折口信夫 おりくち・しのぶ(1887—1953)


 

本名=折口信夫(おりくち・しのぶ)
明治20年2月11日—昭和28年9月3日 
享年66歳(釈迢空)❖迢空忌 
石川県羽咋市一ノ宮町ナ 気多神社南疎林の中の共同墓地
大阪府大阪市浪速区大国2丁目2-27 願泉寺



国文学者・民俗学者・歌人。大阪府生。國學院大學卒。彼の研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。歌人としては、正岡子規の『根岸短歌会』、後『アララギ』に「釈迢空」の名で参加。大正13年古泉千樫らと『日光』を創刊。歌集『海やまのあひだ』『倭をぐな』、小説『死者の書』などがある。



 気多神社南疎林の中の墓

 大阪市・願泉寺の墓
 


 

わが為は 墓もつくらじ----。
然れども 亡き後なれば、 
 すべもなし。ひとのまにまに---

  かそかに たゞ ひそかにあれ

 生ける時さびしかりければ、
 若し 然あらば、
 よき一族の 遠びとの葬り処近く---。

 そのほどの暫しは、
 村びとも知りて 見過ごし、
やがて其も 風吹く日々に
沙山の沙もてかくし
あともなく なりなむさまに----。
 かくしこそ---
 わが心 しずかにあらむ---。

わが心 きずつけずあれ
                                           
(きずつけずあれ)

 


 

 折口信夫の構築した研究、思想などの学問体系はのちに「折口学」と呼ばれている。
 常世にあり、この世にあり、末期の狭間を行き来しながら、幽くもまた強靱な精神を併せ持った折口信夫。空間、風土、古代、恋、美醜、信仰、死者につながるすべてのものに向けたまなざし。虚無をたたえた瞳の奥深く満たされてある魂の豊潤さは、『死者の書』に語りてある大津皇子の、悔しくも謀反に涙して賜死せられた二上山の落日の輝きにも似ている
 。昭和28年9月3日、胃がんのため慶応義塾大学病院で死の床についた「釈迢空」の霊魂は、二上山の、飛鳥の、奥熊野の、そして懐かしい古の空を巡りきて、縁の地、能登・一ノ宮の沙山に鎮まり、厳かな目覚めを待っている。



 

 20歳のころから師事、やがては師弟を超え、養子縁組、室生犀星のいう〈ひとくみのめずらしくも、いたいけな夫婦のような暮らし〉をきざんだ折口春洋は、太平洋戦争最中に硫黄島で戦いの露と消えた。
 永遠に閉ざされた魂、還り来ぬ運命を恨み、わが身を悔恨の中に置くしか術のなかった父・折口信夫の慟哭。厳冬を間近に控えた日本海の潮風が疎らな松林を越してやってくる。
 小高い沙丘、落武者の屍のように点々と転がる墓といえば墓、石くれといえば石くれの、名も知れぬ村人のそれに混じって「もっとも苦しき たゝかひに 最くるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその父 信夫の墓」は、〈かそかに たゞ ひそかに〉光の中にある。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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