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心に生きることば

−BOWの人生哲学−

第5章:情報

2002.09.03. 掲載
2012.11.11. 追加
このページの最後へ

   章内目次

01<情報の種類> 02<情報の収集> 03<情報の評価>
04<情報の整理> 05<情報の保存> 06<情報の保全>
07<情報の加工> 08<情報の交換> 09<情報の発信>

心に生きることば 全目次
第4章:解決 ←            → 第6章:思考

「情報」の重要性は、時代とともに高まって来た。現在・未来を「情報時代」と定義づけることもできるだろう。これから生きるために最も必要なことの一つが、情報を上手に扱うための基本的な知識や能力、つまり「情報リテラシー」を身につけることだ、と言っても過言ではあるまい。

私は、これまで時代を先取りすることが多かったが、情報に関心を持ち出したのはいつ頃のことかと、手持ちの書物を調べてみると、有田恭助著「情報の集め方」光文社1964年、平山健三著「知識の整理」南江堂1965年、梅棹忠夫著「知的生産の技術」岩波書店1969年、あたりからのようだ。

「情報の集め方」には、たくさんの傍線が引かれている。「知識の整理」では、パンチカードを主に学んだ。「知的生産の技術」では、京大式カードに倣って、私も自分が選んだバインダー式カードを、何年間か使ったことがある。1964年といえば、医師になって2年目、それから開業する1973年までの約10年間、「情報の整理」についてトライアル&エラーをくり返し、現在の私の「情報整理法」の原型にたどり着いた。その概略は、このWebサイトに、私の(超々)整理法<8.データ整理法の変遷>として掲載している。

パソコンやインターネットが普及して、私たちは今、「IT」(information technology 情報技術)のめざましい進歩の中にいる。メディアやツールは、これからも目まぐるしく変化発展するに違いないが、それを使うのは人間であり、情報を上手に扱う基本的な方法は、それほど大きく変わることはないだろう。


01<情報の種類>

1. 趣味的情報と業務用情報(望)

私は開業医なので、診療に関係する業務用の情報と、それ以外の情報とでは、取り扱い方を変えている。業務用情報については、このサイトに、開業医というプロの整理法として掲載しているが、これは、1973年に開業して以来、変わりなく行っている整理法である。

業務用以外の情報は、趣味的情報となるが、この章で取り上げるのは、主にこの趣味的情報についてである。その整理法については、今から5年前に 私の(超々)整理法ーさぼりで手抜きな個人データの整理法ーとしてこのサイトに掲載した。

2. 受ける情報、探す情報(望)

情報は、新聞などから受身で入手する「受動的情報」と、Web検索などによって積極的に求めて入手する「能動的情報」に、分けることもできる。この違いは情報の収集だけでなく、整理や編集の仕方でも違ってくることが多い。

3. アナログ情報とデジタル情報(望)

情報を「アナログ情報」と「デジタル情報」に分けることもできる。自然界にあるデータは、すべて「アナログ情報」である。それに対して、コンピュータ処理をされた情報を「デジタル情報」と呼ぶ。

「デジタル情報」には、「アナログ情報」にない優れたメリットもたくさんあるが、あくまで人工的なもの、バーチャルなデータである。

それに対して「アナログ情報」は、自然の情報であり、人間の感性に深く結びついていることが多い。そのため、デジタル化できないアナログ・データや、デジタル化が不適当なアナログ・データも多い。

どちらかの情報が優れているということはなく、それぞれの長所欠点を理解して、うまく共存をはかるべきであろう。

4. 大切なのは自分の情報(望)

業務用情報は、それで生計を立てているのだから、それなりに重要ではあるが、個人としては、「自分の情報」が一番大切で、その次が「自分に関係した情報」であり、「自分に無関係な情報」が最後になるのは致し方あるまい。


02<情報の収集>

1. 情報の収集は情報の選択(望)

情報洪水の中にあって、情報を収集する場合には、同時に情報を選択しなければならない。

必要な情報、有用な情報を選別することがなければ、価値の少ない多すぎる情報によって、判断を誤り、それらを収集しなかった方が良かったと「骨折り損のくたびれもうけ」を悔いることになるだろう。

しかし、有用な情報を選別する決まった方法などは存在しない。経験もいくらかは有効かもしれないが、それ以上に、その人の直感的な選別能力に頼らざるを得ないのではないかと思う。

2. キーワードをいつも頭に(望)

何を知りたいのか、自分の「テーマ、キーワード」をいつも持っていることが、情報を入手する一番有効な方法である。

人間の知覚は、自分の関心のあるものは見て、関心のないものは「見えていても見ない」ということで、エネルギーを節約している。だから、関心のあることがらを、「キーワード」としてしっかり把握しておき、これに向けて常にアンテナを立てて置かなければ、必要な情報を見落としてしまう。

3. 新聞は情報の窓口(望)

新聞を読むのは毎日の楽しみの一つであり、同時に大事な情報源でもある。読むのは主に食事中かその前後で、朝日と読売を30年以上購読している。広い範囲での最新情報は、新聞で得ることが多い。中でも雑誌や書籍の広告と、日曜版の書評欄は、書籍や雑誌購入の情報として重宝している。

私の「キーワード」に合う記事の中で、後でも読みたいと思えるものは切り取っておく。食卓に鋏が無い時は、手で大きめにちぎる。これをスクラップ・ブックに貼るような面倒なことはせず、決めた引出しに放り込んでおくが、自動的に新しい情報ほど上にくることになる。

これ以外に、医療関係の新聞、購読している雑誌類、製薬会社系などの無料の刊行物なども、時間と興味があれば目を通すが、これらからの切り抜きはそれほど多くはない。また、特定の書籍や雑誌などを購入するためでなく、冷やかしで本屋を訪れるのも、新聞から情報を得るのに近い情報収集法と言えよう。

修正(2012/11/11)
2005年に医業から引退し、大阪市内のマンションに転居してから、購読新聞は朝日だけにしている。新聞は今も重要な情報源であるが、Web検索、書店、定期購読2誌なども情報源である。

4. 電子メールは新しい情報源(望)

インターネット・メールが普及してからは、電子メールは新しい有力な情報源となった。メーラーの受信トレイを開く度に、数多くの情報が、電子メール、メーリングリスト、メールマガジンの形式で届けられる。私は現在5個のメーリングリスト、4個のメールマガジンに参加しているので、1日30〜50件のメールを受信している。

これほど多くのメールを受信すると、その中から自分のキーワードに合うメールを選び出すのが一苦労だ。件名、差出人、メールの書き出し部分で取捨選択が決まることから、捨てられないメールの書き方の重要性が、良く分かる。また、新聞や雑誌、書籍から、早く、的確に、情報を取り出すのと同じように、メールの選択も場数を踏むだけでなく、その人の能力にも左右されるのではないかと思う。

修正(2012/11/11)
メーリングリストとメールマガジンはすべて止め、購入したハードやソフトのメーカーからの情報を、取捨選択して受信するように設定している。スパムメールに苦労したが、プロバイダーASAHIネットの「おまかせスパムブロック」を利用するようになって激減した。

5. 肌身離さぬ携帯電話(望)

3年前の夏に、i-mode 携帯電話を持ってから、これがすっかりWebツールとなり、眠っている間を除き、肌身離さず持っている。プロバイダーに届いたメールは、自動的にこのi-mode 携帯に転送され、Webサイトを開くこともできるので、情報収集手段として重宝この上ない。その詳細は 携帯電話でEメール、 転送メールで快適 、リモートメールの使い方、などに掲載している。

6. すぐにメモる(望)

