ここに陸つき、海はじまる。
ポルトガルの詩人カモンエスの叙事詩「ウズ・ルジアダス」の一節を刻んだ詩碑がたつロカ岬。波涛は絶え間なく断崖絶壁を打ち続けている。ユーラシア大陸の西の果て、望み見る海原は果てしもなく広がる輝かしい大西洋。水平線は思いの外あやふやで風は恐ろしく強かったが、歓喜の声と共に光彩を際立たせてきた虹のように諸手いっぱいの希望に溢れていた。今だ!思い切って断崖を飛び出せば、どこまでも飛翔しつづける大鳥となって、いっせいに回転し始めた大地の暗雲を潮飛沫の彼方へと追いやってゆくのだ。見知らぬフロンティア、私はそんな岬の光景の中にいつの日か立ちたいと夢見て、生まれた娘に「みさき」という名をつけたのだった。
この日がうずくとき
うずいてやまぬとき
ばら色の旗をおしたてては
未明へたち去る
明確な一隊がある
この日がうずくとき
うずいてやまぬとき
夜よりも深く泥濘をふんで
声もなく還る
むざんな一隊がある
麦となり襲撃となる五月
ひとえぐりの傷へ
ひとつの海をかたむけて
癒えうるものは
すこやかに癒えしめよ
てのひらを引く潮
呼吸へ満ちる月
ひとつの傷へ向けて
灯のともる深夜の町となり
ひとつの岬へ向けて
水尾を引く安堵の海となって
癒えうるものは
かならず癒えしめよ
(石原吉郎・ひとつの傷へ向けて)
1995年夏、三島由紀夫、太宰治、森鴎外、北原白秋、三木露風、樋口一葉、九條武子、志賀直哉、斎藤茂吉、長与善郎、田中英光など、11名のページからスタートした「文学者掃苔禄」も、順風満帆とはほど遠く、紆余曲折の道のりを細々と息つなげて、ようやくの10年。今回の更新を重ねてどうやら380名を数えるに至りました。振り返れば何と多くの励ましがあったことでしょう。中学生から90歳近い人生の大先輩、日本はもとより、五大陸、世界中の方々からのアクセスがありました。その多くはもちろん世界に繋がった日本の方たちでしたが、日本語や日本文学を勉強されている外国の方からのメールも時々混じっておりました。全く不規則な仕事柄、取材も思うに任せず、2ヶ月ごとの更新をと心に課しておきながらも時にして3ヶ月を過ぎることもしばしば、あまりの更新遅延を心配してか、読者の方から病気見舞いまでいただく始末。更新も遅々として進まず、力足らずの「文学者掃苔禄」がこれほどまでに長らえてこれたのも皆様の温かい叱咤激励があったからこそ、感謝の言葉もありません。10年前、挫折や苦衷の全てを精算、心の整理をつけ、岬を飛び立つつもりで始めた「文学者掃苔禄」が、今は私の生活の中核となってプライベートの時間の大部分を占めるようになっています。来し方の10年は長かったのか短かったのか、本当のところ4年前に「石原吉郎」をアップした時点で一区切りをつけようとしたのですが、何かあてどのない意思に連れ戻され、確かな終止符を打つに至らぬまま今日になってしまいました。この道標に示された文字をくりかえしくりかえし読み続けるだけなのか、これから先の10年を思うと予測もつきませんが、暫しの休養をとってまた新たな旅立ちができればと願っています。休養が、3ヶ月になるのか6ヶ月になるのか、いずれにしても私の方向は決まっているのですから。
憧れのロカ岬はいまだ夢の中、「みさき」は24才になりました。
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