後記 2006-08-14


 

  誰彼もあらず一天自尊の秋

 飯田蛇笏の生涯、全六千二百五十一句最後の一句です。

 意志を継がれた四男の飯田龍太氏は明解します。
 「季節はいままさしく秋爽。たまたまこの世にえにしありともがらよ、ひとの生死のはかなさよりも、おのがじし尊ぶべきものは何であったか、それをこそ互いにもとめようではないか」、蛇笏生涯の終極をくまどらせて鎮めるばかりでなく、誰彼の生涯をも終極させる精神的純度を示しています。

 山梨県東八代郡境川村小黒坂(現在は笛吹市境川町小黒坂)にある「秋風の詩人」飯田蛇笏の墓参を果たすために訪れたのは7月半ば、目指す地に一番近い石和温泉駅に降り立つと、其処はまさに熱地獄さながら、どっと吹き出す汗に眩暈を覚えてしまいました。酷暑の始まりを告げる積乱雲がどこまでも伸びあがって、甲府盆地の蒼空を支配しています。しばらくの間、駅前のカフェで涼をとって気を取り直してみたものの、目的地のしかとした資料は村の住所以外何もありません。どうしたものかとこの地に来てから思案しても始まらず、村人に尋ねたら生家や墓所くらいは何とか判明するだろうと諦観。村までのバス便もなく、先ずはタクシーで境川村まで。
 ここから奇遇が待っておりました。駅待ちの運転手さんに行き先を告げて飯田家のことをそれとなく聞いてみたところ、なんとその運転手さんは飯田家の御用達というほどの方、近頃はご高齢になられた飯田龍太氏やご夫人の病院への送迎、日常の買物にまで指名されておられるようでした。よもやまのことなど聞きながら笛吹川を渡り、曲がり曲がって細い村道を登りついた生家、百戸あまりの村といっても名字帯刀を許された地主、その山廬は蛇忽、龍太、二代にわたる俳人の厳粛で詩精神にあふれた趣でありました。毅然とした家屋の佇まいに躊躇していると、勝手知ったる運転手さんが玄関口で声をかけてくださいました。二度三度、呼びかけても返事がなく、不作法にもいつのまに立ち入っていた涼気づく三和土で気配を待っていると、ようやく奥の間から龍太氏の夫人が。あいにく龍太氏は臥せっておられたようでお目にかかることは叶わなかったのですが、墓所の在地を懇切丁寧に教えていただきました。

 居宅にほど近い飯田家の墓は、ひろびろとした桃畑に囲まれ、南アルプスを遠望する共同墓地の中にありました。逆縁で失った長男聡一郎、次男数馬、三男麗三が眠る墓と両親の墓に挟まれ、殊の外椿を好んだという蛇忽の墓は碑面に「真觀院俳道椿花蛇笏居士/清觀院真月妙鏡慈温大姉」と夫妻の戒名を刻んで。

 蛇忽24歳、悔恨の一句「夏雲むるるこの峡中に死ぬるかな」。
 学業の中断余儀なくして帰郷した甲府盆地東南の丘陵、御坂山系を背後にした家郷の山廬で孤高凝縮の生涯を終えた俳人の死生を明示した簡潔な墓碑でありました。生い茂っているはずの夏草も疎らで、一陣の風もなく、炎天下、我が身の影も足下に染み込むばかり、もの音も途絶えて寂寞とした墓庭。全ての記憶は薄らいで行く。

 観ずれば「死」とは奇妙なもの、「生」とは奇妙なもの、つきつめればその境目は曖昧模糊となって、いつのまにか融通無碍の世界へ誘われてしまいそうです。

 

それにしても、あの運転手さんに巡り会わなければ、これほど順調な墓参は叶わなかったであろうと、幸運な墓参の旅を振り返っております。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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