見聞きしたことのほかに、自分で思いついたこと、閃いたこともまた立派な情報である。記憶力は年を重ねるごとに衰えていくので、これらは、直ぐにメモしておかなければ忘れてしまい、永久に戻ってこない可能性無きにしも非ずだ。

外出先などでメモできない時は、肌身離さず携行している i-mode 携帯電話に書き込んで置くこともあるが、私は一日の大半を家で過ごしているため、パソコンに書き込むことが多い。この「心に生きることば」の「キーワード」の大部分は、そのようにして、以前から書き込んで置いたものである。

パソコンを始めたのが85年で、その翌年から文書の99%を、「Mifes」というエディターで書いてきた。エディターというのは、もともとは、プログラムを書くためのツールであるが、文章だけを書くのであれば、これほど便利なものはない。その一番シンプルなものが「メモ帳(notepad)」だが、これはシンプル過ぎて使い勝手が悪い。

以上に書いた情報収集法は、どれも受身で入手する「受動的情報」である。次からは、積極的に求めて入手する「能動的情報」について書くことにする。

7. Webは情報の宝庫(望)

「Webは情報の宝庫」というのは、少しこの世界を知ったものなら共感できることばだと思う。世界中から、秒単位の極めて短い時間内で、おびただしい量の情報を無料で収集できるのだから、これは人類の最大の発明の一つ、と言って過言ではあるまい。

インターネットは、情報収集の面で、革命的な変化をもたらしたが、後で述べるように、情報発信の面でも、グーテンベルグの印刷術以来の、革命的発展をもたらした。

それが、ここ10年ばかりの間に、爆発的に普及したのだから驚きである。同時に、このような文明の利器を使う時代に生きることができる幸せを、つくづく感じる。

8. 検索エンジンの使い分け(望)

Webから情報をいかにうまく検索をするかというスキルが、Webを情報の宝庫にするか、宝の持ち腐れにするか、の鍵を握っている。Webを情報の宝庫に作り上げるのに最大の功績があったのは、「検索エンジン(サーチエンジン)」であるという意見に、異論はないだろう。

ヤフー(Yahooh! )やグーグル(Google)などのサイトを、「検索エンジン」というが、これには情報収集方法により「ディレクトリ型(登録型)」と「ロボット型」に分けられる。

「ディレクトリ型」は、各ホームページ内容を人手で分類し、それをデータとして登録したサイトで、言ってみれば高度整理版「お気に入り(Favorites)」で、ヤフーがその代表である。それに対して「ロボット型」というのは、不特定多数のホームページをたどり歩く、ロボットと呼ばれるプログラムを利用して、情報を自動的に検索・収集するタイプで、その代表はグーグルである。

私がインターネットを始めた1996年頃は、「ディレクトリ型」のヤフーなどが、「検索エンジン」の主流であったが、間もなくインフォシーク(infoseek)やグー(goo)などの「ロボット型」に移行して行った。2001年のはじめから、グーグル(Google)が登場し、特殊な場合を除けば、私は専らこれを使っている。

最近では、URLを直接入力してWebサイトを開くことは、1%もないと思う。それは、「検索エンジン」が高機能になり、キーワードを入力することで、目的とするサイトへ、比較的簡単に達することができるからだ。そういうわけで、最近は自分のホームページのURLを知らせるよりも、「野村医院」で検索してもらうようにしている。今、試しにヤフー、グーグル、インフォシーク、グー、エクサイト、ライコスという6種の検索エンジンを使って「野村医院」で検索してみたところ、いずれの場合も検索結果ページのトップに表示された。

修正(2008/11/11)

「野村医院」は、2005年10月1日に名前を「中之島のBOW」に変更した。

検索エンジンの簡単な使い方について、BOWのWeb検索ミニマム に掲載しているが、そのコツは「適切なキーワードとAnd 検索」であろう。「適切なキーワード」を選ぶには、いくらかセンスが必要かも分からない。「And 検索」というのは、キーワードを2個以上並べ、そのキーワードのすべてに合致する情報を選び出す検索方法で、これにより情報を絞り込むことができる。

9. 「お気に入り」から「Web情報源」へ(望)

Webサイトを訪問し、そこが有用だと思えばそのサイトを「お気に入り」に登録しておく。これは確かに便利だが、お気に入りに登録する数が増えて来ると、繁用するサイトをお気に入りの最初の位置に持ってくるとか、フォルダに分類するとかの工夫が必要になってくる。

もしも、自分のホームページを持っているなら、「リンク集」としてまとめておくのも一つの解決法になる。しかし、これが何百と増えて来るとこのやり方では対応しきれなくなる。そこから自分のWebサイトの中に、「Web情報源」というページを作る方向へ発展した。

これは、自分専用の登録型エンジンと言えるものだ。このメリットは、1)私が繁用しているサイトを簡単に開けること、2)今使っているパソコンでなくてもインターネットに接続できる環境であれば、自分のホームページからこの「Web情報源」を開くことで、自分のパソコンと同じように使えること、3)自分だけでなく、ほかの人にも使ってもらえることなどが考えられる。

最近この「Web情報源」のページをWebサイトに置いて使うより、自分にとってはもっと使いやすい方法を思いついた。それは「クリッカブルURL機能」を持ったエディターを使う方法で、この「Web情報源」用HTMLファイルの良さを継承し、しかも、より使いやすい「Web情報源」用のプレーン・テキストファイルを作るやり方だ。

修正(2008/11/11)

「Web情報源」を先月削除した。その理由は、1)メンテナンスが面倒な割りに実利が少ない、つまり「費用対効果比」が低いこと、2)「クリッカブルURL機能」を持ったエディターで、URLやその説明などをテキストファイルに書いておく方が、簡単で使いやすいからである。

10. 過ぎたるは及ばざるがごとし(諺)

Web検索を行うと、キーワードにもよるが、数百から数千のサイトにヒットすることがある。その中から有用なサイトを見つけ出すのは不可能に近い。

それに対する方法の一つが、先に述べた「And 検索」で、2つ以上のキーワードを組み合わせて検索することによって、より少なく、より適切なWebサイトを表示させることができる。これは「ロボット型検索エンジン」を使う基本である。

次の対策は、重要度の高いページほど前に表示されるタイプの検索エンジンを使うことで、グーグルはその点で最も客観的な「PageRank」いう基準に従っている。この検索結果を表示順位の前から順に見ていくことで、必要なWebサイトに早く到達できやすい。

最後は、キーワードがハイライトされる検索エンジンを使うことで、グーグルの場合には、「キャッシュ」をクリックしてサイトを表示すると、キーワードがハイライトされているので、膨大なページの中からキーワードの個所に到達しやすい。また、この「キャッシュ」を使うと、該当ページのサーバーがダウンした場合でも、インデックス付けの時点で保存されたページのコンテンツが表示されるのでありがたい。

11. 玉石混交(諺)

Web検索の結果表示されるページ数は、膨大になることがあるだけでなく、その中の情報が「玉石混交」であることも問題である。その対策としては、先に書いた重要度の高いページの表示順位が前にくる検索エンジンを使うことも役に立つが、そのほかには、まず検索されたページの「タイトル」と「タイトル下のテキスト」から判断する。そして最後は、実際にそのページを開いてみて判断するより仕方がない。いずれにしても、これらは判断する人の知識や能力に関係してくるところが大きい。

12. 本屋は今でも情報源(望)

インターネットの無かった時代は、私にとって本屋が一番の情報源だった。梅田には旭屋本店と紀伊國屋書店梅田本店があり、この2店の書籍・雑誌で間に合わせることが多かった。しかし、最近のおびただしい出版量の中で、雑誌はもちろんのこと、少し古くなった書籍もすぐに店頭から姿を消してしまう。そこでWebショッピングによって書籍を購入することも増えて来た。amazon.co.jp、 紀伊國屋書店インターネット仮想書店BookWeb、で購入することが多い。

