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東日本大震災から学ぶ

 人類の未来

2011.05.19. 掲載
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目次
はじめに
1.強大な自然のエネルギー
2.運命と偶然
3.因果応報の否定
4.諸行無常
5.地球の構造と歴史
6.生きる意味
7.原発事故
8.現代人と古代人
9.人類の未来
  1)目をつぶらない
  2)発想の転換
  3)足るを知る
まとめ


はじめに

東日本大震災は、人類が経験した最大級の自然災害に加えて、最大規模の原子力発電所事故という人工災害が合併した災害である。私は太平洋戦争、空襲、敗戦、オイルショック、バブル崩壊、サリン事件、阪神淡路大震災などを経験してきたが、人生の終わりの時期に、このような自然災害と人工災害を見聞することになり、何ともやりきれない思いでいる。

しかし、悲しんでも憤っても仕方がない。今日までいのちを与えてもらった私がすべきことは、この大震災で感じたこと、学んだことを書き留めておくことではないかと考えた。何の役にも立たないかもしれないが、残しておいても害にはなるまい。

そこで、この震災で感じたこと、学んだこと、考えたことを時間的経過を追って書いていくことにする。


1.強大な自然のエネルギー

2011年3月11日の地震発生の際、私は妻と孫の3人で大阪市内の高層マンションにいた。こちらへ転居して6年になるが、これまで経験したことのないゆれが約10分続き、エレベータが約1時間止まった。TVは東北地方太平洋沖地震を報じていたが、しばらくは、このゆれがその地震によるものとは思わず、こちらでもどこかで地震が起きているのだろうと思った。大阪の震度は3であった。阪神淡路大震災を大阪の交野市で経験したが、ゆれはもっと少なく短時間だった。

それから後のTVは、次々と息を飲むような惨害の映像を送り続けて来る。それを見続けながら、圧倒され、沈鬱な気分で、自然エネルギーの強大さを知った。そして、これに対抗することなど到底できない、いかに人命被害を少なくするかを考えることしかないと思った。高い防波堤を張り巡らすことなど愚の骨頂、台風などの高潮を防ぐ程度の防波堤で良い。


2.運命と偶然

震災のTV報道で自然エネルギーの強大さに打ちのめされる思いだったが、同時に助かる人と助からない人の明暗が、ほんのわずかの時間や場所の違いに左右されることに目を見張った。これまでも運命に強い関心を持ってきたが、運命は偶然なのかもしれないと思ったりもした。偶然と片付けてしまうことはもちろんできないのだが、偶然としか考えざるをえない場合があることを、今回の地震・津波で知った。


3.因果応報の否定

また、震災のTV報道を見て、いくつかの宗教が唱える因果応報は、これで完全に否定されたと思った。わずかの時間や場所の違いが被災に関係するのだから、ここに因果を考える時間はない。誰もがそう感じたのではなかろうか? しかし、この震災を天罰だと言う人が世の中にはいるようだから、因果応報の否定とは思わない人もいるのかもしれない。私は昔から因果応報を説く宗教は嫌いだった。


4.諸行無常

今回の震災のTV報道を見て、諸行無常を思われた方は多いことだろう。それは、人生のはかなさ、命あるもののはかなさを表わすことばとしての無常かもしれない。私はそれもあるが、むしろ、宇宙自然のすべてのものが、常に変化して、一刻も同じ状態にとどまることはないと説く釈迦の教え 諸行無常、あるいは、ギリシャの哲人ヘラクレイトスの説く、万物は流転する Panta rei(パンタ・レイ)の正しさを改めて思った。地球内部でも絶えざる変化が起きている、地震もその変化の一つに過ぎない。


5.地球の構造と歴史

2.運命と偶然、3.因果応報の否定、4・諸行無常については、これまで考えてきたことの追認や修正で終わったが、1.強大な自然のエネルギーは驚愕だった。そして、地震についての知識が極めて貧弱であることを自覚し、自分が納得できるできる程度の地震のまとめを記事にした。この資料の大部分はWebで、Wikipedia から得た。

これをまとめることで、20世紀後半に大きく発展した地球物理学(geophysics)を知ることができたのは、大きな収穫だった。高校で学んだ地学からは想像もできない学問の進歩にいささか興奮した。この地球物理学に含まれる分野として、測地学、地震学、火山学、気象学、海洋物理学、地球電磁気学などがあるようだ。

地球物理学の数字は、天文学ほど大きくはない。それでも、例えば、活断層の定義は「新生代第4世紀に繰り返し活動し、今後の活動する可能性があるとみなされる断層で、地震活動の予知に重要」と記されている。その「新生代第4世紀」は、約100万年前より新しい時代とのことだから、かなり数字は大きい。

私が興味のある時間について調べて見ると、地球の歴史は46億年、人類の歴史は10万年である。これを理解しやすいように処理をすると、

地球の歴史を1年とした場合、人類の歴史はわずか11分14秒である。
(4,600,000,000:100,000 ≒ 1年:11分)

