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2012.11.11. 掲載
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この「心に生きることば」を書いた6年目に、キー・フレーズの補足説明と修正を加え、キー・フレーズを幾つか追加した。
今年で10年目となる機会に、もう一度キー・フレーズの補足説明と修正を加え、キー・フレーズを幾つか追加した。おそらく、これが最後の 補足 修正 追加 となるだろう。
最初のキーフレーズ数と追加した2回分のキーフレーズ数、修正箇所数を各章別に分けて表示した。
表1.章別キーフレーズ数と修正箇所数
第1章 | 第2章 | 第3章 | 第4章 | 第5章 | 第6章 | 第7章 | 第8章 | 第9章 | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
初回キーフレーズ数 | 83 | 45 | 26 | 92 | 56 | 39 | 17 | 51 | 35 | 444 |
追加キーフレーズ数 | 10 | 6 | 4 | 2 | 0 | 6 | 0 | 3 | 2 | 33 |
合計キーフレーズ数 | 93 | 51 | 30 | 94 | 56 | 45 | 17 | 54 | 37 | 477 |
修正箇所数 | 2 | 7 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 19 |
追加フレーズ数の多かったのは、第1章:人間、第2章:欲求、第6章:思考で、これらの章では書き残していたことが多かったことを示している。
修正箇所が多かったのは、第2章:欲求と第5章:情報だった。欲求は、引退や転居、オマケの人生などが関係していると思われる。また、めまぐるしく進展する情報に関しては、修正が増えるのは当然であろう。
一方、第3章:教育、第4章:解決、第6章:思考、第7章:創造、第8章:運命では修正が無かった。
以下、青色太文字の文字列をクリックすると本文にジャンプできる。
追加フレーズ(2008/11/11)
私はこれまで結婚というものは夫婦二人が作り上げていくものだと思い込んできた。しかし、結婚41年目の今頃になって、作り上げるというような努力をしてきたのか、疑わしく思えるようになった。あるがままに認め、なるがままに過ごしてきたような気がするのだ。妻にもその傾向があると思うのだが、案外、秘かに不満を抑えてきているのかも分らない。
追加フレーズ(2012/11/11)
結婚したときから、妻は可愛い性格だったが、45年経った今もそれは変わらない。2〜3年前から「可愛いということは、かけがえのない長所ではないか」と思うようになった。02の<結婚>で、5.結婚はお互いの受容と書いたが、「可愛い」は、私にとってそれを助けるように作用している。
追加フレーズ(2008/11/11)
最近「育児は育自」ということばを知った。「子どもが育つ条件」柏木恵子著 岩波書店 2008年7月刊に書かれている。この中でこれまでの「子どものための育児研究」から180度転換した視点で「親のための育児研究」が行なわれている。それは人間の能力や性格など心の働きが死ぬまで成長発達を続けることが分ったからだという。「子を育てることは自分を育てることでもある」という著者の主張がよく理解できた。確かに自分の成長に資するところ大であったと思っている。
追加フレーズ(2008/11/11)
私は息子の勉強についてほとんど関わらず放任してきた。ただ一度だけ勉強のコツを書いて渡したことがある。息子が中学2年の時に、私が受験勉強で身につけた勉強のコツを、B5版16ページの冊子にまとめて、 勉強覚え書き のタイトルを付けて手渡した。そして、これで受験勉強成功のコツをすべて教えた、免許皆伝を与えた積りとなり、息子の勉強から離れた。しかし、これは馬の耳に念仏の効果しかなかったようだった。
追加フレーズ(2008/11/11)
息子が高校2年のときに、それまで行なってきた子育ての総括として 最初の遺書 を書いて手渡した。そして「書くべきほどのことは書いた」という気持になり、息子から自由になり、子育てを終了したつもりで、自分のしたいことに向った。
補足(2008/11/11)
「隣の花は赤い」と思う者は隣と比較をしているのに対して、「うちの花は赤い」と思う者は、隣の花が赤かろうが赤くなかろうが、それはどちらでも良いことで、隣との比較ではなく、とにかく「うちの花は赤い」と絶対的に思うのだ。しかし、周りとの比較を重視する者には、そのことが理解できないらしい。
補足(2008/11/11)