修正(2008/11/11)

梅田には、ブックファースト梅田店とジュンク堂ヒルトン店という大型店舗が新しく開店したので、より便利になった。現役の間は、週1回書店に来るだけだったのが、ほぼ毎日書店に顔を出すようになり、書店内での検索機能も充実しているので、実際に読んで選べる書店買いの方が、また多くなっている。そう言うわけで、Webショッピングは、書店で入手できない書籍に限定されてきている。

13. 自分の手持ち資料は貴重な情報源(望)

自分の手持ちの書籍、雑誌などもまた貴重な情報源である。それらに劣らず有用なのがCD-ROMで、中でも1990年の初版以来毎年発行されている「今日の診療」は、診療の情報を得るのに重宝している。初版から毎年購入し今年でVol.12 となる。このCD−ROM1枚の中に、今日の治療指針2002年版、2001年版、今日の診断指針第4版、今日の整形外科治療指針第4版、今日の小児治療指針第12版、今日の救急治療指針、臨床検査データブック2001-2002、治療薬マニュアル2002の8冊の内容が収録されていて、約8,000頁の書籍データが自由に検索可能である。

上記のもの以外にも手紙類、いろいろな文章、記録類、制作物など、貴重な手持ちの情報源はたくさんある。私は手紙類(ほとんどは年賀状だが)を1967年以後1年毎にまとめて保管してある。

また、1985年からパソコンを使って来たが、そこで得た自分にとって大事な情報は、デジタル・データとしてほぼ完全に保存している。デジタル・データは検索、編集、処理加工がアナログ・データと比較にならないほど容易であり、重要な情報源だ。何度もくり返すが、個人にとって自分の情報、自分に関係した情報が一番大切であり、それは自分しか持ち得ないもの、自分が生きてきた証しとなるものだと思う。

デジタル・データからのキーワード検索については、簡単には 私の「(超々)整理法」<7.デジタル・データの整理>に書いたが、詳しくは04<情報の処理・整理>で述べる。

修正(2012/11/11)
2005年に医業から退き、「今日の診療」の購読はVol.18の2007年版が最後となった。


03<情報の評価>

1. 新聞を信じるのか!(望)

息子が小学生のころだった。どこかへ出掛ける車の中で、得意そうに何かを話すのに私が疑問を挟んだところ、「だって、新聞に載っていたから」と口をとがらせた。その途端、「お前は新聞を信じるんか!」と怒鳴りつけてしまった。息子はもうビックリ仰天、口をつぐんで不服そうだった。

小学生に対して、まったく大人げないことを言ってしまったが、これで、新聞とか権威があるとされているものに対しても、疑問を持って良いのだということを分からせたのではないかと思う。

私が新聞記事に不信感を持つようになった最初は、60年安保の学生運動に対する新聞報道だった。高校で1年後輩だった樺美智子さんが殺されたころの新聞報道には、私もデモにも参加していたので、間違いが多いことを何度も経験した。

その後、身近に事件が起きたときの新聞報道も、決して正しいものではなく、また、新聞社によって内容が大きく違っていた。それ以降も、新聞報道がいかに多くの虚偽の報道をしてきたかを見てきたので、新聞報道といえども、盲信すべきではないことを、息子に教えておきたかったのだと思う。

開業以来、朝日、読売の2大新聞を購読してきた。大新聞といえども、自分に都合の悪い記事は書かないのは商業新聞であるから当然であるし、政府や業界からのキャンペーンに乗った記事を載せて来たことも多々あったが、これも致し方ないのだろう。しかし、そのことを割引して、あるいは批判的に読まなければ、真実を誤ることがある。

2. ちょっと待て! おかしいぞ!(望)

新聞の記事が、必ずしも正しいと限らないことを息子に教えたが、より一般化して、権威あるとされているすべてのものについて、盲目的にそれを信じることをせず、もし疑問が湧けば、「ちょっと待てよ! おかしいんと違うか?」と、立ち止まって考えてみることの大切さを、教えたかったのかも知れない。

私は10歳で敗戦に遭い、価値の180度変換と、それに対する大人たちの対応を経験し、世の権威とされるものに対して盲信することの危険と、愚かさを、身にしみて感じて来た世代の人間である。そのせいか、既成観念をまず疑うという傾向があるようだ。

3. 風が吹けば桶屋が儲かる(諺)

「風が吹けば桶屋が儲かる」という論理の間違いは、誰にもすぐに分かる。しかし、いかにも理路整然としているように見えるが、よく考えると論理が間違っていたり、事実と違っている議論に遭遇することがある。私はゴチャゴチャ理屈ぽい話が苦手で、そのような話にはできるだけ加わらないが、それが駄目なら、逆に、じっくり理屈の合わないところを追求してしまう傾向にある。

こんなキーフレーズを書くと叱られるかもしれないが、昔から、「理屈が多いは頭が悪い」と思ってきた。理屈よりも直感の方を大切に思う。

4. 言わない嘘(望)

事実を述べているが、その一部を省いてるため、結果として事実ではないという、「言わない嘘」が隠されている場合がある。ウッカリの「言わない嘘」のほかに、「言わない嘘」をチャッカリ決め込んでいることもあるので、注意が必要だ。とは言っても、医療関係も含めて実生活では、「言わない嘘」を使わざるを得ないこともあり得る。

5. 数字の魔術、統計の魔術(望)

定量的に考えるべきものを、定性的に考えることによって判断を誤ることはよくある。程度問題が大きく関係しているのに、それを無視した議論は、誤りの元だ。数量的あるいは統計的な表現は、その意味で重要である。

ところが、数字や統計にだまされて間違いの結論に達することもあるから、注意しなければならない。これも、ウッカリしていて自分では気がつかずに間違った結論に達することもあるだろうが、チャッカリと意図的に、数字の魔術、統計の魔術を使って、間違った結論に誘導する場合もあるから、気をつけなければならない。

私が「数字の魔術、統計の魔術」にひっかからないために心がけているプリミティブな方法は、1)有効数字(桁数)に問題はないか?、2)母集団(数とランダム)は適切か?、3)代表値(平均値、中央値、偏差値)として適当か?、4)比較(有意差、危険率)に値するか?、くらいのものだが、それでも「数字の魔術、統計の魔術」に騙されずに済むことが多い。


04<情報の整理>

ここでは、情報の整理の他に、手持ち情報の処理や検索についても書いておくことにする。

1. よく整理された10の知識は未整理の100の知識に勝る(望)

「よく整理された10の知識は未整理の100の知識に勝る」というのは、第4章:解決 11<問題解決の手段>のところでも書いた。情報というものは、活用するためにあるので、活用できない状態でいくら多くを持っていても、それはデッド・ストックであり、むしろ有害無益だと思っている。

2. 業務用と趣味的データでは整理法が違う(望)

整理するデータを大別して、日常診療に使う患者データなど、迅速確実な整理が必要ないわゆる「業務用データ」と、将来、整理が必要となるかもしれないデータ、いわば「趣味的データ」に分けることができるが、それぞれの整理法は自ずと違ってくる。「業務用データ」の整理については、このサイトに開業医というプロの整理法として掲載した。

ここで取り上げる「趣味的データ」は「個人的データ」とも言えるが、それについても以前このサイトに、私の(超々)整理法として掲載した。

3. 整理とは捨てること(望)

不要なものを捨てるのが、整理の第一歩であることは間違いない。おびただしい情報洪水の中で生きるためには、まず収集の段階で、不要なものを捨てていかなければ、情報に溺れてしまう。この点では、私はかなり思い切りが良い。

