阪神淡路大震災と私 NO.03
1995年1月20日

何でうごけんの?

 今日は僕の所属するある団体の新年総会だ。総会後の新年会は自粛して互礼会と言うことで神戸に対する支援策を論議するらしい。会が始まる前に神戸の知人宅へ電話を入れてみた。ようやく現地への電話がつながるようになってきたらしい。彼は阪急六甲の北側でスナックを営んでいる。昼は灘畑原市場のお寿司屋さんだ。僕は学生時代に彼の店でバイトをしていた。今でも毎年12月の30日になると全国に散らばったバイト仲間が集まってOB会を開く。僕の神戸でのふるさととも言える場所だ。

 電話での彼の声は元気だったが市場の店のほうはかなりの被害を受けたみたいだ。住んでいるマンションは無事だったが周囲の木造アパートでは知り合いが生き埋めになり瓦礫をかき分けて救出したが命は助からなかったらしい。余震が怖くて夜になると近くの公園のそばに車を止めその中で一家で寝ているという。彼の息子はアトピーで医薬品が無くて困っているようだ。僕は3日後に必要な物を届ける約束をして電話を切った。

 互礼会ではいろいろな意見がでた。僕には意外だったのが「今現地に行くとかえって救出の妨げになる」とか「現地へ行く者の安全が保障できない」といった声が多く、結果的には「もう少し様子を見て」と言う方向に話が落ち着いてしまった。どこかの国会じゃ有るまいし、議論だけでは何にもならないだろうが。結局その場にいた有志を募り上部団体が西宮にむけて搬送する援助物資のトラックの手配と運転手をすることにした。何でこんな時にうごけんのや!腹立たしくもあったがもういい、動く人間だけきてくれればいい。


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