阪神淡路大震災と私 NO.02
1995年1月17日午前中

怒り

 朝食の時にTVを見ていた。断片的では有るが徐々に情報が入ってきているようだ。家を出る直前ニュースキャスターが「阪神高速道路神戸線の一部が倒れている模様です」と言っている。そんな馬鹿な!と思いつつ家を出る。会社に出勤したが連休明けの初日というのに電話がほとんど鳴らない。珍しいこともあるもんだと思って、自分が取引先に電話を入れてみて初めて気がついた。管外の局番にはほとんど通じないのだ。店の被害は商品が4、5本倒れていた程度で済んだ。

 仕事の合間にTVを見る。神戸の惨状がだんだん詳細に入ってくる。僕も、僕の嫁さんも学生時代を神戸で過ごしていた。親しい友人たちも多く住んでいる。仲人をしていただいた大学の先生も、アルバイトに通ってたスナックのマスターも、、、いろんな人の顔が思い浮かんでくる。

 家に帰ってもずっとTVに釘付けだ。神戸が燃えている。画面をじっと見つめている。知らないうちに涙が止めどなくでてくる。やがて怒りがふつふつとわき上がってきた。大切な物を壊されてしまったことに対する怒りだ。目はまだ画面を睨み付けている。 

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