ところが、いったん保存したものについては、なかなか捨てずに持っていて、置き場所に困るようになって、初めて捨てることを考えることが多い。捨てるのは雑誌、書籍が中心で、個人的な情報は可能なかぎり保存しておく習癖がある。それだけ、個人的情報は私にとって大切なのだ。

4. 要らないページは2度見ない(望)

これまでに何度も書いたが、受験勉強は、私にとって「生きる知恵」を身につけさせてくれた貴重な経験だった。本気で受験勉強を始めたのが高3の夏からなので、手持ち時間は短く、時間を無駄にすることを極力避ける必要があり、それが「要らないページは2度見ない」というキーワードを身につけたのだと思える。

当時の受験雑誌と言えば旺文社の「蛍雪時代」が代表だった。これが発売されるや購入し、残しておく必要のないページを、どんどん破り捨てて行く。読み終えれば、数枚になることも多かった。受験参考書でも、それは同じだったが、両親は何かいけないことを黙認しているような困った表情で、私のすることを傍観していた。

今から50年ばかり前の時代では、書物は想像もできないほど貴重なものだった。それを何のためらいもなく、破り捨てるのだから、父母は困ったのだろう。

5. KISS(諺)

「KISS」というのは「 Keep it simple, stupid 」の略語で 「簡単にやれ、バカー」という意味。これは、私の問題解決、整理、美意識の中心にあるもので、ものごとを単純化し、分かりやすくしたいという「 simple is best 」と同じ意味で私は使っている。

6. 分類するな、グループ分けせよ(望)

整理をするのに、こと細かい分類をしないで、まず大きなグループ分けをして、そこから必要に応じて細分化していくやり方が、実用的であることを、数年間のトライアル&エラーで覚った。

この「グループ分け(群化)」こそ、私が受験勉強で身につけた最大の「生きる知恵」で、整理はもとより、問題解決のあらゆる場面で有用である。グループ分けを「群化」といっても、「モジュール化」と言い換えても、中身は同じである。

情報の整理に成功する秘訣は、とりあえず大きなグループ分けをするのに留め、必要に応じて細分化することである。最初から細かく分類して、それに情報を収めて行くという方法は、見た目は良いが、注いだ時間とエネルギーに値する効果はなく、挫折してしまうか、役立たずに終るという運命しか待っていない。

「分類するな、グループ分けせよ」を「整理はディレクトリでなくフォルダで」と言い換えることもできる。「ディレクトリ」というのは「UNIX」や「DOS」のファイル構成の考え方で、「ルート・ディレクトリ」から、ツリー状に階層のディレクトリを作り、その中にファイル群を収める方法である。これは演繹的整理法、図書館的整理法ということもできる。

それに対して「フォルダ」というのは、「Mac」や「Windows」のファイル構成の考え方で、まず先に「フォルダ」というファイル収納場所を作り、その中身が多くなると細分し、中身の少ない「ファルダ」を合体させたりして、ファイル構成を整えて行く方法である。こちらは帰納的整理法、家庭的整理法ということもできる。

ファイルを収める場所という意味では、「フォルダ」=「ディレクトリ」に違いはないが、大きく「グループ分け」をして、必要に応じて分類するという成立過程を持つ「フォルダ」と、最初に分類をして生まれた「ディレクトリ」とでは、考え方が正反対なのだ。

「分類するな、グループ分けせよ」という整理法を簡単に言うと、大雑把に情報を置く場所を決めておき、その決めた場所にとりあえず情報を放り込んで置く。その置き場所の情報量が多くなり過ぎると、その情報の一部をを捨てるか、別の場所へ移動させ、あるいは、元の情報の置き場所を、幾つかに分ける。情報量の少ない置き場所は、廃止するか、他と合併するという方法である。

7. カラー・コントロール(望)

一般的には「分類するな、グループ分けせよ」であるが、公的、半公的に決められた分類を利用する方が便利な場合は、分類を活用すれば良い。そして、その情報の在り処が、分かりやすく、間違え難いことを要求される場合の工夫の一つが、「カラー・コントロール」である。

大学で人工心肺装置を担当していた頃には、静脈系と動脈系の区別とか、呼気系と吸気系の区別などを、色分けすることで分類したり、接続する個所を同一色のラベルを合わせることで、簡単に見つけることができるようにした。

また、開業してからは、当初より現在まで 薬剤の薬効別分類 をカラーで行っている。カラーは、私や医療関係者には直感的に分かるものを選んだ。

[黄]:精神神経疾患(神経系薬剤)、[緑]:外科的疾患(消炎鎮痛剤)、[ピンク]:皮膚科疾患(抗アレルギー剤)、[赤]:循環器疾患(循環器薬剤)、[青]:呼吸器疾患(呼吸器薬剤)、
[茶]:消化器疾患(消化器薬剤)、[橙]:内分泌代謝疾患(栄養剤)、[黒]:感染症(抗菌剤)、[金]:その他(特殊薬)、[銀]:(外用薬)、[水]:(注射薬)。

この薬剤の薬効別分類を、数字でも行っている。数字は「日本標準商品分類」に掲載されている薬効分類番号の順を参考にして、診療で使いやすいように私が決めたもので、1.神経系薬剤、2.消炎鎮痛剤、3.抗アレルギー剤、4.循環器系薬剤、5.呼吸器系薬剤、6.消化器系薬剤、7.栄養・代謝・内分泌関係、8.抗菌剤、9.特殊薬、0.外用薬としている。カラー分類と違って、この数字分類は、私以外の者には教えていない。

私は薬効分類がカラーでも数字でも瞬間的に分かる。そこから、1=黄色、2=ミドリ、3=ピンク、4=赤、5=青、6=茶色、7=オレンジ、8=黒、9=金色、0=銀色が結びついている。この結びつきを利用しない手はないと、手持ち書籍の出版年の分類を行ったことがあった。

西暦年の下1桁に対応するカラーラベルを貼ることで作業は簡単だったが、結局止めてしまった。手間の割には、あまり役立つことがなかったからである。将来暇ができたら、CDの整理をしたいと思っているので、そのときに活用できるかもしれないと思っている。

修正(2012/11/11)
CDの整理ではなくDVDの整理にカラーコントロールを利用したが失敗だった。医業を離れて時間が経つと、色と数字の組み合わせなどまったく忘れてしまうので、お話にならない。

8. 時系列とグループ分けが整理の基本(望)

全ての存在は、時間と空間によって既定されている。情報の整理を行う場合は、この二つのファクターを使うわけだが、特に時間というファクターは、単純明快な形式なので、全ての情報を「時系列」で並べるということだけでも、最低限の整理はできる。

もちろん、「グループ分け」という空間的ファクターの中で、この「時系列」を併用することによって、実用的な整理ができるのだが、常にこの「時系列」というファクターの活用を考えるのが、整理のコツだと思っている。

9. 自分に関係した情報を大切に(望)

「自分に関係した情報」を大切にして、それに関連付けて、他の情報も整理するというやり方は、「情報整理」のコツの一つである。というのは、「自分が関係した情報」は思い入れも強く、記憶に残っていることが多いため、その情報を参照したり、再利用する機会が多くなるからだ。

10. コンピュータをこき使う(望)

10人の人間を雇ったとしても、私が今使っているパソコン、レセコンがしている仕事の肩代わりをすることはできないと思う。それほどコンピュータの働きはすごい。いったんデジタル化したデータは、編集・処理・加工が無茶苦茶に容易で、保存もスペースをとらず、整理も簡単である。

