後記 2002-08-31


 

 今回アップの「司馬遼太郎」は数多くの読者に影響を与え、紛うことなき国民的作家であるばかりでなく、歴史や文明を大きく俯瞰する見方、司馬史観に見られるように、日本人の日本人たる所以を真摯に洞察した作家でもありました。20余年に亘って歩き、書き継がれた40数巻の「街道をゆく」は今も私の愛読書の一つになっています。

 古来、葬送の地と位置づけられた洛東鳥辺野、大谷本廟に氏の墓を訪ねたのは、前回アップした「白洲正子」「須賀敦子」の墓参の帰途のことでした。法然院に「谷崎潤一郎」「稲垣足穂」の墓を訪ねて以来、久しぶりの京都。予想に違わぬ暑さでしたが、抜け道のない熱気に包まれ、蹲るような京洛の地にあって、夥しい墓石の襞に覆われた墓山の、深く切り込まれた谷底にある「司馬遼太郎」の墓碑の周りには、僅かながら厳かな和らかさを醸した冷気が残っており、束の間の安堵を得ることができました。
 「小説を書くというのは、空気の中から何かを取りだして手の上で固形にする仕事。私は精神力、体力とももうそんなに残っていない」と語り、88年の「韃靼疾風録」以来、長編小説を書くことはなかったのですが、土を踏み、風を聴き、声と出会い、はるかな時を観た作家、司馬遼太郎に日本の行く末はどのように映っていたのでしょうか。

 司馬遼太郎没後、5年余を経た平成13年10月21日朝、2年7ヶ月の病魔との闘いの末、吉田栄治という無名の作家が永眠しました。
 彼は同人誌「北斗」の主宰者でした。「北斗」はまもなく500号を重ねようとする稀にみる同人誌でもあります。500号は彼の悲願でした。彼は卓抜な包容力で同人の絶大な信頼を得ていたようです。ようですというのは、私は彼に一面識もなく「追悼号」の巻頭写真によって、その頑強な精神を垣間見るのみであるからです。彼の名を知ったのも、その作品を読んだのも、この1、2ヶ月の間のことですが、短い期間に凝縮された彼の思いは、私を圧倒しておりました。悠揚として確固たる文体は、快く魅力のあるものでした。彼の絶筆「中村ちづ子私論」は命を削るようにして、死の3,4日前まで書き綴られたといいます。同人中村ちづ子の処女出版作品集「看護学生」のための律儀で、風格を感じさせる評論でありました。
 彼のペンネームは柴木皎良。柴木の柴は、無類の司馬遼太郎ファンだった彼の望むところであったでしょう。彼の司馬遼太郎好きの理由が何であるのか、知る術を私は持ちませんが、彼の作品に大いなる意思が表れているように思います。最期の年、「菜の花忌」にも参列したようです。彼の遺した「風来奇聞抄」「風来抄」「風韻」という2冊の全集と1冊の遺作集、そこに散りばめられた月や風、雨、雲、夜などは、彼の気配であり、合い言葉のようでもありました。

司馬遼太郎のページをアップするにあたって、彼を敬愛し、志半ばで倒れた一人の無名作家のこと、書き添えておきたいと思いました。願わくば、いつの日か有名無名の作家二人が雲上殿で相見え、美酒の一献も傾けあう時のあることを祈って止みません。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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