100歳まで生きる人間は、地球の歴史を1年とすれば、わずか0.7秒だけの存在になる。
(4,600,000,000:100 ≒ 1年:0.7秒)

また、人類10万年の歴史を1年とすると、100年間(1世紀)は約9時間に過ぎない。
(100,000:100 ≒ 1年:9時間)


6.生きる意味

地球の歴史から見れば、ほんとうに小さな存在である人間が、強大なエネルギーをぶつけてくる自然の中で生きる意味は何だろうか? 今回の震災は、私たちにそのことをあらためて考えさせたのではないかと思う。自分なりの生きる意味を見出した人、模索中の人、これまでに抱いてきたことを再確認した人などいろいろだろう。

被災地の人たちが、けなげに、必死で生きようとする姿を知ると、人間の素晴らしさに胸が熱くなる。多くの人が、不満や怒りではなく、感謝と再興への意欲を表している。その誰もが何とも言えぬ良い表情なのだ。

私が20代のはじめに考え、それ以来自分にとっての生きる意味としてきたことが、今回の大震災を知った後でも、私にとっては修正する必要がないと思った。

私にとっての生きる意味、生きる価値の基準は、「生命の発揮」である。周囲を見渡すと、草も木も花も、生命あるものは、その命を精一杯発揮し、充実して生きようとしているように見える。人の「生命の発揮」とは、単に生きているだけでなく、その生きていることを喜び楽しむことで、具体的には、自分のしたいことを目一杯するということと、ほぼ同じになる。したいことは人それぞれに異なるが、例えば、何かを鑑賞する、他人の喜びに役立つ、何かを創作するなどがそれに当たるだろう。

個々の生き物が、精一杯生きて死ぬことだけでも価値はある。しかし、それを子孫につなげるとか、一緒に生きるものの生命を充実させるのに役立つなら、より一層価値があることになる。

医業を退いてからNHKの「地球!ふしぎ大自然」やその後継番組「ダーウィンが来た! 生きもの新伝説」をほとんど欠かさず見ている。ここでは、生きものたちが、自分の生命を全うするだけでなく、子孫を確実に残すために必死で生きている姿が毎回放映されている。その努力・工夫が進化として生物に残されていくことを知り、感動する。生きる意味はここでも教えられた。


7.原発事故

今回の東日本大震災は、人類が経験した最大級の自然災害に加えて、同じく最大級の人工災害を経験したことで、不幸は数倍に増幅してしまった。しかし、不幸を嘆いても仕方がない。ここから学び、二度と同じ過ちをしないようにすることが求められているはずだ。

今回の原発事故に対する対応に、多くの人がいらだったことだろう。それと同時に、東京電力をはじめとする原子力発電に関係する識者・専門家の実態が虚像であることも、多くの人が知ったことだろう。

この人たちは、複雑な問題を複雑に考える脳力は高いかもしれないが、簡単な問題を簡単に解く脳力は低いことが明らかになった。大量の注水を行っているのに水位が上がらなければ、どこかに漏れがあるということは、小学生でも分かる。しかし専門家は、それを見つけるまでに信じられないほどの時間を費やしたことなど、その典型例である。

また、危機的状態にあっても、末梢的な複雑なことに目が向き、行うべきことの優先順位が分からない。拙速が必要な時に、速やかな対応がとれず、いたずらに状況を悪化させている。

原発安全神話を作り上げ、安全ではない原発を設置したことの責任を問う声は大きい。しかし、今必要なのは、放射能汚染の拡大を防ぎ、終息への道のりを確実にすることであろう。


8.現代人と古代人

1972年の最初の海外旅行でポンペイ遺跡を訪れ、大きなショックを受け、人間は2000年程度の時間では全く進化しないという仮説を得た。

古代人をタイムマシーンで現代の世界に連れてくることができれば、簡単に科学技術を習得し、現代人と同じレベルの生活をすることができると思われる。逆に、現代人を古代の世界に置いた場合、科学技術が存在しないので、古代人のような生活を送ることはできないだろうことも容易に想像できる。

現代人と2000年前の古代ローマ人との違いは、文明の利器である科学技術と最新医療を持っているか否かであり、頭脳は現代人と変わらない。人類10万年の歴史の中で、2000年の進化は微々たるものであることを知った。

先月中旬にポンペイをはじめ、古代ローマの遺跡を再訪し、その仮説がますます真実味を帯びる映像を、「古代ローマの遺跡を巡る」のタイトルでまとめた。この映像から、2000年前の古代ローマ人が現代人と変わらぬ生活をし、高度な文明を持っていたことがお分かりいただけるのではないかと思っている。

それをまとめながら思ったことは、現代人は素晴らしい科学技術を持った代わりに、危機的な未来を持つことになった。科学技術を使いこなす面では頭脳を使ってきたが、それ以外の面では頭脳を使うことが少なくなり、特に危機的状況への対応、生きる上での根本的なことの把握に頭脳を使うことが少なくなったと考えられる。生物には、廃用性萎縮という特性がある。それを思うと、生きるために重要な問題に対処する面で、現代人は古代ローマ人よりも頭脳は退化している可能性がある。