しかし、コンピュータはあくまで道具であり手段である。コンピュータが得意な仕事を人間がすることはないし、まして、人間がコンピュータに使われるなど、本末転倒だ。

人間は、コンピュータに適した複雑な仕事を、どうしたらうまくコンピュータにさせるかことができるかを考えて、コンピュータに仕事を与える。それによって生じた時間的余裕を、人間しかできないことに使う。

人間しかできないことと言うのは、その人によっていろいろ違うだろう。現在のデジタルネットワーク社会では、情報は限りなく速く伝達され、速いことは良いことという暗黙の了解ができているかのようである。しかし、生まれてから、時間に追いまくられて、死ぬまでそれを続けるというのは、モダンタイムズ現代版以外の何ものでもあるまい。

人間しかできないことというのは、むしろこの速度の呪縛から離れ、無駄があり、遊びがある時間を持つことではないかという気がする。そのことについては、第4章:解決 21<無駄の効用>のところでも少し述べた。

11. データベースソフトは使わない(望)

昔、パソコンを始める前に思ったことは、これを使ってデータベースを構築することだった。そして、いろいろのデータベースソフトを使ってきた。思い出すまま羅列してみると、Data Box98、μCOSMOS、dBASE3、Swing、アイリス、Card 2、などがある。しかし、どれ一つ残っていない。私にとって、データベースソフトによるデータベース構築は、失敗の歴史であった。

その他にも世間では、dBASE IV、Ninja、桐などが盛んに使われてきたが、現在は Access が独り勝ちして、FileMakerProが少し使われている程度である。

データベースソフトによるデータベース構築は確かに失敗したが、表計算ソフトを使うことで成功した。最初のソフトはSuprperCalc3、次いでLotus 1-2-3、そして現在のExcelである。いずれも縦(列)横(行)碁盤目の単純な構造であり、ソフトが使いやすくなったほかは、本質的な変化はなく、新しいソフトが出ても、古いものも平行して使ってきた。

実際、SuprperCalc3は1986年から2001年まで15年間にわたって給与計算などの経営関連に使ってきた。昨年(2001年)から、表計算をすべてExcelで行うことにしたが、データの移行はあっけないほど簡単だった。

私たちが個人で扱うデータは、1000から多くても3000件くらいに収まる場合がほとんどである。その場合は、表計算ソフトでデータベースを構築する方が分かりやすく、使いやすい。「ソートキー」の組合せと「検索」を使えば、実用上問題はない。

住所録などは、「筆まめ」などの専用データベースソフトを使うのも便利だが、CSV形式で保存できるソフトであれば、ほとんどの表計算ソフトは CSV形式のファイルを読み込むことができるので、表計算ソフトに住所録データを移行することも容易である。

逆に、表計算ソフトのファイルを CSV形式で保存し、それを専用の住所録に移すことも容易だ。ここで、CSVとはComma Separated Valueの略で、セルやフィールドごとに「,」(カンマ)で区切ったデータ形式である。

12. viva Mifes!(望)

私が1986年から、継続して使っている唯一のアプリケーションソフトが、「Mifes」というエディターで、文字に関するデータの場合は、ほとんどこれを使っている。ワープロソフトは、文字飾りをつけて印刷をする場合に限って、この「Mifes」で作った文章を読み込み、印刷用ソフトとして使用している。

私の場合、情報はほとんどが文字情報なので、情報の収集、整理、保存、編集加工、発信のいずれの段階でも、この高機能で使いやすいエディターは重宝この上なしである。その「Mifes」讃歌を「viva Mifes!」のタイトルでホームページに載せた。

この「Mifes」には「クリッカブルURL」という機能がある。 これは「Mifes」の画面で、ホームページのURLをクリックすると、インターネット・エクスプローラが起動し、選択したホームページを表示する機能で、ごれによって、実用的な「Web情報源」を、テキストファイルの状態で持つことができる。

Webサイトに「Web情報源」を置くことのメリットを●02<情報の収集>9.「お気に入り」から「Web情報源」 へ の項で、書いた。この場合は、HTMLファイルで「Web情報源」を作り、それをWebサイトへアップロードする手間がかかる。

それに対してテキストファイルで「Web情報源」を持つ場合は、その10分の1以下の時間と労力で済む。このことに気がついたので、これからは自分用にテキストファイルの「Web情報源」を作ることにして、その中の定番推薦サイトをWebサイトに載せ、サイト訪問者にご利用頂く方針に変更した。


「Web情報源」テキストファイルの見本
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◆<紀伊國屋書店インターネット仮想書店BookWeb>
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/
ID:********
PW:********
メモ:

◆<大阪府医療機関情報システム>
http://www.mfis.pref.osaka.jp
医療関係者用サービス
ID:**********
PW:**********
メモ:

-----------------------------------------------------------

この「Web情報源」テキストファイルのメリットは、先に書いたように、1)作成、編集加工、変更が容易である、2)Webサイトへの転送する手間と時間が不要であることだが、そのほかにも、3)IDやパスワードなども同じ個所に書きとめておける、4)メモ的な情報も書き込める、などのメリットも大きい。クリッカブルURL対応のエディターを使っている場合、「Web情報源」テキストファイルは非常に有用である。

これを更に便利にするのが「検索」の併用で、[Ctrl]+[F] で検索開始、[Ctrl]+[G]で↓方向への再検索、[Ctrl]+[T]で↑方向への再検索、となるようショートカットキーをカスタマイズしてあるため、先頭に◆マークを付けておくと、◆で検索すれば、各情報の最初にジャンプするので、操作がより簡単になる。

13. ずぼら整理法(望)

今から5年前に、さぼりで手抜き一杯の個人データの整理法として、私の(超々)整理法を、野村医院のホームページに掲載した。

なぜか私は「整理魔」と呼ばれることが多いが、「整理魔」というイメージとはまったく逆の、雑な「整理法」を30年近く続けてきたことを披露し、実効のある整理法は、案外このようなルーズな方法にあるのではないかと問うたのだった。

5年前に書いたことが、今でもほとんど修正する必要がないという単純この上ない整理法である。

14. デジタル・データの検索はスゴイ!(望)

1ファイル内の文字列検索
大きなファイル(ページ)の場合、ある「文字列」を見つけるのに苦労したり見落としたりしやすい。そういう場合は、[Ctrl]+[F] で「文字列」検索を行うと便利である。「Internet Explorer」「Outlook Express」「Becky!2」「Mifes」「Excel]「Word」など、Windows用のアプリであれば、これに対応している。

複数ファイルを対象とした検索
ある文字列を含んだファイルを検索する場合、まずは自分の記憶で情報を探す。普通はこれから始めるが、案外これが一番近道のことが多い。

フォルダ内のファイル群は、更新日時順(時系列順)で正逆2通りに並べ替えることが簡単にできる。他にも名前順、ファイルの種類順、ファイルの大きさ順に正逆2通りの「並べ替え」が一瞬にして行える。これを活用すると見つけやすい。

ファイルの中身を見る場合、通常はエディターを使うが、たくさんのファイル群について、中身を直接見ながら調べる場合は、シェアウエアの「WinFD」を使うと[Enter]キーを叩くだけで、片っ端からファイルの中身が表示できるので、非常に便利である。これは「DOS」時代に愛用してきた「FD」というファイラーのWindows版である。

ファイル数が多くなると、記憶だけでは目的のファイルを見つけ難くなる。そこで、ファルダ内の複数ファイルだけでなく、パソコンの記憶装置全体にある全ファイルまでも対象にして、特定のファイルを見つけ出す検索法が重要になる。

Windowsにはそのための検索ツールが付属している。これを使えば「名前」の一部から、あるいは「日付」からファイルを見つけることもできるだけでなく、ある「文字列」を含んだファイルを探し出すこともできる。ただし、この検索では、「文字列」がファイルの中のどの個所にあるかまでは示してくれない。ファイル内の「文字列」の存在場所を見つけるには、文字列を含むファイルを見つけた後、そのファイルについて先に述べた「1ファイル内の文字列検索」で2段階検索を行う必要がある。

