大藪春彦 おおやぶ・はるひこ(1935—1996)


 

本名=大藪春彦(おおやぶ・はるひこ)
昭和10年2月22日—平成8年2月26日 
享年61歳(広大院釈春海)
東京都杉並区永福1丁目8–1 築地本願寺別院和田堀廟所(浄土真宗)



小説家。朝鮮・京城(ソウル)生。早稲田大学中退。昭和33年早稲田大学の同人誌『青炎』に発表した処女作『野獣死すべし』が江戸川乱歩によって『宝石』に転載され注目される。39年『蘇る金狼』、42年『汚れた英雄』を刊行。ほかに『黒豹の鎮魂歌』『戦士の挽歌』『復讐の掟』などがある。






 

 邦彦は銃を降ろすと目を閉じ、しばらく荒い息をついていたが、やがてそれも鎮まった。今となっては唯一瞬も早く、なるべく苦痛のないように真田を永遠の眠りの国へ送りこんでやらなければならなかった。
 夜の静寂が重苦しくのしかかってきた。邦彦は再び銃を持ち挙げると、慎重に心臓の中心を狙った。もうその手は震えず、暗い顔は静かだったが、厳しい表情があった。
 瞳は心臓の上の一点を見つめて澄み渡った。引金を絞る指先がかすかに白くなった。押えつけられた銃声がガレージにこもり、真田はピクリと痙攣したが、そのまま静かに横たわっていた。
 初めの一発は、恥じらう処女から奪う最初の接吻のようなものであった。邦彦は真田の顔に向けて、続けざまに発砲した。焼けて熱くなった銃身と、鼻を刺す硝煙の下で、肉と血と骨が四散し人間の顔というよりは一個の残骸と変った。
 顔を砕かれようと、セメント樽につめこめられて海に投げこまれようと死人の知った事ではない。一度死んだ者はどんな事も苦にならずどんな事にも煩わされずに、永遠の眠りをむさぼるだけだ。
 弾倉を射ち尽した邦彦の瞳には、再びあの夢見るように物憂い趣が甦ってきた。

(野獣死すべし)



 

 昭和33年、早稲田の一学生が同人誌『青炎』に発表した『野獣死すべし』は、混沌とした戦後の荒野を鋭徹に切り裂いた一条の熱線であった。
 圧倒的な破滅と絶望、偽善に対するアナーキーな力を持って、伊達邦彦=大藪春彦の銃口から放たれた閃光は、間違いもなく、非情な弾痕となって人々のモラルを混乱させた。〈僕は敗戦後の混乱によって、幼年期からひととびに青年期に突入した〉と書いた大藪の来し方に横たわる論理、既成概念を憎悪拒否する作家の守るべきは何であったのだろうか。
 乾いた怒りを一体として抜け殻のように荒廃した大地を疾駆した孤狼大藪春彦は、平成8年2月26日夕刻、肺繊維症、肝繊維症により死す。



 

 百舌が鳴いて、寒椿も紅色の花を咲かせている。とぎれとぎれの粉雪はすっかり止んで、薄日さえ射してきた。制服を着たボーイスカウトの少年達がしている餅つきの音が軽やかに大気を振るわせている境内。優和な時間、閑静な幻視の世界。
 一坪にも満たない狭い塋域に黒ずくめの碑、「大藪家墓域」と「南無阿弥陀佛」、墓誌には作家の法名が記してある。僅かな平地の丁寧に敷き詰められたような公孫樹の落葉。蔓延る「正論」や「常識論」、去勢された野生、「矜持」をも失った悲しさ、「ストイシズム」の欠如に切歯扼腕しながら、〈運命にしたがうのも運命、運命に逆らうのも運命〉と大藪春彦は眠る。
 ——〈野獣たちよ、復活せよ〉。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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