阪神淡路大震災と私 NO.05
1995年1月24日

西宮へ

 西宮のYMCAまで救援物資の運搬をすることになった。僕の所属している大阪狭山青年会議所の上部団体である社団法人日本青年会議所大阪ブロック協議会が震災当初から現地に救援物資を運んでおりJCNETでトラックと運転手を募集していると知った僕は自分で勝手に申し込んでいたのだ。パソコン通信はPCVANが試験運用期間の頃、モデム付きのワープロでやっていたことがあるがそれ以来ご無沙汰していた。同じ青年会議所に属する友人からPCVANのCUGであるJCNETに震災救援関連の情報がUPされていると聞きダイジェストをFAXしてもらっていた。

 大阪市中央区本町の本部を昼過ぎに出たが交通情報が混乱しており入れると聞いていたはずの阪神高速の入り口から入れなかったりで高速に乗るまでに1時間以上かかってしまった。あとで先発隊に聞いたところでは、パイロンで通行止めにしていたところを強引に突破したとのこと。そこまではまだまだ知恵が働かなかった。

 西宮YMCAに到着後、すぐに物資の荷下ろしをはじめる。すでに多くのボランティアの若者たちがいて(中には小学生の子もいたと思う)作業はほんとに短時間で終わった。

 帰路は国道43号線を通って帰る。上を見上げると通行止めになっている阪神高速神戸線の高架がやけに近いところに見える。ふと橋脚を見ると短柱爆裂をおこしていて柱の長さが通常の半分ほどになっているのだ。この区間は数日後通行止めになっていたが余震が起これば俺たちも危ないなあ、なんていいながら通過していた。


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