これを1回で済ませる検索法が「グローバル検索」で、専用ソフトもたくさんあるが、私は「Mifes」に付属した「グローバル検索」を使っている。この「グローバル検索」を行うプログラムのことを「GREP」(Global Regular Expression Print)と呼ぶが、多数のファイルの中から正規表現で指定した文字列を検索する魔法のツールである。何千冊もの書籍に相当する多数のファイルの中から、瞬く間に求める文字列を含むファイルを探しだし、更にファイルの中での文字列の位置まで教えてくれるこの「グローバル検索」は、まさにコンピュータマジックの一つと言えよう。

以上の「検索」は、過去にデジタル・データとして保存したファイルを対象とした「情報の整理」のための方法である。それに対して、●02<情報の収集> 8. 検索エンジンの使い分け で述べた「検索」は「情報の収集」のための方法であることに注意されたい。

修正(2008/11/11)

検索技術の進歩は著しく、Googleの「デスクトップ検索」を導入するだけで、自分のPC内に保存したデータが、ちょうどWeb検索と同じやり方で、瞬時に検索できる。もう「グローバル検索」は完全に時代遅れとなってしまった。このGoogleのデスクトップ検索が無料で、自分では何も行なわずに実行されるのだからありがたいが、何か末恐ろしい気もする。この機能は Googole 以外からも提供されはじめていて、将来はより便利で効率の良い検索が可能になるであろう。

修正(2012/11/11)

Windows 7 のエクスプローラのツールバーには、プレビューウインドウボタンがあり、通常は非表示であるが、ボタンを押して表示にすると、ほとんどのファイルの内容が表示される。「WinFD」はテキストファイルだけの表示だから、こちらの方が比較にならないほど有用である。

スタートボタンを押して表示される「プログラムとファイルの検索」機能も、OS自体に組み込まれているため、Googleのデスクトップ検索と違った検索ができる。


05<情報の保存>

アナログ情報を保存するには、一般に大きなスペースを必要とするが、デジタル情報は、それとは比較にならぬほど小さなスペースがあれば良く、保存に関してかなりの違いがある。

1. 元データも大切に(望)

デジタル化してしまった情報であったとしても、保管場所が確保できるかぎり、大事な元データはなるだけ保存してきた。これはLPが普及し始めた今から50年ばかり前に、愛聴してきたSPレコードを廃棄してしまったことの反省が、かなり関係していると思う。

2. 自分の関係したデータが一番大切(望)

元データの中でも、自分に関係したものが最も大切で、最優先して保管して来た。もちろん保管のスペースが無くなれば、廃棄せざるを得ないが、私にとって大事なデータというのは、それほど多いわけではないので、今まで、その大部分を保管できたのだと思う。

3. デジタル・データ保存は汎用形式で(望)

デジタル・データの保存は、その情報量と比べてアナログ・データとは比較にならぬほどのわずかなスペースで可能である。保存場所は、ハードディスクが中心になるが、FD、MO、CD-R、DVDなども使われる。最近では、Webにデータを保存することも行われ始めた。

デジタルデータの保存については、保存場所よりも、保存形式がより重要になる。年月が経過した後で、そのデータが読み出せる普遍的な形式で保存されていなければ、そのデータの利用に手間がかかるか、最悪の場合読み出せない可能性も出てくる。

DOS時代からパソコンを使っているので、アプリ独自の特殊な形式で保存され、10数年経た今日、読み出すことができないデータを数え切れないほど知っている。アプリだけでなく、DOS、Mac、Windows、UNIXなどのOSに依存した形式や、ワープロ専用機のような機種依存の保存形式は、できる限り避けるべきである。

「文字データ」はテキストファイルで保存する。プレーンのテキストファイルで充分こと足りるが、HTMLで作った場合は、これでも構わない。それに対して、ワープロソフトで作った文字データは、そのアプリ独自の保存形式以外に、プレーンのテキストファイルでも保存しておくのが望ましい。

過去に非常に多くのワープロソフトが使われたが、その中で生き残ったソフトはほとんどない。「Word」くらい圧倒的なシェアをとったワープロソフトは生き残るだろうが、それでもテキストファイルも持っておくのが便利ではないかと思う。

「文字データ」は一般には内容が一番大切で、その配置や修飾などは二次的な価値しかない。二次的な要素を除いた中身本位のテキストファイルこそ、文字情報の保存形式として最適である。

「数字を含むデータ」の場合は、アプリやOSや機種に依存しない標準的保存形式は「CSVファイル」である。「数字を含むデータ」について「表計算ソフト」がよく使われるが、「表計算ソフト」はワープロソフトと比較して変動が少なく、例えばLotus11-2-3やExcelは15年くらいの長い歴史を持っている。

一般に「表計算ソフト」は息が長く、消滅する可能性は少ないので、このアプリ独自の形式で保存しても、後々読み出せない可能性は低いと思われる。しかし、もしも消滅する気配を感じたら、「CSVファイル」で保存しておくのが安全だろう。

それに対して、「データベースソフト」は過去に数え切れぬほど現れ、ほとんど消えて行った。現在主流のAccessにしても、同じ運命をたどらない保証はない。だから、「データベースソフト」でなく「表計算ソフト」の使用を勧めるのだ。

「画像データ」はJPEGかGIF、PNGで形式で保存する。もちろん画質が大切な場合は非圧縮のBMPなどの形式での保存も必要になるが、一般的にはJPEGかGIF、PNG形式のようなアプリやOSや機種に依存しないファイル形式が望ましい。今から10年あまり前には、8色画像や16色画像の保存形式だけでも20種近くあったが、現在そのほとんどが使われていない。だから、それらの形式で保存された画像データは、現在表示することが難しいか、不可能である。

「文字、数字、画像混合データ」の場合はHTMLファイルで保存しておくと、ブラウザで表示可能であり、アプリやOSや機種の依存性がない。


06<情報の保全>

1. 金で買えない大事なデータ(望)

いくらお金を出しても買うことのできない大事なものがいくつかある。昔愛読した書籍、思い出のつまった写真、ビデオ、手紙類、自分が書いたもの、創ったもの、これらは私の人生に関わってきたものであるがために大切なのだ。

こどものころ、家の近くで火事があった。そのとき、火事は貴重品を奪い去ることを痛切に感じた。そこで、結婚したら木造の家ではなく、焼けない鉄筋コンクリートの家に住みたいと望んできた。

幸い、最初が4階建ての府営住宅で、その次は現在の医院兼用住宅になるが、これを鉄筋コンクリート作りにしたので、火災の心配は少なく過ごしてこれた。そういうわけで、木造の家の暖かさと美しさはよく分かるのだが、火災に弱いという欠点の方を、それ以上に重視してしまう。これは美しさや快適さよりも、データをより大切に思うという、その人の価値観の問題であろう。

2. 災害は忘れた頃にやってくる(諺)

デジタル情報は保存にスペースを取らず、保全場所については、アナログ情報よりも問題が少ないかもしれない。しかし、その代わり、一瞬にして膨大なデータを失ってしまう危険がある。特にハードディスクに保存されたデータに、その可能性が大きい。

だから、大切なデータはバックアップをとって置く必要がある。そのことを良く知っているので、私は85年にパソコンを始めて以来、自分にとって大事なデジタル・データのバックアップは行ってきた。