かっては大阪の街の中を早足で駆け回っていた妻が、大阪市内に転居してからは歩くスピードがずいぶん遅くなった。これにはいろいろ理由が考えられるが、開業医の妻として働いていた時よりは、時間に余裕ができたことも関係しているのだろう。
修正(2012/11/11)
最近、私は毎日快便とは言えなくなった。2007年に前立腺の手術を受けたあとからのように思う。排便を意識してしまい、それが快便を妨げているのかもしれない。とは言っても、妻とはまったく比較にならないのだが、、、
追加フレーズ(2008/11/11)
飲食についても、妻と私では好みが正反対なものがある。その最大なものは朝食で、結婚以来、私はうどんか蕎麦、妻はパン食だ。これが43年もの間続いたのだから、お互いに頑固である。共通点は、炊きたて、少し固めのご飯を最高に美味いと思うことで、夕食はほとんど毎回米飯で終わるのが習慣になっている。
補足(2008/11/11)
「人の身になる」ことは実際にはできることではない。自分が望まないことが相手の望むことであったり、自分の望むことが相手の望まないことである場合もあり得る。だから、相手の気持ちと違っていることが分かったときには、直ちに撤回し、謝るべき場合は謝った上で、善後策を講じる必要がある。
私のように、人と違う生き方の多い人間は、とくにその危険が大きい。それでも、公共の場で働く場合には、「人の身になってみる」ことが大切だと思う。
追加フレーズ(2008/11/11)
「闘争」などという物騒な項目を作り、7つものフレーズを書いてしまった。たしかに、私は小学4年から中学2年まではよく喧嘩をした。しかし、それから後は喧嘩をした記憶がない。それでも幼い頃に学んだことが今も心に残っているということだろう。このことが「闘争」に対する自信につながっているのかもしれない。
中学2年の時に、理由は忘れたが、あるクラスメートを撲った。それに対して彼は撲り返することをせず、「学級委員長が撲っていいんか!」と大声で詰め寄ってきた。その時なぜか非常に恥ずかくなり、彼に謝った。これがいつものような撲り合い、取っ組み合いになっていたら、まだしばらくは喧嘩好きが続いていたかもしれない。これで以て私の喧嘩の時代は終わった。
喧嘩好きだったと書いたが、口喧嘩は一度もしたことがない。大声を出して怒鳴りあうというのは最も嫌いなことだったし、今もそうである。弱い犬ほどよく吠える、チンピラほど大声で脅す、というのは真理であろう。
補足(2008/11/11)
この「あるがままに見せよう」と覚った時から、私は生気を得て、存分に生きることができるようになった気がする。その頃から なるようになる、「なるがままに生きる」という生き方をするようになった。
今ふり返ってみて、人には「あるがまま」、運命には「なるがまま」というのが、私の生き方の特徴的な部分であるのかも知れない。どちらも、求めず受容するという点で共通している。これによって、ストレスが少なくなり、生きやすくなったのは確かである。やはり、あれは天啓であったのだと今にして思う。
追加フレーズ(2008/11/11)
医師は危機的状況にある時でも、不安な気持ちを隠して、沈着冷静迅速に対応しなければ、患者さんの治療に悪影響を及ぼす。私は43年間医師として生きてきたので、不安を表に出さない習性が身についていると思ってきた。
追加フレーズ(2008/11/11)
私はあまり怒らない方だと思うが、不愉快なときや腹を立てているときは表情に出るようだ。こちらは不安ほど患者さんの治療に大きく影響はしないと思ってきたせいか、職業義務として怒りの感情を面に出さないように訓練することはしてこなかった。というか、怒りの気持ちを隠すことなどできない相談だと思ってきた。
追加フレーズ(2008/11/11)
私は不愉快な気持ちを表情に出さないようにと努めたことはない。しかし、怒ることの少ないタイプではないかという気がする。少なくとも結婚してからは本気で腹を立てたことがほとんどない。もちろん、何かうまく行かない時にイライラすることはよくあるが、何十分もの間怒り続けたことはない。
意識的に怒ることを抑えているわけでは決してないのだが、よく怒る人にとって怒らないということはとうてい理解できない心理らしい。腹を立てないというのは偽善者だと言われて面食らったことがある。
腹を立てないことが善だとはまったく思っていないので、偽善者と言われても困ってしまう。腹を立てることが悪で、立てないことが善などであるはずがなく、喜怒哀楽は性格の問題、生き方の問題である。ただ、すぐ腹を立てる人は、自分でストレスを増やしているのが損なところだろうとは思う。
なぜ、あまり怒らないのかと考えてみて、他人に期待しない、求めない、そして、しゃーないことはしゃーないとあきらめる習性が強いせいではないかと思ったりしている。
