阪神淡路大震災と私 NO.12
1995年3月9日

子どもたちの手紙

 この日は昼から先週に引き続いて私の小学校のPTA役員が小学校を訪問することになっていたので午前中一杯、荷物運搬の手伝いを行った。依頼者はこの小学校に避難している70歳近いおばあさんだった。全壊した43号線沿いにある自宅跡に置いている荷物を取りに行きたいらしい。途中,警官に通行許可証の無いのをとがめられ、引き返すように言われたがおばあさんが直接掛け合って通行させてくれた。このころまだ43号線は許可車両以外は通行止めだったのだが、おばあさんの家はまさにその沿線にあったのだ。

 自宅跡に到着してびっくりした。2階建てだったという木造の家がぺしゃんこになっている。けがなかったん?とおばあさんに聞くと運良く家具の隙間に入って押しつぶされるのを免れたという。どのあたりにねてたん?と聞いておばあさんが指さしたあたりは,よくもまあこんなところから無事に出て来れたなと感心するほどの惨状だった。かろうじて原形をとどめていた玄関脇の物置に入り衣類や布団などを引っぱり出し、一緒に小学校に戻った。

 引っ越し作業を済ませたあと電車で六甲入りした他の役員さんたちと落ち合って職員室を訪ねた。今回はこちらの小学校の児童が書いた絵画や手紙を携えての訪問である。教頭先生に手渡すと、ご丁寧なお礼を言われた。

 校舎裏側の湯茶沸かし場を訪問する。前回の時に言われてた防塵マスクの件を帰ってからPTAの会合で話をしたらある委員会のお母さんたちが自分たちでお金を出し合ってマスクを購入してきてくれ、今度神戸に行くときに持っていってくださいと手渡されていたのだった。そのマスクを手渡したあとしばらく話をしていた。市の災害対策本部の方からもその後の折衝で防塵マスクが支給されるようになったという。徐々にではあるが状況は改善されては居るようだが、まだまだ声を挙げていかないと難しいみたいだ。


目次へ戻る 次に進む