昨年(2001年)Windows 95 パソコンのデータを Windows 98 パソコンに移し、さらにDOS機の大事なデータをMOを介して Windows 98 パソコンに移すことで、過去の大事なデジタルデータをすべて、現在使っている Windows 98 パソコンのデスクトップに収納した。その後、バックアップをとらなければいけないと思いつつ、この「心に生きることば」をはじめ、したいことの方に目が向き、バックアップを延ばし延ばしできてしまった。

「災害は忘れた頃にやってくる」というキーフレーズをアウトラインの中に書いた翌日、朝からパソコンが動かなくなった。「しまった!」と思ったが後の祭り。Windows 95 機は先日廃棄処分してしまった。DOS機のデータはMOでは残っているが、Windows機のデータがない。あるのは、Webサイトに置いた野村医院と交野市医師会のデータとあと僅かなバックアップのみである。

このとき、これらのデータは、私にとって1000万円以上の価値があることを知った。それからの対応については、PC電源不調ダブル・パソコンに書いた。

このパソコンが動かなくなったのは電源不調が原因だったが、これがきっかけとなって、単にバックアップを取るだけでは実用的ではないことを知った。そして、その解決としてダブル・パソコンという二重系によるPCシステムの保全を考え、ダブル・パソコンの構築を行った。

「心に生きることば」第4章:解決、15<失敗>のところで「 転んでもただでは起きぬ」「禍い転じて福となす」が私の生き方だと書いた。今回はバックアップのない状態でのパソコン停止から、データ消失の危機に遭遇したが、結局、思わぬ収穫を得ることができた。もちろん、これは運が良かったからで、もしデータを失っていれば、こんな調子の良いことを言ってはおれない。この幸運を神に感謝している。

3. 喉元過ぎれば熱さを忘れる(諺)

上に書いた危機に全力で対応して解決した。そして8月18日まではダブルPC体制で、2台のパソコンのいずれもが同じデータを持ち、同じ仕事ができた。ところが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、しばらく中断していた「したいこと」、「しなければならないこと」に復帰することに心は傾き、それ以後、控えのPCのデータ更新を行っていない。まあ、今のところ2週間分くらいのデータが欠けているだけなので、近いうちにダブルPCを完全に実行しようとは考えている。

4. データのバックアップ(望)

一度でも貴重なデータを失った経験があるものなら、デジタル・データのバックアップが必要なことは、よく知っている。データの量や種類が少ない間は、単純に適当なメディアにデータのバックアップをとっておくだけで充分である。メディアとしては、FD、MO、CD-Rが良く使われていて、最近ではより容量の大きなDVDまで使われだした。HDDも高容量化に加えて、i-Link や USB2 などの普及で、簡単に外部に増設できるようになったので、バックアップのメディアとして注目されている。

さらに、データをWebサーバー上に保存するサービスが普及し始めたので、将来、銀行の貸し金庫のように、これを利用する人が増える可能性もある。このメリットは、データの保全がより安全であること、どこにいてもインターネットに接続できる環境であれば、そのデータを利用できることだろう。その特殊な形として、Webサーバーに置いてあるWebサイトのデータがある。

5. システムのバックアップはダブル・パソコンで(望)

業務用としてパソコンを使用している場合、単にデータのバックアップだけでは早急な対応ができないことが多い。それに対する迅速な対応は、先に述べた「ダブル・パソコン」という、二重系によるPCシステムしか方法がないのではなかろうか?

それより劣るが、自分専用のリカバリーCDを作成し、データをバックアップしたCDとこれとを併用することにより、新しいパソコンをリカバリーCDを作成した時点のシステムを復活させることはできる。

修正

バックアップソフトの進化で、Cドライブを丸ごとイメージとしてバックアップしておき、必要な時には、それを使ってCドライブを復元することが簡単に行えるようになった。(2008.11.11)


07<情報の加工>

1. デジタル・データは劣化せず(望)

アナログ・データの編集は手作業になる場合が多く、パソコンが使えないために、「情報の編集加工」が難しかった。それに対して、デジタル・データは「情報の編集加工」が容易に行える。その一番大きな理由は、デジタル・データがいくら複写をしても劣化しないという特質にあると思う。もう一つは、パソコンなどデジタル・データを処理する情報機器と技術が、急速に進歩発展し普及してきたことであろう。

2. デジタル・データは加工しやすい(望)

デジタル情報社会になり、これまでの「情報の受信」だけでなく、「情報の編集加工」が、新聞や雑誌などのプロの独占を離れ、万人のものとなった。これはグーテンベルグの印刷術以来の、画期的な発明であり、その恩恵に浴することのできる私たちは、幸せな世代である。

デジタル・データの「編集加工の技術」を身につけることは、これからの時代にますます重要になる。これは、ハードやソフトを使いこなすことよりも、ハードやソフトを越えた一般的な「編集加工の基本的な技術」を指す。その基本中の基本として、例えば「Copy」「Paste」「Cut」「Sort]「検索」「置換」などがある。

3. デジタル・データは再利用し易い(望)

紙に書かれたデータは、印刷されたものであっても、再利用するのに手間がかかる。それに対してデジタル・データは、限りなく再利用できるし、加工もできる。このようにデジタル・データには、アナログ・データとは比較にならないメリットがある。

だから、特別にアナログ・データが求められている場合でなければ、できるだけ最初からデジタル・データで作り、必要に応じてデジタル・データに基づき、手書きなどのアナログ・データも付け加えるようにするのが賢明だと思う。

4. デジタル・データは盗用され易い(望)

デジタル・データは簡単にコピーができて加工しやすい。そのため、オリジナル・データが容易に改変されたり、窃取されたり、つぎはぎだらけのデータを作られる可能性もある。

これはデジタル・データの欠点の一つであるが、それにどう対応するべきかは、結局のところ、そのデータを読む者の能力に関わってくるとしか言えないだろう。


08<情報の交換>

情報交換の方法として、旧来オフミ(オフラインミーティング)や、勉強会などで直接顔を合わせて行うほか、電話やFAX、手紙などでも情報の交換は行われてきた。その中では、人と人との直接情報交換が、他の何よりも有用なことが多い。ここでは、それら旧来の情報交換の方法ではなく、デジタル情報の交換に的をしぼることにする。

1. デジタル情報の交換方法を使い分ける(望)

デジタル情報の交換手段として現在ひろく使われているものに、1)電子メール、2)メーリング・リスト、3)掲示板がある。

電子メール(インターネット電子メール)は、インターネットに接続できる環境にあれば、世界中のどこからでも、短時間で情報の交換ができるので、双方向の情報伝達に最もよく使われている。しかし、これには業者などから一方的にメールを送りつけられるという欠点がある。

2番目のメーリングリストは、それに参加しているメンバー間だけで情報の交換ができる。メンバーに共通する情報であれば、その情報について議論をすることも可能であり有用であるが、メンバーの一部の人に知られたくない情報の場合は不適当である。

3番目の掲示板(BBS)は、原則として不特定多数の人の目にも触れるため、人目に触れても良い情報を書き込まなければならない。

補足(2012/11/11)
私は現在専ら電子メールを使っているが、デジタル情報の交換方法として、最近はツイッターやフェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の利用が圧倒的に多い。

2. デジタル情報の交換には安全対策が必要(望)

電子メールやメーリングリストでは、情報を送る方も受ける方もウイルス対策が必要である。昨年(2001年)から各種のウイルスが猛威を奮い、多くの被害が出た。最近のウイルスの特徴は、感染したウイルスがそのパソコンのアドレス帳に載っている名前を使って(その名前になりすまして)、次々とウイルス付きのメールを送るタイプが多いことだ。

ウイルス付きのメールの送信者の名前は、送信したパソコンの持ち主のアドレスとは関係なく、その持ち主のアドレス帳に載っていた名前なので、誤って開いてしまい感染してしまう事故が多発した。私宛にも、私の名前で6月に3通、7月に1通届いたが、いずれもKLEZ(クレズ)ウイルスだった。