補足(2008/11/11)
「野村医院30年史」は結局作らなかった。その一番大きな理由は「野村医院20年史」の二番煎じとなるからで、10年分のデータを増やすことは簡単だが、あまり意味がないと思った。その代わりに、「高血圧症薬物療法の変遷−開業医31年間のまとめ−」 と 「開業医の小児科独習法」 を作った。
私は開業して以来、診療の指針の一つとして「今日の治療指針」を使ってきた。「高血圧症薬物療法」は、その中にに書かれている高血圧症の標準処方と当院の処方をまとめたもので、隔年で購入してきたこの図書をすべて保管していたことによって、まとめが可能になった。また、この「高血圧症薬物療法」の内容は二つの大手医薬品メーカーの当院担当営業所で講演したことがあった。
もう一つの「小児科独習法」は、小児科を標榜することはしなかったが、小児科の患者を診療しなければならない内科開業医が、どのようにして小児科を独習したかをまとめたもので、高校と大学で同期の友人である小児科医三宅潤先生(パルモア病院理事長)に過分の評価をいただいたのが一番嬉しかった。
追加フレーズ(2008/11/11)
先に「しなければならないことと、したいことは対立しない」と書いたが、「しなければならないこと」と「したいこと」が重なり、択一しなければならない状況に遭遇することがある。その場合はもちろん「しなければならないこと」が「したいこと」に優先する。
このことは大人には分っても、こどもには理解できなくて当然だろう。息子が小学生のころ、11月の連休を利用して2泊3日の家族旅行で鳥羽に行ったことがあった。ホテルに着いて夕食を食べ終わったところで電話があり、泣き喚く息子を車に乗せてとんぼ返りをした。そのようなことが重なったためだろう「僕は医者にならない、子供がかわいそうだから」と息子は言っていた。
その息子が自分で医者の道を選び、自分が希望して私の後を継いでいる。彼が開院20年目の感想で書いたように、自分らしい医院を作ろうとしているようだ。私は2005年9月1日に引継いだ日から診療を離れ、自分のしたいことをしている。
追加フレーズ
「欲求と義務」ということばから「自由と規律」という対になったことばを思い出す。神戸高校の前身である神戸一中の第2代校長池田多助は英国のパブリックスクールのカラーを取り入れ、校舎もパブリックスクール風とし、在任21年間でその校風を定着させた。
私が神戸高校に入学したのが1952年で、その3年前の1949年に刊行された「自由と規律」池田潔著 岩波新書がよく読まれ、校内でも度々取り上げられた。この書は英国パブリックスクールの生活を紹介したもので、自由と規律は相伴うものであることがよく理解できた。同じような対句として「自由と義務」「権利と義務」などがある。
追加フレーズ(2008/11/11)
この「唇に歌を持て」ということばは小学校の教科書にも載っていたが、最初に読んだ本は「日本小国民文庫第十二巻 心に太陽を持て 山本有三編 新潮社 昭和十年刊 である。その中に載っていた話の一つが「唇に歌を持て」だった。
沈没した船から投げ出され暗闇の中を泳いでいる時に、遠くから美しい歌声が聞こえて来て、近づいてみると1本の丸太に何人かの女性がつかまって立ち泳ぎをしている。歌をうたっていたのはその内の一人で、頭から大波をかぶっても平気で歌を続け、救助船を待つ間皆を勇気づけていたという。歌にはこのような偉大な力があることを知って感動したことを思い出す。
追加フレーズ(2012/11/11)
歌は私にとって基本的欲求であり、空気、水、衣食住に次ぐものである。生まれたときから母の歌を絶えず聴き、少なくとも3〜4歳ころから、私も歌ってきた。1年の内で鼻歌の出ない日は数えるほどしかない。頭で歌っていることのない日は皆無だろうと思う。
鼻歌や頭で歌うことも歌の喜びではあるが、それとは別の種類の魅力が歌にはある。大声を張り上げ、自己陶酔に浸る快感である。このことについては、私にとっての歌に詳しく書いている。
コーラスのリサイタルやミュージカルに出演したりしたが、自分から進んで人に聴いてもらいたいと思ったことはほとんどない。私にとっての歌は自己陶酔である。ただし、歌のほかは自己陶酔の世界を持っていない。
補足(2008/11/11)
私が購入した唯一の日本の女性の写真集が、伊達公子のプレーとプライベートを追った写真集である。他には、イングリット・バーグマン、オードリー・ヘップバーンの写真集しか持っていない。私にとって、彼女はこの二人に匹敵する好きな女性だ。その本の名は、Date 田沼 武男著 1997年1月15日 株)文藝春秋刊。
修正(2008/11/11)
