阪神淡路大震災と私

阪神淡路大震災と私

最終更新日 1997/7/30
 大学、大学院の計6年間を神戸、六甲の地で過ごした私にあの震災は非常に大きな衝撃を与えました。青春の一番多感な時代を過ごした町がかくも無惨に破壊され尽くしたのをみた私の心は怒りに満ちあふれていました。パソコンとはN88BASICの頃から10年余りご無沙汰になっていたのを、再び復帰するようになったのもこの震災であります。index.htmには「仕事で使うために買ったパソコン」と書いてはおりますが、本当の目的はパソ通を通じて震災関連情報を得ることでした。私と震災の関わりを地震発生時から振り返ってみました。
1、1995年 1月17日午前5時47分 「揺れる」
2、1995年 1月17日午前中     「怒り」
3、1995年 1月20日 「何でうごけんの?」
4、1995年 1月23日 「神戸へ」
5、1995年 1月24日 「西宮へ」
6、1995年 2月 2日 「六甲小学校へ」
7、1995年 2月 8日 「声掛け隊」
8、1995年 2月 9日 「模索」
9、1995年 2月16日 「引っ越し隊」
10、1995年 2月23日 「搬出」
11、1995年 3月 2日 「PTAで」
12、1995年 3月 9日 「子どもたちの手紙」
13、1995年 3月23日 「加西へ」
14、1995年 3月29日 「撤収」
15、1995年 4月    「PAR5再開」
16、1995年 4月23日 「チキンジョージ跡地にて」
17、1995年 5月    「再開パーティー」
18、1995年11月    「FACTIVE」
19、1995年12月    「OFF会にて」
20、1996年 4月    「とーちさんのこと」

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