私はアンチウイルスソフト(ウイルスバスター2002)をインストールして、絶えず最新版にアップデートしている。その上、メールサーバーのあるASAHI-NET のウイルスチェックオプション(これはノートン)も受けているので、ほぼ万全のはず。実際にウイルス・チェックを行ってもウイルスの感染はない。私の名前で、私宛に送られてきたウイルス付きメールは、「なりすましメール」だったというわけである。

このようにウイルスが次々出てくると、被害者がまた加害者にもなってしまう。ウイルスに対する安全対策をとらない人がいると、自分だけでなく、他人にも迷惑をかけることになる。

3. デジタル情報の交換にはネチケットが必要(望)

ウイルス問題のほかに、デジタル情報の交換を行う場合は、顔が見えないこと、あるいは匿名性のため、または文字だけで議論をすることから、表現の仕方などで相手の感情を傷つけることがある。また、故意の中傷、誹謗、プライバシーの侵害なども容易に起こり得る。それを防ぐために、ネットワークのエチケット(略してネチケット)に気をつける必要がある。

以下は私が管理人をしているメーリングリストに掲載した「ネチケット」の抜粋である。
(1)メーリングリストに参加する者に必要なマナー
   メーリングリストのメンバーの立場に立った気配り、おもいやり
(2)好ましいメーリングリストの条件
   興味のある話題があり、それに対する応答が楽しく、不快な気分にさせるメールがない
(3)絶対してはいけないこと
   1)文字化けを起こさせる半角カタカナなどを使う
   2)特定の機種やメーラーだけしか表示できないメールを送る(例えばHTMLメールなど)
   3)ウイルスチェックの済んでいないバイナリファイルを添付する
   4)このメーリングリストで交わされたメールを無断で外部に転載する
   5)非難中傷などの喧嘩メール(flame mail)
   6)度の過ぎたからかい、悪ふざけ
(4)望ましいこと
   1)件名(タイトル)は内容の見当がつくように。後でメールの整理をするのに役立つ
   2)全角30〜38文字で改行
   3)1文節(パラグラフ)は5行以内で空白行を入れる
   4)引用はほどほどに。以上はいずれも読みやすくするため
   5)適切なレス(レスポンス)、リプライ、フォロー、コメント
     これがメール成功の秘訣! ただし、したくないレスはしない
   6)簡単な自己紹介やハンドル・ネームなどの紹介


09<情報の発信>

私は、もらうのは嫌い与えるのは好き、受身より能動が好き、受信より発信が好きという人間である。ここまで情報についてまとめて来たが、その最後の項目となる「情報の発信」は、そういう意味で私にとって最も重要な部分である。

1. パピルス、グーテンベルグ、インターネット(望)

インターネットは、グーテンベルグの活版印刷以来の革命的発明だと思う。そのわけは、誰もが容易に、世界中の人に対して情報を発信できること、世界中どこからの情報も、簡単に受信できること、そのための費用が極めてわずかであることを、挙げるだけで充分だろう。

2. 情報の受け手が送り手にもなる(望)

これまでは、情報の受け手であることを余儀なくされてきた個人が、情報の送り手にもなり得るという、情報の双方向性は画期的なことだと思う。

これまでの情報は新聞、テレビ、書籍、雑誌などが送り手を独占してきた。個人が情報を発信することはかなり困難で、対象も規模も限られていた。ところが、インターネットが発明され、個人がいとも簡単に、世界に向けて個人情報を発信することができるようになったのである。インターネットの最大の功績は、ここにあると考えて間違いなかろう。

しかし、世の中一般は、インターネットあるいはWebの利点を、専ら情報の入手、享受という面から評価し、この、個人が世界に情報を発信できることの素晴らしさを、あまり評価していないようだ。これは、まことに口惜しいことだと私は思う。

インターネットによる情報発信は、これまでの既存メディアと根本的に異なり、個人と巨大組織が対等に扱われる。問われるのは、その内容であり、独創性であり、有用性である。自分の考え、好み、生き方、そのほか、いろいろな面での成果を発信し、もし良ければ、利用してもらえるかもしれない、あるいは良いアドバイスをもらえるかもしれない、ということは、何と嬉しいことだろう。

しかし、中身のない、くだらない、面白くない、有害な、落書きのようなホームページも存在する。何ごとにつけ、過度の期待は間違いのもと、新しいメディアに積極的に参加し、その可能性を見て行きたいと思っている。

3. 情報は発信することによって高められる(望)

私はもともと情報発信をしたい人間だった。インターネットが普及していない時代には、わが国のパソコン通信最大手の Nifty Serve のデータベースに多くをアップロードしてきた。

その中で大きなものは、医用画像独習記実用画像通信で、いずれも1989年である。1991年にBOWの98画像初心者用講座を掲載してパソコン通信から離れた。

そして、1993年に野村医院20年史をDTPで自家出版し、1996年には還暦までというエッセイなどを集めたものをDTP自家出版した。

1996年8月に、野村医院のホームページを開設してからは、水を得た魚よろしく、喜び勇んで、ここから情報発信を続けている。

情報を発信しようとすると、より深く考え、比較検討し、誤りを見つけたり、分かりやすい表現になるように気を配ったりしなければならない。このことが、発信する情報の質を高めることになり、また、情報発信者の能力を高める結果ともなる。

同じようなことは、第3章:教育 06<教育雑感>「人は教えている間に学ぶものである」とか、第4章:解決 14<成功>の「成功経験をマニュアルにする」のところでも述べたが、他人に何かを提供しようとすることは、結局自分に役立っている場合が多い。

そして、意味ある情報を発信していく度に自信が増し、それが良循環となって発信を増やしていく。また、情報を受信した人からの反応があり、新たな交流も増えて来る。

4. 電子出版を個人が簡単に行える時代(望)

Webサイトからの情報発信に比べると、価値は劣るかもしれないが、技術的にはもっと難しい電子出版を、個人が簡単に行えるようになった。

10年前にパソコンを使ってDTPによる自家出版をした時には、技術革新の恩恵をつくづく感じた。そして、それ以後合計5冊の自家出版をした。昨年夏に、始めてCD−Rを使った電子出版をした時には、新しい情報発信の方法を手にすることができたことに興奮し感激した。そして続けて3点の電子出版を行った。

紙による出版、Webサイトからの情報発信、そして両者の中間的な存在である電子出版、そのいずれをも、個人が比較的簡単に行える時代に生きている。私たちはなんと運の良い世代なんだろう。

5. フリー・ウエアは希望のシンボル(望)

パソコン通信時代にはフリー・ウエア(フリー・ソフトウエア)を多く使わせてもらった。当時はPDA(Public Domain Softwear)と呼ばれていたが、未だ市販のアプリケーション・ソフトに良いものが少なかった時代だったので、最先端はフリー・ウエアだった。

インターネット時代に入っても、優れたフリー・ウエアを使わせてもらっている。OSにも、Linuxのような優れたものが無料で提供されている。

これらを提供している人たちは「知的所有権」は放棄しないが、無料でその使用を認めている。これは営利ではもちろんなく、といって慈善でもない、その人の自己満足かもしれない行為である。このような人たちの存在が、現在の荒廃した世界に、かすかな希望の光を感じさせてくれる。

しかし、その明かりを消そうとするかのような「ウイルス」「ワン切り」などの、悪魔の所業もまた盛んである。優れた技術を活用するのも、結局は人間の問題だと言う当たり前の結論になってしまう。


<2002.9.3.>
<2008.11.11.>
<2012.11.11.>


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