阪神淡路大震災と私 NO.17
1995年5月

再会パーティー

 阪急神戸線が開通したのはこの頃だったろうか。僕の自宅にPAR5のマスターから一通の招待状が届いた。あのOB会の再会パーティーを開くという。アルバイト時代の同期生や店の後輩たちとも昨年の12月30日以来会っていない。みんな無事でいれたのだろうか。少しの不安とまたみんなの顔が見れる期待とで僕は六甲に向かった。

 僕が店に着いたときはもう10人以上が集まっていた。カウンターの上でバーベキューが香ばしい臭いをたてて程良く焼き上がっている。それを焼いているのは僕と同じ時期にバイトに入っていたKちゃんと結婚した旦那だ。彼の店(飲食店)は阪急岡本にあったのだが入居していたマンションもろとも無くなってしまったという。酒を飲み飯を食いそのうちに懐かしい面々がだんだんと集まってきた。

 いろんな奴が居た。あの揺れにもかかわらず熟睡して、会社に行こうと駅まで行ってはじめて被害を知った奴。明け方まで酒を飲んでいて地震の後慌てて家に戻り子供の冷たい視線を浴びた奴。灘区内では阪急神戸線の北側では倒壊などの大きい被害は少なかったようだ。

 飲むほどに人数が増えて来て11時には30人くらいになっていたみたいだ。店の前で記念撮影をした後は自分の記憶も定かでない。震災後、六甲のこの店で飲むときはなにか気が張りつめていてそんなに酔わなかったのだが、この晩は大いに酔ってしまった。気が付くと店の前に止めた自分の車の中で寝ていた。外の様子からすると明け方みたいだ。エンジンを掛けようとすると動かない。えらいところでバッテリーが上がってしまった。車外で待つこと10数分。やっと通りがかった車を止めて、ブースターケーブルでバッテリーを繋いでもらい、やっとエンジンをかけることができた。


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