後記 2007-03-10  


 

 そこは見晴らしの良い墓山でした。
 風もなく、いやそう思いこんだだけで、風はあったのです。それも相当に冷たい風が。
 ただありがたいことに、その墓のある位置は小さな漁港の湾に向かって下ってきた山腹を背にしていましたので、やわらかな冬陽だけが私を包んでくれていたのです。

 ある時、墓の住人は「海辺」という詩を書きました。

  ふるさとは
  海を蒲団のように着ていた。

  波打ち際から顔を出して
  女と男が寝ていた。

  ふとんは静かに村の姿をつつみ
  村をいこわせ
  あるときは激しく波立ち乱れた。

  村は海から起きてきた。
  小高い山に登ると
  海の裾は入江の外にひろがり
  またその向こうにつづき
  巨大な一枚のふとんが
  人の暮しをおし包んでいるのが見えた。

  村があり
  町があり
  都がある
  と地図に書かれていたが、

  ふとんの衿から
  顔を出しているのは
  みんな男と女のふたつだけだった。

 石垣りんさん、同じ位置の縁石に腰掛けて私もぼんやりと入り江のむこうに広がる海原を眺めています。さっき墓石に手を当ててみました。墓参の時の儀式、いつものように。やっぱりあなたのお墓はおだやかで温かでした。
 りんさん、詩人はどうして死に急ぐのでしょうか。それとも生き急ぐといったほうがよいのでしょうか。あなたのように、苦しくとも哀しくとも、かっと目を見開いて真っ直ぐに生きて行くことはできないのでしょうか。
 海をみていると誰にともなくきっと問うてみるのです。

 あの海原のずっとつづくさきには三河の海岸もあるのでしょうね。
 その海岸で煙草を右手にはさみ、口元を一寸ゆがめて微笑む長髪の青年の写真が載った一冊の遺稿集が手元にあるのですが、いつ何がきっかけでその本を手に入れたのかはもう想い出せないのです。
 岸上大作に兄事し、「岸上大作論」を書き上げた1975年5月20日未明、縊死して果てた23歳の詩人、立中潤。
 この詩人のことを「文学者掃苔録」に掲載する機会が訪れることはもうないでしょう。
 愛知県の南部、尾崎士郎の生まれ育った吉良の町からもほど近い、幡豆町大字鳥羽字東迫に生まれたこの詩人のことがずっと気になっていた時期がありました。いつか「文学者掃苔録」にと思いながら幾年もの機会を逃してきましたが、数年前、思い切ってその町の図書館に電話して、その詩人の墓所の所在を問い合わせてみたことがありました。「調べてみましょう」とのご返事でしたが、一週間ほどして電話をいただいた図書館長のお言葉によると「先日、たまたま来館されたその詩人のご縁戚の方に話を通してみたところ、後日返事がありまして、詩人のご母堂はまだご健在ですが、30年に至る傷は癒えることもなく今も深い痛手となっていらっしゃるご様子。できうるならば、そっとしておいていただきたい。」との言葉でありました。私自身にも30数年前同じような痛恨の出来事があったことを想い、ご母堂のご心中察して余りあるものがありました。取材にはやるあさましい心底が先走って、自分本位の心ない行動に深く反省したことでした。
 彼の自死の本当の理由はわかりません。そのことについての詮索をしようとも思わないのですが、「生から死を視るというよりは、むしろ、死から生を視通する」という文学的な方法であったのでしょうか。
 海のむこうから押し寄せてくる喪失感、描かれた絶望の夢、果ては岸上大作の郷里の墓に詣でた時の胸を締め付けられるような冷たい漆黒の碑面を想い出します。

 りんさん、こんな穏やかな日差しに寄り添っていると想うのです。立中潤の墓もきっとそのような墓であるのだろうかなどと。


きみの絶望はきみだけのものだ。安価に売却できぬきみの生存そのものだ。抑圧と圧政のみがあったきみの少年の日々からきみの生存は地続きになっている。胸の襞のうづきでしか答えられぬ幼い屈辱の数々。怒ることもなく笑うこともなく現場を立ち去ることしかできなかったきみが遺留しつづけたものは何だ。膨みきっていたきみの悲哀。つめたい悲哀は孤独の吹きっ晒しにはいつでもふりつもっているものだ。まるでそれのみが救いの堆積でもあるかのように。だが うずくまっている自我像を撫でつけたとしても きみの顔はひきつっていた。そのときからきみは死の中へ押し出されていった。……拒絶の生きた幻。ああ 画然たる死の形相! そこにしかきみの生存をながしこむ場処がない。日々のたたかいは重い生理学の下を過ぎてゆく。行く先も目的地もありはしない。きみはきみの貧しい生存をただながれてゆくのだ。死の幻を実在させるきみの黴臭い脳味噌 の線に沿って。街燈によりそっているのはつめたい亡霊のようなきみの陰だ。きみを一瞬も離さないきみの重い陰。十月の冷雨がきみの足元を湿らせてゆく。爽やかさを感ずる皮膚にきみは鋭い眼光を注いでいる。そうだ。いつのまにかそうなっているのだ。ひえてゆく季節・十月 も過敏な繊維できみをつつみこむ。うすぼやけた繊維の霧のなかからはきみの様々な陰たちがあらわれきみの体内をだまって通りすぎてゆく。台地を踏みしめる悲哀が同時に一陣の風となってきみの身体を横切っていった。美しい現世たちはこの地上に足をつけるときはなやかな一瞬の栄華を誇る。ながれてゆくことの虚しい一瞬。にぎやかな少女たちが可憐さを背一杯ふりまいて通りすぎてゆくときのようにそこにすべてがある一瞬。ひび割れた時間も空間もそこからは視えてこない。アスファルトを蔽った死臭もすでにきみのなかにしか生きてはいない。自らを地下の方にまげこんでいる道路 がどこまでもどこまでもつづいているだけだ。たたかいの血糊はけれどもきみのかぐらい襞の奥にべっとり付着している。……きみはきみの目前の一切を信じないためにきみの陰をひきづってゆくのだ。露骨な島流しには誰れもがあわねばならない! ひりひりときりもみしてくる痛覚にこそ 時代へとはせるきみの反逆の根拠がある。みじめさの方へ身を寄せるな。うずくまることの一秒の長さをこそ思え。決して浮上してゆかぬために。

(立中潤:十月)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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