていた涙。私は、本当に、ここにいる。

開門は、結局30分早められた。所持品検査はさすがに厳重だった。ビン、缶はもちろんダメ。席は、バックスタンドとゴール裏の間、上方。芝生がきれいだ。一応、座席だが、背もたれはなく、堅い座部はちょっと辛い。クッションを敷く。さすがに、回りにはまだちらほらとしか、人がいない。ウルトラスのコアメンバーだろうか、垂れ幕の準備にかかっている。私は、強い陽射しと、かすかな風を感じていた。

フランスの青空

ピッチに日本の選手が出てきた。途端に、「ニッポン!」コールが始まった。つづいて、「井原!」「ヒデ!ヒデ!ヒデ!ヒデ!」とひとりひとりのコールをする。井原は軽く手を挙げてくれたが、中田は相変わらずマイペース。軽くボール回しをして、芝生の感触を確かめている。やっぱり、日本がワールドカップに出るって本当だったんだ。つづいて、アルゼンチンの選手も。バティストゥータ、シメオネ、サネッティらセリエAのスターが、生で動いている。

仲間

私の回りは、当然のことながら、同じ旅行社の手配で来た日本の人だった。彼らは、昨日パリに泊まって今朝のTGVで到着したとのこと。そして、試合終了後は夜行でパリへ戻るそうだ。添乗員も現地ガイドもつかないので、けっこう苦労したらしい。

ハイ・テンション

キックオフの時間が迫る。もう、NHK-BSは中継を始めているはずだ。さっきから、ミッシェル・ポルナレフの往年の名曲「シェリーにくちづけ」の替え歌「アレ! アレ! ル・ジャポン!」を何回歌っただろう。「オー、バモ・ニーッポーン。ニーッポーン、ニーッポーン、バモ・ニーッポーン。ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ハイ!」その他、あらゆる応援を繰り出す。長旅の疲労のたまっている体には酷なはずだが、この高揚した状態には麻薬以上に中毒作用がある。私の手には、紙吹雪があった。「選手入場で、4人目の足がピッチに入った時に撒いてください」彼女はそう言ってスタンドを回っていったのだ。

初めての舞台

懐かしいイントロが鳴った。その瞬間、スタジアムが爆発した。FIFAのテーマにのって、フェアプレイの旗、審判、つづいて選手が入場してきた。日本の先頭は井原。アルゼンチンの先頭はシメオネ。興奮の極致で、紙吹雪をスナップを効かせて解き放った。4人目とかいうより、回りが全然、紙が舞っていて何も見えない。きれいだったろうか? テレビにはどう映ったろうか? 日本のサポーターの心意気を、見てくれたかい? 紙吹雪はアルゼンチンのお家芸なんだけど、まあいいでしょう。ただし、自分の席の回りは片づけてね。

キックオフ

国歌。私は個人的信条から「君が代」は歌わないが、もちろん起立して敬意を表した。スタジアムの半分以上が日本サポのように見える。心臓の動悸が激しい。選手がフィールドに散った。副審が、ゴールネットを確認する。そして、アルゼンチンのキックオフで試合が始まった。

フォーメーション

日本は予想通り3-5-2。城、中山のツートップに、中田、名波、山口の中盤、右に名良橋、左に相馬、ストッパーには秋田と中西、スイーパーに井原、守護神・川口。アルゼンチンは、登録上では4-4-2だが、見た所では3-5-2または3-4-3のようだ。キーパーはロア、ディフェンダーはチャモ、センシーニ、アジャラ、サネッティだが、サネッティはほとんど右ウィングの位置まであがっている。中盤の底にアルメイダ、左にシメオネ、攻撃的MFにガジャルドとオルテガ。フォワードは中央にバティストゥータ、左にクラウディオ・ロペス。オルテガが右の高いところまであがると3トップのような形になる。パサレラはかなり攻撃的な布陣で勝ち点3を取りに来ている。

新世代アルゼンチン

ケガから復帰したガジャルドと司令塔オルテガでパスの出所を増やした。マラドーナの跡を継いで10番をつけるオルテガは、判断の速さと絶妙のボールコントロールで攻撃の起点となり、また正確なシュートも打つ。ロペスは、抜群のスピードを誇る。シメオネのしつこいディフェンスとパスセンス、「5つの肺を持つ男」アルメイダの運動量は驚異だ。伝統的に1対1に強いディフェンスには穴がない。予選でも、失点が非常に少ない上、直前までの親善試合では完封を続けている。強いて言うならゴールキーパーが不安定なのだが。

堂々と受けて立つ

日本はマンマークではなく、ゾーンで受け渡しをしている。ロペスには中西が、バティには秋田がつく場合が多い。オルテガにマンマークをつける選択を岡田監督は取らなかった。中盤は山口、名波だけでなく、フォワードも中田もよくプレスをかけ、簡単にボールを取りに行かずに後ろでボールを回させている。アルゼンチンは、ボールキープはするものの、日本のディフェンスがトップをフリーにさせないので、攻めの糸口がつかめないでいる。

鋭い攻め

アルメイダがドリブルで上がろうとしたところへ、中田が体を寄せに行く。センシーニにバックパス。城がプレスをかけようとしたところへ、センシーニは大きく左へボールを上げた。そこには、ロペスが走り込んでいた。名良橋がついていく。ロペスがワンタッチでボールをコントロールして前を向いた。バティが、オルテガが、ゴールへ向かう。名良橋より一歩早く、ロペスがセンタリング。井原がヘッドでクリアしたが、ボールはシメオネの目の前へ。山口をかわしてシメオネがゴール前へクロスを入れる。バティと秋田がせる。わずかにせりかったバティがヘディングでゴール 右上隅を狙う。川口が飛んだ。ボールはポストに弾かれた。「ふう〜っ」と声にならない溜息がスタジアムを覆う。