ただし、間食は一切せず、朝食、昼食は夕食の半分程度(腹六分目)である。これから計算すると、1.2+0.6+0.6=2.4 2.4÷3=0.8 となり、1日の合計では腹八分目の食事をしてきたことになる。夕食の腹十二分目は間違いないのだが、朝食と昼食のことを考えなかったのは間違いだった。1日量として腹八分目であれば、1回量が腹十二分目であっても構わないということのようだ。
修正(2008/11/11)
05年9月に医業を息子に引継ぎ、大阪市内のマンションに転居してきた。それ以来毎日のように梅田に出かけている。そのため、この「週に1回、命の洗濯」は自然消滅してしまった。
修正(2012/11/11)
大阪市内のマンションに転居して以来、朝日新聞のみを購読している。定期購読は「日経パソコン」と「ビデオサロン」のみ。情報はWebで得ることが多くなり、Amazonで購入することも増えた。
修正(2012/11/11)
今年76歳となり、後期高齢者であるが、未だ鑑賞は少なく、専ら創作に向かっている。この生き方は、創作ができなくなるまで続くのかもしれない。「鑑賞は老後の楽しみ」ではなく、「鑑賞は創れなくなくなってからの慰め」が正しいようだ。
世の中には、いつまでも学習し、教養を身につけようと努める人もいる。人間というものは面白い生き物だとつくづく思う。
修正(2012/11/11)
ここに書いた映像関係のメディアは10年で一変した。LD、VHSは事実上消滅し、DVD、BD(Blu-ray)に変わった。それよりもファイルベースに変わり、ハードディスクやフラッシュメモリに保存するのが主流になりそうである。
音声関係も、ダウンロードしてファイルベースでSDなどに保存される方が多くなっている。楽譜でさえ、Webでダウンロードして購入する傾向に向かっている。
この10年間で、TVはアナログからデジタル、4:3サイズのCRTから16:9サイズの液晶大画面に変わった。ITの進展はすさまじく、映像関係でそれが著しい。将来楽しむものは、ファイルで保存しておくのが時代の流れのようである。そうなると、単に蒐集するというのではなくなって、保存作業が必要となってくる。
修正(2008/11/11)
創る楽しみは、創り終えたときの充足感と思ってきたが、リタイヤ後3年間の経験では、創る楽しみは進行途中が一番楽しいということを発見して驚いている。
補足(2008/11/11)
腹十二分目の個所で、夕食は腹十二分目だが、朝食と昼食は腹六分目で、間食を摂らないと修正を加えた。これも「快感をとめどなく求めるは醜悪」という私の美意識が関係していると思う。
補足(2012/11/11)
開業は1973年9月1日より2005年8月31日までの満32年間であったが、父の死、弟の結婚式以外で休診したことは一度もなかった。
追加フレーズ(2008/11/11)
昨年11月から、雨の日を除いてほとんど毎日妻と歩いて梅田まで往復している。ほぼ7〜8000歩、2時間前後になるが、結構楽しい。
こちらへ転居してきてから、私はほとんど書斎(工房)に閉じこもり、主にPCに向ってきた。妻はしばらくの間はなんとか我慢していたようだが、昨年10月15日にこらえきれずに、大落雷となった。その瞬間その意味を悟り、キッパリPCから離れた。しばらくはそれを喜んでいた妻も、それが長く続くと不安になったのだろう、PCへの復帰を促すようになった。
そこで考えた対応が、毎夕雨でなければ梅田まで歩いて出かけるということで、歩くことが健康に良いと信じている妻には一番嬉しいことだったようである。私自身も、歩かなくなって、廃用性萎縮のために歩けなくなった患者さんをたくさん見てきたので、歩くことに抵抗はなかった。都会の広い道路を歩くのは楽しいことが多く、退屈しない。そういうわけで、健康に良いということを今は少し行なっている。
追加項目(2008/11/11)
「マニュアル」については、第4章:解決の●14<成功>の項目 で、7.「 成功経験をマニュアルにする」として書いているが、この第3章:教育では、一つの項目としてまとめて置きたい。それは、私ほど「マニュアル作り」を行なってきた者は、あまりいないのではないかと思うからだ。
マニュアルと言っても、教育を目的とする本格的なものから、手順集のようなものまであるが、いずれも実用を目的としている。手許に残っている最初のマニュアルは、大学にいたころ(1970年前後)に、「人工心肺操作の実際ー特に直視下心臓手術に関してー40ページ」、「圧規制型レスピレーター使い方の実際74ページ」、「心臓外科術後患者管理メモ28ページ」、「人工心肺回路OU型シリーズの使い方16ページ」を学生や看護師、技師のために書き、「電話の話し方 17ページ」を研究室の事務員のために作った。
開業してからは、職員用にレセプトコンピュータの使い方から始め、「野村医院勤務マニュアル」に発展し、8版まで改訂した。これがある医療出版社の目に留まり、「医院勤務者の実務マニュアル」として出版された。