9.人類の未来

現代人は古代人と比べて進化していない、むしろ退化したと考えられる頭脳を持つ。その現代人は、夢を与えてくれる巨大な科学技術に取り囲まれて生きている。その中にいて、未来が危機的であることを自覚し始めているように見える。そこで、現代人が危機的未来に対処するために必要なことは何かを考えてみた。

1)目をつぶらない

かって土地バブルのころ、日本の土地全部の価値はアメリカ全土の価値より高いと大まじめに言われた時期があった。そんな馬鹿な状態が続く筈はないと思うはずのところを、目をつぶってしまい、破綻にまきこまれた。リーマンショックも住宅バブルが原因だったと聞く。

大量生産・大量消費で成り立っている現在の経済は、効率が最優先され、行き着くところ地球資源の浪費、枯渇、環境の破壊をもたらす。グローバル経済はそれを全世界に広げる。

原子力発電を必要とするのも、大量生産・大量消費に欠かせないからであろう。その結果、世界中に放射能汚染の可能性を広げてしまった。放射能汚染が他の環境破壊と根本的に違うのは、汚染された放射能物質を地球上から取り除くことができないことだ。原子力発電を使うことは、その危険物を作り続け、増やし続けるということである。

今回の大震災で注目されることになった東京一極集中も、経済効率を最優先するところから生まれたと考えて間違いあるまい。

また、先進国では人口の高齢化がますます進み、老人大国となっていく。すべての生物に共通する生きる意味は、与えられらたいのちを全うするだけではなく、子孫につないでいくことであろう。それなのに、その子孫が生きるために必要な資産を浪費して減らすだけでなく、放射能汚染で子孫の生存さえも脅かそうとしている。

その反対に、先進国では若者の数が減るばかりか、子孫を残そうとする若者がどんどん減りつつある。これは、その生物が生きる意味の喪失に向かいつつあることを示している。

私の貧弱な頭でも、目をつぶらなければ、これくらいのことは見えてくる。ただ、私も現代人として、科学技術の非常な恩恵を受け、この環境を手放したくないとも思う。これは人間という種の宿命なのかもしれない。しかし、それでは人類は滅びてしまう可能性が大きい。

2)発想の転換

現代人が危機的未来に対処するのに必要なことの二つ目は、これまで良い、正しいとされてきたことを疑うことだと思う。例えば、経済はいつまでも成長・発展し続けることができるのか? 成長・発展し続けることは良いことなのか? 人間の寿命を延ばし続けることがほんとうに価値のあることなのか? 子孫の生きるエネルギー源である地球の資産を、現代に生きる人間が大量に消費してしまって良いのだろうか? 子孫に残す核燃料廃棄物という危険物を増やし続けて良いのだろうか?

現代人の100年間は、人類の10万年の歴史からみれば、非常に短い期間である。これを理解しやすいように10万年を1年とすると、わずか9時間に過ぎない。そのわずかな期間に生きる人間が、欲しいだけ地球資源をむさぼった上、始末に負えない危険物を作り、増やし続けて良いのだろうか?

これまでの良いとされてきた考えを疑ってみた結果、これまでとまったく違う発想が生まれ、多くの人がそれを支持するパラダイムシフトが起きれば、救いはあるかもしれない。

例えば、原子力発電に変わるものとして、効率の良いバッテリーの開発を行うことが案外役立つ可能性がある。それは無理だと言われるかもしれない。しかし、かって車の排ガス規制が厳しくなった時、GMやトヨタなど大メーカーは実現不可能と抵抗したが、ホンダとマツダはそれをクリアーする装置を開発したので、大メーカーも従わざるを得なかったことをよく覚えている。これしかないとなった時の日本人の創造力は素晴らしい。

3)足るを知る

しかし、そのようなパラダイムシフトは、足るを知る気持ちが身につかなければ、無理ではないかとも思う。足るを知る気持ちを持てないというのが、科学技術を発展させて来た人間という種の宿命であれば、悲しいことだが、遠くない未来に、この種は滅亡するかもしれない。


まとめ

太平洋戦争から始まり、世の中の大きな変化をほとんど見聞きし、体験してきたが、人生の終わりの時期になって、東日本大震災を知ることになった。最近の記憶力低下は著しいので、震災で感じたこと、学んだことを忘れない間にまとめて、サイトに掲載することにした。

今回の地震・津波では、自然エネルギーの強大さに圧倒され、これに逆らうことは無謀で、できるだけ人命被害を少なくすることを考えるべきだと思った。また、今回の地震・津波のTV報道から、運命と偶然、因果応報の否定、諸行無常を感じたが、それは日ごろ思ってきたことの再確認に近かった。しかし、被害を受けた東北の方たちの姿に感動し、私がこれまで考えてきた「生きる意味」は、間違っていなかったことを知った。

原発事故は、史上最大級の人工災害と認識し、人類の将来に関わる重大な問題であると直感した。そこから、人類の未来は危機的であることと、それに対処する方法について、私見を述べた。


<2011.5.19.>

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