阪神淡路大震災と私 NO.09
1995年2月16日

引っ越し隊

 引っ越し隊としての最初の参加の日が来た。仕事用の2トントラックに荷造りに必要な道具を入れいつものように深夜に出発し現場近くで朝まで仮眠をとった。

 出発前のFAXできょうは3件の作業があることがわかっていた。灘区の中同士での2件と、灘から中央区にあるトランクルームへの移動が1件だ。ボラ詰め所で引っ越し隊の要望吸い上げ役のT君から今日の詳しい予定を聞く。作業の手伝いとして学生ボランティアの人たち4、5名をつけてくれた。3件のうち2件は全壊状態の家屋から荷物を運び出すことからはじめないといけない。家の中にはいると建具の枠がひずんでいるのかドアが開かない箇所が多い。近くにあった角材で無理矢理こじ開けながら2階からおろした家具の搬出ルートを確保する。家の中で作業をしていると埃がものすごく鼻の中まですぐ詰まってきそうになる。

 運び出した荷物をそれぞれの引っ越し先へトラックで移動する。2号線は相変わらず停滞が激しいので、できるだけ裏道を通っていく。ここらへんは学生時代によく通った道が多いので土地勘は十分にある。ただ所々で倒壊家屋が道をふさいでいる箇所が多く、何度も迂回をしなくてはいけないところもあった。

 作業を完了すると、皆一様に「ありがとう」と言ってくれる。中には金一封を差し出してくれる方もいたが、ボラの申し合わせで受け取らないことにしていた。詰め所に戻ってくると引っ越し先への荷物の搬入作業をしていたT君がなにやらぶつぶつ言っている。聞いてみると、作業が終わっても、ボラがそういうことをするのは当然といった感じでお礼の一つも言ってもらえなかった、と言う。

 「別に、見返りがほしい訳じゃあないけどやっぱり、腹立ちますよ。」

 「本人さんたちは、大変な状態なんだからきっとそこまで気が回らなかっただけだよ、気にしない気にしない。」

となだめているところにさっきの人がお礼にとフライドチキンを持って現れた。

 「いやー、やっぱりうれしいですよね」と、フライドチキンを食べながらT君は笑った。


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