このサイトに掲載しているマニュアルのタイトルを、サイトマップで順に調べて、以下の50タイトルが確認できた。掲載タイトルが現在450なので、その11%を占める。中でもパソコンと動画技法に集中している。
その50タイトルの中で、職員などの教育用マニュアルの類はわずか4タイトルしかなく、残りは自分のための手順集である。「私はこのような手順で問題に対処しました。もし良ろしければ、この手順をご利用下さい」というものばかりである。もともと記憶力に劣る方だが、年齢を重ねるごとにその程度はひどくなり、時間をかけ苦労して得た結果を1日も経たぬのに忘れてしまうことがしばしば起る。そして、最初から同じことをくり返してしまう。
それを避ける年寄りの知恵として、自分のために記録することを行なってきた。自分のためだからと言って、メモ程度にしておくと、あとでチンプンカンプン、何を書いたのか分らなくなることを何度も経験した。そこで、他人が読んで分る正式なマニュアル形式にすることにした。それを10年以上も続けている。
以下、このサイトに掲載しているマニュアル形式のタイトルを列挙しておく。
実用abc譜
abc譜のABC
アナログテープのデジタル保存
DVD制作第1号で使った技法
DVD制作の小さな工夫
アナログディスク(LD)からのDVD作成
VHSビデオからのDVD制作
TV番組からのDVD制作
スライド・ショーDVDの制作
実用ハイビジョン・ビデオ(1)撮影
実用ハイビジョン・ビデオ(2) カット編集
用ハイビジョン・ビデオ(3)特殊編集
BOWの98画像初心者用講座
私のパソコン活用法
スキャナーの使い方
実用解像度
PCオーディオの基礎
筆まめへの移行
Windows XPに合わせたPCカスタマイズ
XPの「ブリッジ接続」は大きなお世話
BOWのWeb検索ミニマム
Outlook Express と Exchange のデータ
携帯電話でEメール
リモートメールの使い方
迷惑メール対策
ISDN回線の接続と各種設定の方法
ダイヤルアップ・ルータを利用したネットワークの構築
ASAHIネット上で掲示板を開設する手順
ウイルス対策
パソコンが不調な時の対応の方法
ダブル・パソコン 二重系によるPCシステムの保全
トリプル・パソコン
新しいPCへのデータコピー
簡単なダブルパソコンシステム
7年目のPCリカバリー
勉強覚え書き
開業医というプロの整理法
私の「(超々)整理法」
ホームページの白文字印刷法
レセコン使用法(各論)
Windowsパソコンの使い方
実用電子出版
医院勤務者の実務マニュアル
デジタルX線画像診断
胃透視検査法
開業医の小児科独習法
職員に求めてきたこと−医院勤務の基本−
野村医院勤務マニュアル
医院勤務者のことばづかい
追加フレーズ(2008/11/11)
1)業務を実行するのに必要な最低限の知識や技能の習得に役立つ
2)ルーティーン業務を間違いなく同じレベルで行なえる
以上は教育用マニュアルとしての効用で、以下は私の手順集としてのマニュアルについてである
3)時間をかけ、苦労して得た成果を思い出す
記憶力の低下で、過去にしたことを忘れて、最初から同じことを始める時間の無駄を防げる
4)新しい問題解決に活用する
過去の成果を使って、新しい問題の解決に利用できることがある
5)マニュアルを作る者の能力を高める
他人に読んでいただくことを意識すると、正確さ、分かりやすさなどに注意を払うようになり
結局は自分自身の理解を深め、表現力を高める方向に働く可能性がある(2008.11.16.)
追加フレーズ(2008/11/11)
マニュアルに固執すれば、TPOに応じた臨機応変な対応ができない場合が出てくる。その原因の1つが、なぜその行動が必要なのかを理解していないことにある。2つ目は、経験を積んで体得するより仕方がない微妙なことがらは、マニュアルでは書いたり表したりすることはできないというマニュアルの限界である。3つ目は、マニュアルに記載されてしかるべきことが欠落しているか、補充されていない、変化に対応した修正ができていないことである。
追加フレーズ(2008/11/11)
マニュアルは、業務に必要な最低限の知識や技能が書かれているものだという認識が必要である。必要条件ではあるが充分条件ではない。いったんマニュアルの手順を身につけたら、あとはマニュアルを離れ、自由にマニュアルに書けない部分を体得し、業務に従事することが肝要である。マニュアルは新しく学ぶ時期に重要だが、そのあとは、忘れてしまった手順を確かめる場合の辞書代わりの存在で良い。
追加フレーズ(2008/11/11)