アルゼンチンは、緩急のリズムも鮮やかに日本ゴールを次々に襲った。ゆっくり自陣で回していたかと思えばサイドを駆け上がる。中央をダイレクトパスで突破を試みる。日本ボールになっても、巧みなプレスでパスカットを狙う。日本は、耐えた。攻撃にはあまり人数をさかずに、城と中山が激しく動いてボールを引き出す。だが、アルゼンチンの老獪なディフェンスは、ペナルティエリアへの侵入をなかなか許さない。

0-0

前半20分が過ぎた。驚くべきことに、日本は堂々とアルゼンチンと渡り合って一歩も引かなかった。ディフェンス、中盤、トップの3つのラインが微妙なバランスで間隔を保って上下し、アルゼンチンにスペースを与えず、すでにオフサイドを3本取っていた。

シュートを川口がはじく

サネッティが、右サイドをガジャルドとのワンツーで抜け出した。裏を取られた相馬をカバーして名波がついてサイドラインに追い込む。サネッティが体を張ってボールをキープ。オルテガがフォローに行く。いったん戻したボールを、オルテガがペナルティエリアめざして猛然とドリブルを開始した。秋田はバティに、中西は逆サイドのロペスについている。あせる山口と井原がオルテガにタックルに行って重なってしまった。オルテガがヒールで斜めうしろに出したときには、ガジャルドはまったくフリーだった。シュートが唸りをあげた。川口は、本能だけで右手を出した。ボールははじかれてバーの上を通り過ぎた。

勇気

右コーナーキック。オルテガのキックはファーへ。川口が飛び出したが、鋭く曲がるボールにさわれない。スタンドから悲鳴があがった。ゴールはガラ空きだ。中山がかろうじてヘディングで跳ね返したが、クリアが小さい。アルメイダが突っ込んで来てシュート! しかし、ゴール前の密集に当たる。ボールは混戦のなかで気まぐれに漂っていた。そこに、覆い被さったのは川口だった。いくつものスパイクをものともせず、勇敢に体を投げ出した。あきらめないバティがなおも蹴ろうとしたが、キーパーチャージを宣する笛が鳴った。しかし、川口が動かない。井原が、中田が駆け寄る。まだ第1戦なのに、早くも川口を失うのか? どこからともなく、「ヨシカツ!」コールがスタジアムを揺らす。ようやく、川口が立ち上がった。満場の拍手。笑っている。大丈夫、というように右手を挙げた。

初シュート

川口のロングキックをアルメイダとせりあった中山が中田の目の前に落とした。上半身を立てて広い視野を確保した中田が、ゆっくりとボールを運んでいく。アルメイダが素早く進路をさえぎる。城と中山がクロスしてディフェンスを引きつける。中田の後ろから駆け上がっていく相馬の気配が伝わってきたのか、中田は左サイド奥のスペースに速いパスを送った。相馬とサネッティが走る。先に追い付いたのは相馬だった。しかし、ダイレクトで上げたボールはファーにいた城のさらに遠くに落ちた。城が必死でボールを確保した時には、ゴール前は固められていた。城がドリブルで突破すると見せてパスを戻して山口へ。20メートルはあるミドルを撃ったが、バーのはるかに上。これが、日本の初めてのシュートだった。

遠い記憶

厳しいマークに苛立ったバティが、怒り始めた。つきまとう秋田に対して、顔を真っ赤にして何か言っている。シメオネ、アルメイダは中田、名波を削りにきた。アルゼンチンは、ようやく気づいていた、容易ならざる事態に。パサレラは、思い出していた。80歳を過ぎた老人はこう言ったのだ。「サッカーでは、何でも起こりうる。今、この瞬間の次に、何が起こるかわからない。だから、面白いんだ」彼は、かつて東京オリンピックで日本に2-3で負けた時のアルゼンチンの監督だった。パサレラは、油断していたつもりはなかった。ディアスも、サパタも、アルディレスも、「気を付けろ」と忠告していた。しかし、現実に戦ってみれば、日本のテクニックもパスワークも想像以上のレベルだった。選手が浮き足立つことは避けなければならない。

がっぷり四つ

前半残り10分になって、アルゼンチンが慎重になった。バックラインで回して、機をうかがう。時折、中盤から攻め込む気配を見せるが、山口や名波が寄せていくとおとなしくボールを後方に返した。次第にブーイングが低く響き始めた。アルゼンチンは、0-0で前半を終わることをめざしている。日本に対して守備的に戦っているという事実は、アルゼンチンのファンにとっては屈辱に他ならない。

日本は、集中力を保っていた。ボールを支配されていても、決定的チャンスを作らせない。蜘蛛が巣を張るように、守備の網にアルゼンチンをからめ取っては、カウンター攻撃を狙う。高い位置でのインターセプトはまだなかったが、何度かセンタリングまで持ち込んだ。じりじりするような試合の、45分が過ぎた。ロスタイムは「2分」と表示された。スタンドがざわついている。あのアルゼンチンが、いまだに得点できないどころか、カウンターを警戒して静かに時がたつのを待っている。

ハーフタイム

笛。ハーフタイムに引き上げる選手へ、拍手とブーイングが交錯した。アルゼンチンは、不吉な予感に怯えていた。そして、日本は奇跡への確かな手応えに震えていた。

【 シミュレーション】「トゥールーズの奇跡」後半 につづく)

text by Takashi Kaneyama 1998


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