後記 2005-11-25


 

 いちはつの花咲きいでて我が目には
               今年ばかりの春行かんとす

 いちはつを見ると、必ずこの歌が思い出される。病床にあって、来年の春を期待できないという、子規の覚悟が胸を打つ。
 子規に特別の思い入れがあったわけではない。ただ数年前に松山を訪れる機会があり、子規記念館に立ち寄った。道後温泉の宿で「仰臥漫録」も読んだ。以来子規に親近感を持つようになった。
 「仰臥漫録」には食べ物に関する記事が多い。この頃の子規は、病状まことに重く、すでに肺は左右ともにほとんど空洞であったという。自力では寝返りもままならず、まさに仰臥のまま苦痛に耐えるほかなかった。味覚だけが、わずかに快感だったであろう。それゆえに、煎餅一枚に至るまで詳細に記録している。野心家であった彼には、仰臥のまま動けなくなったわが身が、無念であったに違いない。
 いちはつは好きな花の一つだが、子規のことを知って以来、美しさだけを愛でることができなくなった。今年もいちはつが、わが家の家庭菜園で盛大に咲き、散った。
(柴木皎良:気随独語・いちはつ)

 しばらく休養をさせていただきましたが、11年目のスタートに当たって今日は柴木皎良という作家のことを書いてみたいと思います。
 2002年8月31日の編集後記、司馬遼太郎に絡めた文章に少し触れたのですが、柴木皎良は4年前の平成13年10月21日に「風来奇聞抄」「風来抄」「風韻」という二冊の全集と1冊の遺作集を残して風のように去って行きました。東海地方における同人誌の老舗「北斗」の三代目主宰者として、創作者として、教師として限りを尽くした末の無念の結末でありました。東海地区の一部の文学者仲間以外、全国的にいうならば柴木皎良は無名の作家となるのでしょう。彼の文章には常に「月」「雲」「日」「雨」「風」「夜」など、密やかな自然現象が重要な言葉となってちりばめられておりました。それらの一つ一つは確かな光線となって私の胸に寂躍とした灯をともしてくれましたが、私が柴木皎良の名を知ったとき、彼はすでに遠く大空の彼方にあったのです。

 柴木皎良の作品を手にしてから3年の歳月が流れていったこの夏、「文学者掃苔禄」10年目の更新を終えた後、私はある健康上の不安を抱いておりました。井上光晴のページを編集するに当たって彼の晩年を調べている内、彼の死因となった病状に、なんとなく自分の健康状態が似ているように思ったことが発端でした。彼の末期となった「大腸ガン」というその病は私の不安を一層濃厚なものにしていったのです。前回の編集後記にしばらく休養をとのことを書いたのも、もしかしたら入院手術の可能性もあるのではという覚悟のような気持ちがあったからなのです。なにはともあれ先ずは検査をと、大病院での検査漬けを嫌って内視鏡検査で実績のあるクリニックの予約をしたのですが、人気クリニックゆえか予約の検査日は1ヶ月後の深夜。最悪のことしか頭に浮かばない、その間の不安な日々をどう過ごしたのか、4ヶ月もたった今はもう記憶に薄いのですが、ただ、一心に決めたことは柴木皎良の墓を訪ねよう、柴木皎良の力を借りようという思いでした。
 柴木皎良、彼も大腸ガンで逝ったのです。2年7ヶ月もの間、病と文学と教職と、「北斗」の追悼号に顕れた先の見えない闘病生活。病に立ち向かう執念ともいえる文学魂を、不謹慎ながら羨ましいとさえ思った自分に恥じ入るばかりでありましたが、炎天下の名古屋・平和公園墓地にある柴木皎良の墓に佇んだ一刻の間、聖域の息吹は「死」を恐れる心の愚かさや哀しさを愛おしく包んで、私の不安は霧散したのでした。「死」は経過であって結果ではないはずです。日常を残して、大霊園に黙立する墓石群の一影に納まった柴木皎良も「死」を前後に辿ってなお、その人生は永遠に続いていることを頼んだのです。

 帰京してしばらく後に受けた深夜の検査、予想通り目の前に映し出された2センチ大のガン腫瘍にも冷静に対応することができたのは、まさしく墓参の効果があったのでしょう、あるいは柴木皎良の加護であったのかもしれません。細胞検査の結果、幸いにも粘膜に留まる初期ガンであって転移の可能性はないとの診断でありました。年一回の検査は必要なようですが、ふっきれた気持ちともども「「文学者掃苔禄」の新しいスタートが切れる喜びで一杯になりました。

 残された命の10年、20年・・・、柴木皎良に思いを馳せて「文学者掃苔禄」の継続される年月も同じであることを願っております。ご愛読の皆様にも更新の遅々たることはお見逃しいただき、今後とも末永くお付き合いくださいますようお願い申し上げます。


 

 

 

 

 

 

 

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