マスコミなどで「マニュアル人間」と侮蔑的に述べるのが流行っている。たしかに、TPOが分らず、臨機応変な対応ができず、教えられた通り、ロボットのように対応するしかできない者も多い。だからと言って「マニュアル」の本来のあるべき使い方、功罪、限界などの検討もなく否定してしまうのは乱暴過ぎると思う。
追加項目(2008/11/11)
追加フレーズ(2008/11/11)
1. 謝るときは言い訳をしない(望)
小さな謝りの経験は少なくはないが、大きな謝罪をしたのはこれまで一度だけだと思う。仕事の委託先が行なった一方的なミスであったが、依頼主として迷惑をかけた相手にただひたすら謝った。
謝罪するときに言い訳はするものではないと思う。謝罪に必要なのは、1)自分の落ち度を認め、2)そのことを謝り、3)どのように償いをさせてもらえば良いかを尋ねることが必須で、4)言い訳や、5)相手に対する非難はもってのほかだと思っている。
修正(2012/11/11)
2005年に医業から引退し、大阪市内のマンションに転居してから、購読新聞は朝日だけにしている。新聞は今も重要な情報源であるが、Web検索、書店、定期購読2誌なども情報源である。
修正(2012/11/11)
メーリングリストとメールマガジンはすべて止め、購入したハードやソフトのメーカーからの情報を、取捨選択して受信するように設定している。スパムメールに苦労したが、プロバイダーASAHIネットの「おまかせスパムブロック」を利用するようになって激減した。
修正(2008/11/11)
「Web情報源」を先月削除した。その理由は、1)メンテナンスが面倒な割りに実利が少ない、つまり「費用対効果比」が低いこと、2)「クリッカブルURL機能」を持ったエディターでURLやその説明などをテキストファイルに書いておく方が、簡単で使い易いからである。
修正(2008/11/11)
梅田にはブックファースト梅田店とジュンク堂ヒルトン店という大型店舗が新しく開店したのでより便利になった。現役の間は週1回書店に来るだけだったのが、ほぼ毎日書店に顔を出すようになり、書店内での検索機能も充実しているので、実際に読んで選べる書店買いの方がまた多くなっている。そう言うわけで、Webショッピングは、書店で入手できない書籍に限定されてきている。
修正(2012/11/11)
2005年に医業から退き、「今日の診療」の購読はVol.18の2007年版が最後となった。
修正(2012/11/11)
CDの整理ではなくDVDの整理にカラーコントロールを利用したが失敗だった。医業を離れて時間が経つと、色と数字の組み合わせなどまったく忘れてしまうので、お話にならない。
修正(2008/11/11)
検索技術の進歩は著しく、Googleの「デスクトップ検索」を導入するだけで、自分のPC内に保存したデータが、ちょうどWeb検索と同じやり方で、瞬時に検索できる。もう「グローバル検索」は完全に時代遅れとなってしまった。このGoogleのデスクトップ検索が無料で、自分では何も行なわずに実行されるのだからありがたいが、何か末恐ろしい気もする。この機能は Googole 以外からも提供されはじめていて、将来はより便利で効率の良い検索が可能になるであろう。
修正(2012/11/11)
Windows 7 のエクスプローラのツールバーには、プレビューウインドウボタンがあり、通常は非表示であるが、ボタンを押して表示にすると、ほとんどのファイルの内容が表示される。「WinFD」はテキストファイルだけの表示だから、こちらの方が比較にならないほど有用である。
スタートボタンを押して表示される「プログラムとファイルの検索」機能も、OS自体に組み込まれているため、Googleのデスクトップ検索と違った検索ができる。
補足(2012/11/11)
私は現在専ら電子メールを使っているが、デジタル情報の交換方法として、最近はツイッターやフェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の利用が圧倒的に多い。
追加フレーズ(2008/11/11)
外見が似ているということで、中身がまったく違うものを同じと誤って判断してしまう危険を教える諺である。味噌と糞を間違うことはないだろうが、現実には本当は味噌であり糞であることを見抜くことができず、それぞれを対等のものとして取り扱い、それが公平であると誤って考えることがしばしばある。
また、喧嘩両成敗という判定法が何の疑いもなく容認される傾向にあるが、実際は悪い割合が90%の者と10%の者を、どちらも50%悪いと判定してしまう誤りを犯すことがある。
味噌糞は質の違いを同じとしてしまう誤り、喧嘩両成敗は異なる程度を同じとしてしまう誤りであるが、その誤りに気づかないことが多いので注意が必要である。(2008.11.11.)
