小田 実 おだ・まこと(1932—2007)


 

本名=小田 実(おだ・まこと)
昭和7年6月2日—平成19年7月30日 
享年75歳 
兵庫県西宮市甲陽園目神山町4–1 甲山霊園13–3–105




小説家・評論家。大阪府生。東京大学卒。昭和33年アメリカに留学、36年世界各地を旅した体験記『何でも見てやろう』はベストセラーとなった。40年鶴見俊輔らと「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を結成。平成9年『「アポジ」を踏む』で川端康成文学賞受賞。ほかに『玉砕』『終わらない旅』などがある。




 


 

 「アボジ」の墓地は済州島の名山ハルラ山のふもとに広大にひろがる、二月の吹き下ろしの寒風吹きすさぶ原野のなかにあった。土まんじゅうと石組みの墓があちこちに立つ文字通りの原野の墓地だ。土まんじゅうも石組みの墓も、「アボジ」の先祖の土葬の墓だが、その石組みの墓のひとつに「生まで帰った」「アボジ」は入った。
(中略)
 棺は麻の装束を着た肉親の男がかついで運ぶ。私もかついだ。そして、新しい石組みのなかに掘られた深い穴の底にみんなして置いた。それからは、まず肉親、ついで親類縁者、あるいはウゾウムゾウ、こぞって土を入れ、土が石組みの上にまでうずたかくなったところで、みんながその上にのぼった。私ものぼり、「アボジ」の末娘、私の「人生の同行者」ものぼり、私の娘、小学校三年生で地震を体験した、「アボジ」にとっての孫娘ものぼった。男どもとともに「哀号」女英雄たちももちろんのぼった。朝がた、日本語で泣きじゃくった「アボジ」の長女ものぼった。「アボジ」の魂が石組みの墓の穴の底から外へ出て、あてもなくさまよい歩かせないがために土をみんなで踏んで堅く固め|——その作業のためだ。
 やがて、その土踏みの作業は誰言うともなく始まっていた。私も踏んだ。「人生の同行者」も踏んだ。私の娘、「アボジ」の孫も踏んだ。彼女はときどき跳び上つては全身の重みをその跳躍にかけるようにして懸命に踏んだ。しかし、私は彼女に言った。「もっと強く踏め。」私にも同じことばを私は言つた。私は強く踏んだ。娘もさらに大きく跳び上った。「オダ君、そんなに強う踏むな。ぼくは痛いんだョ。ぼくはもうどこにも行かん。ぼくの長田の家はもうつぶれてないョ。」私の足の下で「アボジ」が言った。

                                        

(「アポジ」を踏む)







 

 フルブライト留学生として渡ったアメリカから〈何でもみてやろう〉と始まった二十二カ国好奇心の旅。半年の旅程で一日一ドル、〈まあなんとかなるやろ〉、開高健いうところの〈ルンペン旅行〉。この体験記はベストセラーとなり、一躍有名人となった小田実。「ベトナムに平和を!市民連合」いわゆる「ベ平連」をはじめとする数々の平和運動における積極的な行動や思想の原点でもあった。〈世界の不正に向き合った文学者〉とも称され、行動派の文学者として〈終わらない旅〉を続けてきた。どうしても書き遺したいことがある〈まだ死にとうないわ〉と語っていた小田実だったが、平成19年7月30日午前2時5分、胃がん治療のため入院中の東京・聖路加国際病院で壮絶な死を遂げた。その日、東京には激しい雷鳴が轟いた。



 

 霊園の坂をのぼると額に汗が滲んでくるが、沿道の紅く色づき始めた樹葉を揺らせている風はおもいのほか強い。遠く眼下に宝塚市街がうすぼんやりと見えている。銀色に光る送電鉄塔が連なり、ところどころ白い岩肌をむきだした六甲山系の山々を背景に、一九八九年四月一日、豊中・東光院萩の寺より小田、野島、林家の墓を移し、小田実が〈先祖代々の墓を勝手に設計して新しい墓をつくり変えた〉という墓に合葬した。「小田、野島家の人びと ゆかりある人びと ここに眠る」と刻された円形の黒御影磨き墓碑。ゆかりの人々が刻まれた霊位碑裏に小田実の没年月日、行年も見える。「戦争」と「戦後」と「大阪」を基底に絶え間ない旅を続けてきた小田実の終着地であった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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文学散歩 :住まいの軌跡


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