追加フレーズ(2008/11/11)
私が人生で大きな影響を受けた最初の本が「デミアン」高橋健二訳 岩波文庫1939年発行である。聖書に書かれていることを疑い、別の解釈ができるというデミアンのことばに、少年シンクレールが驚きながら、それを理解していく個所がある。中学2・3年頃、この主人公デミアンと友人のシンクレールを真似て生きようとしていた。
追加フレーズ(2008/11/11)
大学に入った頃、物理学者武谷三男などの一般啓蒙書から、科学とは何かということを学んだ。その中でおどろき納得したことは、「ニュートン力学は相対性理論にとって代わられたが、ニュートン力学が否定されたのではなく、より包括的な理論に発展したもので、この相対性理論もそれを越える理論に発展的に包括されるかもしれない」という科学の方法であった。
理論は、またより包括的な理論にとって代わられる運命にある。理論も仮説の一種と考えられる。だから、科学とは一番新しい仮説であるということができる。
追加フレーズ(2008/11/11)
ノーベル賞受賞物理学者ファインマンのこのことばは不思議ではない。科学は限りなく真理に近づこうとするが、真理になり得ないものであると理解してきた。
追加フレーズ(2008/11/11)
正しい事実がいくら多く検証されたとしても、一つの反証が現れれば、その理論(仮説)は駄目になる。それを潔く認めるのが科学である。反証可能性のあるのが科学で、反証できないものはエセ科学であったり、宗教であり、何とか主義であるというポパーの規準は明解である。
一応この仮説で説明がつくが、説明がつかないことが現れ、それが新しい仮説で説明がつくなら、新しい仮説が最新の科学となるということだ。ある仮説が「科学的に正しい」とされるのは、反証されない間である。比較的短い期間で反証されてしまう仮説もあれば、数百年といった期間反証されていない仮説もある。
科学上の仮説は「信じる」ものではなく、「疑う」ものである。疑って疑って、それでも反証できなかったから、とりあえず今のところは正しいとしておこうというだけである。
追加フレーズ(2008/11/11)
03<ことば>5. 95%の真実(望)で述べたように、医学や一般科学では「仮説検定」ということばがよく使われる。これは相対性理論とか進化論とかという根源的な仮説とまったく違う意味の仮説である。
仮説検定では、比較するものには差がないという「帰無仮説」と、比較するものには差があるという「対立仮説」を立てて、「帰無仮説」が正しくないと判定された場合は仮説が棄却されると言う。この場合、比較するものには差があるという「対立仮説」が間接的に認めら、意味のある差(有意差)があると判定されたことになる。
その場合の判定を誤る確率を有意水準と呼ぶ。0.05(5%)の有意水準で「帰無仮説」が棄却されると、その結果5%の危険率で有意差があると判定される。有意水準(危険率)は小さければ小さいほど有意差の確かさが高まる。自然現象では通常5%が用いられるが、1%ではより真実に近くなる。
追加フレーズ(2008/11/11)
生き方がいろいろあるように、死に対する気持や考え方も、人それぞれで違って当然である。何が良い、どれが正しいという問題ではない。ここに「死」を中心とした私の死生観をまとめてみた。
追加フレーズ(2012/11/11)
2. 目をつぶらない(望)
東日本大震災は、人類が経験した最大級の自然災害に加えて、最大規模の原子力発電所事故という人工災害が合併した災害である。この人工災害から、多くの人は、人類の未来に対する危機を実感したと思う。そこで、現代人が危機的未来に対処するために必要なことは何かを考えてみた。
かって土地バブルのころ、日本の土地全部の価値はアメリカ全土の価値より高いと大まじめに言われた時期があった。そんな馬鹿な状態が続く筈はないと思うはずのところを、目をつぶってしまい、破綻にまきこまれた。リーマンショックも住宅バブルが原因だったと聞く。
大量生産・大量消費で成り立っている現在の経済は、効率が最優先され、行き着くところ地球資源の浪費、枯渇、環境の破壊をもたらす。グローバル経済はそれを全世界に広げる。
原子力発電を必要とするのも、大量生産・大量消費に欠かせないからであろう。その結果、世界中に放射能汚染の可能性を広げてしまった。放射能汚染が他の環境破壊と根本的に違うのは、汚染された放射能物質を地球上から取り除くことができないことだ。原子力発電を使うことは、その危険物を作り続け、増やし続けるということである。
今回の大震災で注目されることになった東京一極集中も、経済効率を最優先するところから生まれたと考えて間違いあるまい。
また、先進国では人口の高齢化がますます進み、老人大国となっていく。すべての生物に共通する生きる意味は、与えられらたいのちを全うするだけではなく、子孫につないでいくことであろう。それなのに、その子孫が生きるために必要な資産を浪費して減らすだけでなく、放射能汚染で子孫の生存さえも脅かそうとしている。
その反対に、先進国では若者の数が減るばかりか、子孫を残そうとする若者がどんどん減りつつある。これは、その生物が生きる意味の喪失に向かいつつあることを示している。
私の貧弱な頭でも、目をつぶらなければ、これくらいのことは見えてくる。ただ、私も現代人として、科学技術の非常な恩恵を受け、この環境を手放したくないとも思う。これは人間という種の宿命なのかもしれない。しかし、それでは人類は滅びてしまう可能性が大きい。
追加フレーズ(2012/11/11)
3. 発想を転換する(望)
現代人が危機的未来に対処するために必要なことの2つ目は、これまで良い、正しいとされてきたことを疑うことだと思う。
例えば、経済はいつまでも成長・発展し続けることができるのか? 成長・発展し続けることは良いことなのか? 人間の寿命を延ばし続けることがほんとうに価値のあることなのか? 子孫の生きるエネルギー源である地球の資産を、現代に生きる人間が大量に消費してしまって良いのだろうか? 子孫に残す核燃料廃棄物という危険物を増やし続けて良いのだろうか?
現代人の100年間は、人類の10万年の歴史からみれば、非常に短い期間である。これを理解しやすいように10万年を1年とすると、わずか9時間に過ぎない。そのわずかな期間に生きる人間が、欲しいだけ地球資源をむさぼった上、始末に負えない危険物を作り、増やし続けて良いのだろうか?
これまでの良いとされてきた考えを疑ってみた結果、これまでとまったく違う発想が生まれ、多くの人がそれを支持するパラダイムシフトが起きれば、救いはあるかもしれない。
例えば、原子力発電に変わるものとして、効率の良いバッテリーの開発を行うことが案外役立つ可能性がある。それは無理だと言われるかもしれない。しかし、かって車の排ガス規制が厳しくなった時、GMやトヨタなど大メーカーは実現不可能と抵抗したが、ホンダとマツダはそれをクリアーする装置を開発したので、大メーカーも従わざるを得なかったことをよく覚えている。これしかないとなった時の日本人の創造力は素晴らしい。
追加フレーズ(2012/11/11)
4. 足るを知る(望)
現代人が危機的未来に対処するために必要なことの3つ目は、足るを知る気持ちを身につけることだと思う。足るを知る気持ちを持てないというのが、科学技術を発展させて来た人間という種の宿命であれば、悲しいことだが、遠くない未来に、この種は滅亡するかもしれない
3件の追加フレーズは、東日本大震災の2ヶ月後に、東日本大震災から学ぶのタイトルでこのサイトに掲載した記事の一部である。
追加図(2008/11/11)
生命曲線の概念を理解しやすいように下記模式図を追加
補足(2008/11/11)
71歳からオマケの人生に入ったが、予想と違ってタイムリミットを設けない生き方を選んでいる。本当の人生とオマケの人生とで、根本的に違うのがタイムリミットだとは愉快だ。あるがまま、なるがままに生きることは、しみじみとした幸せにつながる。案外オマケの人生にふさわしい生き方かも分らない。
補足(2008/11/11)
先にも書いたが、71歳からオマケの人生に入り、タイムリミットを設けず、あるがまま、なるがままに生きている。
補足(2008/11/11)
リタイヤして3年が過ぎたが、夕食どきが幸せな時間であるのは変わらない。その後をストイックに過ごすということはしなくなった。しても良し、しなくても良し、思うがままに過ごしている。
修正(2012/11/11)
オマケの人生に入ったころから、外食をほとんどしなくなり、夕食の時間は午後7時から9時までの2時間に延びた。ビールは瓶でなく350mlの缶3〜4缶に変わり、夕食後ソファーで横になる場合も増えたが、夕食どきが幸せな時間であるのは変わらない。
補足(2008/11/11)
オマケの人生に入ってタイム・リミットを設けず、なるがままにしたい仕事を行なっている。それをやり遂げた時の達成感や喜びは、タイムリミットを設けていたときとどこか違うような気がする。
補足(2008/11/11)
オマケの人生に入っても、変わらず自分のしたいことをしている。その結果が他の人の役に立てば嬉しいが、他の人の役に立つことを目的とはしていない。もし、今後他の人の役に立つことを目的することがあるとしても、それは自分がしたいからであり、利他的に生きるためではないはずだ。
追加項目(2008/11/11)
追加フレーズ(2008/11/11)
私は死亡想定年齢を70歳と決め、それ以後命があればそれからはオマケの人生として生きようと決めてきた。死亡想定年齢を決めたのは50歳ころからだと思う。年をとるにつれて、したいことが増える一方であるのに対して、果たしたことの割合が増えないことに焦りを覚えるようになった。そこで、死ぬ時期を想定して、それまでの期間に優先順位の高いものから片付けて行き、80%の到達を目指そうと考えたが、70%に終わった。 詳しくは死期を想定して生きるに記載した。
追加フレーズ(2008/11/11)
死亡想定年齢を過ぎた71歳からはオマケの人生に入った。オマケの人生に入るまでは何も考えなかったが、実際にオマケの人生に入ると、もうタイムリミットを決めてそれを守る生き方を止めようと真っ先に思った。そして、自分を含めて人間には「あるがまま」、運命に対しては「なるがまま」、したいことに対しては「思うがまま」に対応している。
とは言え、したいことをしている時間、それに集中している時間は、本当の人生の時よりも比較にならぬほど長いのだが、こういう生き方に身を任せると、しみじみとした幸せを感じる。
オマケの人生の状況は、 オマケの人生が始まる年、 オマケ1年目をふり返って、 オマケの人生で変わったこと、 にまとめている。
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